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捕らえしもの、囚われしもの【その2】

「おや、イース。なんか疲れてるみたいだが、大丈夫か?」


 翌日、イースは気持ちの疲れがとれないまま、その日の業務に追われた。

 詰め所勤務の班は、兵営とは違った意味で忙しい。農作業はないにしろ、町の設備の補修に関わったり、子どもたちと関わったり。特に町衆が忙しい農繁期は、子どもたちへの目が行き届かなくなるので、彼らと“遊ぶ”ことも業務の一つになっているのだ。

 無駄に抵抗していたが、結局クワートはティールと今日も組まされて町中に出て行った。ただ、今日は巡検ではなく“子守”の依頼だったので、渋々ながら楽しそうに付いていった。

 第一班の中では、この二人の子ども受けが最も良いというのも面白い。

 クワートはその若さと純朴さで、子ども達と真剣に向き合う。いい“遊び相手”だ。

 またティールの博愛的な言動は、子ども達には別の方向で発揮されており、“良く褒めてくれて、長所を伸ばす”と、親たちに好評だ。教養も高いので、子ども達からは『何でも知ってるお兄さん』と、意外に尊敬されている。

 班員は忙しいが班長は詰め所待機で、もっぱらケーン事務官の手伝いだ。書類仕事はあまり好きではないイースだが、班長の責務である以上避けられない。さすがに2年近くもやっていれば慣れてもくる。


 そんなこんなで午後も過ぎ、ようやく手が空いたところでイースは町に出た。昨日、嫌でも関心を持たされた、例の「旅行者」とやらを目にしておきたかったのが、その理由だ。

 だが残念ながら、滞在先になっているという宿屋には姿は見当たらず、町の人たちから目撃談は聞くものの本人たちには会えず終い。

 そんな彼に労る声をかけたのが、少し早い帰宅となっていたストライフ兵営長だった。


「兵営長、お帰りなさい。今日は早いですね?」

「ああ、ちょっと下の娘の具合が良くなくってな。補佐官さんが早く帰してくれた」

「それは心配ですね。早く帰ってあげて下さい」


 彼が家族愛に富む人間であることは周知の事実だ。家族に向ける愛情はあふれかえっている。気は急いているだろうが、そんな中でもイースを目に止め、その心配をする彼の心根が嬉しい。


「そうだ、イース。ティールに『伝言は伝えた』と言っておいてくれないか? 兵営に寄る時間はないんでな」

「ティールに? 伝言?」


 話を聞けば、ティールが朝一番に出勤前のストライフを訪ね、兵営のハーガルに伝言を頼んだのだという。

 『あいつまで、こっちを伝言係にしやがって』と、普段から町衆や隊員からの伝言を頼まれることが多い彼は、口調こそ怒ってはいるが全く気にしていないそぶりだ。


「うちのティールが、三班のハーガルに、ですか……彼、何を伝えたんです?」

「あいつらしい、どうでもいいことだったぞ?

 『お前にちょっとだけ似ている女の子が、いま町にいるから見に来ないか?』だ。

 『猫に似てるけど、どう見たって犬っぽい子』とも告げてくれ、と言ってたかな?」

「――なんですか、それ?」

「それはこっちが聞きたいくらいだ。ハーガルの返事は『(しつけ)のなっていない犬は嫌いですから、自分は行きません』だそうだ。

 ますます訳が分からん。なんなんだ、あいつら。とりあえず、伝えたぞ」


 思い出して一層悩ましくなったのか、首をひねりながらもストライフ兵営長は愛しい家族の待つ帰路についた。残されたイースは、最初こそティールらしい言葉に拍子抜けしたが、昨夜の彼の言葉を思い返しながら、その『伝言』に含まれた意味を考えた。


