捕らえしもの、囚われしもの【その12】
「二頭同時です、出来ますか?」
「はい、補佐官さん。何度かやっていますので、大丈夫だと思います。幸い、カンバイもアウェイもこの時間ならコールと共に放牧地のはずですから、異変にはすぐ気付いて貰えます。コールの所の放牧地は、この森には近い。そしてあの子は賢い。きっと意味するところを分かってくれると思います」
フェフがあげた固有名詞――「カンバイ」と「アウェイ」は、共に羊飼いであるコール少年の牧羊犬の名だ。母犬のアウェイは優秀な牧羊犬だし、子のカンバイも既に訓練期を終了し見事に羊を追い回している。春先のコール少年救出劇の際に縁があったこともあり、フェフはコールに頼んで何度か二頭を貸してもらい、訓練対象としていた。ある意味『フェフに呼ばれる』ことには慣れている二頭、抵抗もあまりないだろう。
「では、やってみなさい。貴男がコール君を助け手に選び、その彼を信じるならば、その想いを繋げてみなさい」
「はいっ!」
誰が何と言おうと、コールはフェフにとって『友達』だ。この地で、そのままの彼を真っ正面から受け入れてくれた少年。そのままのフェフを、異能者でもあり、ただの人間でもある彼を、どちらか片方ではなく全てを余すところなく受け入れてくれた彼。
それまでは何処にあっても、彼は異能者としてしか見られなかった。もしくは必要以上にその力の存在を排した接遇ばかりを受けてきた。“異能の力を有した、でも只の人”として市井の人に受け入れられたのは、初めての経験だった。そのことがどれほど彼ら【能力者】にとって嬉しいことであるのか、きっとコール少年は知らない。でも知らないからこそ、嬉しいのだ。
「コール君は直感力に優れています。きっと貴男の伝えたいことを察することでしょうね」
「それもそうですが、アウェイは母性本能が豊かなので、こっちにカンバイを残せば何がなんでも探しに来ると思います。多少時間はかかるかも知れませんし、途中で隊の誰かに見つかるかも知れませんが、ここでただじっと待つよりは確実だと思います」
正直、それほど勝算があるわけでは無い。探索を受ける『対象者』の策としては下策だとも思う。
それでも補佐官さんに『誰を助け手とするか』と問われて、フェフは真っ先にコール少年を思い描いたのだ。その気持ちを大切にしたかった。
インガ正監とソーン補佐官がフェフから距離を取り、彼は両手を差し出して【能力】行使の体勢に入る。いつもコール少年と共に彼らの仕事を支える、賢く元気な二頭の犬。白茶色の毛並みは夏毛となって柔らかさが少ないが、いつもきちんと手入れされてコール少年からの愛情を感じさせている。円らな黒い目は、いつも少年に信頼と親愛の表情を見せている。とがった三角の耳とふさふさとした尾は、その感情を全力で彼らにぶつけてくる。
愛し愛されているコール少年の相棒。その二頭の気持ちが分かるからこそ、『呼ぶ』ことは容易い。フェフの能力行使において『抵抗されると呼べない』ということは、逆に気持ちに同調できる場合は何の支障も無く『呼べる』と言うことだ。
二頭の姿を心に描きながら、フェフは同時に強くコール少年のことを考えた。ようやく捕まえた、自分を『フェフ』という一個の存在にしてくれる大切な人。離さない、離したくない、大切な友達。
フェフの両の腕の中で、最初はぼんやりとした、そして暗い穴の中でまぶしい金色の火花の残滓が何かを形作った――。
「…………えっ??」
「えっ? ええっ?」
素っ頓狂、といってよい声は、同時に発せられた。一つはフェフの狼狽と困惑が全面に押し出たもの。そしてもう一つは――目の前の光景が把握できず、とりあえず見知ったフェフの姿にだけ安堵している、コール少年のものだった。
「えっ? 何でフェフさん? って、ここ、どこ? わっ! 補佐官さんまで!!」
「なんで……なんで、コール?」
フェフは茫然自失だった。間違いなく自分の力は行使された。フェフが『呼んだ』のだ。だが、彼の力は人間には効かないはずだった。先の場合はカンバイと一緒だったからであり、人間を単独で呼び寄せたことなど無い。
「コール君、久しぶりですね。すみません、お仕事中に乱暴なご招待で。苦情はフェフに言って下さいね」
「えっと……ボク、もしかしてフェフさんに呼ばれたの? わっ! すごい、すごい!!フェフさん、やったね!!」
