少年と能力者【その3】
-----[2016.03.29]
前後編で投稿したものを4分割しました。一話あたり5000字程度に減らしています。改行位置以外の変更はありません。
「隊長さんーーっ 兵隊さんーーっ」
今日、彼を呼ぶ声はいつもとは異なる。大人のせっぱ詰まった声だった。
苗を支える支柱を立てていた隊長以下の面々は、怪訝な顔で作業の手を止める。
「あれは……コールのお兄さんじゃないですかぁ?」
離れた場所で兵営の牛達の世話をしていたラーグ班長も、その声に呼ばれるように隊長の元にやってきた。
春も半ばを過ぎたやはり気怠い午後、兵営勤務の班の兵たちは皆、眠気に逆らいながら兵営の自給自足を支える作業にかかっている。今日の見回りはすでに終わっているため、町の詰め所勤務である第一班以外は、全員が兵営にいる状態だ。当然フェフもいるわけで、また彼がらみの面倒事が起きたわけではない。
「いつも落ち着いている彼にしては珍しいな。何があったんだ?」
「あの人が、あんなに慌ててわたし等の所に来るってことは、かなり拙い事態かもしれませんね?」
隊長とラーグ第二班長、そして兵営の建物内にいた第三班長エイワーズも加わり、ほとんどの兵が外に出て、丘を駆け下りてくるコールの長兄を待った。
「はぁはぁ……隊長さん、すみません」
「おう、いったい何があった?」
ようやくたどり着いた彼に水を与えてから、隊長はいつもよりは真剣な口調で問いただす。
「それが……コールが、さっき“裂け谷”に落ちて……」
「えっ!!」
驚愕の声を上げたのは、ほとんどの隊員が同時だった。“裂け谷”は、山の中腹にある地割れの跡だ。深く底の見えない危険な谷。野生の山羊が時たま降りる姿が見られるが、人はまず降りない。降りられない。崖の岩肌はもろく、人の手で昇降するには技量が必要だ。谷に珍しい薬草や鉱物があるわけではないので、そこまでして降りる必要性もない。
谷の周囲はよい牧草地なので、コール達を始めとする町の牧畜家は日常的に周辺に立ち寄る。だが、それだけに、その谷の危険性を幼少の頃からたたき込まれており、いくらコール少年とは言え、戯れに落ちるような危険を冒すとは考えにくかった。
「訓練中の犬の子を助けようとしたらしいんですが……。岩棚の途中で引っかかっているので、生命は無事なんです。ですが、上から見えはしますが、とても私たちでは助けに降りられません。コール自身も足を痛めており、意識ははっきりしていますが、身動きがとれないようで……。
隊長さん、兵隊さん。お願いですっ。弟を助けてやって下さいっ」
長兄の表情は真剣だ。第25隊の誰もが、この彼が歳の離れた弟を厳しく躾ることと同様に、ひどく可愛がっていることを知っている。
そして同じくらい、コール少年は隊の皆にも可愛がられている。あのソーン補佐官ですら、コールには比較的甘いのだ。あれでも。
素直で屈託無く、誰をも愛おしみ、誰からも愛されている町の少年。彼の危機とあっては――隊の皆にとって、言われるまでもない。
「兵営を空にはできんからな……。第三班とソーン、兵営長は待機。おっと、ゴートはガタイが良いからこっちに参加。第二班はただちに準備。支度が出来次第、行くぞ」
すがりつくようなコールの長兄に再び水を与えながら、隊長らしい指示をとばす。第三班のゴートはこの町出身の地元兵であり、まだ若い方だが第25隊で一番重厚な身体を持っていて力が強い。彼だけを三班から引き抜いて、第二班ラーグ以下7名と隊長とフェフ副長、計10名のコール少年救援隊は、てきぱきと準備に取りかかった。
油を染ませた丈夫で長いロープと様々な金具、天幕にも使う大きな布、担架に使う支柱、医薬品……軍団からの派遣兵を中心に必要な品々に対する的確な指示が出され、慣れた地元兵たちが兵営倉庫から手早く取り出し、これらの品々は瞬く間に整えられる。荷車はじゃまになるので馬は一頭だけ。それに荷を積み、ラーグは隊長の指示を待つ。