 ティールは、最近になって急に第三班のハーガルとの関係を深めた。

 どちらも人当たりのよい好青年だが、社交的で話題を自分から呼ぶ軽さの目立つティールと、どちらかというと聞き上手な真面目で地味なハーガルとは、それほど気が合うとは思えず、実際に最近までは個人的な関係はほとんど無かったはずだった。

 それが最近では明らかに接点が増えている。

 極端に目立つ交流を持っている訳では無いが、言葉を交わしている姿をよく見かける。他の隊員たちからも『あの二人、最近仲がいいですね』と言われる程度には親しい。


 普通の隊員同士の交流なら、特段気にする必要はない。もっと親密に交流を持つ隊員の方が多いくらいだ。だが、イースは軍団兵としてのハーガルを知っている。

 同じ軍団にあって、彼が中隊長補佐官をやっていたことを知っている。また彼は、見た目とは裏腹に大胆なところもある有能な軍人であることも知っている。

 アンスーズ隊長が、第四軍団の大隊長を降格になったという隠された事実を、何故かイースとラーグに内密に伝え、

 『大隊長代理(・・)より、全小隊に戦闘禁止の命がでています。

  ――そういえば、南側の谷に新しい野営の気配があります』

 と、何かを期待するかのように、機密であるはずの敵陣情報を二人に伝えた彼。

 その結果のあれこれによって、ハーガルも一緒に降格されてしまった訳だが、本人は全く気にしていないようだ。

 自分たちとは異なり、隊長に心酔している様子はないが、何食わぬ顔で一緒に飛ばされてきた。せっかく補佐官職までたどり着いたであろうに、出世欲がないのか平々坦々としたものだった。


 そんなハーガルが、最近急に“怖さ”を感じさせるティールと接している。

 ティールが変わったからなのか、逆にハーガルと関わったからなのかは、イースには分からない。しかし、そこに何かしらの“変化”を感じられる程には、イースは有能だった。

 昨夜、ティールが告げた『ちょっと動く』というのは、この伝言の事に違いない。

 だが、そのティールの言葉にも、ハーガルの返答にも。間違いなく何かしらの謎が隠されているであろうが、それを読み解くだけの力はイースには無かった。そのことが、無性に悔しくてやるせない心を抱き、結局目的の旅人にも会えないまま、イースは詰め所に戻ることになる。


 イース経由で聞いたハーガルの返事を、ティールは表面的には面白くもなさそうに受け取っていた。だが、何か確信が持てたようで、夕食後の団欒時、こっそりささやくようにイースに告げた。

 『予想通り。恐くないんで、放っておいて下さい。そのうち、向こうから来ますから』とだけ。

 何となく疎外感と無力感を感じさせられ、イースの機嫌が悪くなる。その機微に気付いたのか、ティールは苦笑して肩をすくめた。


「班長。人には向き不向きがありますから。俺は軍人としては、あなたの足下にも及びませんよ。たまには俺にも、まともな実力を発揮させて下さいよ?」

「だとしても、あまり気分は良くないんだけどな?」

「班長は『純情』を秘めた、有能な軍人のままでいて下さいよぉ」


 ティールは『純情』を吹っ切ったのだろうか。その代わりに、何を覚悟したのだろう。

 そのことに、イースは多少の焦りを覚える。何故か無性に第二班長のラーグと語り合いたくなった。士官学校時代からの腐れ縁となった、有能で信頼できる相棒。

 彼とのつながりを感じて、この焦燥感を払拭したい――そう思える相手がいる幸せを不意に感じ取り、イースははじかれたように顔を上げた。その目に映るティールの顔に、同じものを感じ取って。



* * * 



 翌日は、こぬか雨の降る天気となった。農作業は待ってはくれないが、それ以外では静かなものだ。子ども達も家で大人しくしている。こんな日は、隊の仕事も落ち着いたものになり、巡検も早くに終わる。

