ここに居る理由【その5】
「……うん、とりあえず色々な誤解と勘違いがあるみたいなんで、ちょっと落ち着いて貰えるかな?」
何とか茫然自失を脱したティールは、降参と言わんばかりに両手を掲げて若者に向き合う。先ほどまでの町衆の話では、彼はサイリャと同じ歳だと聞いたが、何となく彼女より歳下に感じられる。
サイリャが大人びた堅実さを持っている所為もあるが、明らかにこの若者は実直ではあるだろうが、青い。気恥ずかしくなるくらい、青い。まぶしいくらいに、青い。
「俺は落ち着いてる!」
「いや、全然そうは見えないんだけど……だから俺の話も聞いてくれないかな?」
「聞かなくったって知ってる!」
「だから、そうじゃなくって、君はちょっと誤解していると思うんだが――」
「誤魔化そうったって、そうはいかないからな! サイリャは俺と結婚するんだから、もうちょっかい出さないでくれよっ!」
「だから、人の話を聞けって!!!」
さすがのティールも声を荒げた。周囲は喜色満面でこの成り行きを見守っている。気付くと、店の外にも人だかりだ。
「あ~、ここに隊長が居なくてよかった……って! なんで俺がこんな目に遭うんだよぉ……最近、非番のたびに碌でもない目にあう……」
「ティール。心配しなくても、明日には誰かが隊長にお話していると思いますよ?」
「……そうじゃなきゃ、お前が話すだろうが」
「とんでもない。自分が話すとしたら補佐官さんの方です。それかイース班長ですね」
「お前、本当に容赦ないな……」
町衆に促されたのか、助ける素振りではないが側によってきたハーガルと、苦笑交じりの会話を交わす。
恋に目がくらんだ若者は微笑ましいが、自分がその当事者となると話は別だ。ティールはどうやってこの始末をつけようかと、目の前でギャンギャンわめく若者を宥めながら思案に暮れた。その肩をハーガルが慰めるように叩く。
「ここは一つ、礼儀として一発くらい殴られておいてはどうですか?」
「お前、他人事だと思いやがって……何で俺が痛い目に遭わなきゃならんのだよ」
「反撃したら、補佐官さんに告げ口しますからね?」
「はぁぁ……今日は厄日だ」
とはいうものの、ハーガルの提案には一理あるかも知れないと考えるティールだった。
目の前の若者は完全に舞い上がっていて、話が通るようには思えない。また道理を通した説得にかける時間も足りない。
仮にもティールは軍人だ。商人の若者から全力で一発くらい喰らったところで、大した損傷を受けることも無いだろう。ちょっと痛いと感じるくらいだろうし、その方が若者も落ち着くだろうし、そして町衆も納得するし――何より喜ぶ。
観念してその提案を若者に告げようとしたティールだったが、それより先に思わぬ助けが舞い降りた。いや、周囲からすると、より盛り上がる材料の登場だった。
「もぅ! ベイス!! もう彼は関係ないって言ったでしょ! 格好悪いことしないでよ!! 恥ずかしいったら!!」
歓声と人混みを掻き分けて、ティールとベイスと呼ばれた若者の間に割って入ったのは、当のサイリャだった。
先にティールと目を合わせて軽く会釈しただけで、彼女はベイスの肩を掴んで向き直る。そして気勢を削がれた彼を窘め宥めるように、その赤い頬を軽く叩いた。
――その行動だけで、サイリャの心がすでにティールには無いことが、少なくともベイスには伝わっただろう。伝わっていなければならない。
彼女が助けに入り、そして向き合っているのは彼だ。彼女が、その生涯を共に歩むと決めた相手だ。
「ごめんなさい、ティール。この人、悪い人じゃないの。ちょっと馬鹿なだけで」
「ああ……別に何もされてないから良いよ、気にしてない。しばらく見ないうちに、ますます綺麗になったね、サイリャ。髪も切ったんだね」
「ありがとう、貴方にそう言って貰えると嬉しいわ。相変わらず目敏いわね」
にっこりと微笑むサイリャ。彼女は強いのだろう、色々な意味で。ティールはそんな彼女の強い輝きを好ましく思っていたのだ。
だが、彼女は自分自身をよく知っていた。
自分の立ち位置を、見誤らない賢さを持っていた。
そして自分が恋い慕った相手を、きちんと理解していた。
「なんだよ~もうお終いかぁ?」
「そうでーす! はいはい、おじさん達も皆さん、解散してよね! 私たち、見世物じゃないんだから! 顛末が知りたきゃ、うちの店で買い物してからね!」
