捕らえしもの、囚われしもの【その6】
「おーい、イース。お前、ほんっとうに疲れてんな? 今度いい酒おごってやろうか?」
「……同情するなら代われ、ラーグ」
「いやー、代われるもんじゃないしなー。代わってやるつもりは更々無いけど」
「全く役に立たない慰めを、ありがとうよ……」
第一班たちが兵営に戻って既に4日。一抹の懸念を抱いてはいたが、結果的に何の支障もなく隊長は翌日に監査官たちを伴って兵営に戻ってきた。
予め連絡もあり、またわずか半日ではあったがイース達第一班からの報告と印象を確認する余裕のあった兵営では、ソーン補佐官のもと万全の体制でインガ達監査官一行を迎え入れた。
余裕綽々といった兵営の様子にインガは苦々しげな気配を覗かせたが、完全に“外向き”の態度と声色で対応するソーン補佐官に見事に丸め込まれていた。
何しろ、普段は冷厳極まりないとは言え、黙って微笑んでいればソーン補佐官の美貌と態度は特級品だ。彼が丁寧な態度で優雅に接すれば、男女問わず、思わず畏まり丁寧に接さざるを得ないような気になってしまう。彼自身も分かっていて、いざとなればその“武器”を使う事を躊躇わない。見たことも話しに聞いたこともないが、彼ならば必要ならば色恋仕掛けも完璧にこなしてしまうに違いない。
先の第四軍団での日々でイースとラーグの両班長は、そんな風に相手を翻弄し手玉にとる彼の姿を何度も見ている。軍団兵は強い絆で結ばれていることが多いとはいえ、実力主義の風潮は弱い者に容赦ない。ソーン補佐官は、補佐官という職位もさることながら、その見た目で随分損な目にあってきたはずだ。
だが、彼が理不尽な目に遭った事はない。直接害意を持たない、だが扱いに困る相手には、その姿と態度を時には場違いに振る舞い、相手の気勢を削いできた。なお、隠そうが隠すまいが、何かしらの悪意をぶつけてくる相手には恐怖の笑顔を振りまきつつ、二度と関わりを持ちたくないと決意させるまで、容赦なく反撃するのが常だ。第四軍団では『団の中で、最も怒らせてはいけない人』として、早々に立ち位置を確立していた彼だった。
監査の内容は、町の詰め所でのものとはそれほど変わりはない。同じように書類を確認し、備品を確認し、隊員達から話を聞く。聴取の対象は第二班だけだったので翌日には終了し、今回も書類監査を担当しているオーセル副監は執務室にこもりっきり。インガ正監は、ソーン補佐官と何故かイースの二人を指名して、兵営内の装備品確認などを行っていた。
「だから、なんで俺が指名されんだよ……」
「聞いた話だと、町でも“お付き”してたらしいな? 変に気に入られたのが運の尽きだ」
「補佐官さんがいるんだから、それで十分じゃないかっ!」
「お綺麗な補佐官さんには嫌な事させたくなんだろ、きっと? 監査官としては優秀っぽいけど、そこらへんは女性だねぇ~、あっさり補佐官さんに魅了されているあたり。その点、お前は使いやすいんだろうさ。お前だって見目はいい方だから、方向の違う綺麗どころ二人も従えて、ご満悦なんじゃね?」
「友達甲斐のない、至極真っ当な評価をありがとうよ」
「俺は彼女の好みじゃないみたいだしさ、もうちょっとの辛抱だと思って」
「…………俺、前線に帰りたい……」
兵営での監査が始まって3日目。昨日まで娘さんの病態が思わしくなく休みをとっていたストライフ兵営長が戻り、今日は1日中兵営長相手の聴取や書類確認を行うインガから、ようやく解放されたイースだった。
蓄積された気疲れをそこかしこに滲ませる彼に、他の隊員達も同情と申し訳なさを感じるのか、今日の彼は半ば非番扱いだった。何をするでもなく、だが彼女たちがいる兵営に入りたくなかったイースは、兵営裏の名目だけの修練場に腰を落ち着けて空を眺め、にじむ雲を追いかけていた。
