捕らえしもの、囚われしもの【その4】
「私は、この隊が『監査対象』となるような不備を行った記憶はありません。よって、今回の監査命令には、恣意的なものを感じざるを得ません」
自信に満ちた声と態度で、ケーン事務官はインガに宣言した。この隊が監査対象となるはずがないのだと。
12年前、新人だったケーンは、特に気負うこともなくこの第25隊に着任した。養成所で十二分な教育を受けてきており、通常業務においては何の問題もなかった。だが翌年に監査が入り、前任者からの“遺産”となった数々の不手際・不備によって、ケーンは大いなる迷惑を被ったのだ。
当時の隊での“役付き”において最年少であった彼は、権高い監査官に狙い撃ちにされた。自分の責ではない数々の不手際を責められ、その解消のために多大な労力を払わされ、挙げ句には自らの査定を下げられ――ケーンは心に誓った。もう二度と監査なんてものには遭遇しない、と。
その結果が、現在のケーン事務官だ。水一滴すら漏らさぬほどの、鉄壁の事務仕事。不備も不手際もない各種の手続きと監督。そして隊員達と住民達との関係を円滑にする仕事の采配。上からも下からも、そして横からも一切の干渉の切っ掛けを与えまいとする、それは見事なものだった。
幸いにして代々の隊長たちは、そんなケーン事務官の仕事ぶりに満足して大方を任せてくれるような人たちばかりであり、異動してくる軍団兵たちからも、共に居続ける地元兵たちからも、頼られる存在として自分を確立させた。異動となると、これらの立場を再び作り上げる煩わしさがある。その為、中央からは誰も辺境勤務を志望しないことをいいことに、希望して残留し続け12年。彼にとって第25隊は、生き様そのものだ。
ウリヤンド所長は、そんなケーンの姿を身近で見てきており、その思い入れを知っている。ある意味、この第25隊を『何の支障もない隊』であり続けさせることを生きがいに、また誇りにするケーンにとって、今回の“監査”がいかに心外なものであるかを良く知っている。
表情や口調こそいつもと同じ柔和なものではあるが、その言葉の端々にはインガ監査官への不信感が滲んでいる。珍しく“怒っている”ことが分かるケーンの姿に、ウリヤンドだけでなく、後ろで話の成り行きを興味深く見守っていたイース達も面食い、互いに監査官達への哀れみを示す。
相変わらずコソコソと会話を交わす二人。その姿を目の端で追いながら、ウリヤンドが『ちょっとは助けろなさい』と視線で訴えてくるが、ティールは先ほど『黙れ』と言われたばかりであるし、イースも口とは裏腹に彼女に憐憫は一切感じていない――後ろ姿にも動揺と混乱がみてとれる、副監査官のオーセルには少しだけ哀れさを感じるが。
見慣れぬ来訪者については、すでに階下の兵達にも伝わっているだろう。二階執務室に上がったまま、音沙汰のない様子に皆も不安を感じ始めているのか、階下が少しざわめいている。まさか軍監査だとは想定も付くまいが、クワートあたりから客人の様子を聞かされているとなれば、なおさらだろう。
「ということで、所長がなんとおっしゃろうと私としてはこの書面では、隊長への報告と許諾を求める訳には行きません。当然、ここでの行動の自由も受け入れられません。経緯を明確にご説明いただくか、隊長ご本人からの許諾を先に得て下さい」
「どうして貴方――事務官ごときに指図されるというのかしら。たとえ今までは何の支障がなかったとしても、10年以上も外部の目が入っていないこと自体がおかしなことなのよ? それとも、監査を受けられない、何かしらの事情があるとでも言うのかしら?」
わざとらしく権高い口調で、何とか反撃するインガ。それを受けるケーン事務官はわずかに目を細めたが、淡々とした口調のままだ。
「監査そのものには何の異論もありません。こちらは全ての記録を、今すぐにでもご提示できます。ですが、主任事務官として、不自然な書類を受け付ける訳には行きません。私の職務上の矜持が許しません」
お互いに厳しい目をしたまま向き合う二人。珍しい見物ともいえる光景に、イースとティールは目を爛々と輝かせ、反対にウリヤンド所長とオーセル副監は苦渋の表情を浮かべる。
ウリヤンドとしては、ケーンの拘りも理解できるし納得も出来る。だが、ここで軍監と揉めても何一つ良いことはないだろう。対するオーセルも、今回の監査先選定で若干無理を通した事情を知っているだけに、いつもと同じように強くは出られないことを理解している。
