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捕らえしもの、囚われしもの【その10】

 


「かなり足場は悪いですが、高さもあって見通しが利きます。 まずは良い判断と言っていいでしょう、フェフ」


 コールから聞いた倒木の場所にたどり着くと、ソーン補佐官は周囲を確認して、まずはフェフを褒めた。そこは、河に流れ込む浅い小川が西にあり、北から東に向かって大きく崩れた跡のある岩の多い高台だった。高台とはいってもせいぜい半ロッド(約2.5m)程度の高さであるが、哨戒にはそれくらいが丁度いい。上には崩れた際の名残で、大きな楡の倒木が数本、折り重なるように倒れている。それが自然の塹壕のように、身を隠してくれるだろう。倒木によって開けた北側の部分では、所々背の低い灌木がうっそうと茂みを作っているが全体的に開けた空間だ。


「西側からの接近は小川が足を止め、また水音を聞くことで距離をつかめます。では、下からの接近にはどのように対処できますか?」

「はい。倒木の間からも見通せますが、崖崩れの影響で周囲に(れき)が多いため、同じく音で確認できます」

「よろしい。ではフェフ、ここに隠れることの欠点は何ですか?」


 今回の同行において、補佐官さんはまるで軍学校の教導師のようだ。何かにつけフェフの行動について確認し、珍しく「解」を提示してくれる。


「えっと……一つは倒木以外に潜むものがないので、発見されたら終わりということです。二つ目は思ったより明るいので、森の様子を窺いにくいことです。三つ目は足場が良くないので、とっさに逃げにくいことだと思います」

「大体いいでしょう。では『敵』を見つけた際の行動はどうしますか?」

「……西、小川側から奥の森に逃げます。この小川は浅いので、問題はないでしょう」

「いえ、フェフ。それでは駄目です。水を越えれば、濡れます。その水跡は、追跡者にとってはわざわざ線を引いてくれているようなものです」

「では、北に。予め、この灌木の茂みに“道”を作っておきます。それで潜みながら逃げるのはどうでしょうか」


 まるで軍事教育を受けていた時のような、どこか懐かしさを感じる補佐官さんとのやり取り。フェフはドルヴィとしての才能はいまいちだったが、軍人としての教育課程ではそれなりに優秀だったのだ。

 フェフの答えを聞いて、ソーン補佐官はにっこりと微笑む。どうやら合格点を貰えたようだ。


「私に、藪を掻き分け、這いつくばって進めっていうの?」


 口出ししてきたのはインガだったが、実際の場所を検分して納得したようだ。緑濃い灌木の茂みは刺すものや汚すものもない素直な木で、這って進まなければいけない距離はそれほどでもなさそうだ。

 あまりにしっかりと“道”を作ってしまえば、逆に探索者に利用されてしまうおそれがある。フェフは獣道と呼べる程度の大きさで、とりあえず50エル(約50m程度)くらい灌木を掻き分けて“道”を作ることにした。その間、ソーン補佐官は、倒木の間の湿った所や虫や苔が多い場所を避けて、インガが隠れ潜む場所を整えて彼女を(いざな)う。


「インガ正監、足元は楽にして下さって結構です。疲れはありませんか?」

「ええ、大丈夫よ。ソーン補佐官、お気遣いありがとう」


 インガに対する補佐官さんの“外向き”の態度は、今も変わらない。相手に気を遣い配慮していることを隠さない、丁重で柔らかい接遇。

 ソーン補佐官の態度は彼女が現れた時から同じであるため、他の隊員――イース班長やティールのように、インガに対して個人的にどのような印象を抱いているのかは分からないままだ。

 だがインガとしては、思わぬ幸運だ。少なくとも目に見える敵愾心や不快感を、彼からは感じ取ったことはない。負の感情を隠されているにしては、隙がなく自然すぎる。監査官である以上好印象ではないだろうが、それは職務として切り分けてくれるだけの聡明さと堅実さを彼からは感じる。