短くはない日々、苦楽を共にしてきたラーグから見ても、珍しくイースの疲労は濃い。荒んでいる。冗談ではあろうが『前線に帰りたい』なんて台詞が出てくる辺り、そこそこ重症だ。
二人とも戦場向きの人材ではあるが、帰属意識はそれほど強くない。どこでもその人生を楽しめると考えているし、前線勤務の軍団兵が一番性に合っていると感じてはいるが、戦場はやはり“帰属”する場所ではないことを理解する程度には、病んでいない。
軍人の家に生まれ軍人となったイースが、その態度や口調の軽さからは想像も付かないほどに、生真面目な一面をもっている事をラーグは知っている。要は、軍の縛りからは逃げられない人間なのだ、彼は。
いざとなれば命令違反や無許可行動をとる気概はあるが、そうでない状況下においてイースは基本的に“従順な軍人”だ。上意下達、軍の指揮系統には表立っては逆らわない。その分、内にこもる。積み重なると暴走するため、軽い態度や言動で発散しているのだ。どちらかというと生来楽天的なラーグの軽快さとは、また異なる。
自分と仲間と国の生死を背負った前線では、滅多な事では『理不尽』と称するほどの事態は起こりにくい。規律はあるにはあるが、ルーニック軍では伝統的に軍事行動中の「上意下達」は限定的だ。上下左右、それぞれの人との繋がりを軸におき、意思決定を行い、そして行動する。明らかにおかしな作戦行動には一兵卒であっても異を唱えることが可能だし、逆にどんなに無茶だと思われるものであっても納得すれば素直に従う。その点においては軍らしくないが、一方で「長」と名付くものには、下を従わせるだけの強い才覚が求められるわけだ。この点もルーニック軍の強さの一つとされている。
「お前、意外と“流され”体質だからな~。嫌なんだから、補佐官さんに上手く押しつけるか、逃げりゃいいのにさ」
「…………押しつけた後の補佐官さんが恐い…………」
「ああぁ……そりゃ、ごもっとも」
その普段の態度を知る皆からすれば、現在のソーン補佐官の態度は、ある意味恐怖だ。優雅に、和やかに、穏やかに。冷厳さは控えめに。
町での態度ほどではないが、その職位や権限を端々に覗かせて接してくるインガに対して、彼はあくまで“外向き”の態度を変えない。それがあまりに恐すぎる――何かを企んでいそうで。
「そういや、フェフ副長は?」
「補佐官さん直々の指示で、隊長のお守り、という名の玩具になってる」
「……適任だな。どっかで、また『練習』してんのか」
「――あの監査官、【能力者】にはいい印象を持ってないみたいだからさ。
フェフが可愛くて仕方ないお二人としては、なるだけ離しておきたいんだろう」
ルーニック軍で能力者は丁重に扱われるとはいえども、皆の気持ちが好意に向いているというわけではない。特に前線配備ではない軍人を中心に、能力者への態度は市井のものとはそれほど変わりないのが現状だ。インガ正監もその典型例だったようで、見た目からして明らかにルーニック人ですらないフェフに対しては、彼の『副長』という肩書きすら全くもって無視したかのような態度を示していた。
フェフは人の機微に敏い。捨て子としてルーニックに生き、軍の中で養育され、その異能の力に常に囚われてきた彼は、人々が自分たち能力者に向ける本質的な忌避感を理解している。
前線の軍人として他にも幾人かのドルヴィ達と接してきたイース達は、彼らドルヴィが思いの外『自分たち以外の普通の人々』を怖がっていることも知っている。フェフは特にその傾向が強い。まだ【軍の能力者】としての立ち位置を、つかみ取れていなかった故だろう。ようやく最近になって一皮むけてきた感のある大切な時期に、余計な悪意に触れさせたくないという親心が、フェフとインガの接点を最小限に留めている。
