表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/57

誰も傷つけぬ者たちへ【その3】



「あらまあ、フェフ副長さん。わざわざ来ていただいて申し訳ないわ」

「気になさらないでください、奥様。ストライフさんが『どうせなら直接届けてくれ』とおっしゃったので。僕も奥様やティンネちゃんと会いたかったですし」


 ストライフの家を伺いもなく突然訪ねたにも関わらず、兵営長の細君はいつもと同じような穏やかで優しい笑顔でフェフを迎えてくれた。

 ティール達と共にアラグレンの町の詰め所に顔を見せ、二人は少しの休憩の後、早々にディングル市、そして目的地であるアイリーズ市に向けて旅立っていった。フェフはストライフを始めとする詰め所勤務の役付き達に二人の任務などについて説明し、ソーン補佐官から預かっていた数々の書類や物品を処理した。

 ストライフ兵営長とその家族には、兵営の皆からお見舞いの品なども預かっており、フェフはそのまま彼に預けて兵営に帰ろうとしたのだが、兵営長本人から『せっかくだから、これは直接妻に届けてほしい』とお願いされたのだ。

 招き入れられた居間で、ストライフの細君はフェフに熱い香草茶を振る舞って労をねぎらう。彼女にとっても、今回夫が置かれている事情は心苦しいものではあるが、隊長以下の兵営の皆が心の底から自分たち家族を労り、娘と自分たちを心配してくれていることも分かっている。


「これ、兵営の皆から預かってきたものです。ティンネちゃんへのお見舞いと、これは今期収穫の豆です、ぜひ皆さんで食べてください。奥様の料理は本当においしいですから、きっとストライフさんも喜びます。それと……あ、これは補佐官さんから『奥様に』と預かってきました。お茶だそうです」


 何かの折りに渡される、兵営の皆からの心尽くし。夏の発病以来、外で遊ぶこともできなくなったティンネが退屈しないようにと、絵心のある兵が描いたアラグレン周辺の風景画の束や、素朴だが丁寧に作られた木彫りの動物達。今までにもいくつものお見舞いの品が届けられている。今回の品は『急に言われても準備してなーい!』と、兵達が夜遅くまでかかって作り上げた、どこか無骨な焼き菓子達だ。どれもこれも、兵営の皆がストライフの愛娘ティンネに寄せる親愛の情に溢れている。

 補佐官さんから渡された包みには、水茎麗しい字で『奥様へ』という宛名と、中身についての説明が簡潔に記されていた。


「まあ珍しい……これ、山のかなり上の方でしか採れない香草なのよ。乾燥させて香草茶にすると、いい香りがして……心が安らぐわ」


 補佐官さんからの贈り物を確認しながら、どこか儚げにほほえみを浮かべる細君の様子に、彼女の心労が見て取れる。季節をまたぐほどに続く、終わる当てのない看病の日々に心身が削がれないはずがない。ただ一人、ティンネ宛ではなく細君に向けた親愛と労りを届ける補佐官さんの心遣いに、フェフは尊敬の念を抱く。補佐官さんは本当に“優しい”人なのだ。何を大切に、何を心に掛けるべきなのか、そこを間違えることのない、たおやかで厳しい優しさ。冷厳な言動に隠されがちなその心を、今では兵営の皆が理解しているとフェフは思う。


「せっかくだから、煎れてみましょうね。フェフさん、準備してきますから、その間ティンネを見舞ってやってくださいな」

「ええ、分かりました」


 フェフは細君の背を見送った後で、ティンネが病臥する部屋へと向かう。表通りに面した1階の明るい部屋だ。多少の騒々しさはあるが、自身で出歩くことができなくなった愛娘が少しでも外の風景に触れ、また町の人々の姿を見ることができるようにと、夫妻が願って設えた部屋だ。今日もその窓の木扉は開かれ、窓枠にかけられた埃除けの薄布が静かに揺れている。

 ティンネは寝台から半身を起こして外を眺めていた。


「フェフ副長さん、お久しぶりです」

「そうだね、ティンネちゃん。急におじゃましてごめんね? 具合はどう?」

「ここしばらくは調子がいいんです。だから今日も、ちょっと外を眺めていたくって」


 フェフがティンネを見舞うのは、兵営長が詰め所付きに異動になった時以来だ。その頃と比べても、彼女が衰弱してきていることが一目で分かる。夏までは生気に溢れていた頬はこけ、日に当たることの少なくなった肌は青白く、そして何よりも瞳に力がない。

 簡単な挨拶と容態を気遣うやり取り。町や兵営の皆の様子を、なるだけ楽しく感じられるように話す。どこか儚げさを漂わせるティンネの笑みが、フェフには心苦しい。

 やがてストライフの細君が、薫り高い茶と素朴な焼き菓子を持ってやって来る。ほんのりと甘みすら感じさせる香草茶は、ティンネだけでなく細君やフェフの心をも穏やかにさせた。しばし会話の無い、暖かな静寂が部屋を包む。


