捕らえしもの、囚われしもの【その9】
「では、隊長。行って参ります。そして『腕輪』をお借りします」
翌朝。一通りの朝の用事が終わり、ストライフ兵営長の出勤を待って『軍事訓練』は始まった。残留するのは、隊長、オーセル副監、兵営長に加えて、ティールを含む幸運な4名の兵。残留組の晴れ晴れとした笑顔に対して、今回が初めてとなるクワート達参加組の表情は晴れない。始まる前から疲弊していてどうする、と、もはや達観した両班長は呆れ顔だ。
フェフと同行するため、今回【能力者の腕輪】は補佐官さんの管轄だ。例によって、手加減も遠慮もなく投げつけられる腕輪を、視線を向けることもなく受け止めたソーン補佐官は、舌打ちする隊長には目もくれずに装着する。
「探索開始は『対象者』の出立から大体1時間後。兵営から鳴鏑矢を放つから、それが合図だ。ま、聞こえなくっても、勝手に始めさせて貰う。制限時間は、陽が中天にかかるまで。大体3時間ってところか? 1時間ごとに鳴鏑を打つから、ちゃんと聞いておけ。終了の合図は三射。本陣は、どっちの班も兵営。範囲は西の森。河には入らない、山には向かわない。ついでに、今回は放牧地や田畝も禁止。特に麦は収穫前だ、絶対に踏み込むなよ? 正監さんが一緒だからな、ちょっとは楽な範囲でやろうや?」
隊長が告げる要件を最終確認し、インガ達『対象者』役の3名は最低限の荷物だけを持って森へと出発した。隊員達は皆揃いの野外隊服、インガは動きやすい軍装姿だ。
彼らを見送った第一班、第二班の参加組は、自らの僥倖に浮かれる居残り組に恨みがましい目を向けた後に、それぞれの班での作戦検討に入る。
今回は武装無しだ。小刀と綱、虜囚束縛用の布縄、そして少々の軍装品。準備する物はほとんどない。代わりに、現地調達で罠を仕掛けたり、簡易の武器となるものを作成したりする訳で、野戦仕様だ。
「んで、ラーグ? どっちが『敵』をやるのか決まってんのか?」
「第一班が『味方』、俺等が『敵』です」
「ほぉ~、イースが守りか。珍しいな。ティールが外れてるし、今回はラーグの方が有利か?」
「とも言えませんよ、隊長。そもそも、補佐官さんが一番の強敵ですから」
「ソーンにゃあ、『ちょっと手加減して、お前は口だけで一切手を出すな』とは言っておいたから安心しろ。ああ、その代わりにフェフには『何でもやれ』と言っておいたぞ?」
「隊~長~。補佐官さんの助言があって、フェフ副長が【能力】使うんじゃ、全く状況は変わりませんってば!」
一通りの前準備が済んだ両班は、探索開始までの間しばしの休息をとる。風がオガムの清冽な夏の気配を運んでくる。夏至も過ぎたオガムの夏。今日は暑くなるかも知れない。
その点においては森が舞台なのは助かるのだが、探索する側としては森は厄介だ。『対象者』を探すことそのものの困難さに加えて、相手側からの攻撃も不意をつかれやすい。
西の森は、兵営から1/3リーグ(約1.6km)ほど山側に向かった所にある、周囲7ハロン四方、面積では2000ルード(約1.4km四方、約200ヘクタール)程度の、それほど大きくはない森だ。狼などの危険はなく、町の人々も生活の糧を求めて立ち入ることもある程度の普通の森だ。
だが、山を下ってくる河沿いにあり、意外と高低差があるために“隠れやすい森”と言える。隊員達にとっても日常の巡検で慣れた森でもあるが、町衆とは違い奥に踏み入ることはあまりない為、勝手は分からない。