 昼食を終えて次の仕事にかかるまでのひととき、外に出ていない手隙の隊員たちは、何をするでもなく食堂に留まっている。一足先に詰め所の執務室に戻ろうとして、イースは玄関口と階段のある待合に向かった。そこでは番をしているクワートが、所在なげに雨の音を聞いている。イースの姿を見て、ほんわりと気負うことない心情を口にする。


「班長~~。ティールさんって、何であんな変な人なんですか?」

「こんなところに飛ばされてくる人間だ、俺も含めて皆変人だと思うぞ?」

「いや、そういうのとはちょっと違って……。オレ、ティールさんが実は恐い(・・)んですよね。なのに、どうしても気になるっていうか、あの人に構われて嬉しいっていうか。

 イース班長とかラーグ班長とかは、なんか『軍人!』って風ですっごく憧れてるんですけど、それとはまた違うっていうか」

「ティールが、恐い?」

「はい……あの人、時々全く笑ってない、とっても恐い目をしますよ? なんて言うか、値踏みされてるみたいな。いつも一挙一動を確認されてるみたいで、落ち着かないです。

 オレはまだ兵隊になったばっかりで、今までそんな測られるような目には接してこなかったから、余計に恐いんですよねぇ」


 ディングル市の役人の息子であるクワートは、軍への憧れから地元兵を望んだという。彼にとっての『兵隊』は、見慣れた守備隊の兵でしかないのだろう。

 イース達、前線の軍団兵にとっては、相手の実力を測ることは必須のことだ。

 戦うために相手を測り、生き残るために味方を測る。上官の才能を測り、仲間の能力を測り、部下の行動を測る。前線の兵は、皆そうやって生き抜いてゆくのだ。

 だが、イースがティールに感じるほのかな畏怖は、クワートが感じ取るものとそれほど変わらないのかも知れない。

 出来れば近づきたくない、だが気になって仕方がない。

 『恐いもの見たさ』に近いその感情は、ティール自身があえて相手に感じ取らせているようにも思える。意図的に、相手を選んで。そうやって彼は相手を“測って”いるのかも知れない。



 ――不意に雨の音が変わった。糸のように細い霧雨だが、軍人としての経験と感覚が、その雨の下に誰かがいることを告げてくる。近づくその音に、イースは会話を打ち切り、意識と顔を扉の方に向けた。

 しばらく後に、雨外套に細いぱらぱらいう雨音を立てさせて、詰め所の扉を叩く音がした。客人だ。しかも馴染みの無い。

 町衆ならば、こんな丁寧な扉のたたき方はしない。下手をすれば、(おとな)いの声さえかけずに扉を開けてくるだろう。中の反応を待つ律儀さに、クワートも面食らったようで、助けを求めるようにイースの表情を伺う。


「――どうぞ、お入り下さい」


 しかたなく対応することにしたイースの声を受け、扉を開けて入ってきたのは二人の人物だった。雨外套にすっぽりと覆われ、姿形は判別できない。


「失礼ですが、被り物(フード)はとっていただけますか? ここは兵の詰め所です」

「今、取ろうとしていたところです。外は雨ですよ? 急かさないでください」


 最初に足を踏み入れ、そして気の強そうな声で返答したのは、若い女性の声だった。

 雨水を払って頭部を明らかにした顔は、その声にふさわしい勝ち気な目付きで、端正といっていい整った女性らしい容貌だった。フェフ副長よりは歳上に見えるが、自分たちよりは明らかに歳下。後ろに続く人物も被り物を外したが、こちらは真面目そうな顔付きをした、隊長より歳上にみえる壮年の男性だった。

