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捕らえしもの、囚われしもの【その3】

「――あなた、ティールといいましたか? 私たちが『監査官』だと……どうやって知ったのかしら?」


 ティールの突然の登場。そして態勢を整える間もなく告げられた彼女達の正体に、部屋の空気は一変した。息を飲む大きな音が響き、オーセルと呼ばれた壮年の男性は目に見えて狼狽し、わずかに腰を浮かす。

 そんな中、一瞬の動揺を見事に抑えて態勢を戻したインガ監査官は、若年で権高い態度ではあったが、なかなかに有能だったようだ。ティールも内心、意表を突かれた感がある。自分とはさほど歳が変わらないであろうが、意外と根性があるじゃないか、とは思う。だが、それだけだったが。


「どうやってもなにも……見ていれば分かるでしょう、それくらい。

 あ、わざとですよね? ちょっとあからさま過ぎたんで、少し恐かったですよ? 他にも裏があるのかと、変に勘ぐってしまいました~」


 ティールの声はどこまでも明るく、朗らかだ。だが、その視線の奥には冷たい光が透けて見える。それに気付かない程、インガも馬鹿ではない。


「……そうね。辺境の町ということだったので、手加減させてもらったわ。町での情報収集は早く済ませたかったし」

「それは何より。確かに早かったですね、もう十分ですか? 足りなければ、明日俺が案内しましょうか?」

「あなたの同行など結構よ!」

「それは残念ですね。じゃあ、俺以外でしたら、ここに居る“役付き”は皆、お二人のことを存じていますから、どなたでもどうぞ?」

「皆?!」


 今、この部屋に居る“役付き”は、ウリヤンド所長とケーン事務官、そして班長であるイース。確かにイースはティール自身からそれとなく知らされていたが、他の二人もとは聞いていない。

 インガとオーセルの監査官組も想定外だったようで、特にインガは先ほどまでのどこか見下したような表情を一変させて、所長と事務官に顔を向ける。

 そこには、いつもと同じようにどこか育ちの良さを感じさせる穏やかな目付きで、苦笑の色を浮かべているウリヤンド所長と、柔和ながらも真面目さを全面に押し出したままのケーン事務官が居る。二人とも、ティールの言葉に驚きはしているが、確かに狼狽の色は見えない。

 ――“きちんと知らされなかった”のは自分だけ、とイースは悟った。

 それは……多分、ティールなりの配慮と試しなのだろう。正規の軍教育を受けていない所長と、事務方のケーンでは、監査官については知ることが難しい。だがイースは士官学校出の軍人だ。自分で気付く必要があったのだ。知らされていてはいけない。


「インガ監査官、貴女は当然こちらに赴く前に、俺らの略歴は把握されていますよね?

 俺は直接お話したように前職は第一軍団の市警隊、所長はこの地域の名家の出で、人を見る眼は幼少時から育まれていますよ? 軍人ではないとはいえ、事務官も在任12年目ともなれば不審者くらい見抜きます。班長は……言うまでもないですよね、西方戦線の常勝部隊の小隊長ですよ、『敵』を見逃すはずがないじゃないですか」


 流れるように、だが確実に悪意を持ちつつインガ達を追い込むティールの言葉に、インガは目に見えて怒気を放つ。虚勢を張る余裕もなかった。

 彼は分かっていて言っているのだ。少なくともインガは、自分たちの正体がばれているとは想定していなかった。こんな辺境の兵達に分かるはずがない、と甘く見ていた彼女への、手痛い攻撃だった。


「ティール、少し黙りなさい。インガ監査官が困っていらっしゃる。今は、監査官から直接『監査』の申し入れの口上を聞く時です。あなたの出番は終わりました、後ろに控えていなさい」


 口元をわななかせ、何か反論しようとしていたインガを制するように、ケーン事務官の柔和な色合いだが毅然とした声が響く。


 『はい、失礼いたしました!』と、ティールも急に口調を改め、改めてインガに向き直る。そして、見惚れるような動作で敬礼と礼謝を返した。

 ――ルーニックの軍敬礼は、二動作だ。両のかかとをそろえて直立し、拳をつくった左手を右肩にあてる。また礼謝を続ける場合は、そのまま左足を半歩退き、視線は合わせたままわずかに腰を落として戻す。

