表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/57

誰も傷つけぬ者たちへ【その6】


「神官殿。――お気遣いありがとうございます。でも僕には無用のもの。その慈愛は、ぜひそれを求める他の方々に分け与えて下さい」

「……わたしの手を、はね除けるというのかい?」


 務めて冷静にあろうとするフェフとは対照的に、黒の神官ウィアドはどこまでもその幼い心のままに振る舞う。フェフの言葉に『何を言っているのか理解できない』という心情を隠すことなく、その瞳を驚愕に見開いてキョトンとした表情でフェフを見遣る。

 フェフの背後では、護衛の神殿兵が低く唸るような音を喉から発し、一瞬の緊張が走る。フェフも軍人だ。神殿兵の纏う雰囲気が、闘気をはらむ剣呑なものに変わったことを察する。しらず片手が剣帯に向かうが、フェフは丸腰だった。だがその動きをみて、神殿兵の手は剣の束を握る。


「……わたしには分からないよ? どうして苦しみの中にあろうとするのだい?」

「それは僕にとって苦しみではないからですよ、神官殿」


 フェフは落ち着いて前を向く。背後は気にしないことにした。さすがに町中で、町衆の目がある中で剣を抜くような暴挙にはでないだろう。自分の態度を神殿側が侮辱と感じようが、そんなものこの地では関係ない。ここはルーニック。神殿の法が及ぶ地ではないのだ。


「――神官殿。僕の名前はフェフと申します。おっしゃる通りヨーラの生まれで、5歳でこの国にやってきました。残念ながらヨーラのことは何一つ覚えていないので、神官殿と郷愁を分かち合うことは出来ません」

「お前は棄児(すてご)だときいたよ? 可哀想に、その魔の力のために故郷を追われたのだね」


 どこから得た情報なのか、彼らはフェフの身の上についてもある程度把握しているようだった。それを口にするウィアドの表情は慈悲と憐憫に溢れるものであったが、それは補佐官さん達がフェフに向ける哀憐などとは根本的に異なる、蔑みを土台とするものだった。微笑むように上げられた口角に浮かぶのは、優越感だ。


「それはその通りかも知れません。――でも神官殿。奇妙だと思いませんか?」

「なにを?」

「捨て子である僕が、名と正しい年齢と出身地を知っていることを、です。僕がルーニックに保護された時は5歳になったばかりでした。僕はそれ以前のことを、実の父母のことも何一つ覚えていません。でも知っています。僕のことを記した手紙を持っていたから」


 異能者、棄児としての自分の立場を理解し始めた頃にヤーラ師から「お守り」として渡された一枚の紙。質の良くないゴワゴワとした紙に記されていたのは、慣れない筆跡で辿々(たどたど)しく書かれたフェフ自身についての記録。その名、生まれ年と季節、出身地、そして異能の力についてと、ここ(ルーニック)に棄児する理由。


『フェフ、これは貴方が愛されていた証。大切になさい』

 そういって渡された「お守り」。

 最後に記されていた一文は――『この子に人としての生を与えて下さい』


「神官殿。僕は富裕の出ではありません。そんな親が、遠く離れたルーニック王都まで幼子をわざわざ連れて来たのです。そのままヨーラで捨てることもできたのに、わざわざ遠くルーニックまで。それがどれほど大変なことであるか、あなたには分かりますか?

 僕は肉親の、家族の愛も知っています。共に在ることだけが愛じゃない。僕は愛されていたから捨てられたのです。

 フサルク神の愛は、僕をヨーラ人でいることを許してくれませんでした。僕から家族の愛を奪ったのは、他ならぬフサルク神です」


 西方ヨーラは使国(しこく)ではないが、フサルク神殿の影響力は大きい。異能の力を持つ者は迫害対象であり、あの地ではフェフのような能力者は人としての生を歩めない。

 だからこそフェフの親は、彼を手放したのだ。少なくとも“人”として受け入れてもらえるルーニックまで旅して。

 一介の庶民が国を越えて旅することは容易ではない。それでもフェフはルーニックまでたどり着くことが出来た。


 これを肉親の愛と呼ばずして、何を愛と叫ぼう。


 思いも寄らぬフェフの言葉に、黒の神官は何度も目を瞬いた。この異端者は、一体何を言っているのだろう? 我が神が何を奪ったというのか。神の愛を受けられぬ者のくせに――。


「……お前はわたしを、我が神を侮辱するのかい?」


 微かに震えた白く滑らかなその掌を、ぎゅっと握り込む。ウィアドはヨーラ貴族の出身であり、神殿に入ってからもその才能を持って厚遇され続けてきた。厳しい修行こそあったが、額に汗し身体を苛むような労働とは無縁の人生だ。その指は細く、節ばった所など一つもありはしない。慈悲深きフサルク神の恩寵を与えられ受け取るばかりの自分。我が神が奪うものなど何一つありはしない――。