「ともかくさ、お前が凹んでる姿は、親友としてはあまり見たくないんだよ。付き合ってやるから、ちょっとは発散しろ? な?」
口ばかりではない心からの情を込めて、ラーグはニヤリと笑ってイースに訓練刀を投げ寄越す。所詮、彼らは前線の軍人だ。嫌な事があれば、身体を動かすに限る。
もたつく事なく刃の潰された剣を受け取ったイースは、その手の中で剣の感触を確かめた後、ゆっくりと立ち上がった。利き手に剣を持ち、逆の手で腰の土を払って――。
先に動いたのはラーグの方だった。イースが立ち上がったその一瞬で一歩踏み込んで間合いを詰め、横に剣を薙ぐ。半身を返して避けるイースを追うように、ラーグの剣は振り切ることなく手首を返す動きと共に、一歩進めた間合いのまま腰の動きに乗せて下から上へと切り返す。
イースはその斬撃を受けることなく継ぎ足で後退り、右回りの開き足でラーグの横に回り込んだ。そこから繰り出される切り下げる刃を、ラーグは自らの剣で受け止める。
ガキンッという鈍い音が、一瞬の火花を散らした。
即座に刃を外して飛び退る二人の間合いが開き、ようやく二人は向き合った。お互いの表情には、楽しい事を待つ子どものような笑みが浮かんでいる。きちんとした手合わせはお互いに久しぶりだ。本格的な訓練形式ではなく、小楯も何も付けない平服での仕合いだが、身体慣らしには丁度良い。
今度はイースが先に動いた。素早い送り足でラーグの左手に間合いを詰め、首の位置に剣を薙ぐ。腰を落としてそれを避けたラーグは、そのまま下からの突きを入れるが、即座に降りてきたイースの剣に払われ、一回転するように身体ごと逃れた。
両足を踏みしめ体勢を立て直すラーグに、今度は膝裏への蹴りが飛ぶ。既の所でそれを躱し、跳ねるように間合いをとると、お返しとばかりに全速力で腰高に構えた剣ごと突撃する――と見せかけて、直前で剣を地面に刺して軸とし、イースの足下に滑り込むような足払いをかます。
ラーグが得意とする不意打ちだが、久しぶりのことで対応が遅れたイースは足を取られて片足立ちとなり、上体が揺らぐ。その隙を逃さずラーグは剣から手を離して、イースの浮いた足が再び地に降りるその位置に、先んじた足払いを入れた。
だが、さすがにイース相手に二度目の足払いは通用せず、逆に一歩踏み込まれて足が囚われそうになる。片手を軸に身を回転させて逃れたその場所に、イースの振り下ろした刃が迫り来るが一瞬だけラーグの方が早かった。転がるように間合いをとって、ラーグは再び立ち上がる。抜け目なく、先ほど手放した剣の側に戻る辺りがさすがだ。
「相変わらず、足技がせこいなっ!」
「抜かせ! だったら食らうんじゃねぇ!」
息が上がるほどではないが、短時間での攻守入り乱れた立ち回りは、お互いに余裕を持てるものではない。特に力が拮抗している二人の間では、いつでも全力勝負だ。
どちらかというと剣技に長けたイースと、体術に長けたラーグ。二人はお互いの長所を上手く吸収して切磋琢磨してきた。手の内は把握しているが、それだけに相手の行動を読んだ立ち回りが難しい。
少しだけ汗の滲んだ掌を拭って再び剣を構え直した二人は、今度は間合いを十分にとって剣戟の体勢に入った。上段からの構えでイースの剣が振り下ろされる。躱す事なく自分の剣で受け止めたラーグは、そのまま力勝負に出る。
ギリギリと押し出すように、少しずつ肘を前に進めてイースとの距離を詰める。単純な力勝負ならラーグの方が膂力が強いので、イースの剣は押されて手前に傾いた。