 ソーン補佐官は、常に冷静沈着で規律正しく、公平無私で動じることの少ない落ち着いた性格とも聞いている。可能性(・・・)がないわけではない。


 インガが立身における最初の一歩として、軍の監査官を選択したのにはそれなりの理由がある。監査官は軍に限らず、あまたの役職者と接する機会が多い。その中には当然、将来のルーニック軍や国体を背負う立場の者も含まれる。彼らと面識を持ち、為人(ひととなり)と才覚を知り、知己を得――あわよくば自分の『協力者』に出来れば最高だ。実際、彼女はここまでの数年間で、複数の協力者を得ている。

 第25隊を選んだ理由も、同じだった。

 今期西方戦線の“功績者”であるアンスーズ()大隊長。そして、その彼を10年に渡って万全に支えているというソーン補佐官。この二人を直接“確認”したかったことが、一番の理由だった。あいにく隊長本人は、その才覚はともかくとしてインガの手に負える人物でないことはすぐに分かった。諦めるしかない。


 だが、補佐官の方はどうだろうか。

 自分の手に入るかもしれない、有能で、しかも眉目秀麗な人材。単なる優男ではなく、毅然とした態度で皆を掌握できる、力ある心強い相手。

 女性としてのほのかな恋情が皆無とは言わないが、それ以上にインガは“ルーニック貴族”として、彼が欲しかった。彼が自分の“補佐”となってくれれば、どれほど助かることだろう。これから彼女が進む道において、どれほど心強いことだろう。


「――ソーン補佐官。私が監査部において確認した範囲では、貴方は補佐官職にとどまる程度の経歴とは思えませんでしたが、どうして今も補佐官を続けていらっしゃるの?」


 探索が始まっていることも考慮して、インガの声は押し殺した小さなものだ。だが、いい機会だ。ここで少し働きかけをしてみたい。反応を伺ってみたい。


「理由は一つです。隊長がいるからです」


 返す補佐官の言は、単純極まりないものであった。


「側で働ける限り、補佐官という立場には何の疑念も抱きません。成すべきことを成すためならば、どのような立場でも不都合はありません」

「それならば、貴方にとって成すべきこととは何なのかしら。教えていただける?」

「……このルーニックという国に対する責任です。私はこの国を守り、人々の平穏で当たり前の(せい)を守るためならば、いかなる力をも行使することを躊躇(ためら)いません。――そのことに対する後悔はありますが、その結果と責任から逃れようとは思いません」


 インガに向けた視線は相変わらず秀麗で優しいものであったが、声色(こわいろ)に込められた想いは重く、彼女に口を挟ませなかった。


「インガ正監、あなた方『貴族』も同じです。

 ルーニックは、かつて使国(しこく)同士の凄惨な争いに巻き込まれ疲弊し、ようやく逃れ出た人々によって建国されました。奪われ蹂躙され何も持たない人々が、ようやく得た安寧の国。

 神によって作られたものではない、人が作り上げた国です。全ての責任は、人が負う義務があります。ルーニックの王侯貴族は、人の()に立つ者ではありません。人々を背負う(・・・)者です。その重き荷を降ろすことなく歩み続けることができる者達。私は、そんなあなた方に心からの謝意と敬意を払います」


 インガの問いに答えたとはとても言い難い返答であったが、彼女から視線を逸らさず語られた言葉に、彼女は動揺と羞恥を覚える。

 彼が今語った内容は、ルーニック貴族に生まれた者が常に薫陶される、聞き慣れた言葉だ。

 人々を背負う者。自分たちに科せられた義務から、逃れることを是としない者。

 その“敬意”に応えうるだけのものを、ルーニックの貴族達は果たしてきた。この若い国を、使国からの害意から守り続け、育ててきた。自分もその“敬意”に応えなくてはならないのだと、インガは強く心に抱いてきたつもりだ。

 だが今ソーン補佐官からの強い意志にさらされて、インガは身が引き締まる思いだった。自分たちに寄せられる、どこまでも単純で深い期待と願い。それは、当たり前のように受け取っていいものではない。重い覚悟の上で受け取られるべきものなのだと、ソーン補佐官の言葉は告げている気がした。

