四・バースディ〜聖譚曲(オラトリオ)・1
道にへたり込むようにしている彼を助けたのは、何故だったのか。今だに自分にも分からないと、彼女は思う。どう見ても家出少年だった。
何の理由で家を出たのかは分からないが、とにかく未成年で親の保護が必要な年頃であることには違いない。
下手をすると助けた彼女のほうが未成年誘拐とか言われないだろうか。
「なんでかしらねー」
芋の皮をむきながら呟く。今夜はカレーの予定だ。
作るのは四人分。なんせ彼は育ち盛りの高校生。一人で三人分食う。
「食費だって馬鹿にならないのにさー」
むきむき。次はニンジンの皮をむく。
「捨て猫や捨て犬ならまだしも、よりによって人間拾うか、あたし」
一人暮らしのOL五年目。特に裕福なわけでもなく、恋人でもいたらちょっとは人生楽しいかなとも思ったりもするけれど。
「高校生拾うことないじゃんねぇ。生活力ない、金もない。あるのは若さと後先考えない突進力だけなのにさー」
「だーっ、うるせぇなっ! 拾ってくれなんて頼んでないだろがっ!! 大体バイト見つけてきてなんぼか払ってるだろう!!」
たまねぎを切っていた彼は、目の前でグチグチ言われるのに堪えかねたのか、さすがにツッコみを入れてきた。
「コンビニのバイトくらいで威張られてもねー。せめて正社員でしょ」
ふっとあざ笑ってやる。
「……分かった。土木作業でもやってくる。日払いで割がいいとかって聞いたし」
「あっはっは、アンタに勤まるわけないでしょーよ。ひょろひょろなくせして」
ゲラゲラ笑ってやると、すねたらしくそっぽを向いた。
家出少年を拾って、同居生活が始まってはや二ヶ月。
妙齢の女性と年下の高校生男子。言葉だけ並べると色っぽい展開になりそうな組み合わせだが、実際そんなことはお互いに毛頭考えていなかった。
彼女のほうは生活力のない年下などごめんだったし、高校生男子のほうは二十歳越えたおばさんなんてごめんだと言い放ったくらいだから。
脱ぎたてのパンツを洗濯させる女と、その下着に、こんな変なパンツはいてるなよババァと言い捨てる男子である。色っぽい展開になりようがない。
『アンタもおかしいわよね。ここにこんなに素敵なおねえさんがいるっていうのに、ハァハァしないわけ? 高校生くらいって年上に憧れない?』
などとからかったこともあったが、返答はひとこと。
『おばさん相手にハァハァする変態じゃねぇ』
二十代前半の女性におばさんと言い捨てる暴挙に出た男子には、きちんと『しつけ』をしておいたが。
「今日は何時よ?」
「いつもと同じ」
今、彼は夜間、コンビニの店員アルバイトをしている。彼女の弟ということになっているが、店の人がそれを信じてくれたかは分からない。
別にどうでもいいと思う。彼が出て行きたくなったら出て行けばいいし、居たいのならいればいい。
そんな関係。
変な女。
第一印象はそれだった。道に座り込んだ自分を、ほかの人間は見てみぬフリでどんどん通り過ぎて行くのに、彼女は止まり、話しかけてきた。
『よっ、家出少年。行くとこないのか、なっさけなーい』
いきなり馬鹿笑いされたときには驚いた。馬鹿にされたと感じるよりもまず真っ先に驚いた。次に、酒でも飲んでいるのかと思った。夜半だったし、酔っ払いが絡んできたのかと。
だが、彼女はシラフで、心から本気だった。
『よし、拾ってやる。来いっ、ポチ』
襟首を掴まれて連行された。暴れる気力もなくなっていて、どうでもよくなっていたからおとなしく連れて行かれた。連れて行かれた彼女のぼろっちいアパートの部屋で、温かいご飯を食べた。
何を企んでいるのかとも思ったが、彼女は平然と言ったのだ。
『その辺で寝れば? 好きにしなよ。出て行きたいなら出て行っていいし、居たいならいなよ。あ、布団は押入れ。寝る前に風呂に入れ。不潔なのは許さん。洗濯もテキトーにすること。ついでにあたしのもしておいて。それからあたしが寝てるとこに夜這い仕掛けてきたら、去勢するから。将来結婚したとき奥さんに泣かれたいならどうぞ』
第二印象。やっぱり変な女。
というか、常識的に考えておかしいだろう。どう見ても家出と分かる未成年男子を、あっさりと連れてきて、そのまま居座らせるなんて。
しかも拾っておいて(強引に連れてきておいて)自分でもなんで拾ったのか分からないと首をひねっているなんて、どう考えてもおかしい。
家に帰れなんて一言もいわないし。
第三印象。どこまでも変な女。
同居生活十日ほどで、彼女に対するイメージは明確に固まった。
恋とか愛とか、そんなものはないと思う。どうして一緒にいるのか分からない。
でも、別にイヤじゃない。だから一緒にいるだけで、特に意味はない。
彼と彼女は、そんな関係。