「サイリャはこれだからなーー」
「ベイス坊ちゃんよぉ~。お前さん、いい嫁さん捕まえたぞーー」
「ちょーーーっと気が強いけどなーー」
サイリャの明快な言葉に、修羅場を期待していた町衆達も諦めて散り始める。
どこまでも悪意の無い笑い声と激励の言葉。この場では一番の新参者となるベイスを、町衆はもう既に「サイリャの婿殿」として歓迎し受け入れているのだ。
単なる看板娘では無い、家付き娘として既に采配を振るいつつあるサイリャは、ベイスより遙かに商売人に向いている。
傍から『猫の目』で見ていたハーガルは、この二人の行く末がほんの少し気になった。良い方の意味で。きっと町衆にとって、彼らはいつまでも“今のような関係”の二人として取り扱われるのであろう。きっと代替わりしても「ベイスの店」とは呼ばれることはない。間違いなく「サイリャの店」だ。
町衆からは、サイリャがティールを選ばなかった理由は、店の件だと思われている。軍団派遣兵として、いつか“出て行く”ティールを婿には出来ない。
だが、そうではないことをハーガルは知っていた。彼女自身から相談されていたのだ、知らないはずがない。彼女は、親に反対されようが自分が家を出ることすら候補に考えて、ティールとの将来を考えていたのだ。
その上で彼女が選んだ道が「彼」だというのなら、それはそれで良いとハーガルは思う。サイリャらしい堅実な選択だ。冷たいようだが、自分には関係の無いことだ。
「さっ、ベイスも店に戻って! お父さん、怒ってたわよ」
「……うん、ごめん、サイリャ」
「謝るのは私じゃなくて、お父さんと兵隊さん達に、でしょ? 本当にごめんなさい、ティール、ハーガル。見世物になっちゃったわね?」
「いいよ、サイリャさん。どうせ自分達第25隊は、この町の娯楽だから」
「お前は一緒に見てただけだろうがっ」
恋女房(正確には未だ婚約者だが)に叱られ意気消沈するベイスを余所に、三人は慣れた様子の会話を交わす。今期の第25隊と町の人々との関係性を、如実に表す姿だった。
店を辞するにあたって、店の主人には騒がせた詫びの意味で少し多めに支払おうとしたが、主人は逆に『今度もぜひウチでやってくれ』という訳の分からない言葉と共に、半分しか受け取らなかった。おかみさんに至っては『次は班長さんあたりがいいわね~』と言い出す始末だ。隊員達をなんだと思っているのやら。
* * *
店に戻るベイスと詰め所に戻るというハーガルと別れ、日が陰りつつある中をティールはサイリャと並んで歩いた。町の門まで送ると彼女が言い出したのだ。
歩みながら交わす会話には、気負ったものも慮ったものも何もない。二人の関係は「お互いに失恋した」と呼べるような終わりだったが、二人共に前を向いて歩ける人間だ。
ハーガルが言うように、ティールがこの冬にこの地を去ることになったとしても――サイリャは寂しがってはくれるだろうが嘆きはしないだろう。それはティールも同じだ。
だがティールはどうしても一つだけ聞いておきたいことがあった。今日、ハーガルから聞かされた話についてを。
「なぁ、サイリャ……。俺、そんなに分かりやすかったか?」
不意に尋ねられた質問の意味を、サイリャはしばらくは掴みかね――その瞳を覗き込んで探った。彼の青い瞳は異郷の地を感じさせる。
ルーリックの王都から来た、恋い慕った相手。その瞳の奥底に深く隠され、常に揺らぐものに気付いたのは、彼女が本当に彼に恋していたからだ。
「ごめんな、残酷な真似をして。謝らなきゃいけないのは、俺だよな」
「そこで謝られると、本当に私が惨めになるから止めて欲しいわ」
恋した相手に詫びられることは、自分の矜持が許さない。それだけの強さを彼女は示すことが出来る。短い間ではあったが、彼女は彼の“恋人”だったのだ。それを、彼自身が否定することを、彼女は決して許さない。
「私だって純粋じゃなかったもの。貴方を好きだったことは間違いないけど、でも執着できるほどじゃなかったわ。
私、ずっとこの町で生きて、店を継いで、この町で生涯を終えることを疑ったことはなかったわ。でも貴方に出会って、そうじゃない人生にちょっとだけ夢をみたの。この町を出て、誰かと共に幸せになりたい、なれるかも知れないって」
「でも俺じゃ無理だった?」
「うん、そう。貴方とじゃ、私は幸せになれない。