「隊長、準備完了です」
「わかった、ご苦労。あんたは兵営で待ってな。大丈夫だ、必ず無事に連れてきてやる。安心して待ってろ」
準備の間、長兄から細かな事情やコール少年の容態などを確認していた隊長も、救出に向けて立ち上がる。まだ動揺している長兄を優しく宥めながら、隊長は隊に出立の号をかけた。
「おっと、そうだ。ソーン、これ持ってろ」
ブンッという、全くもってかわいくない音と共に、隊長の左腕から外された腕輪がソーン補佐官に飛んでいった。
手加減もなしに突然投げつけられたそれを、ソーンは身体を半分だけ返して、涼しい顔のままそれを受け止めた。当たらなかった事に対して隊長が思わず放った『ちっ』という舌打ちと忌々しげな表情は、本気だった。こんな時にも稚気が抜けない。
フェフを同行するというのに、制御の腕輪を預ける――この期に及んでまでの隊長の戯れに、さすがの隊の面々も苦笑する。一刻を争うというのに、儀式のように補佐官とのやりとりを繰り返すつもりなのか、と。
だが――。
「わかりました。お預かりします。では、行ってらっしゃい。お気をつけて」
「ほ、補佐官さん??」
一番慌てたのは当のフェフだ。いわんや、腕輪はフェフの力を相殺し無効化する呪具。これを持たないということは、フェフの異能の力を押さえるものは何もないというのに。
今回は、自分の力は不要だというのか。いや、何に役立つのか自分自身ですら思いつかない状況下。それでも明らかな戦力外を告げられたようで、フェフの心はざわめく。
「腕輪のことなんぞ、気にせずに好きにやりゃいい。『失敗』しなきゃいいんだろうが」
言外にフェフの力を当てにすると告げる隊長。普段は煩いくらいに腕輪の装着を求める補佐官は、すでに腕輪をしまい込んでいる。
二人の考えが読めないのは他の隊員たちも同じだが、そこはフェフより1年以上付き合いの長い者たち。隊長の突飛な行動の意味を、最初から求めたりすることの無駄加減は熟知している。曰く『考えるだけ無駄』。
とりあえず、ソーン補佐官が「止めない」なら、それは間違いのないことなのだと知っている。これまでの経験でもって、その身に刻み込まれて。
隊長以下、コール少年救援隊は小走りで谷に向かう。少年が谷に落ちてすでに1時間以上経っているらしい。怪我はひどくないようだが、いつ崩れてもおかしくない岩棚で長時間恐怖にさらされる負担はひとしおだろう。“裂け谷”までは半リーグ(約2.5キロメートル)ほど。丘を越える登り道であり荷物を抱えた状態では、さすがの兵隊たちでも四半時はかかる。だが一刻も早く、少なくとも助けの手が届いていることを、少年に知らしめる必要がある。そのためには、直接顔を見せてやらないと。こういう時には隊長の飄々とした顔が抜群の威力を発揮することだろう。
腕輪の件で反応が遅れたフェフも、慌てて続こうと背を返した。その背に、ソーン補佐官の涼しい声がかかる。
「フェフ。どうでもいいことを教えてあげましょう」
「へ?」
再び意表を突かれて、フェフは立ち止まって振り返り、頭一つ分は高いその補佐官の顔を見上げた。
――その表情は、今までに見たことのないもの。冷厳な無表情でもなく、冷眼でもなく、恐怖を誘うにこやかな笑顔でもなく――。
「私は、わざわざ求め、せっかく捕らえたものを、みすみす手放したりしません」
「――は??」
見上げる補佐官の表情には至高の笑み。充足感に満たされた、慈愛あふれる柔らかさと神聖さ。この場で、フェフだけが眼にしたその顔に、しばし状況を忘れて惚ける。
「だから『どうでもいいこと』ですよ……さ、惚けている時間はありませんよ、行ってらっしゃい。それとも居残りたいのですか?」
「へ? わっ!」
