捕らえしもの、囚われしもの【その5】
「監査官であるあんた達は、他の兵どもに命令は出せるが、隊長である俺には出せない。
残念だったな。俺が“命令を受諾”した時点で、あんた達も俺の指示に従う義務が出てくるんだよ。知ってるだろう?」
隊長の言ったとおり、監査において監査官は対象となる部隊長の下につく。職位や身分に関わらず「次席」となるのだ。
インガのような貴族役人は別として、監査官の職位よりは隊長や兵営長といった役付きの職位の方が高い。それを払拭するための決まりだが、同時に指揮権限としては「隊長の隷下」としての命令系統に組み入れられることになるのだ。
だが多くの場合、そのような仕組みを守備隊の隊長級は知らない。監査官達はそこを上手く誘導して、自分たちを独立したものとして扱わせ、上位に立った監査を行うのが常だ。だが時折、このように“事情”に精通した隊長に出くわすことがある。
インガは初めての経験だったが、オーセルはこれが3度目だ。このような隊の監査を行う場合――大抵、アタリが厳しく作業がキツいものになる。オーセルは思わず自分の胃のあたりを押さえた。そんな彼の姿に、何故かティールが同情心あふれる動作で肩をさすっていた。
「ま、ともかく始めようか?
副監さん、荷物は引き払ってあるんだろう? そこの若いのに手伝わせるから、客間を確認して来ればいい。ついでに詰め所内の設備も案内して貰いな。
ティール、それが終わったらケーンから場所を聞いて、監査書類一式を後からここに持ってこいや」
「ええぇ~、何で俺ばっか。そもそも何で隊長がここに来てるんですかぁ~」
何故かねらい打ちで仕事を任されたティールは、不平たらたらだ。だが確かに、何故隊長が詰め所に来ているのか。開けられた扉から階下を伺っても、補佐官さんを始め誰も一緒に来ている風はない。物見高い2名が階段の半ばから、わくわくと見守っているだけだ。
「お前のせいだろうが。まったく、ハーガルに余計な告げ口しやがって」
「ああ……ハーガルが補佐官さんに話したんですね?」
「おかげで、ソーンの奴に追い出されてきたんだ。
『珍しく貴方以外では役に立たないんですから、とっとと行って来なさい』だとよ。
こんな雨の日に蹴り出さなくったって、いいだろうが……まったく、あいつは」
ぶつぶつと補佐官さんへの愚痴をこぼす隊長。彼らは知らないが、本当にソーンは腰の重い隊長を、文字通り蹴り出して送り出したのだ。遠慮がないにもほどがある。
あまりに軍組織らしくない会話の口調や内容、そして“監査”を全く恐れる気配のない役付き達の姿は、長年監査官として多くの守備隊の監査を行ってきたオーセル副監の経験にないものだ。勝手が違いすぎることへの警戒を露わに、オーセルは心の中で気を引き締めた。
インガをこの隊長の元に一人残すことには、多少の――いや、かなりの不安はあったが、オーセルは言われた通りイースとティールに連れられて階下に降りた。初めて客人の姿を目にしたクワート以外の班員達が、うずうずと声をかける機会をうかがっている。それを目線で制して、イースは監査官達の荷物をティールに押しつけ、客間への案内を命じた。
オーセルと二人きりとなったティールは、彼に労りの言葉を矢継ぎ早にかける。悪意はなく、心底同情しているのだ。
ハーガルは『躾がなっていない』と評した。つまり今回の監査官たちは、有能かも知れないが統制がとれていない。今日のやりとりから判ずるに、明らかにインガの勇み足だろう。
「深くは聞きませんが……本当にお疲れさまです。若い上司のお守りは大変ですよねぇ……」
「いえ……お守りなどでは……。ただ、インガ正監は理想が高いお方ですので」
「ふぅん? その割には権高いですよね? 半分は演技でしょうけれど、残りは地ですよねぇ。今回もかなり上に無理を通したんじゃないですかぁ?」
「……私では出来ませんが、あの方は通せる立場でいらっしゃいますから」
さすがに貴族としての立場を振りかざして、監査権限をもぎ取ったことは話せない。特に、この油断ならない彼には。インガは多少扱いにくい心労の種ではあるが、オーセルにとっては上司であり、同時に弟子みたいなものだ。娘の我が侭を聞くような感じでしかない。彼女の不利になるようなことは、明らかにできない。