「神官殿。僕はフサルク神を奉じる皆様を、憎んだり貶めたりする気持ちはありません。ただ、関わらないでいただきたいだけです。僕には異能の力がある。だから――放っておいて下さい。僕は、いかなる神の恩寵も要らないっ。僕には、あなたは必要ないっ」


 必死で感情を抑え込み淡々と告げられていたフェフの言葉は、最後だけ乱れた。それを合図とするかのように、ウィアドの中でも激情が溢れる。常に誰かから求められてきた彼にとって、初めての明確な拒絶。幼子のような精神のまま成長し、誰にも正されなかった彼には、そんな激情を我慢するような気質はなかった。


「必要ないだって? 所詮は魔の者、神の(ことわり)を外れた邪悪なものだね。

 我が神を必要ないというのなら、お前は人としての庇護を断ち切るということだよ。

 人外の化け物。それがお前たち、魔の者だ。生を営むことすら汚らわしい」


 (かむ)さびた秀麗さは、明らかな嫌悪の感情を映しても美しいものらしい。自分に向けられたあからさまな悪意を見ながら、フェフは不思議と冷静にそんなことを考えていた。

 周囲から音が消えたような気がした。『人外の化け物』――そんな聞き慣れた言葉ごときに今更惑わされたりはしない。ただ、背後から発せられる、今度こそは明確な害意には意識を集中する。

 鞘走る音。すぐさま白刃が近づくことはなかったが、その輝きがどこか穏やかな秋の陽光を反射してフェフの足元を照らす。

 抜き身の剣を下げたまま、背後にいた神殿兵は回り込むようにフェフと黒の神官の間に移動する。ギリギリで刃が届かない位置を保ち、彼が通り過ぎるのをフェフは身を固くしてやり過ごした。周囲では町衆達が剣光に驚き、ざわめきが戻ってくる。


「……神官殿。ここはルーニックです。神国ではない。故無き暴力には、我々守備隊は対応せざるを得ません。あなたの警護者に剣をひくよう命じて下さい」

「いやだね。我が神を侮辱されて、わたしが納得するとでも? 讒謗(ざんぼう)は立派な暴力だと思わないかい? 先に故無き暴力を振るったのはそちらだろう。

 ファーン。剣をひく必要などないよ。――お前はいつもわたしの意をくんでくれるね、ありがとう」


 ウィアドが視線を合わせた刹那、ファーンと呼ばれた神殿兵は片手に剣を下げたままで、もう片方の手を翻しフェフの襟元を取った。即座に体を反して逃れようとするフェフをあざ笑うかのように、押さえつけられるように背を捻り押されフェフはおもわず両膝をつく。

 体格的にフェフは格闘には向かない。先の“ウサギ狩り”でも容易にラーグに拘束されていたが、今回もあえなく跪かされ、その背に膝を乗せられて動きを封じられる。両手こそ地につくことはなかったが、フェフの体勢はすっかり捕らわれ人のものだ。白刃は目に入らないが、反射光が目の端に映る。

 周囲からはどよめきと、フェフを案じる小さな声が方々から聞こえる。その声があることに、フェフはどこか安堵して(おとがい)を上げた。視線の先で、黒の神官が至極満足そうな表情で小さくクツクツとした笑い声をあげる。


「さて、汚らわしい魔の者。我が神への謝罪を要求するよ? 化け物であっても、慈悲深き我が神は許して下さることだろう――」


 態とらしくその(かいな)を拡げ、ウィアドは周囲を見渡す。傍から見れば明らかにウィアド側の一方的な暴力にしか見えないのだが、彼はそれに気付かない。

 無手である知己の“兵隊さん”を、剣を持って跪かせる見慣れぬ神殿兵。しかもその神殿兵はオガム人の色彩を持ちながら、フサルク神の色を纏い神官に服従している。その光景が、アラグレンの町衆の目にどのように映るのか、黒の神官は気付かない。哀れなまでの愚かさであった。

 彼を見上げるフェフの視線に、思わず憐憫(れんびん)の色が宿る。なんて愚かしい人なのだろう、と。自分と同じ色彩を持ち、自分と同じく異能の力を持つ黒の神官。だけど、この人には自分と同じ愛は与えられていないのだと気付く。愛されているようで愛されていない黒の神官。周囲の人からの当たり前の愛を与えられていない、神の恩寵者――。


「……なに、その目。わたしを愚弄するつもりかい? 化け物の分際で、神の愛し子を哀れもうというのかっ」


 意外にもフェフの瞳に宿る色に気付いたウィアドは、今度は明らかな怒気を放った。自らを上位者と(たの)む者にとって、下位者からの哀れみなど嘲弄(ちょうろう)にも等しい。そんな侮辱に耐えられる彼ではなかった。その怒気を受けて、神殿兵ファーンはフェフの背にかけた膝の力を強め、白刃を眼前に突き刺す。