「――ねえ、ティンネ? 起きてる? 今日、きれいな花が咲いててさ――」


 静けさをやぶって開かれた窓からかけられた声が、新たな温もりを届けた。心からの気遣いを秘めたまま軽やかに届けられた声と共に窓にかけられた薄布がひかれて、ぴょこんと茶色の頭がのぞく。寝台に半身を起こすティンネを見てきらきらとした輝きを見せたその緑の瞳は、その脇に座るフェフを見つけて驚愕と恥じらいの色に変わる。


「えっ……フェフさん、な、何で?」

「やあ、コール。ちょっとお見舞いにね? ……いつもティンネを見舞ってくれてるんだってね? 今、奥様から聞いたところなんだ。昨日もきれいな石をありがとうだって。今日のお花もきれいだね?」


 まるで補佐官さんに出くわした時のように表情を強張らせあたふたと慌てるコール少年に、フェフは思わず人の悪い笑顔になった。意地悪するつもりはないが、この微笑ましさには年長者の友人として構いたくなるのも仕方ないだろう。

 コール少年の気遣いは、真摯であるが故に心温まるものがある。以前から彼が年の近いストライフの末娘と仲良くしていることは知っていた。負の方向に進みがちな状況下においても、彼は明朗さを失おうとはしなかった。心から気を配り、容態を気遣い、だがその快復を願い疑わない態度。その熱心さと後ろを向こうとしない心情に、どれほどティンネ本人やストライフの家族が力づけられているのか、きっと少年は知らない。知らないからこそ、いいのだ。


「だ、だって、ティ、ティンネ……ちゃんも、きれいな花見たいだろうし、ボクのは、つ、ついでだし……って! フェフさん! からかわないで下さいよ!! その顔、まるで隊長さんみたいじゃないですか!」

「……そ、それはすっごく不本意だなあ」


 さすがに『隊長のよう』とまで言われては、これ以上の揶揄(からか)いは出来ない。フェフの矜持に関わる。肩をすくめて視線を戻すと、陰のない笑顔で細君が微笑み、ティンネは青白い頬に紅をのせる。

 微笑ましいこの空間を、フェフは守りたかった。自分が何も役立てないことが、何よりも辛かった。



* * * 



「…………フェフ副長さん……。お父さん、笑ってます?」


 窓越しの暖かなやり取りが続いた後、コール少年は再び自分の仕事に戻り、細君は茶器の片付けのために辞する。フェフも兵営に戻るために席を立ったが、その背にかけられた微かに震える声には先ほどまでの暖かな光がない。


「わたし……どうやったらお父さんに笑ってもらえるのかな。ううん、お父さんだけじゃない、お母さんにも、お姉ちゃんにも……コールにも、みんなにも笑ってもらいたいの。どうやったら、もう一度元気になれるのかな……」

「ティンネちゃん……」

「元気になりたい。みんなに笑ってもらいたいから。そのためだったら、なんだってするのに……」


 ぎゅっと握りしめた痩せた手の甲に、静かに滴が落ちる。家族の前では見せられない弱さを、ティンネはフェフには見せる。こうやって泣かれるのは二度目だ。一度目は……フェフにとっても苦い記憶だった。




「ねえ、副長さん……【ドルヴィ】の力でわたしを治せないの? そんな力はないの?」


 ストライフが詰め所付きになって早々の頃、今回の様にフェフが単独でティンネを見舞った時のことだ。ディングル市から呼び寄せた医師をもってしても有効な手立てがなく、ストライフ兵営長が最も意気消沈していた頃だ。他に誰もいない居室で、ティンネは泣きじゃくってフェフにその感情を吐露した。


「お父さんやお母さんが悲しむのはイヤっ! お父さん達が生きてる間だけでもいいの、その間だけでも、もう一度前みたいに元気で過ごせるなら……何だってやるのに……どんな神様だっていい、わたしを元気にしてくれるなら……」


 まだ12歳の少女の、血を吐くような慟哭。我が身の不幸を嘆くのではなく、ただ家族を思いやっての心。それが一層やるせなかった。


「……僕達の【力】は、人を直接害したりも、その逆も出来ないんだ……【能力者(ドルヴィ)】の誰も、そんな力は持てない。人に直接関われるのは……フサルク神だけだから。ごめんね、ティンネちゃん。僕達は何も出来ない。只の異能者なんだ……」


 【ドルヴィ】の力は、「盟約の神々」によって与えられる異能の力だ。そして「盟約の神々」は人に直接影響を及ぼすことができない。それが「盟約」だ。

 神話によると、人の命の営みに関わる守護を放棄することを約した神々の中において、ただ一柱、フサルク神だけがその盟約に加わらなかった。だからこそ、フサルク神は「人の守護神」として崇拝されている。人を見捨てなかった唯一の神。他の神々は人の元を去ったのだ……。