インガはむきになっていて気づいていないようだが、下手をうって第25隊の方から正式に疑念が提示されれば、本部としても確認せざるを得ない。結果、インガとオーセルにも何らかの疑義が申し立てられるに違いない。立場を考えると、オーセルが最も損な目に遭うのは目に見えている。
先ほどから背後で控えめに交わされている会話の内容を、オーセルの耳は拾っている。ここの役付き達は、平凡な辺境の兵ではなさそうだ。町で出会った時にも、ティールと名乗っていた兵は実に見事な話術で探りを入れてきていた。さすがは王都市警隊出身だけのことはある。何より現在の第25隊は、隊長以下、素性や立場がよく分からない軍団兵が多すぎる。
オーセル個人としては、何を好き好んでこんな面倒な隊を監査対象に選んだのか、と苦言を呈したいところだ。
だが宮仕えの悲しさ。堅実な仕事ぶりを見込まれたのは嬉しいが、優秀ではあるが御し難い、この若い貴族役人の指導と補佐を任されて以来、オーセルの心労は貯まる一方だった。今回は極めつけと言ってもいい。
密かに嘆息するオーセルの姿に、ウリヤンドの同情と賛意の視線が向けられる。それとなく視線を合わせた苦労人二人は、何とかこの不毛な状況を打破する方法を模索し始めた。
「インガ正監査官、お互いの主張はもっともです。少しこちらの対応を検討させていただけますか? お時間はとらせません」
「インガ様……いえ、インガ正監。所長もこうおっしゃっています。ここは、いったん預けましょう」
二人からの助け船に、ケーン事務官は不承不承といった風情で表情を改めたが、インガの方は引く気はない。彼女の感覚からすれば、とるにとらない格下の、しかも自分がやりこめるはずの相手に押されたことが、何よりも気に入らない。
室内での不穏な気配を感じ取ったわけではないだろうが、階下のざわめきが大きくなる。扉近くに立つイースは、やがて階段を上り来る人の気配に気がついた。好奇心が押さえきれなくなった誰かが、様子を伺いにきたのだろうか?
「たとえ時間をおいたとしても、私の主張は変わりません。確かに不自然に感じられるかもしれませんが、この命令書そのものは有効のはず。受理しないというのなら、それこそ貴方の職務怠慢でしょう!」
「お言葉ですが、受理できる権限を持つのは、隊長のみです。私にはそのような権限はありません。当然、職務ではありません。ですから、ご自身で隊長よりの許諾を得ていただきたいだけです。私『ごとき』では、何も許可を出せません」
再発する舌戦。せっかくの努力が消え去ろうとするのを、ウリヤンドとオーセル副監は、再び苦渋に満ちた表情と嘆息で受け止めた。
そんな状況を一変させたのは――――思いも寄らぬ人物の一声だった。
* * *
「……なんか細かい事情は分かんねえが、俺が許可を出せばいいんだろうが。
おい、ちょっと落ち着け、ケーン。お前さんらしくもない」
「――隊長?」
「隊長? どうしてこちらに??」
「誰……って、た、隊長???」
「うぇ? 何で隊長????」
訪いの音もなく、突然開けられた扉の向こうから室内に届けられたのは、面倒くさそうな気配と興味津々といった風情を併せ持った――ここに居るはずのない隊長その人の声と姿だった。
「軍監査だってな? いいさ、どうぞご自由に。こっちからのアレコレは、そのうち纏めて始末させて貰うがな」
少し剣呑な、だがいつものように楽しさと、いい加減さを全面に出した隊長の声。
その声に、目に見えてケーン事務官は落ち着きを取り戻し、ウリヤンド所長は少しの狼狽と大きな安堵の表情を浮かべ、イースとティールは新たな娯楽の登場に一層目を爛々と輝かせ――そして、事態が飲み込めない監査官二人だけが、呆気にとられた情けない表情を浮かべることになった。
「……っ! 訪いも無しに勝手に入室するなんて! あなた、何者だというの、失礼なっ!!」
不安や動揺を隠したいのか、金切り声一歩手前になっているインガ監査官の声にも、隊長は特に態度を変えない。いつも通りの隊長だ。
「俺の管轄下で、どう振る舞おうと勝手だと思うがなぁ……。俺が第25隊現隊長のアンスーズだよ。は・じ・め・ま・し・て、監・査・官・殿」
態とらしさを隠す気もなく、隊長はインガたちに向き合い、言葉を紡ぐ。
「んにしても、こっちは若い監査官さんだなぁ? お手並み拝見といこうか?