貴方は私を幸せにしてくれないし、私も貴方を幸せにできない。
どんなに小さくても、たとえ見えなくても、私はやっぱり幸せを感じたい。そんな幸せをつかめない人生を、私は選びたくなかったわ」
サイリャには外の世界への憧れがあった。自由にもなりたかった。だが、その自由の代償を見誤らなかっただけだ。
「言い訳だけど……俺、サイリャのこと、好きだったよ」
「うん、知ってる。それは信じてるよ。
でも『一番』じゃないし、絶対に『唯一』にはなれない『好き』だよね。
女って贅沢なんだ。そんなの絶対に嫌。少なくとも、私は我慢なんかしない、できない。
――絶対に忘れられない相手がいて、その人をいつまでも想い続ける人の側では生きられない。
ごめんなさい、私も貴方を幸せにはできないわ」
「そっか…………隠しきれてると思ってたんだけどなぁ、ちょっと自信が揺らいだなぁ。
でも彼、いい奴だね。サイリャの目は確かだよ。俺が保証する」
「ありがとう。ちょっと馬鹿なんだけどね」
「――彼は君を幸せにしてくれるよ、きっと」
お互いに真剣に恋した気持ちに偽りは無い。ただ重ならなかっただけのことだ。
恋した相手の幸せを、ティールは心から願った。サイリャも同じように願っていてくれることを彼は知っている。
黄昏色に空が染まる。ティールはこの時分の空が好きだ。
鮮やかな赤金の輝きと、どこまでも深い青と茜の空。泣きたくなるような空の色に、一番星が輝く。
夜明けの陽よりも、没する陽の方が眩しい。それは、その日の終焉を、誰よりも世界が労っているからではないだろうか。その金色の輝きは、なにもかもを優しくさせる。
一日を終わり、また新しい日を迎える。そんな日々の暮らしを人はいつまでも繰り返してゆく。別れを繰り返し、出会いを繰り返し。それを愛しいと思えることこそが、幸せなのかも知れない。
誰かを抱きしめて幸せを感じるのは、きっと哀しみや苦しみがそこにあるからだ。人と出会い、人と別れ。それはあらゆる意味で、人の根源を成すもの。
ティールが兵営に着いたのは、夕食前ぎりぎりだった。
いつものように皆と語り合い、隊長が補佐官さんにあしらわれる姿を眺め、隊長にフェフ副長が揶揄われる光景を皆と笑いながら見つめ。
そんな日々がずっとは続かないことを、ティールはもう知っている。
ここに集ったのは偶然だった。だか、確かに理由があって、ここに皆は居る。それでいいじゃないか。それを幸せと思おうじゃないか。
いつもとは少し違う瞳で、愛おしげに皆の団欒を眺める彼を、隊長と補佐官が見つめている。その表情はどこか切なげで、それ以上に至福に満ちていた。優しいその視線は、落陽の輝きにも似て全てを包み込み――過ぎてゆく日と、巡り来る明日の中で、愛と哀を教えてくれる。
そのことにティールは気付いたが、それ以上は特に気にしなかった。
――結局、彼は気付かなかった。彼らの視線の、本当の意味を知ることになるのは――ティールが二人と別れてからのこととなる。
その夜、ティールはイース班長の部屋の戸を叩いた。班長は一人部屋だから都合がいい。手には酒瓶を持って。
「イース班長~。報告書の手伝いしますから、今夜はちょっと俺と付き合いませんか?」
「あれ、ティールからお誘いとは珍しいね? いいよ、いいよ。一体何を話してくれるのかなぁ~?」
「ふっふっふっ……」
「…………なんだか、とっても嫌な予感。やっぱ、やめた」
「イース班長~? ちょっとばかり、お互いの“忘れられない青春”ってやつを話しませんか? 皆には内緒で」
――終わり――
今回の主役はティール……のはずが、ハーガルの方に力が入ってしまいました。『猫』は皆、性格がよくありません。書いていて楽しい。
また、ようやく女性を出すことができましたが、男ばっかりの話にならざるを得ない舞台設定。後半の話(章)では二人ほど女性の登場人物がいますが、あまり彩りはありません。すみません。
この【隊長さん】は、自分の中では会話文が多く、地の部分が少ない方の作品です。意図的に書いていますが、慣れないながらも意外と楽しいです。読み辛かったら申し訳ありません。段落は少し多めに作ったつもりですが、未だネット小説形式への最適化が難しく、試行錯誤です。
次章はイース(とラーグ)のやらかし組です。時期的に、少し次章投稿までの間が空いてしまうかと思います。しばらくお待ち下さい。