時間となった。第一班は森の右手側から、第二班は左手側から向かう。隊長が放つであろう鳴鏑が、勝負の始まりだ。
居残る兵達と、不安な様子を抑えきれないオーセル副監からの声援を受けて、皆は『楽しい軍事訓練』に身を引き締めて向かっていった。
* * *
「フェフ、偽装なら高さが違います。人の歩む動きを想定して。実際にあてて見なさい。ほら、貴男やインガ正監の背丈では、その位置には腕はあたりません。そう、その草は戻りが強い性質なので、しっかりと。相手はイースとラーグです。適当に誤魔化すことなど不可能ですよ?」
森に入ってから半時あまり。先行した『対象者』組は、ソーン補佐官の案内により途中までは町衆達の使う獣道にも似た小道を行き、所々でフェフは補佐官さんから指導を受けながら脇道を偽装して奥に進んで行った。
『私は参加しますが、今回はフェフ、貴男が経験を積むことが最も重要です。
必要な行動は、全て貴男が決めて行いなさい』 と、ソーン補佐官は助言こそするが、一切の判断をフェフに任せた。
進む方向、偽装する場所、動く時機。いずれを間違えても、自分たちは逃げ切れない。どちらの班が『敵』で『味方』なのか分からないこの訓練では、まずは逃げ隠れして『味方』を確認することが重要なのだ。
「フェフ副長? 私ならそちらには向かわないわ。足元が悪すぎるもの。私たちは『警護対象の要人』なのでしょう? 兵のような健脚を持っていないことを想定して、道を決めて下さる?」
フェフにとって意外だったのは、インガの「口出し」だった。【能力者】である彼には決して良い感情を抱いていないことは確かだが、彼女は相変わらずの権高さや高慢さはあるものの、行動の判断を任されたフェフに対して反発することはなかった。
逆に、彼では気付きにくい女性ならではの観点や高位者としての視点からの「口出し」をしてくる。“助言”とは呼びづらい内容だが、慣れないフェフにとっては考えをまとめるために役立つ情報ではあった。
「では、こっちを偽装にします。インガ正監、『要人』が嫌々付いて行くとすれば、足取りはどうなりますか?」
「そうね、多分重くなるより、早くなるんじゃないかしら。嫌なことあれば、早く終わらせたくなるものでしょう?」
「でしたら、歩幅と掻き分ける挙動を、さっきより大きめで雑にしておきます。補佐官さん、こんなもので大丈夫でしょうか?」
「そうですね。大体いいでしょう。フェフ、感じはつかめてきましたか?」
「ええ、何とか」
フェフも軍育ちではあるが、所詮ドルヴィとしての能力行使に重点が置かれていたし、前任の第十六軍団でも主に後方支援を担当していたため、今回のような本格的な『軍事的行動』は本当に久しぶりだ。最初の内は、進軍偽装の行い方すら覚束なかったが、ソーン補佐官からの的確な助言と指導で随分と様になってきた。
フェフが当面の隠れ場所として目星を付けたのは、森の中奥。あえて高低差のある河に近い方向を選んだ。“それらしい”行動をとるためでもあるが、フェフには隠れ場所にあてがあった。
「前にコールから崖崩れと倒木について教えて貰いました。かなり前のものらしいですが、おかげで少し開けています。そこにしましょう」
「どうして開けた場所に、わざわざ? 私たちは逃げ隠れするのが役目なんでしょう?」