 彼女はぐるりと待合室を見渡し、目の前に立つイースとクワートを上から下まで睨め付けて、尊大な表情で口元を緩めた。


「ここの責任者は、どちらに? 取り次ぎを」

「まずは名乗られてはどうですか? 見ず知らずの人物を、はいそうですか、と招き入れられるはずもないでしょう」


 どこか相手を下に見た口調に、普段は軽いながらも優しい言動を欠かさないイースの語気が荒くなる。イースはこういう人間が嫌いだ。相手を最初から試すような人間は。


「ふうん? 町で聞いた様子では、もっとだらけているかと思ったけれど、そこまでは非道くないようね。――貴男、軍団兵ね? そこは鈍っていないってことかしら」


 やはり測るような目付きでイースを見上げる若い女性。同じ感覚であろうに、ティールから受けるものとは明らかに違う。彼女から感じられるのは、不快感だ。


「失礼いたしました。我々は軍からの訪問者です。詳細は、責任者の方の前で」


 イースの表情が硬く険しさを見せるものに変わるのを見て、慌てたように男性の方が割って入る。その言葉を裏付けるように、雨外套を脱いだ下に来ているものは、正規の軍装――軍中央に属するものが着る制服だった。彼女も合わせて外套を脱ぐ。その服装は、同じく軍装。

 ルーニックの軍には女性兵もいる。前線に派兵されることは少ないが、要人警護や市中警備などに女性の手は必要だったし、後方支援や事務方には数多くの女性兵がいるため、彼女が特殊ということではない。

 だが、先に彼女が『多分、貴族』と聞かされていたイースとしては、その正体と訪問理由に不穏なものを感じる。多分、彼女たちは……。

 しゃくには障るが、とりあえずの礼儀をもって相手に対応し、ウリヤンド所長とケーン事務官がいる執務室に案内するための支度――雨外套を着ていたとはいえ、濡れたままの姿の客人を、そのまま招き入れる訳にもいかない――を整えさせている間、イースはこっそりとクワートを食堂に遣った。ティールを呼んでこい、と。


 ティールが来る前に客人達の支度は調い、イースは二人を執務室に導いた。あらかじめクワートに伝言を頼んでいたため、所長と事務官は共に部屋にいる。

 まずは形式的な挨拶をするウリヤンド所長に、彼女達は最初と変わらない不遜な態度で勧められた椅子についた。


「それで、軍からの訪問とのことですが、いったいどんな用事でしょうか?」


 ウリヤンドは役付きとは言え、威厳や重厚さには欠ける気質だ。最初から、彼女にはひけたものがあるようで、どことなく弱々しい。

 その台詞を受けて、さらに勝ち誇ったような表情を浮かべた彼女が言葉を返そうとした時、軽やかな訪いの音と同時に、ティールが満面の笑みで入ってきた。


 なんとも絶妙な間合いだ。一瞬で気勢を削がれた形になった彼女は、突然の入室者を睨め付け――その顔に見覚えがあることに、渋面した。

 『あの、お調子ものの兵隊!』との言葉は、さすがに口の中で留められる。

 そんな彼女に、最大限の魅力的な笑顔を振りまいて、ティールは気にした風もなく、嬉しそうに勝手に話し出す。


「班長、お呼びと伺いまして参上しました。所長、事務長、同席させてもらいます!

 確か、インガさんとオーセルさんでしたね? 二日ぶりですね!」


 本人達が名乗る前に、勝手に彼女たちの名を明かすティール。逆に自分たちの名は告げず、職位だけで呼ぶあたりが何とも嫌みだ。

 急に話の主導権を奪われて、インガと呼ばれた女性の方は渋面に怒気を含ませ、オーセルと呼ばれた男の方は狼狽の色を見せる。


「俺の名前覚えてますか? ティールですよ! はい、忘れないで下さいね!

 それで。町での情報収集はもう終わりましたか? 『査察』、ご苦労様です。

 こんな辺境まで来るなんて――軍の『監査官』も楽じゃないですね!」


 勢いよく楽しそうな声と共に、にっこりと浮かべたティールの笑みは、自分たちの存在でもって第25隊の隊員達を驚かせ、今後の主導権を握ろうとしていた彼女たちのもくろみをあっさりと打ち砕く、見事なまでに悪辣な笑みだった。




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