……ウリヤンド、ケーン、ご苦労だったな。俺が後は引き継ぐ。ケーン、書類をよこせ」
「――隊長。私はこの書類に疑義を申し立てますが?」
「俺が許可を出すっていうんだ。受け取ってくれや。全部まとめて、後から処理してくれ。
ケーン、お前さんなら簡単にできるだろう?」
「……納得しかねますが、分かりました。で、す、が。 “後で”全部まとめて“きちんと”処理させていただきます。分かりましたね、隊長??」
「おっとっと。これは藪蛇だったな。わかった、わかった。お前さんに一任するよ」
「その言葉、忘れないでくださいね!? ウリヤンド所長、聞きましたね?」
「あ、ああ……」
「忘れたら、補佐官さんに言いつけますからね!」
「――――お前ら、ソーンを何だと思ってやがるんだ……」
隊員たちにとっては違和感も特別なところも何一つない、いつものやりとり。それにしても、本当にソーン補佐官は一体隊長の“なに”扱いだというところなんだろうか。やりとりを聞きながら、イースも思わず考え込んでしまうところだった。
そんな隊員たちからは完全に置いて行かれる形となった監査官二人は、ますます混迷を深める。特にオーセル副監などは、ぽかんと口を開けて落ちつきなく腰を上げたり座り直したり、と哀れなほどだった。インガも信じられない光景を見たと言わんばかりに、厳しい色を浮かべていた青い瞳を見開いて、じっと隊長を見つめているだけだ。
「あ、あなたが『隊長』ですって……? 西方戦線の、あの……?」
いかに軍本部と言えども、また士官級と言えども、インガ達は軍人達の絵姿までは準備していない。書面に現れる経歴だけを追っていたインガの中では、歴戦の勇者に相応しい威風堂々たる姿が形作られていたのだった。
だがしかし。今目の前に立つ男は、かなりの長身ではあるが、筋骨隆々ともしておらず、厳つい顔つきもしておらず。どこか子どものような楽しげな瞳と、権ばったところなど何一つない声音で、にやにやとインガを見ているだけだ。
ケーン事務官から渡された命令書に目を通し、再び口角を上げる隊長。何か説明された訳ではないが、隊長は即座にケーンが拘った事項に思い当たったようだ。
「ほぅ……ここまでして、この第25隊に目をかけてくれるとは、嬉しいねぇ。
いいさ、存分にやってくれ。楽しみだ。
『東北国境守備隊第25隊、隊長アンスーズ。命令受諾。これより軍監査を受け入れる』
――――これでいいか、監査官さん達よ? なら、さっそく準備にかかるとするか」
ティールや補佐官さんのものとは段違いに雑な、だが不思議と威厳を感じさせる軍敬礼を返し、隊長の受諾答礼の声が響く。インガは即座に、オーセルは一挙動遅れて礼を返し、ここに監査は始まった。
「あんたが副監さんだな? おい、イース、ティール。二人で副監さんを宿舎に案内しろ。監査が始まったら、宿屋には泊まらねぇもんだ」
即座に反応したのはイース班長の方だ。ティールは相変わらず、興味だけを全面に出して傍観者の体制を崩さない。
「わかりました――この後の行動は?」
「どうせ明後日の昼には、第三班と交代だ。その後に兵営に移動する。
ということで、監査官さん達。明日いっぱいまでは、この詰め所内での監査作業。明後日午後に交替の班員達との面談を済ませて、翌日兵営に移動、ということでいいな?
じゃあ、ケーン。お前さんは、今日中に提示資料を準備しとけ」
「準備不要です。いつでも、完全な状態で出せます」
「可愛げねえなぁ……。じゃあ、明日ストライフ伝えで兵営に連絡を入れるから、その指示書でも作っておいてくれや。内容は今言ったとおり。ウリヤンドは、今から俺と一緒に、正監さんから『事情聴取』を受ける。おっと、イース。お前は降りたついでに班員達に説明しとけ」
……やっぱりストライフ兵営長は伝言係なのか……と、イースは指示を確認しながら密かに笑ってしまった。
相変わらず、隊長の指示は適当に見えて適切だ。無駄なところがない。戦場で受けていた指示ほどの内容の厳しさはないが、あの頃もどこか飄々とした態度の元に繰り出される、時には驚くような無茶な指示に、隷下の兵達はどこか安心したものだ。
「勝手に話を進めてすまんな? おーい、正監さんよ? 聞こえてるか?」
軍人らしく、てきぱきと指示に従い行動しようとする彼らを余所に、インガ達はただ事態を眺めているだけだった。明らかに隊長の登場によって流れは変わった。表面上は隊長が監査をそのまま受け入れる、という望み通りの状況であるのだが、先手をとられ主導権を奪われているのは明らかだ。
「か、監査を主導するのは私たちです。勝手に決めないでいただきたいわ!」
「とは言ってもなぁ……。 “監査”において監査官さん達は、一時的に俺の隷下に入ることになるんだ、形式上。主導権は、こっちにあるんだよ」
ニヤリと人の悪い笑みを浮かべる隊長。インガは悔しさを隠すことができず、形のよい唇を強く噛みしめるだけだった。
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久しぶりの隊長。そして頑張るケーン事務官。町のお嬢さん方からの人気評価第3位は伊達じゃない。
第25隊には、「性格の良い人間」より「イイ性格の人間」が多いのです。