状況の異様さなど全く気にせず、コール少年は無邪気そのものの表情と口調で、輝く笑顔をフェフに向けた。そこに浮かぶ純粋な賞嘆。どこにも怯えの色も戸惑いの色も見えない。
「コール……僕は……」
「やっぱりフェフさんは、すごい! もっともっとボクに見せてよ、その力!! ねえねえ、今度は予告してからやって! だって一瞬のことで、何が何だかわからなかったんだ!! もっと楽しみたい!!」
「――コール君。副長の力は、貴男の遊び道具じゃありません。お兄さん方にいいつけますよ?」
「わわっ、ごめんなさーいっ …………って、騒いでごめんなさい。このきれいな人、誰?」
一連の事態の中で、唯一人なにも分からないまま疎外されていたインガに、ようやくコール少年が気付く。インガはただ事態の成り行きを見守っていたが、それは冷静な監査官としての態度だというのでは無く、単に何も分からなかったからだ。あまりの衝撃に、茫然自失だったと言って良い。
さすがに注目を浴びて、彼女も自分を取り戻す。二度もフェフ副長の【ドルヴィ】としての力を目の当たりにし、決して平坦とは言えない自分の心中だが、ここで狼狽えるほどインガは愚かでも弱くもなかった。
「……私も軍関係者よ。ちょっと静かにして貰えるかしら。私たち『軍事訓練中』なの。
で、フェフ副長? 犬じゃなくって人間が来てしまったけれど、この後はどうするの?」
あえて冷静に、あえて権高く。心を隠す彼女の言葉に、今自分がやってみせたその力そのものを信じられずに動揺していたフェフも自分を取り戻す。「力」について考えるのは後でいい。コールまで巻き込んでしまった。とりあえず、今はここを脱するのが先だ。
「えっと……コール、きみは綱を持ってるよね?」
「うん、ここに巻いてあるよ?」
羊飼い達は、何かの事態に備えて常にロープなどを携行している。コールは丈夫で長めのロープを常に腰に巻いていた。長さは10エル(約10m)。強度は羊を繋いだり引き上げたりできる程度のものだ。つまり人間一人くらいならば、ぶら下がっても支障ない。
「コール、ここを登れる?」
「多分。でもフェフさんがパパッとボクを転移させてくれないの?」
「えっと……僕の力は普通は人には効かなくって――」
「やってみなさい、フェフ。ものは試しです。大した距離ではありません」
「でも、補佐官さん」
「や・っ・て、み・せ・な・さ・い」
「――――はい……」
兵営での監査が始まって以来、ほとんど見せてこなかったソーン補佐官の「冷厳」が復活した。こんな口調になる補佐官さんに、言い返しても何一ついいことはない。素直に従うに越したことはないのだ。
初めてみるソーン補佐官の、冷たく厳しいにも関わらず愛情に満ちた声色に、インガは瞠目する。そして悟る。自分に向けられていた態度は、本当に“外向き”でしかなかったのだと。
彼の本質は丁寧な態度の奥にある、相手を信じ敬するからこそ冷厳になるそこにある。彼がインガに向ける態度には、一切の「冷厳さ」がなかった。それは――彼女を敬してはいたであろうが、十分には信じてはいなかったのか。フェフ副長に向ける態度は、ずっと厳しい教導師のようなものであった。それは彼の力を信じているからこそ。彼を大事にするからこそ。
内心打ち拉がれるインガを余所に、少し涙目になりながらもフェフは再び能力行使の体勢に入る。まだ『戻す』力は十分に使いこなせていないというのに、それをコール少年に向かって行使するなど、本当に泣きそうだ。どうやっていいのかすら分からない。目の前で、期待に満ちあふれたキラキラとした瞳を輝かせる少年が、少しだけ恨めしい。
「…………何もおきませんね。まあ、そうそう思う通りには運ばないでしょう。
コール君、すみませんが、やはり自分で登って貰えますか? フェフ、貴男も一緒に登りなさい。コール君をきちんと支えてあげるのですよ? 二人がかりならば、引き上げられるでしょう。インガ正監、彼らが上からロープを使って貴女を引き上げます。登攀の経験はありますか? 私が下で支えますので、安心して下さい」
“残念なことに”いうべきか、“案の定”というべきか。フェフが試みたコール少年の移動は失敗に終わった。強く念じるものの、ありもしない尻尾を動かそうとするようなもので、フェフの“力”は行き場の無いままだ。そんな彼を優しい目で見守りながら、ソーン補佐官は何事もないかのように次の行動を指示する。