振り返ると、隊の皆はすでに丘の上にまで進んでいる。彼の真意を確認する暇もなく、フェフは慌ててその後を全力疾走で追う。見送る補佐官の顔は、いつもの冷厳な無表情に戻っていた。必死で駆けながら、フェフは彼の言葉を頭の中で繰り返し繰り返し呟いた。その意味を必死で追い求めながら。
* * *
到着した“裂け谷”には、コール少年の次兄と、他に2人の町の人が居た。崖の上からコール少年に声をかけて励まし、兵隊たちの到着を今か今かと待ちこがれていた彼らは、姿を見せた隊長以下を諸手をあげて迎えた。
「おぅ、待たせたな。コールの具合はどうだ?」
「隊長さん、兵隊さん達。来てくれて、ありがとうございますっ。
本人の様子を見た感じでは、足は折れちゃいませんね。挫いたか、ヒビが入ったか……それよりも打ち身がきついようです。見ていただけりゃ分かりますが、身動きとれない幅なもんで、体勢を変えるのも一苦労してます」
いつもは熱いコールの次兄だが、さすがに狼狽の色が濃い。それでも救援の手が到着したことに、万全の信頼と安堵の表情をみせた。
「おーーい、コール~。生きてるか~?」
谷から身を乗り出し、声をかける隊長。その声は軽いようでいて、何故か心に優しい。
「あっ、隊長さーん。生きてまーす。でも死にそうでーーすっ」
返すコール少年の声も、思いの外、元気なものだった。だがその声に含まれる空元気に気づかない隊長ではない。
「待ってろ、今引き上げてやるからな。ラーグ、状況確認。担架を作っとけ。あと添え木の準備」
コール少年は、一緒に落ちたという犬の子を抱え、身体の幅ほどしかない岩棚にうずくまっている。痛めたのは右足首、動かすと激痛が走るという。後は腰をひどく打ち付けたとのことで、立ち上がれないらしい。
彼のいる岩棚までは、大体2ロッド(約10メートル)ほどはある。真っ逆様に落ちたというわけではなく、半分はずり落ちたようなものだとのことだが、この高さから落ちたにしては、幸運なほど軽い怪我だといえよう。
抱き抱えている犬の子はほぼ無傷だが、危険な状況に怯えて暴れようとするため、必死でコールが抱き抱えている。まだ生後半年ほどの子犬だが、牧羊犬としての訓練中ということもあり、コールの腕の中では大人しくしている。崖の上では、次兄と共にその母犬らしき牧羊犬が、キューンと切なげな声をあげている。
「コールは身動きとれなくて、犬が一緒か……こりゃ好都合だな」
少年に励ましの声をかけ、身体の具合と周りの状態を確認し終えた隊長は、独り言のように呟いた。振り返って隊の面々を見渡す。さすがに手際のいい彼らは、すでに担架を作り終わり、ロープの長さを確認しつつ固定する場所を見繕っていた。
「ロープはとりあえず置いとけ。フェフ、こっちに来い」
「隊長? フェフを降ろすんですか? 非力っすよ?」
ロープで身体を結びつけるとはいえ、少年を抱き抱えて吊り上げられることになるであろう救助者には、それなりの膂力が必要だ。フェフは非力と言われるほどではないがどちらかというと小柄で、決して恵まれた体格ではない。他に比べて力が強いとは言えないため、救助者として最適な人選ではないだろう。
「犬を先に上げるんですね?」
呼ばれた瞬間は分からなかったが、フェフはすぐさま自分の役割に思い当たった。それくらいなら自分でも役に立つ。もし「失敗」して離せなかったとしても、犬の子一匹くらいなら兵営に戻るまで抱きかかえていられるだろう。
片膝をついて谷を見下ろしていた隊長は、フェフが近づくのを見て立ち上がる。その顔に浮かぶのは、心底楽しそうな笑み。――何かを、特に隊長にとってだけ楽しく、隊員にとっては至極迷惑千万なことを企んでいる時の、その笑み。
経験に刻み込まれた悪い予感に、思わず後退ったフェフを手招きする隊長。隊員たちも興味を引かれて準備の手を止めた。