 この特に派手なところも難しいところもない動作を、これほどまでに“美しく”行う軍人を、イースは他に数人しか知らない。そのうちの一人はソーン補佐官さんだ。

 だが、ソーン補佐官とティールの動作は、“美しさ”の方向性が違う。補佐官さんの動作が、一分の隙も乱れもない純白の美しさだとすると、ティールのそれはきらめく水が流れる様を感じさせる典雅さを持つものだ。

 余談だが――この二人の敬礼を見た他の隊員達、特に地元兵たちがむやみに憧れて不必要に練習する様を見て、隊長が隊での敬礼を廃したのだという事実は、ソーン補佐官しか知らない。


 それはさておき、場違いにも思われる典雅な礼を返されて、インガは鼻白んだようだ。職位から言えばこの場で彼女が一番高位である以上、このような礼を返されることは日常であるし、貴族出身の彼女にとってみれば慣れたものであるはずだ。だが、どことなく落ち着かない。

 ティールのそれが、「礼」ではあるものの「意」が込められたものでないからだ、ということにも、また彼がわざと貴族様式を交えたことにも気付けないインガは、やはり遇されることに慣れた若い貴族でしかなかった。ティールとしては、評価に困る相手に苦笑しきりだ。


「改めまして。私が第25隊専属、主任事務官のケーンです。こちらが所長のウリヤンド。貴女方を案内いたしましたのは、第一班長イースです。この度は、第25隊へようこそおいで下さいました。そちらからも、お名乗りいただけますか?」

「――東北地区担当、正監査官のインガです。こちらは副監査官のオーセル。今回、第25隊の兵営監査にあたり、滞在の許可と協力を求めます」


 何とかいつもの調子を思い出そうとしながら、インガはオーセルを促して書面を提示する。軍の兵営監査にあたっては、当然命令書がないと始まらない。

 東北国境守備隊司令官と、軍本部監査部の署名と公印がある書面は、インガ達の身分を保障するものであり、監査中の権限を示すものでもある。これが受理された時点で、インガ達は隊長に次ぐ権限を持ち、監査に関する諸事において隊員達への命令権を持つのだ。

 受け取ったケーンは、まずウリヤンド所長に書面を渡し、次いで自分も書面を確認する。その間、インガは二人を面白くもなさそうに眺めている。


「…………おい、いつの間に二人に話したんだ?」

「今朝ですよ~よかったぁ間に合って。いやー、こんなに早いとは俺も予想外で。明日か明後日だと思ったんですけどね~」


 扉の前、インガ達が向き合う卓の背後に離れて立つイースとティールが、ヒソヒソ声で会話を交わす。

 ティールとしても、本当に際どいところだったのだ。今日が雨で巡検がなかったからこそ、間に合った。ハーガルからの返事で確証は持てたが、それまでは所長たちに報告するには曖昧すぎ、特にケーン事務官を納得させるには弱すぎた。


「――確かに、正規の監査命令書と確認いたしました。ですが、私は所長という立場ですが、第25隊の“役付き”に過ぎません。正式な受領は、隊長への報告をもって成させていただきます」

「では、まずは所長権限で、私たちの詰め所での行動の自由をいただくわ。よろしいわね? 兵営に向かうまでは、自由にさせていただきます」


 ウリヤンド所長の当然すぎる回答に、インガも気を削がれることなく話を繋ぐ。

 兵営ではなく先に町の詰め所を訪れたのは、インガの策の一つだ。住民との関係などの情報収集はもちろんだが、主権限をもつ「隊長」が居ない間に自分の職位が威を発揮する状況を作り上げる。そのことで、監査対象の兵員たちを掌握するのだ。

 ウリヤンドはその意図するところを察しなかったようだが、ケーン事務官は眉をひそめた。それを見て、インガは小気味よさを感じる。ようやく一矢報いた気分だ。


「正監査官殿、私からの発言をお許しいただけますか?」

「何か書類に不都合でも? 正真正銘の軍の書類ですわよ? ご覧になったことはないのかしら」


 見返すようなインガの表情には気にも懸けず、ケーン事務官は渡された命令書を凝視してから口を開いた。インガは半ば嫌みで告げた返答だったが、ケーンはまさしくその書類について聞きたかったのだ。


