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捕らえしもの、囚われしもの【その7】

 

 

「――負けたっ」


 どれほどの間、二人で仕合っていたのだろう。体力だけならラーグの方がやや有利だったが、イースの調子に乗せられて彼の得意とする剣戟を続けてしまったラーグは、無駄に労力を使わされてしまっていた。

 それを見逃すイースではなく、何度かの“誘い”の打ち合いの後に繰り出された、彼が最も得意とする相手の剣を螺旋状に巻き込むような剣払いを受けて、ラーグはついに剣を落としてしまった。すかさずイースの足が剣を蹴り飛ばし、返す動きで首筋への突きを繰り出す。掠めるように(かわ)したとはいえ、体術に持ち込むような隙をイースは与えてくれない。

 素直に負けを認めて、ラーグは両手を上げた。途端、修練場からは滅多には目に出来ない見事な仕合いを見物していたクワート達からの賞賛の歓声があがり、兵営の窓からは歓喜と愁嘆が響く。

 そちらの勝敗も気になるところだが、ともかくイースとラーグは心地よい身体の疲れと、それ以上に心地よい気持ちの落ち着きに満足して、笑いながら向き合った。


「装備もないのに、ちょっと真面目にやり過ぎたか?」

「まあな。さすがに小楯(バックラー)がないと、お前の剣を受け流し続けるのは、骨が折れる」

「こっちも同じだけどな。楯がないと、打ち込みで腕をかばうのが大変だ」


 心地よい汗を手で拭い、二人で仕合った内容を振り返る。

 集団での隊行動が原則である前線の戦闘では、このような一対一の戦闘を行う事はあまりない。周囲に敵味方が交わる乱戦では、目の前の敵にだけ集中できる僥倖などほとんどないのが実態だ。だからといって個々の戦闘技能が不要というわけではない。特に仲間同士、お互いの戦闘形式を確認し、その力を上手く活かし、上手く助け合うことでこそ、乱戦時では自らの技能が活かされる。

 イースとラーグもそうやって、数々の戦場を駆け抜けてきた。時には斬られ折られ血を流し、それ以上の血を流させながら生き抜いてきた。部下を率いる身になって、お互いの背を預けるような戦闘とは縁遠くなったが、それでも命を預け続けてきたその技能を、今でも信頼し続けている。そんな相手に出会い、共に在り続けることができることの僥倖を、彼らは誰よりも実感しているだろう。


「ま……ありがとうよ。おかげで、ちょっとは目の前がスッキリした」


 イースの表情は、仕合いを始める前とは段違いに柔らかいものになっていた。何一つ、悩みや心労の元が消えた訳では無いが、剣戟の音や心地よい筋肉の動き、そして何よりも自分自身を思うままに動かし躍動するその意思が、些細な事に囚われる自分を洗い流してくれる。

 二人は笑い合いながら、クワートら観客の賞嘆に応え、兵営の窓からかけられる感謝と恨みの声に応え、身を清めるために水場に足を進めた。


 ふと視線を上げると、三階の窓からも覗く者がいる。目をこらすまでもなく、あそこは隊長執務室。今は監査本部となっている部屋だ。手入れのされた金の髪を片手で押さえながら、インガが何とも言えない表情でイース達を見下ろしていた。


「……どーする、イース。監査官さんにも、見られてたみたいだけど?」

「ま、遊んでた訳じゃないし、訓練と言い張ればいいんじゃないかな?」

「俺を巻き込まないでくれるなら、何でもいいけどさ。あーあ、せっかく目立たないように大人しくしてたのにさー」

「…………いっそのこと、もう一勝負するか?」


 インガとの関わり合いについては、相手が現状では無関心なのをいいことにラーグが逃げ腰だったのは事実だ。こんなに派手に立ち回れば、直接にせよ伝聞にせよ彼女の耳に入ることは分かっていただろうに、それでも自分のために付き合ってくれるラーグの心遣いが心底染みた。

 冷たい水を頭から浴び、心地よい疲労を空に発散する。夏の陽光に映えるキラキラとした滴の輝きが、彼らの麦の穂にも似た金色の髪を艶やかに彩った。身を拭って着替えた白い上着が、色濃い緑の香りを運ぶ風に膨らむ。


「なあー。お前、ティールと何かあったのか?」


 日陰の椅子に腰掛け、髪を乾かしながら流れゆく雲を見つめていた二人だったが、不意にラーグが問いかけてきた。


「お前、迎え火の夜祭り(ベルテイーナ)の前あたりから、様子が変だったぜ? んでよく見てたら、お前、ティールに逃げ腰になってるしさー。今回の監査のことだけじゃなく、何に囚われてんだか。お前らしくない」