だが、そのせっかくの配慮は、ティールには通用しなかった。その言葉を聞いて、ティールは気配を一変させたのだ。
「――オーセル副監? まさか、彼女。家名を出したんですか?」
ルーニックの『貴族』は特殊だ。それと併せて、ルーニックでは『家名』というものについての扱いも他国とは少し違う。貴族だけでなく市井においても、人々は名乗りにおいて『姓』や『家名』を使わない。建国当時からの理念として、個人を尊重するために『家』を問わない。だから、この隊の中でも一部を除き、誰も他の隊員達の姓など知ろうとしないし、名乗らない。その必要はないのだ。
そんなルーニックにおいて、貴族が『家名』を出すということは――大きな意味を持つ行動だ。個人ではなく、一族皆でその行動や主張を押し進めるという意思表明と権威を持つ。当主であっても、滅多なことでは使わない。個人の思い入れだけで家名を出すことなど――普通はあり得ない。
「ふぅん…………興ざめ」
言葉に詰まり返答できないオーセル副監の表情を見て、言葉だけは投げやりにティールは呟き黙った。
だが、オーセルは見た。そこに現れた、凍えるほどに恐ろしい侮蔑と非難の気配を。インガに向けられたものが大半ではあるが、一部はその行動を止めようとしなかったオーセルに向けてのものだ。
存在の全てを拭い去るかのように、その言葉を最後にティールがオーセル副監に向ける態度は、明らかに“表向き”のものに変わった。詰め所内を案内されながら、オーセルは彼にはこの先、決して許されることはないのだろうと考えていた。
* * *
表面上は何の支障もなく、監査は進んだ。
滞ることもなく不足することもなくケーン事務官が提示した各種の記録は完全にして完璧であったし、心配していた隊長を始めとする隊員達との面談も、隊長から常に同席を命じられたウリヤンド所長が、慣れない隊員達を上手く導き、また穏やかな合いの手でさり気なくインガの権高さを弱めて順調に進めて行く。
インガとしては助けられているようでしゃくに障るが、彼が同席する事で聴取が順調にいっていることも確かだ。しかも決して悪い誘導や一方的な支援はしていない。ウリヤンドは公正な立場で、インガ達監査官をきちんと立てている。
驚くほどに大人しくしているティールの姿も、その理由を知らないインガとしては『やっと自分の立場が分かったのね』と言いたくなるほどで、気分がいい。知らぬが幸いだ。
「その部分は、時系列ではなく一覧にして、個別に示した方が見やすいと思いますよ」
「それは確かですね。形式上は問題ありませんか?」
「ええ、こちらとしても見やすいに越した事はありません。特にこれらの事項を重点的に確認しますので、好印象です」
「では、納入に関わる書類では?」
「こっちは時系列が大切です。あなたの様に、きちんと日付順に品目と量、用途、何より受領者まで示されていることは素晴らしい。これは是非続けて下さい」
主に書類監査を担当していたオーセルは、未だかつてない程に監査のしやすい整った書類群に、感嘆と敬意を隠せなかった。その主な作成者であるケーンとは、同じ“事務屋”として相通じるものがあったようで、意気投合している。一日とかからず一通りの書類確認が終わった後は、何故か『監査官の視点からみた、より良い書類作成講座』が始まってしまった。
「副監さん……俺としちゃあ、仲が良いのは嬉しいが、うちの事務官にあんまり変なこと教えないでくれや」
特にすることもなく二人の書類監査を見守っていた隊長も、呆れ半分だ。
「隊長? 私にとっては得難い知識なんです。邪魔しないで下さい」
「……これ以上、書類を細かくせんでくれや、ということだ。読むのが面倒だ」
「どうせ隊長は署名しかしないでしょうが」
「ソーンは、俺が全部目を通したことを確認しねえと、署名をさせてくれねえんだよ」
「そんな当たり前のことを申し立てないで下さい」
この第25隊における「隊長」の扱いは本当に不思議だ、とオーセルは思う。誰もが、驚くほど気さくに軽くぞんざいに扱う。だが万全の信頼と敬愛を集めている事も確かだ。誰一人、本当に彼を“軽く”見ている者など居ない。それは会話の端々に、態度の端々に現れている。