 インガは彼の“敬意”を受け止めたかった。だが今の自分には、まだ受け止める覚悟が足りない。でも、諦めない、諦めてはいけないはずだ。


「……高く評価して下さることに、恥じ入るばかりですわ。詮無きことを訊ねて申し訳ありません、ソーン補佐官」

「いえ、インガ正監。貴女は、まだ歩みの途中です。恥じ入る必要はありません。

 (あやま)ちだけを見つけ取り出し数えたところで、為人(ひととなり)を測ることなど出来はしません。何一つ間違わない者など居ない。それこそ神であっても。人は、繰り返す過ちを振り返り、その手に力を掴むことができます。インガ正監、貴女にも出来るでしょう」


 どこか抽象的なソーン補佐官の言葉だったが、インガの心には素直に落ち来るものだった。彼は、今のインガが有する“過ち”を踏まえた上で、自分を見てくれているのだ。


「……ソーン補佐官、もし……」


 『もし私にそう出来る自信が持てたなら、貴方は私の側に立ってくれますか……』そう続けようとしたインガの言葉は、北側に退路を作成していたフェフが戻ったことで途切れた。知ってか知らずか、ソーン補佐官も今までの会話が無かったかのような表情と態度でフェフ副長に向き合い、退路の確認のためその場を辞した。

 恋情ではないと思う、それ以上の想い。その心のまま、インガはその背を見送った。



* * * 



「さてと。じゃあ予定通り、まずは二人一組で哨戒。相手は補佐官さんと副長だ。多分、偽装がてんこ盛りだから、惑わされるなよ?」


 森の右手側から探索を開始したイース率いる第一班は、真っ直ぐに森奥に向かい当座の陣を構成した。陣とはいっても集合場所としての位置づけで、周囲に『敵』の接近を察知するための罠は仕掛けてはいるが、それ以外は特に何も無い。ここを起点に、『対象者』の足取りを追い、そして『敵』である第二班の動向を探るのだ。


「今回は、『対象者』の確保を最優先にする。第二班を見つけても手を出すな。何より見つかるな。万一、見つかったら撒いて来ること。撒ききれない場合は、戻るな。いいな?」


 イースの指示する作戦は単純なものだ。強敵である補佐官さんが居るとは言え、自分たちは『味方』の立場。彼らを見つけ出し、身柄を抑えることが先決だ。多分、ラーグの第二班も同じように確保を最優先してくるはず。

 非戦闘員であるインガ監査官が『対象者』に含まれることを考えると、敵に確保された相手を無傷で奪還することは難しい。強攻策には出られないし、森から出た後では奪還のための行動は取りづらい。今回は田畝にも潜めないし、前のハーガルの策は踏襲できない。見通しの良い兵営までの道で、どうやって奪還できるというのか。今回の“勝利”の条件は、敵よりも先に『対象者』を見つけ出すことだ。


「クワート、お前は変に気負うなよ? 逆に、お前の新鮮な視点が今回は役に立つ。あっちには、同じく勝手の分からないのが二人もいるんだ。自分だったらどうするか、素直に考えて行動しろ」

「分かりました、班長!」


 クワートの視点は、フェフに近いものになるはずだ。幸いに年齢も近い。変に慣れてしまっている軍団兵よりはフェフの思考を読み取りやすい、とイースは考えている。そんなクワートには視野が広く行動的な軍団派遣兵であるラドを組ませて、この組を本命視している。

 二組に分かれた班員4名を見送り、イース本人は単独で行動に出る。自分の役目は、敵第二班の攪乱だ。お互い様にはなるはずだが、ラーグの作戦を一番的確に読めるのは自分だ。だからこそ、先回りの意義がある。

 それとなく、時には態とらしく人が通った跡を作り、多分フェフが作ったであろう偽装を見つけては、手を加える。フェフはなかなかに偽装が上手い、とイースは感心しながら着々と森の中奥、西側に向かっていった。


