少年と能力者【その1】
-----[2016.03.29]
前後編で投稿したものを4分割しました。一話あたり5000字程度に減らしています。改行位置以外の変更はありません。
「隊長さーーんっ!」
焦っているようで、どこかノンビリとした雰囲気を隠せない若い声に呼ばれ、アンスーズは雑草抜きの手を止めた。
春先の心地よくも気怠い午後の風と日差しは、ぼおっとしていると眠気を誘う。この隊で最も恐い隊長補佐官の怒りを買わないためにも、身体を動かしましょう!と、第二班の面々と始めた畑の雑草抜きだが、さすがに8人がかりだと早い。見渡せばすっかり畝はきれいになっている。
だが、しかし。
「うぉっっとっとっとっ」
呼び声に応えるために立ち上がった彼の腰は、ピキッときしむ。屈み作業に熱中していて、殊の外身体に負担が来ていたようだ。あやうい足下がふらつき、そのまま畝の上に崩れ落ちた。ようやく本葉が4枚になったばかりの苗が、ぐちゃぐちゃと畝ごと崩される。
「ぎゃーーっ! 隊長~~何してくれんですかっ!!」
「あああ~っ 俺の苦労が水の泡に~っ」
涙目になって、隊長より先に野菜の苗を心配する部下たちを尻目に、隊長ことアンスーズは半身を起こす。隊服は土まみれ、靴の中にまで土が入り込んでしまっている。
「……お前ら、ちょっとは上司を心配する振りくらいしろよ」
「どうせ屈みっぱなしで脚がしびれたか、腰が直らないだけでしょうが! 四十手前のオジサンの心配より、若々しい未来の食材の方が大切です!!」
一番側で作業をしていて、真っ先に隊長を突き飛ばして苗を助けた第二班長ラーグは、隊長の泣き言など意に介さない。事実、その通りだったので隊長も何も言えない。ラーグとの付き合いは、この地に赴任する前からで気心が知れている分、彼らは一層容赦ないのだ。
せっせと畝と苗を元通りに修復する彼らを『やれやれ』と眺めて、隊長は痺れる足をなだめながら、今度こそ立ち上がって当初の目的に戻った。
丘の向こうから駆けてくる若い声の持ち主は、この辺りで一番規模の大きな羊飼いの息子であるコール少年だ。少年といっても、もう14歳。立派に父兄の手伝いをして、羊の母子の一群を任されている。ただ、何かと遣り手の父やしっかりものの二人の兄と比べると詰めが甘いというか、どこか抜けているというか。何かと隊の「世話」になることが多い少年だ。
今回もきっと何か面倒が起きたのだろうか。しかし雰囲気からして、狼がでたとか不審者を見つけたとかいった切迫感はない。いつものように「ちょっとやらかした」というところだろう。
隊の面々も、あまり切羽詰まった感じではない声に、畑の方に神経を向けている。息を切らして兵営までやってきたコール少年は、柵にもたれかかってまずは息を整えることに集中した。
「おーっ、一生懸命走って。どうしたんだ、コール?」
「ぜぇはぁ……み、水が欲しい……」
「――どうぞ」
柵に両手を掛けてうつむいたまま、息を整えるコール少年。木椀で差し出された冷たい水を受け取って、少年は一気に椀を空けた。ぷはぁ、と息を吐いた彼は『ありがとう』と続けようとして、そのまま硬直した。
「えっ……ほ、補佐官、さん? い、居たの?」
「ご挨拶ですね。私が兵営に居て、何が変なのですか」
何気ない動作で少年に水を渡した青年は、この地に駐在する東北国境守備隊第25隊の隊長補佐官。その彼が、穏やかなようで全く笑っていない無表情のまま、少年から空になった木椀を受け取る。
着任して2年。今期の隊長の、いい加減さと出鱈目さが知れ渡っていることと同様に、彼の冷厳さは町の人々にもよく知られている。
「べ、別に変ではないです、はい。み、水、ありがとうございました……」
「――隊長に用があり、私が居て動揺するということは……コール君。あなた、また勝手に副長を使いましたね?」
澄んだ蒼穹の青眼を冷眼に変え、眉間に僅かにしわを寄せてコール少年に詰め寄る補佐官。何一つ構えた所はないというのに、そのにじみ出る迫力に押され、少年はすでに涙目になって隊長にすがりついた。
「まぁまぁ。幼気な少年を脅すな、ソーン」
「自分の不始末を隠すために、勝手に隊員を使う要領のいい人間の、どこが『幼気』なんですか。隊長? 貴方、自分の立場と役割をきちんと認識しておいでですか?」
冷たく切って捨てる補佐官の言葉は正しい。分かっているだけに、コール少年も涙目なのだ。
隊長補佐官を務める青年ソーンの為人は、一言でいうと「冷厳」だ。しかし、血も涙もない非道な人間という意味ではなく、要は堅物なのだ。真面目で融通を利かせにくい。規律を守り、秩序を尊ぶ。隊長以下、この第25隊の行動の規範、というか防御線となっている人物だ。まあ、この隊長の補佐官を10年来務めるには、これくらいの硬い神経がなければ無理なのかも知れない、と他の隊員達は実感している。
「んなこと言ったって、町の人々の役に立つのも我々の仕事だろう? で、コール。どこだ?」
「……三本楡の丘のところです。『また副長が捕まったんで、隊長を呼んでこい』と、イース班長さんが」