 だからドルヴィ達異能者は、人を直接傷つけたり癒やしたりする力を有することがない。何の気まぐれか、フサルク神への抵抗なのか。戯れに与えられる異能の力は、人に直接関わるものは少ない。ヤーラ師が有していた「人を呼び寄せる力」は、希有な例だ。


 泣きじゃくるティンネの背をただ撫でてやることしか出来なかった、自分の手。その手から放たれる【ドルヴィ】の力は、何のためにあるのだろう。自分のためではなく、家族のために泣く少女1人助けられない、役立たずの手。その手に一体何を掴めば、この気持ちは落ち着くのだろうか。何の役にも立たずに消えていきたくは無い。異能者である自分を自覚して以来、ずっと心に(わだかま)る重く昏い想いは、いつもフェフの心の中で浮き沈みを繰り返していた。



『神が与える奇跡なんてもんを待つより、その手を伸ばせ。何のためにその手はある?』


 あの春の終わり、去りゆく前の神官に言い放った隊長の言葉。その言葉は、あれ以来ずっとフェフの心の奥にある消えない熾火だ。それと共に――


『フェフ、貴方にティンネを癒やす力などありません。それは貴方たちドルヴィの力ではない。

 人は弱い。どうしても得体の知れない力に縋りたくなる時があります。でも自分の手で掴めないものは、掴んではならないものなのです。自分たちだけの力で、全てを乗り越えていかなければならないのですよ。

 貴方は知っていますね、その手が掴むことができるものを。そして、その手は貴方自身です。神の力でも異能でも何でもない、貴方だけ(・・・・)の力です。

 フェフ、忘れないで下さい。貴方もただの人です。まだ、ただの人なのですよ……』


 ティンネに【力】をせがまれ泣かれた日。兵営で眠れぬままの夜を持てあまし、外に出たフェフを見とがめたソーン補佐官は、訥々(とつとつ)と平静を装って心情を吐露するフェフの言葉をただ静かに聞いてくれた。自分の無力感を、やるせなさを。ただ、静かに受け止めてくれた。その横顔には、老成した者が持つような深い落ち着きがあり、同時に闇深い哀しみと厳しさがあった。

 そして言ったのだ。ただの人であるフェフに出来ることは限られると。ドルヴィとしての力は何の役にも立たないと。


『【能力者(ドルヴィ)】としてではなく、【フェフ】として出来ることをなさい。私が貴方に望むことは、ただそれだけです』


 明け来る光を見つめながら、ソーン補佐官さんは静かに告げた。そしてフェフを残して立ち去った。いつものように頭を軽く二つ叩いて。

 補佐官さんの意図するところは、本当のところ分かっていない。この異能の力を行使すべきなのか否なのか。彼はどちらを望んでいるのかすら分からない。その秀麗な美青年としての見た目とは裏腹に、時として兵営の誰よりも齢を重ねているかのような態度で、冷厳に言葉を紡ぐ補佐官さん。誰よりも――隊長よりも掴み所のないその本質を、たかだか21歳の若造が掴み取ろうとすることが無謀なのだとは思う。でもフェフは、誰よりも彼の言葉が示すものを受け取りたいと感じていた。否、受け取らねばならない義務感にも似た思い。


 以前、誰かが『補佐官さんの口煩さって……あれだよな、母親の小言に似てるよな?』と放言して、皆の苦笑と隊長の爆笑をかったことがあった。でもそれは真理に近い気がする。相手を何よりも愛し心配するが故の厳しさ。そしてそれは今、誰よりも自分に向けられていると感じるのは、フェフの思い上がりでは無いと信じたい。それに応えたいと思うほどに、補佐官さんや第25隊の皆、そしてアラグレンの人々はフェフの『家族』だった。




「ティンネちゃん。ストライフさんも、コールも。僕も、兵営の皆も。

 大丈夫、笑えるよ。今でも笑える。だから、ティンネちゃん自身も笑わないと。

 笑って。誰よりも自分を信じて笑って。皆に笑って欲しいなら、君が笑って」


 二度目のティンネの涙は静かだった。だからこそ、フェフは強く言葉を紡いだ。愛情を知る彼女だからこそ、その愛を疑ってはいけない。どんなに辛くても、それは彼女だけに向けられる愛だ。受けとれるのは彼女だけ。受け取って笑うことが彼女の義務なのだから。

 涙を拭って弱々しい笑みを浮かべる彼女に、心が痛む。でもこれがフェフに出来ることだ。誰かを頼るのではなく、自分を信じ踏ん張る心がなければ彼女は衰弱するだけだ。異能の力を持つ自分だからこそ示すことが出来る無力さ。それを自覚して乗り越える勇気を与えること。それだけが自分に出来ること。


 ――人は、笑いながら泣くことが出来る。彼女がそれを知るのは、未だ早いけれど。






ティンネとコールは2歳違いの幼馴染でもあり、ほのかな恋愛感情ありの間柄。コールは初恋かも知れない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