躊躇いがちに側に寄ったフェフに対し、隊長はコール少年の姿を確認するよう命ずる。先ほどまでの隊長と同じように、だが若干の恐怖感からか両膝をついて岩棚を見下ろすフェフ。その視線の先で、少し憔悴して、だがいつもと同じ少し頼りなげだが屈託のない顔を見せるコール少年。
町の皆からも、隊の皆からも愛されている彼の少年だが、フェフにとってもそれは同じ――いや、それ以上の親愛の対象だ。
【能力者】と称され、軍では士官待遇で丁重に扱われる存在であっても、市井の人々にとってはそうではない。ルーニック国では面と向かって忌避されることは少ないが、それでも好んで近づく人間は多くない。人間は誰しも、本能的に異質なものを見極め遠ざけるものなのだろう。それは仕方のないことだと分かっている。
だが、兵営のあるこの地、アラグレンの町を含むオガム地方は、もともと能力者に対する感情が緩い。古くよりフサルク神殿の影響がほとんどなく、いわゆる「盟約の神々」――フサルク神以前の太古の神々を奉じる地方蛮国とさえ呼ばれていた地方。
もとより、ルーニック国そのものも、建前上はこの世界、人の世において正統とされるフサルク神を至高神とする宗教下にあるものの、他国とは比べものにならないほど神殿の影響力は弱い。でなければ、異端の神々、神殿からは邪神とまで称される神の力による異能の力を用いる【ドルヴィ】などという存在が、許されるわけもない。
そのルーニックに併呑されて二世代ほど経つオガム地方においては、なおさら異能者に対して特に気負ったところはない。迫害することはなく、面と向かって忌避することもなく。表面的には、普通の「ちょっと変わった人」程度の扱いだ。
軍団を追い出され、この地に赴任した直後。フェフは市井の人々と関わることが怖かった。この地域の気質は聞き及んでいたが、軍以外の世界で生きてきた記憶のない彼にとっては、人々が自分に向ける感情は未知のものであった。
すでに新しい第25隊、特に隊長の「変人さ加減」に慣れていた町の人々は、初めて目にする【ドルヴィ】を、淡々と受け入れた。だが、フェフが必要以上に身構えていたこともあり、当初の関係は付かず離れず。忌避からではなく、様子見にも似た感じでの距離感がしばし続いた。
それを一変させたのが、屈託無く素直で物怖じしないコール少年だ。彼は好奇心を隠さず、そのままの感情をぶつけてフェフに近づいた。必要以上に構った。その能力を知り、今を思えば意図的に彼の能力を使わせた。その力が恐ろしいものではないということを、町の人々に知らしめるかのように。
結果として、フェフの力と「失敗」の程度が知られる頃には、町の人々の対応は『やっぱり、このお人も今期の第25隊の人だなぁ』という、あまり有り難くはない評価となり、フェフ自身の迷いも戸惑いもすっかり影を潜めていった。今の気負わないフェフを形作ったのは、半分は隊長以下の面々だが、残りの半分はコール少年なのだ。
フェフにとって恩人とも言える、弟のような、そして友人と呼びたい少年。彼の為ならば、可能な限り助けてやりたい。だから彼の「お願い」は断らない。それが能力を使うことであっても、「失敗」を呼び起こし自己嫌悪に陥らせることであったとしても。
「……コール。必ず、必ず助けてあげるから。皆を、僕を信じて待っていて」
「副長さ~ん。分かってまーす」
その姿を目にして意を決したフェフは、隊長の指示を仰ぐため、身を起こした。早く彼を引き上げてやりたかった。
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<長さの単位について>
ヤード法の古い単位などを参考にしています。
[リーグ]…約5キロメートル
[ハロン]…約200メートル
[ロッド]…約5メートル
[エル] …約1メートル