四・バースディ〜聖譚曲(オラトリオ)・2
「子供でも作るかなぁ」
休みの日、突然彼女の言い出した言葉に、彼はコーヒーを噴いた。
「誰とっ!?」
後ずさりながら問い質す。まさか自分とソウイウコトをするつもりなんじゃないだろうなと警戒心がありありと出ている。
「アンタじゃないわよ」
彼女のほうもヒラヒラと蝶のように手を振って否定する。
同居を始めて四ヶ月目。色恋沙汰とは程遠い仲のままだ。
「驚かすなよ、襲われるかと思っただろ」
「普通、逆じゃない? それ、あたしが心配することじゃない? なんで男のアンタが心配すんの」
「あんたヘンジンだから何するかわかんねぇし」
「ひどっ!」
怒るでもなく、彼女はゲラゲラと笑った。彼女の様子にあきれて、自分の噴いたコーヒーを拭い、彼は彼女を見る。
「恋人でもできたのか?」
「へ、なんで」
彼女は不思議そうに訊き返す。
「何でって、子供つくろうかなとか言ってるから」
てっきり意中の相手でも出来たのかと思った。それなら自分は邪魔だから出ていかなくてはならないかなとも、思った。
「彼氏なんかいないよ。知ってるでしょ」
にんまり笑って彼女は言う。『ヘンジン』の彼女に恋人はいない。一瞬彼はからかわれたのかと思ったが、彼女は本気だ。きっと本気だ。
この上もないくらい、本気で言っているのだろう。
「……相手いないのにどうやって子作りするんだよ……」
「いや、気合でー」
「できるかぁっ!!」
「だってヒマだし」
ヒマだから、気合で。
「ほら、子守もちょうどよくいるし。チャンスかなぁと」
アホだと、思った。というか、子守って誰のことだ。問わずとも彼のことを指しているのだと充分に分かったが。
「あんた、生まれてくるときに常識とかモラルとかそんなもん全部置いてきただろ? そんで冗談とか悪趣味とかそういうもんで身体を構成してるだろ、絶対」
ゲンナリとツッコむ彼に、彼女は笑う。
「上手いこと言うねー」
「褒めるなっ! イヤミも通じないのかあんたはっ!」
「ちょっと、ポチ。肩揉んでー」
「ポチ違う」
ソファに寝転がっている彼女。床に転がって雑誌を呼んでいる彼。
「じゃあコロ。肩揉んでー」
「コロ言うな」
ビールの缶を口に運び、テレビを見ている彼女。寝返りを打ってうつ伏せになる彼。
「じゃあバイオレンストロピカーナエクセレントボンバーマン。肩揉んでー」
「いきなりすっ飛んだなオイ。しかもなんだよそれ。適当に言っただろ」
うつ伏せになった彼の背中を足を伸ばして踏む彼女。転がって避ける彼。
「じゃあオカマ。肩揉んでー」
「違うっ!! 断じて違うぞそれはっ!!」
ケラケラ笑う彼女。ようやく起き上がる彼。
「いいから肩揉めー」
「命令かコラ」
同居半年。総じて上手くやっている。
クリスマスとか、正月とかを彼女と彼はすごして、バレンタインデーにはいかにもお義理のチョコをやり、ホワイトデーには三倍返しどころか三十倍返しを要求されて理不尽だと叫びながらも結局二倍返しでお返しをし、誕生日には『ヲホホホ、アンタもひとつひとつじじぃになっていくのねー』『やーい、ますますババァになったな』などと嫌がらせのプレゼントをし合い、笑いながら時間は過ぎた。
恋人じゃない。友人でもないかもしれない。
そんな関係の、彼女と彼。
同居して、一年が過ぎようとしていた。
「家に、帰ってみようかと思う」
真剣な表情で彼が言い出したとき、彼女はうんと頷いただけだった。
悲しそうでもなく、嬉しそうでもなく、いつものように、ごく普通に。
「気ぃつけて行ってらっしゃいな、アンタけっこうドジだからねー」
「うるさいな。あんたに言われたくないよ」
小さなバッグに荷物をつめて支度する彼は、少し迷っているようだった。でも、彼女は止めないし、背中を押すこともない。
「……あのさ」
「なにかなー?」
「ここ、帰ってくるから」
振り向かないまま、彼は彼女に言う。ここに来て、彼の物は増えた。来たときにはバッグひとつなかったのに、今はバッグひとつでは収まりきらない。
「おれ、鍵持ってていいよな。バイト、休むだけで辞めるわけじゃないし」
この場所に戻ってきていいかと、おそるおそる彼は訊く。
それを聞いて、彼女は。
「あたりまえでしょー」
笑っていた。
恋人ではない。もしかしたら友人とも言えないかもしれない。
そういう、ふたり。