「イースも、もうちょっと上手に呼び出しゃいいのになぁ。この時間じゃ、ソーンが居ることくらい、わかってるだろうに」
やれやれと、わざとらしく肩をすくめて補佐官に向き合う隊長の表情は、にやにやとしたものだ。明らかに、この状況――コール少年の不始末で副長が「捕まって」困り、その事実を知った補佐官の機嫌が悪くなり、それを知られたコール少年が困っている事態を、楽しんでいる表情だ。
「んじゃ、ちょっと行ってくるか。お前ら、畑が終わったら、次は掃除しとけよ」
まだ畑にかかり切りになっている第二班の面々に声をかけ、隊長は気軽に丘の方に脚を向けた。後ろからラーグを始めとする第二班の、不承不承の返事が聞こえる。
ガツンッ。
柵を越えて歩き始めたその後ろ姿に、ヒュッっという音と共に固い物が投げつけられ、それは正確に隊長の後頭部を直撃した。
「隊長、忘れ物ですよ?」
「っっぃてぇ~っ!! おい、投げんでもいいだろう。しかも手加減してねぇな?」
後頭部を押さえ、投げつけられた金茶色の腕輪を拾い上げて、隊長は補佐官に抗議する。補佐官という役職は事務方を表すものではない。彼とて実戦経験も豊富な、歴とした職業軍人。その威力は一般人の投擲とは比べものにならない。
「そもそも『捕まっている』副長の所に行くのに、それを忘れてどうするんですか。第一、その腕輪は常に装着義務があるはずです。そのぼんくら頭を刺激しないと、思い出せないようですので」
「こんなもん、無くったって……」
「義、務、で、す」
「……一言ずつ区切って言わんでもいい」
コール少年に向けていたものを遥かに凌駕する冷眼で自らの上司を睥睨する彼に押され、仕方なく隊長は腕輪を装着する。重くて邪魔なこの軍の装備品は、隊長の嫌う物の一つだ。副長が側に居ないときには、たいてい外している。そして外した腕輪は、常に補佐官に確保されている。
「さっさと行って下さい。でないと、第一班も見回りから戻って来られないじゃないですか」
「へいへい、人遣いが荒い、優秀な補佐官サマのおっしゃるとおりで」
「ええ、私は素晴らしい上司を選んでしまった、とても優秀な補佐官ですよ」
この二人の舌戦(時には肉体言語も混じるが)は、いつものことだ。口調こそ丁寧だが、ソーン補佐官は誰に対しても同じような感じなので特に意味はない。却って慇懃無礼が滲み出ている、と感じるのは誤りではないだろう。
この国の軍組織では、補佐官は軍団指揮官および守備隊の隊長職以上の上級士官に付く、下級士官待遇の副官だ。多くは上司となる上級士官の作戦行動を支える傍ら、実地訓練を受ける、将来の上級士官候補。普通ならばもっと上下関係のしっかりした、いかにも軍人組織的な人間関係のはずだが、この隊長にしてこの補佐官ありというか。
第二班の班長を務めるラーグは、次の夏で彼らの部下となって4年になる。まあまあ長い付き合いと言ってもいい彼からみても、この二人の関係は愉快だ。通常は長くても4~5年程度で昇格し、退くはずの補佐官職。
だがソーン補佐官は軍人となって以来の10年以上、ずっと務めていると聞く。しかも代わることなくこの隊長と共に、だ。それは本人の希望によるものだと、知己の軍監査官が教えてくれた。それを認める軍の方もどうかと思うが、この隊長の補佐官を務めこなせる人物に当てがないのか、現状に変わりはない。
この二人だからこそ、降格されてこんな田舎に飛ばされた彼らと一緒に居ようと、第一班長を務めるイースと共に自分も飛ばされる気になった。色々思うところはあるが、この隊長は結論として「頼れる上司」なのだ。そしてその上司を的確に支援できるのはこの補佐官だけ。ラーグ達は、自分たちの上司として最初に過ごした半年ほどで、そのことをよく知っている。
そんな掛け合いのような会話を聞き流しながら、第二班長ラーグは残された哀れな子羊に意識を向ける。この後の展開も読めるのが面白くもあり、可哀想でもある。
「……では、コール君。お父さんとお兄さん、どちらに報告して欲しいですか?」
「えっ! ……えぇ……どっちでも一緒です、はい。……母じゃ駄目ですか」
「駄目です。では行きましょうか」
町のお嬢さん方からは『特別観賞用』と評価されている眉目秀麗な顔に、先ほどまでの冷眼からは打って変わった、一瞬見惚れるほどにこやかな笑みを浮かべた補佐官は――とても恐い。この笑みがもたらす恐怖を、すでにコール少年は何度か味わっている。――だったら懲りろ、とラーグは思うが。
町一番の牧羊家だけあって、折り目正しく仕事に厳しいコールの父兄は、何度目かになる「自分の不始末を、兵隊さんに頼って困らせた」この事態を、ソーン補佐官から“懇切丁寧に”説明を受け、同じ位“懇切丁寧に”少年を指導することだろう。
すでに意気消沈したコール少年を先導させ、町の方に向かう補佐官を見送る第二班の面々は『次にコールが同じ失敗をするのは何時か』という賭に興じることにした。この隊長にして、この補佐官があり――この隊員あり。
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