 周囲から、ヒッという息を呑む声が大きく響く。せっかく高まったであろう町衆からの崇敬を愚かにも失おうとせん行動であることに、神官主従は気を配らない。否、ファーンはその危うさに気付いてはいるが、彼にとって黒の神官ウィアドの意志は絶対のものだ。神の意志の代理人。その心を妄信する同じく愚かな番犬。


 今回のアラグレン滞在は、お目付役として同行した側仕え神官が留守にした隙を狙ってとったウィアドの独断行動だ。お目付役の神官はウィアドが望んだ【能力者(ドルヴィ)】との面談を拒絶されるまでは鷹揚に彼の好きにさせていたが、第25隊に対しての正式な依頼が断られて以来、逆に接触を禁じてきた。彼らは無視して、神の栄光と慈悲をその他の人々に振りまけと。

 神官ケニングは、ウィアドが神殿入りして以来の側仕えでもあり師でもある人物で、ウィアドといえどもその言葉に真っ向からは逆らえない。その彼が数日留守にするのをいいことに、妄信的に忠実な守護兵であるファーンだけを伴ってアラグレンに乗り込んだのだ。

 今回のことが露見すれば、どのような結果になったとしてもケニングからの叱責は避けられないであろう。だが、それは些細なこと。ウィアドは自らの【神力者(オーピル)】としての権威を妄信していたし、ファーンにとっては主の願いを叶えること以上に大事なことはない。それが例えウィアド自身の益にならないことであったとしても。


 ファーンが握る剣がフェフの眼前から離れ、そして今度は背に当てられる。その切っ先の感触に身体が震えはしたが、フェフは慌てなかった。いくらなんでも神官が町衆の眼前で流血沙汰を起こすはずはないだろうと、フェフは常識的に考えていたからだ。

 だが刃の感触が隊服を突き通して直接肌に感じられるようになって、フェフは振り返って神殿兵を見上げる。その瞳に躊躇い一つない妄信の影を見出して、フェフは自分の考えが甘かったことを悟った。

 だが――。


 不意にフェフの背が軽くなった。サクッという土を踏んで近づく軽い足音が聞こえたと同時に、ヒュッという風を切る鋭い音と、ドゴッとも響く鈍く重たい足蹴音がフェフのすぐ後ろから発せられた。次いで身体が地に叩きつけられる音と、カランカランと転がる金属音。剣先の傷みと共にフェフの背を覆うように射していた大きな人影が消え、代わって少し細い人影がフェフの脇にのびた。

 ぐぅ……という呻き声と、身を起こそうとする衣擦れの音。目を遣った先で、フェフに無体を強いていた神殿兵が、蹴り飛ばされた体も露わに地に倒れ込んで腰の辺りを押さえている。


 振り返って見上げた先では、相変わらずの無表情で蹴りの体勢から戻って直立する――ソーン補佐官さんの姿があった。


 わぁっ、きゃあ、という歓声にも似た町衆のざわめきが広がる。その中に、若いお嬢さん達の黄色い声が混じっていたような気もしないでもないが、聞こえなかったことにする。荒事を感じさせない涼しげな表情で、ソーン補佐官はフェフの腕をとって立ち上がらせた。


「怪我はありませんか、フェフ?」

「は……い、大丈夫です」

「それは良かった」


 見惚れるような笑顔でフェフの頭を軽く叩く。再び群衆から黄色い声が上がったような気もするが、フェフはそれどころではなかった。

 ソーン補佐官さんも軍団兵、暦とした職業軍人だ。だから当たり前とはいえ、似つかわしくもない荒事の行使に驚いたし、不意をついたのであろうが一撃で神殿兵を蹴り飛ばしたその力技は、その秀麗な姿からは想像がつかない。

 以前に彼から訓練を受けた際に『フェフは小柄ですからね。格闘になった場合は、力を上手く集中させなさい。コツを掴んで攻撃点を正確に捉えれば、ゴートのような偉丈夫であっても倒せますよ』と指導してくれたが、その実践なのだろうか。


 突然に姿を見せた補佐官さんにはある意味驚きはないが、問答無用の荒技への戸惑いは隠せない。フェフは混乱のまま、ただじっと補佐官さんの纏う空気がピンと張り詰めたものになるのを見守っていた。


「さて……」


 周囲のざわめきを無視して、ソーン補佐官は黒の神官に向き直った。その顔には既にフェフに見せた優しい笑顔はない。いつもの慇懃無礼さを隠さない、隊員にとっては恐怖を感じさせる無表情な笑みと凍り付くような冷眼を受け、黒の神官ウィアドは思わず一歩後退った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