「そうです。でもインガ正監。僕のような臆病者は、本当に隠れてしまうのは恐いんです。自分も何も見えないのが一番恐い。だったら、見つかる可能性は少し高くなるけれども、相手の様子が窺える見通しの良い場所の方に隠れたいと考えます。周囲を窺って、味方の到着を待つべきならば、閉じこもらない方が得策です」
完全に隠れてしまうと、最初は安心する。だが、周りで何が起きているのか分からない状況が続くと、その不安が挙動をおかしくする。軍団兵であってさえ、敵の直中に隠れ潜み続ける重圧感には、なかなか耐えきれない。不安との時間比べに負けて、不必要な動作から発見されてしまう若年兵は多いのだ。
「ふうん、そういうものなのね。確かに言われてみれば、その通りだわ。ところで『コール』って誰?」
「僕の友達の羊飼いです」
「あら、そう。町でも色々話に出てきていた、あの少年ね。そう、『友達』なの。
――でも、貴方が特定の町衆と、あまり親密な接触を持つのは感心しないわ。
貴方、自分が【軍の能力者】だということを忘れていないわよね?」
インガの言葉は、コール少年を大切に思うフェフにとっては噴飯物であったが、一方で彼女の言葉にも理があるのだ。
フェフは只の“国境守備隊隊員”として、ここに居るのではない。彼の立場は、どこまでいっても【ドルヴィ】だ。異能の力を持ちながら、軍人として国に尽くすことで受け入れられる存在。人としての当たり前の待遇を、十二分に望むことは難しい。
「――インガ正監。鳴鏑の音が聞こえました。探索が始まります。追っ手が森に到着する前に、態勢を整える必要があります。早く目的地に向かいましょう。どうぞ、お手を」
コール少年のためにと、何か一言でも言い返そうとするフェフを制止するかのように、ソーン補佐官がインガに行動を促す。
優雅な動作で、柔らかではないが軍人のものにしては白く美しい手を差し伸べられて、インガはフェフに構うことなくその手を取ると、先んじて歩み始めた。追い抜きざまに、補佐官さんのもう片方の手が、隊長と同じように優しく柔らかに頭を二つ叩いてゆく。
その腕に着けられた金茶の【ドルヴィの腕輪】が、嫌でも目に入った。その背を見送りながら、フェフは無意識のうちに自分の首輪に触れる。自分で作り出した、自分を他者に制御させる呪具。
今まで【ドルヴィ】であろうとする自分を気にしたことはなかった。
だが、このオガムの地に、この隊での居心地に慣れてしまって忘れそうになっていた。
自分が“異端者”であることを。
自分は動物を『呼んで、捕まえる』ことが出来る。
だが、自分自身は一体何に『呼ばれて、捕まって』いるのだろう。
隊長の言葉が思い出される。
春先のコール少年の一件以来、隊長は何かにつけてフェフに能力行使の練習をさせた。それは、現在の能力を高めるものというよりは、全く新しいことをさせようとするもので、おかげで未だ他の人に報告できるほどの精度には至っていないが、思いもよらぬ新しい能力行使が出来るようになっている。
【ドルヴィ】として軍に役立てるには、まだまだ不安定すぎる力だが、使いこなすことが出来れば自分はもっとドルヴィとして働ける、とフェフは嬉しかった。
そんな喜びを抱くフェフに、隊長は言ったのだ。
「お前ら、ドルヴィの力ってやつは、本来頼っちゃいけねえ力だ。
その力に囚われちゃ、なんねえんだよ、フェフ。
お前が力を使えば使うほど、人はお前から遠ざかる。お前も人から遠ざかる。
なあ、フェフ。お前はどうしてここに居る? 誰に『連れられて』ここに居る?