「不都合というほどではありません、インガ正監査官。

 ではお尋ねいたしますが、今回第25隊が監査対象に選定された経緯について、ご説明いただけますか?」

「……単に順番だったからよ」

「いえ、そんなはずはありません。監査は順に行われるものではありません。予め順序が分かっていれば、抜き打ちの監査にはなりません」

「だとしても。選定理由を聞いてどうなるというの? もう決定されたことよ、(くつがえ)りはしないわ」


 ――インガとしては、最も訊かれたくない部分を問われた。

 実は第25隊の監査は予定外なのだ。本来は「監査不要」と評定されていた第25隊に、インガがその“欲”から目を付けた。

 長く監査が不要とされて来た、東北国境守備隊第25隊。ここで何かしらの「不始末」を見つけることができれば――インガの評価が上がる。


 インガは上昇志向の強い女性だ。ルーニックでも上位の貴族家に生まれ、ルーニックの国体を支えるための教育を受けてきた。その優秀さを一族に認められ、女性ながら国政に関わる立場を認められた。

 軍の監査官職は、その最初の一歩でしかない。ここで力を示し、一族の皆にも、国の中枢にも自分をより一層認めさせる。現状で家督を継ぐと見なされている従兄などには負けない。自分が家を継ぐ者、すなわちルーニック王国の執政者の一員になるのだ、とずっと願い続けてきた。

 こんなところで、軍の監査官程度で足踏みをしている暇はない。早く軍の中枢へ、そして国政の中枢への道を切り開かなくてはならないのだ。


「選定理由が恣意的なものである場合は、監査そのものの正当性が揺らぎます。よって、私はそれを確認したいだけです。別に監査から逃れようなどとは考えておりません」


 インガの荒れる心中など知ることもなく、ケーン事務官は淡々と言葉を繋ぐ。インガだけでなく、オーセル副監までも落ち着かない動作を見せている。


「この書類――発行日は最近のものですし、軍本部監査部長のお名前も確かです。

 ですが、司令官のお名前は、先の方ですね。司令官はこの春の終わりに中央に異動され、現在は違う方が就かれているはずです。――つまり、春より前に司令官からの監査の許可を得ながら、軍本部は許可を出していなかった、という推測が成り立ちます。私は、そこが気になります」


 さすがに書類の専門家、ともいうべき事務官。ケーンが不都合を見出したのは、その不自然な時間差だった。

 思わぬ形での指摘を受けて、インガはグッと詰まる。

 その通りなのだ。司令官までは簡単だった。なのに、何故か監査部からの許可が一向に下りなかったのだ。業を煮やした彼女が家の力まで行使して、ようやくもぎ取った監査権限だった。


「確かに……本部は第25隊の監査は不要、との立場でしたわ。ですが、前にこの隊に監査が入ったのはいつかご存じ? もう10年も前のことです。そんなに長期間監査が行われないことの方が不自然であり、私はそれを看過できなかっただけですわ。最終的に本部も認めているのですから、恣意的なものであるとは言えません」

「正しくは11年前ですね。私がこの第25隊に着任した翌年のことです。そして一般的に監査は5、6年に一度程度の割合であるのも確かでしょう。

 ですが、ルーニックは広い。網羅的に全隊を監査することなど不可能です。

 ――インガ監査官、『対象とならない(・・・・)隊』の基準をご存じですね?

 何一つ不備がないこと、です。

 住民との関係、隊員達の行動、軍としての規律、軍本部との関係――そのいずれにおいても何も問題がない、そう判断される場合は監査が免除されます。

 よって、本来この隊が監査対象となることはありません。私がそう(・・)しています。決して監査対象とならない様、万全の体制で支えています」


 淡々としているが、自信に満ちたケーン事務官の言葉だった。思わずインガも気圧されるほどに。






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長らく出張っていましたが、ティールの見せ場はこれでおしまい……の予定。

代わりに次話では、これまで名前だけしか出てこなかったケーン事務官が頑張ります。

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