「さすがに、お前にはお見通しってところか。大丈夫、ティールには何も含むところはないよ。

 うーん、何ってわけじゃないんだが、何かこう、心がムズムズするっていうか。

 ――俺、いつまで隊長の下に居られるんだろうな、って不安になったんだ。

 自分でも可笑しいとは思うよ。今までいろんな上司に付いてきたし、生死問わず別れだって当然の事として受け止めてきたさ。いつまでも隊長の隷下でいられるなんて、そんな甘えた気持ちは持ってない。でも……でも、やっぱ嫌なもんは嫌なんだよな」


 職業軍人である以上、誰の下で働くか、誰と共に戦うかは、自分だけで決められるものではない。その能力を活かし、仲間を助け、国を支えるためには、求められる場所で花開くしかない。


 いくら望んでも、岩場で麦は育たない。河で羊は育たない。


 イースは、自分が軍でこそ、花咲かせられることを知っている。そして、隊長はいつまでも自分たちの元に居てくれないことにも気付いている。


「あの人と出会えて幸せだったと思う。でも、出会わなきゃ良かったとも思う。

 ――結局、一緒なんだよ。俺はいつでも、最高の相手に出会うのが早すぎるんだ。

 自分の力ではどうしようもない頃に出会っちまったら、離されることを黙って受け入れるしかない。俺に捕らえきる力がなけりゃ、奪われるばっかりだ」


 ラーグは視線を合わせることもなく、黙って流れる雲を見ている。イースが言う“最高の相手”については問うまでもない。彼とは成人前、幼年学校時代から何のかんので10年近い付き合いなのだ。


「なあ、ラーグ。俺、機会があり次第、軍団に戻ろうと思う。

 守備隊の暮らしは楽しかったさ。でも、ここは俺の場所じゃない。俺が居ていい場所じゃない。

 俺はやっぱり力が欲しいんだ。どんなに遠くからでも、俺の姿が見えるように。今度見つけた時には、その手を離さず捕らえきれるように」



「…………田舎暮らしも悪くなかったけどな。二年も居たら十分かな」

「そういうことだ。このままここでノンビリして身体を鈍らせてたら、お前から足払いを食らいまくる」

「抜かせ、前の方がよっぽど食らってただろうが。それより、剣の勢いが鈍ってるぞ。前なら青痣の5、6は与えてたのに、今回は1つしか出来てねえ」

「……楯もないしと思って、せっかく手加減してやったのに、その言い草か?

 よしっ、せっかく汗も引いたところだが、再戦といこうか? 可愛い部下たちから『班長を信じてたのに、なんてことをーーっ!』と、再び小突かれてこいや」

「その台詞、そっくりそのままお前に返すっ! 今度は剣なし!」

「それは狡いだろうがっ!!」


 言うや否や、腰を落として掴みかかってくるラーグをとっさに躱しつつ、すかさずイースも腕を絡めて投げの体勢に入る。素直に投げられるようなラーグではないので、自分から跳ね上がるように空を飛ぶと、そのまま胸元に蹴りだ。

 再び始まった犬のじゃれ合いにも似た組み合いは、今度は迅速に気配を察して駆けつけた隊員達の見守るところ、イースの一勝二敗、先の剣仕合いを含めて二勝二敗となったところで強制終了となった。

 『貴男たち? それは訓練ですか? 遊びですか?』という、火照った身体と心をほどよく冷ましてくれるソーン補佐官の声と共に。


 声の形をとった冷水では、精神はともかく身は清まらないので、再び二人は水で身を拭う。せっかく着替えた白い上着は土まみれなため、その下洗いも必要だ。そう補佐官さんが命じて去っていた。

 観客だったクワート達は、見えない綱を付けられたかのように、補佐官さんと共に兵営に戻って行く。この後、彼らはともかく、ティール達「賭け組」はソーン補佐官からどのような叱責を受ける事か。


「あーっ……さっき浴びた水は気持ち良かったんだけど、何でだろう、今は凍える」

「そりゃ、先に氷水を浴びたようなもんだしな」

「これは『訓練』です、誰が何といっても『訓練』なんだって。補佐官さんだって認めてくれたしーっ」

「ラーグ、お前往生際が悪いな……」


 口では怯えてみせているものの、補佐官さんは咎める素振りは何一つ見せなかった。例によって誰一人気づくことなくいつの間にか姿を見せ、しばらくは静観していたのだ。何かしら二人の間で交わされる、心の会話を読み取っていたとしても不思議ではない。