その理由を忘れるな。ヤーラが、お前の師が、その意味を教えてくれていたはずだ」
隊長の口から師の名を聞いたのは、それが初めてのことだった。
フェフの師でもあり、育ての親でもあるヤーラは、軍でも指折りの【ドルヴィ】だった。傷痍兵の救援に尽力し、数多くの兵を死地から救った。2年半前、西方戦線で従軍中に行方不明となり戦死公告がなされた時には、王家からの哀意があった程だ。
隊長は、今はともかく高位の軍人であり、著名なドルヴィである師のことを知っていてもおかしくはない。第一、師がいなくなった戦場で共に戦っていたはずなのだ。直接面識があっても不思議ではないだろう。
だが隊長が語った師の名は、そんな単純なものではなさそうだった。
隊長も、補佐官さんも、いつもフェフには直接「解」を与えてくれない。自分で考え、自分で決めるしかないのだ。何にも囚われることなく、自分の意思だけで。
ドルヴィの力の根源は【意思】の力だ。願いが、想いが生み出すものだ。何かに囚われていては、意思は果たせない。だが――この首輪を着けた者が、本当に囚われていないと言えるのだろうか。
「フェフ副長? 置いてゆくわよ? 貴方が先導する所でしょう、ここは。何をぼおっとしているのかしら」
立ち止まったままのフェフを振り返り、インガが相変わらずの口調で彼を咎める。同じくフェフに向けたソーン補佐官の視線は優しい。
彼の、自分を見守り見つめるその瞳に、後悔と哀憐の色を感じるようになったのは最近のことだ。フェフがドルヴィであろうと藻掻くほどに、補佐官さんから感じるその色は強まる。隊長も補佐官さんも、フェフが【軍のドルヴィ】として生きようとすることを喜んではくれない。
だが、自分には他にどんな生き方があるというのか。ルーニック国以外を知らない彼にとって、異能の力を持つ彼にとって、只人としての生き方があるとは思えない。
ヤーラ師は、何度もフェフに言い聞かせた。
『わたし達の力は、本来あってはならないもの。フェフ、わたし達はどうあっても異端なのよ。だからこそ、そのままを受け入れてくれる場所を、人を、大切にして』と。
フェフにとって、そのままの自分を受け入れてくれたのは、ルーニック国の軍だった。
ヤーラ師が居なくなっても、役立たず扱いを受けようとも、前線から追い出されたとしても。それでもフェフが大切にするものは【軍のドルヴィ】にしかない。
それが。その気持ちは、この地に来て少し変わった。ここには、【能力者】ではないフェフを受け入れてくれる人がいる、場所がある。そのことが無性に嬉しくて――ただひたすらに怖ろしい。知らなければ良かったのかもしれない、こんな温かさを。
「……フェフ、今は訓練中です。しゃきっとなさい。我々はどこに向かえばよいのですか? 貴男が指示を出すのですよ」
優しさの中にフェフを惑わせる色を潜めたまま、ソーン補佐官はフェフを叱咤した。その言葉を受けて、フェフも気を取り直して“隠れ場所”への誘導に戻る。
イースとラーグの両班長の行動は早いことだろう。どちらが敵味方なのかは知らないが、どっちにも見つかり捕まらないことが最善だ。その為には、目指す場所での隠伏を早く行わなくてはならない。
補佐官さんに手を引かれるインガ正監を誘導しながら、フェフは惑う。
『僕は――僕は、どこに向かえばよいのですか……』
その悲痛なまでの心の声を聞く者は、そして答えてくれる者は、今は居なかった。
そう、今は、まだ。
第1章その3の後書きで、長さ等の単位について触れましたが、古いヤード法などを適応しています。
本文中にもメートル法に直した数値を記載してありますが、参考までに再掲。
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1リーグ=約5km(兵営からアラグレンの町までの距離。徒歩1時間程度)
1ハロン=約200m(本作では短めの距離の表記に用いています。競馬ファンにはおなじみ?)
1ロッド=約5m(本作では主に縦方向、高さの表記に用いています)
1エル =約1m(本作では主に横方向、長さや幅の表記に用いています)
面積については[ルード]を用いました。
1ルード=約1/4エーカー=1000平方メートル=0.1ヘクタール、です。
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今回の訓練会場「西の森」の広さを2000ルード、約200ヘクタールとしましたが、これは大体「TDR」(ランドとシーを合わせた面積)の2倍程度、皇居の約1.4倍といったところです。
3時間で“かくれんぼ”するには日本の感覚だと十分広いとは思いますが、森全体を探索するわけではありませんので許容範囲かな、と。