だがイースは機会を見計らっていた。ラーグの脇が拳一つ分ほどに広がったその時、踏み込むように右足をラーグの両足の間に差し込む。足技を警戒して、巻き込んで交差させるように足の位置を変えるラーグ。刃は交えたまま、お互いに視線は向き合ったまま、二人の足元だけが踊るかのように場を取り合う。
交わされた刃が少しだけ緩んだその時、イースが一歩飛び下がって先に刃を外す。即座にラーグの剣が踏み込んだ突きの動きを示すが、体勢から軌道を読んでいたイースは払って除け、半身を返しながら再び間合いをとると、向き直ったラーグに矢継ぎ早に剣戟を与え始めた。
教練のお手本のように八方からの攻撃を与えるイースと、同じく見本のように払い流すラーグ。
体勢を変え、立ち位置を変えて移動しながら続けられるそれは、最初の頃の真剣さを少し弱めて軽快な調べを奏でた。カンッカンッという軽い打ち合いの音が、兵営の壁に打ち当たって音楽のように響く。その音は、彼らの心境を歌い上げているかのようだった。
「ちょっ! 班長たちが仕合ってる~!!」
「ええええ! 何で? 何で勝手にやってんのーーっ」
「えーーーーーーーっ! オレ、見たいです! どこ? どこ?! 見えない!
オレ、飛び降りる!」
「ちょっと待て! 焦るなってば、クワート!」
第25隊ではあまり耳にしない剣戟の音に気付いた耳ざとい誰かの声に、兵営の窓から顔を出した隊員達が次々と野次馬を始める。
監査の期間は巡検がいつもより短縮されており、また監査官の印象を少しでもマシにするためか畑仕事も目立たぬようにやっているため、隊員達は結構暇を持てあましている。忙しいのは“役付き”だけだ。
そこに降ってわいた班長二人の仕合いだ。
彼らの軍人としての戦闘能力が優れている事は、軍団派遣兵はもとより、戦闘にはあまり縁のない地元兵達にも自明だ。そんな二人の真面目な仕合いなど、見慣れた隊長の言動以上の娯楽的価値を持つ。特にクワートのような軍団兵に憧れを抱く地元兵にとっては垂涎だ。
「おーい、お前んところのクワートが二階からぶら下がってるぞ?」
「……あいつ、ちょっと馬鹿だから。すまん」
「っ! そんな殊勝な口をききながら、さらっと多段攻撃すんじゃねーよ!」
「お前こそ、視線を向けた瞬間にっ、膝裏狙うんじゃねーよ!!」
「視線なんかピクリとも向けてねーだろ! この後ろに目がある奴がっ!」
周りの喧噪を余所に、二人の打ち合いは止まらない、留まらない。兵営を背にした体勢になっているイースからは、クワートの情けない姿は目に出来ないが、声を拾うだけで大体の予想はつく。
ようやく足場を捉えて地面に降り立ったクワートに続いて、何名かの隊員達が降りてくる。間近で憧れの仕合いを見るために降り立った期待に満ちたワクワクとした視線の持ち主達はいいが、上に残る奴らは間違いなく別の期待に満ちた視線をしているはずだ。
――間違いなく、賭けが始まっている。
何故分かるのか。自分たちでも、間違いなくやるからだ。
「胴元は、お前んところのティールあたりっ、かなっ」
「だったら、上がりをっ、折半させるっ」
「出演者にっ、総取りさせろっ!」
「あいつ相手に、そんなことが、出来ると思うかっ!」
「だったらっ、別口でっ、巻き上げろ!」
キンッ、ガンッ、と言った物騒な打ち合いの音の合間に、剣戟の真剣味を感じさせない惚けた会話が挟まる。さすがに息が続かず口調の乱れはあるが、二人の腕の動きも足の動きも、会話を交わしながらも留まることはない。
薙ぎ、受け流し、突き上げ、受け払い、足技を繰り出し、身を翻す。
いつしか舞踏のような滑らかさと優雅さで繋げられたその仕合いは、修練場を見事な舞台に変えて、演者と観客の双方を満足させた。