「なー、イース? 補佐官さん、『そんなに軍事訓練がしたいのでしたら、明日きちんとやりなさい』って言ってたけど? 俺、嫌な予感しかしないんだけど?」

「奇遇だな、俺も同感だ」


 監査も一通り終わった。あと、彼ら監査官に示す必要がある事はただ一つ。“非日常”だ。一応、ここも軍の一部であり名称も「国境守備(・・)隊」である以上、隊員達の軍事訓練も業務の一環ではある。なお第25隊では、今の隊長が赴任してからは2度しかやったことがない。さらに地元兵によればそれより以前の隊長だと、全くやらない事もあったらしい。そんな第25隊といえども、やっぱり軍なのだ。


「何がくるかな……頼むから普通がいいな」

「俺の勘は、“ウサギ狩り”だと告げているが?」

「……それだけは勘弁。なんでお前の班と一緒の時に、そんな面倒な訓練……」

「それはこっちの台詞だ。エイワーズの三班相手なら楽勝なんだけどなー」

「……あっちにはハーガルが居る事を忘れるなよ? 前はそれで痛い目にあっただろうが」

「……忘れてた」


 多分、明日は『軍事訓練』になるのだろう。幸い、天気も良さそうだ。

 どんな思惑があって始まり、そして終わろうとしている監査なのか。そんなことはもうイースにはどうでも良かった。ただ、監査官たちに――いや、彼女に見せつけてやりたい気概があった。

 ずっと居る場所ではない、だが、確かに今自分たちが望んで居る場所の、そこでの幸せというものを。

 きっと彼女は彼女なりに、自分とはまた違った形の不本意さを抱いているのだろう。それがあの虚勢につながっている。

 だが、自分の力で繋ぎ止められないものを、無理矢理に捕まえようとする愚かさと空しさを。それを知る者として教えてやりたい、そんな気持ちだった。


「イース、お前は“水”みたいな奴だと思うよ」


 ようやく身も整い、兵営に戻ろうとする後ろ姿にラーグは声をかけた。


「なんて言うか、何のかんの言って流されやすいし、形も定まってないしさ。

 凍りついたら冷たいし。氷みたいにとがった所もあるくせに、意外と脆いし。

 と思いきや、意外と熱くなりやすいし、冷めるのも早いし。

 あんまり重さを感じないけど、軽いとも言えないし」

「……それは褒めてんのか、喧嘩売ってんのか?」


 謎かけでもするかのようなラーグの言葉は、イースの為人(ひととなり)をわかりやすく表現するものだったが、あまり褒められている内容ではない。


「でもさ」


 それでも、ラーグは彼の“親友”を自負している。少なくともこの隊の中では、誰よりもイースを理解している人物でありたいと願っている。


「でも、水はさ。流されるって言うけれど、本当は自分で流れるんだよな。

 そんで、水の流れた後は、皆潤うんだよ。魚が育ち、麦も育ち、草も育って羊を養う。

 留まったまんまじゃ、淀んで何も潤わない。

 かと思いきや、溜めてたつもりなのに、いつの間にか無くなってる。どこかに流れていっちまう。

 離されずに捕まえて追いかけるのも、大変なんだぜ?」


 共に在り続けるためには、捕まえる力と、遅れずについて行く力が必要だ。流れる水を追いかけることは、決して楽なことではない。だが、ラーグはそれを楽しいと思う。そう思える自分が楽しい。


「…………なんか、真面目な隊長以上に、お前が薄気味悪い」


 背を向けたままラーグの言葉を聞いていたイースが、ようよう絞り出したのはその一言だけだった。だが、それが照れ隠しであることは、何となく気配が伝えてくれる。その証左に、イースは振り返らない。


「そういや、今晩の夕食当番は二班じゃないのか?」

「あっ……」


 日はもう傾き始めている。先ほどまでの『訓練』見学をしていた班員達は覚えているだろうか? 慌ててラーグはイースを追い抜いて、兵営に走り込んでいった。ぽんっと一つだけイースの肩を叩き、顔を見ること無く、振り返ること無く。

 ――捕らえようとしてくれる相手がいること。その僥倖をかみしめながら、イースはゆっくりと自分が“今居るべき場所”へと戻って行った。





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<暦関係>

旧ケルトの暦を参考にしています。

この作品で登場するのは以下の季節です。


春分祭り(オースターラ)

:そのまま春分。大体3月下旬。

迎え火の夜祭り(ベルテイーナ)

:夏を迎える頃。大体5月。

夏至(リーザ)

:そのまま夏至。大体6月下旬。

恵みの麦祭り(ルーナサード)

:秋の始まり。収穫祭。大体8月。

秋分(メイヴォン)

:そのまま秋分。大体9月下旬。

還元の火祭り(サムハイン)

:冬の始まり。変容の季節。大体10月末。


第4章現在は夏至(リーザ)を過ぎた夏の季節。恵みの麦祭り(ルーナサード)は来月です。


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