監査官として20年以上の年月を過ごしてきたオーセルは、書面だけでなく人を見る能力にも長けているつもりだ。この印象は間違ってはいない。第25隊は完全に「アンスーズ隊長」の影響下にあり、完全に掌握されている。自分たちが潜り込む隙間などない。
今のところ、隊長は監査に大変協力的だ。他の隊員達が『隊長が真面目だ……なんか気持ち悪い』とまで言う程に、きちんと諸事に対応している。監査官たちへの態度も、初対面時の言葉とは裏腹に、インガにもオーセルにも権威を示し下達することもなく、逆にそれとなく立てて来ている。
インガと行動を共にしないのも、その一つだ。
『俺が側にいちゃあ、やりづらいだろう?』と、所長とイース班長に任せっきりで、彼女を自由に行動させている。――それが恐い、と思うのは、オーセルの穿ち過ぎだろうか。
結果、何となく割を食った形になったのが、イースだ。
聴取はウリヤンド所長が担当したが、それ以外のインガへの対応は全て彼に回ってきた。半分はわざと振る舞っていることは分かるものの、だからといって権高い彼女の侍従のように扱われるのは、あまり気分が良くない。だが、士官学校での従卒経験が活かされてしまい、インガがその待遇に満足してしまったのが誤算だった。
「イース班長? この装備品は何故ここにあるの?」
「先日まで、町長からの依頼で地図測量に関わっていました。その為です」
「終わっているなら、すぐに戻すべきではなくって? 測量機器は重要な軍装備よ」
「……まだ町長からの地図完成の報を受け取っておりませんので。万一、即時の確認が必要となった際に支障をきたします。幸い、これらは予備が兵営にもありますので、急ぎ戻す必要はないとの判断です」
「あら、そう。一応筋は通っているわね。では、次。あちらの箱を降ろして」
時間が限られた所為もあるが、インガは矢継ぎ早に作業を進める。いわば“敵の本陣”は兵営の方なのだ。いつもの通りなら、兵営に連絡が入り向こうが準備を整える前に乗り込めたが、今回は違う。少なくとも今朝には隊長からの指示書が届けられたということだし、話から察するに既に『軍の監査が入る』ことは、兵営に残る役付き達に知られているようだ。
準備をさせてはならない、隙を見せてはならない。監査の基本だ。過ぎる時間はどうしようもないが、なるべく早く“本陣”に攻め入りたい。そんな心境と共に、インガはその優秀さを発揮して、テキパキと確認作業を進めた。彼女は決して権高いだけの無能者ではない。その手腕や手筈、反応の速さと的確さは彼女にあまりいい印象を抱いていないイースにしても一目置くものではあった。
「これは軍装備に必要なの?」
「……アラグレンは畜産と農業の町です。町の警護において、牧柵は立派な防衛手段であり、その整備も重要事項ですので、補修用品は必要です。これは第25隊基本装備品として、創設当時から認められております」
インガが箱から取り出した牧柵用の金具は、確かに“軍装”ではないが重要物品だ。インガは呆れたようにイースを見遣るが、これといってけちをつける気はないらしい。
イースは彼女の指示に従って次々に備品の確認と説明を行う。その受け答えの確かさはもとより、その丁寧な対応と態度はインガの自尊心を満足させるものだった。斯くして、イースは『インガ正監への説明担当者』として、この監査期間を過ごすことになる。
第一班の隊員達にとっては、災難でもあり面白さもあった今回の町勤務が終わった。
インガ達が兵営に現れてから2日後の昼、交替でやってきた第三班に引き継いで彼らは一足先に兵営に向かう。インガ達と隊長は明朝に兵営に向かうというから、明日の昼からは再び監査官達との生活だ。彼らの個人的な聴取は終わっているので、後は“兵営での日常業務”を確認するらしい。
「班長、オレ等の『日常業務』って……見せて大丈夫なんですかねぇ?」
「……畑仕事は控えめに、ってところかな……」
「班長、牛が脱走しないといいですねぇ……」
「こういうときに限って、コールあたりがなんかやらかすかもなぁ……」
「班長、隊長が真面目で気持ち悪いんですが」
「俺に言うなよ……」
「班長、今日の夕食はなんでしょうね?」
「やっと普段の会話だな」
不安と戸惑いと何かの予感に溢れる会話を交わしながら、第一班の面々は遠く空を渡って聞こえくる牧童の笛の音を背に負い、先日の雨の名残を草の葉に残して緑濃く香る兵営への道を進むのであった。