 ピューイ、と二度目の鳴鏑が遠く響く。あと2時間。この音を、ラーグは、そしてフェフとインガ正監は、どのような心境で聞いているのだろうか。

 と、イースは気配を察して身を隠した。10エル(約10m)ほど先に、身を潜めながら動く者がある。イースは完全に自分の気配を消し、じっと様子を伺う。あちらはイースに気付かなかったのか、やがてイースが身を隠す茂みの側を、同じ野外隊服を着た二人組が通り過ぎる。第二班の斥候だ。

 ラーグは地元兵だけで組を作ったようだ。目の前を通り過ぎたのは、ネテルとオウンの二人組だ。ラーグもイース同様、フェフの考えに近い彼らを本命視しているかも知れない。

 そう考えたイースは、密かに彼らを追跡する。イースにとっては幸運なことに、彼らは軍事的な技量においては軍団兵には遠く及ばない。ネテルは慎重で臆病なところがある地元兵だ。一方、オウンは目が良く油断は禁物だが、楽観的で甘いところがあるので隙を見計らいやすい。仕掛けるなら、オウンの方だ。

 しばらく進むと、先ほどイースが偽装した“人が通った跡”に、ネテルとオウンは立ち止まった。これは偽装か本命か。彼らには判断が難しい。確認することにしたのだろう、ネテルがその跡を追って一人進み、オウンはその周囲に不自然な所がないか見回り始めた。


 ――機を逃してはならない。戦場に生き抜く者の鉄則だ。

 イースの決断と行動は早かった。偽装道を行くネテルの姿が、オウンとイースの視界から消えたその瞬間に、腰を落としたままの体勢で驚くほどの速さでオウンの斜め背後に回り込むと、立ち上がるやいなや右手で彼の口を押さえ、膝裏を崩して倒れ込ませる。

 突然のことに、オウンは声も出せない。イースは馬乗りになって自分の膝で彼の腰と膝裏を押さえ込み、空いた左手で拘束用の布を引き出すと、手早い動きでその口を覆った。猿轡(さるぐつわ)をされ、オウンがくぐもった声で驚愕と抵抗の意思を示すが、その間にもイースは手際よく両手両足の拘束を続ける。虜囚第一号の完成だ。


「オウン。お前ら、ラーグに厳命されてただろ? 一人の時間を作るなって。ほら見ろ。この様だ。今日の訓練が終わったら、ラーグに絞られとけ」


 涙目になってウゴウゴとうごめく彼のその絶望的な表情は、虜囚になってしまったことへの諦めなのか、いずれもたらされると予告されたラーグ班長への恐怖なのか。その答えを聞く暇も余裕もない。

 まだまだ若輩扱いされる年齢とはいえ歴戦の練兵であるイース相手に、一人で行動する地元兵などはひとたまりもない。偽装に騙され戻ってきたネテルもなんなくイースに捕捉され、第二班の戦力は当面半減することになった。


「自由になる部分を使って音を立ててりゃ、そのうちラーグが助けに来てくれるだろうさ。それまで二人で仲良くな? あ、分かってると思うけど、見た目よりきっちり縛ってあるからな? 無理に解こうとすると、皮だけじゃなく肉まで持って行かれるぞ? 血が止まるようには縛ってないから、そこは大人しくしとけよ? じゃあな」


 イースは二人を茂みに繋ぎ拘束し、側の樹に目印の色布を結び付ける。訓練なのだ、このまま「行方不明」になられては困る。彼らが自由では無い身動きでどれほど第二班への知らせを出せるか次第だが、猶予はよくて半時間というところだろう。せっかく人数で有利になったこの機会に、一気に『対象者』確保!と行きたいところだが。


「とは言っても、同じようにうちの奴らがラーグに捕まってる可能性もあるからなぁ……どうなってることやら。ま、ティールが目にかけてるクワートの資質を信じてやるしかないか」


 イースは彼なりに、ティールを高く評価し信頼している。彼が“構っている”のだ、きっとクワートは伸びしろのある良い人材なのだろう。その可能性を信じ、イースは自分が出来ること――ラーグ達を攪乱するための地道な作業に戻って行った。








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イースが危惧した通り、実は第一班の方も一組2名捕まりますので、実は3対3。

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