フェフも半ば安堵して、その指示に従うべくコール少年と共に登攀を始めた。軍人などではないがアラグレンの自然の中で育ったコール少年は、フェフよりも手際よく裂け目の壁を登って行く。やがて二人は裂け目を登り出て、地上に戻った。その後は、フェフが算段してコール少年のロープを丈夫そうな樹に縛り付け、自分が持っていたロープも合わせて二本の綱を裂け目に降ろして行く。
ソーン補佐官が裂け目の底でそのロープの端を受け取り、フェフが持っていた長い方をインガの腰にしっかりと結わえて命綱とする。そしてもう一本を伝って、壁を登りながら引き上げて貰うのだ。自分の腰高で、丁寧で優雅な手付きでロープを巻き付けるソーン補佐官を見下ろす格好になりながら、インガはやるせない気持ちを持てあましていた。
どうやったらこの人を、ソーン補佐官を自分の手元におけるだろうか。いや、インガを側においてもらえるだろうか。地位も立場も職位も関係ない、ただ支え合って共に人々を背負ってくれる存在になってもらえるのだろうか。
インガはかつてない程に、自分の欲を感じた。この人を繋ぎ止めたい、自分もフェフ副長たちが受けるような態度で導いて貰いたい。
最初は立身を目論んだ欲だった。
次いでその秀麗な姿に女性としての欲が出た。
でも今は、ただの人間として彼が欲しい。
人を信じ、人を敬い、人を愛する彼の側で、自分が果たすべき役目を果たし続けて行きたい。その為の力は、未だインガにはない。自分は間もなくこの地を離れなくてはならない。監査はもうすぐ終わるのだ。今はまだ、彼を連れて行くことなど出来はしない。
彼に支えられ、インガは半ば吊り上げられながら足場を捉えて裂け目の壁を登り始める。時折インガを気遣いかけられる優しい言葉と、先回りして整えられる適切な支援。でも今のインガは、そんな丁重な態度は要らなかった。
「ソーン補佐官、支援ありがとうございます。でも、私とて軍属。先んじた手助けは不要です。自分の力で登らせて下さい」
「――分かりました。余計なことでしたね。では、インガ正監。真っ直ぐに見なさい。貴女が目指す先を、そしてそれを支える足元を、きちんと自分の目で捉えて登りなさい」
意を決し、強い口調でインガはソーン補佐官の助けを拒絶した。その声を聞いて、ソーン補佐官は満足したような光を瞳に浮かべ、にっこりと微笑んだ後にインガを支えていた手を放した。インガは言われた通り、顔を上げて行く先を見、足元をしっかりと一つ一つ確認しながら綱を伝う。一歩、一歩。自分が背負うべきものを考えながら。
インガも裂け目を脱した。明るい日の光が目にまぶしい。三度目の鳴鏑を聴く余裕はなかったが、きっと既に鳴らされた後だろう。陽は中天に近づきつつある。軽快な手付きと動きでソーン補佐官も地上に姿を現し、皆が揃った。フェフは繋いでいたロープを回収するために、樹の方に向かう。インガはコール少年が差し出した水筒を鷹揚に受け取って、自分の手巾を濡らして顔を拭う。冷たい感触が心地よかった。
「――ねえ、補佐官さーん。これってアリなの?」
突然、聞き慣れた声がかけられる。
フェフが向かった樹の脇にラーグ班長が立ち、その手でフェフを後ろ手に拘束しながら楽しそうな声色で問うてくる。彼が指さす相手はコール少年だ。フェフは驚きと焦燥のもとに何とか拘束を解こうとしているが、ラーグ相手に容易に出来るはずも無い。
フェフが樹からロープを外そうとした瞬間、あっという間にラーグに拘束されてしまった。隠れていたことに気付かなかった、フェフの負けだった。悔しさを全身に滲ませるフェフを、ラーグは親愛と慈愛の表情で見つめている。
最初に『対象者』を確保したのは、第二班。フェフ達はそうとは知らない『敵』であるラーグだった。
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コール少年の牧羊犬「アウェイ」と「カンバイ」。名前の由来は、そのまんまシープドッグ訓練に使う調教用語です。
母犬の名前「アウェイ(away to me)」は反時計回り、子犬の名前「カンバイ(come by)」は時計回りの追い込み(回り込み)動作です。なお父犬の名前は「フェッチ(fetch)」(*羊を人がいる方に連れてくる動作)でしたが出番無し。