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組曲〜移し身の双子〜  作者: マオ
15/22

参・ホスピタル〜夜想曲(ノクターン)・4

「約束、したからね」

「頂戴ね」

 和人の目の前で、双子は少女の肩を撫でた。何を約束したのだろう。会話は遠くて聞き取れなかった。和人に聞き取れたのは会話の終わり際の二言だけである。

 双子は片方が笑い、片方は無表情のまま人並みにまぎれてしまう。

「友達かい?」

 声をかけると少女が和人を見上げて笑顔になった。

「こんにちは、おにいさん」

「こんにちは。今の、お友達?」

「ううん。今話しかけられたばっかり。なんだか不思議なおねえさんたちだったよ」

 彼女の友人ではないらしい。今話しかけられたということは、親しい知り合いが見舞いに来たというのでもない。

「なにを約束したんだい?」

 頂戴。そのひとことが耳に焼き付いている。

 どうしてなのか分からない。でも、あまり良くないことのような気がしている。もしかして金銭や何かを要求されていたのかと、そんなことをふと感じた。

「うーん、よく分かんない」

 少女は首をかしげている。この様子では何かを脅し取られたとか、そんな物騒なことではないようだ。あの双子もそんなにガラの悪そうな感じはしなかった。

 でも、胸騒ぎがするのは何故だろう。

 落ち着かない。

「あのさ、今度あの二人が来たら、誰か大人を呼ぶんだよ。おれでもほかの人でもいい。カンゴフさんでもいいから、とにかくひとりで話しちゃだめだ」

「悪い人なの? あのおねえさんたち」

「いや、それは分からないけど……でもなんか……なんか分からないけど、とにかくだめだ。いいね」

 少女を説得できる材料などない。こんな曖昧な言葉で彼女が分かってくれるかどうか分からないけれど、とにかく、あの双子に会わせてはだめだ。

 何故そんな風に思うのか分からないまま、和人はとにかく双子には会うなと言い続けた。

 意味があるのかないのか、自分でも分からないまま。



 夜。

 和人の退院が近付いていた。もともと単純な骨折である。完治するまでにはそれなりに時間がかかるが、ずっと入院するほどの怪我ではない。ギプスさえしていれば日常生活は可能なのだから。

 退院。最初はあれほど早く退院したいと思っていたはずだ。

 速く退院させろと看護師に駄々までこねた。

 が、今はあまり退院したいと思わない。多分、少女のことが気になっているからだろう。

 この短い時間で、和人は少女のことをすっかり妹のように思っていた。

 少女と話をするのが楽しいというのもあるだろう。ほかの脱走患者たちも、それで退院することを惜しんでしまっているのだ。

 退屈な入院生活に、一筋の楽しみを与えてくれた少女。

 次々と退院していなくなる患者と違って、彼女は病院から出られない。この先ずっと出ることもない。

 外を知らない、小さな少女。

「おにいさん、もうすぐ退院するんでしょ? 良かったね」

 少女はにこやかに言ってくれる。外に出られない悲壮感など彼女には見受けられない。

「あ、うん。そうだね」

 頷き、和人はいたたまれなくなる。これは小さな同情だろう。必死に闘病している彼女に対して、失礼なくらいの同情かもしれない。

 ちっぽけな心配だ。赤の他人が向けるもの。この先退院したら、少女とは二度と会わなくなる可能性が高いというのに。

「お見舞い、来るよ」

 思わず言っていた。小さな彼女の笑顔を曇らせたくなくて。

「ほんと?」

 彼女は嬉しそうに笑った。本当に本当に嬉しそうに笑った。

「来るよ。どうせ足の診察受けに来るし。ギプス外すにも病院に来ないとならないし」

 重く考えてほしくない。でもついでと思われるのもイヤだ。

 喜んで欲しい。そう思うのは確かなのに、あまり期待されても応えられないと思う自分がいる。

 卑怯だな。苦く思った。

 少女は笑っていた。本当に来てくれるのと訊き返しもしない。信じているのか、それともただの挨拶と割り切っているのか。

『外へ出たいと思ったことはないの?』

 以前ひとりの退院間近の脱走患者が少女に訊いたことがあった。即座にほかの患者に押さえ込まれて口を塞がれていた。そんな残酷なことを訊くなと、皆が思った瞬間だった。

 けれど少女はにこやかに言ったのだ。

『ないよぉ。倒れちゃうもん』

 儚い笑顔のまま、残酷な問いに平然と答えた。

 真っ白な彼女。

「なにか欲しいものとかある? おれのできる範囲なら持ってくるよ。あんまり高いものは無理だけど。最新のゲームとか言われたら勘弁してくれって泣いて謝る」

「あははは、んとね、タンポポほしい!」

 身を乗り出すようにして、少女はそう願った。

「タンポポ? 花の? 道端に咲いてる?」

「うん、そう! 道に咲いてるタンポポ!」

「そんなんでいいの?」

「うん! 触ってみたいの!」

 道端に咲く小さな花を、小さな女の子は願った。病院の窓から見える景色で、春先に見る小さな黄色い花に、触ってみたいと。

 花の香りを嗅いでみたいと。

「分かった。たくさん摘んでくるよ」

「ちょっとでいいよ。あんまり取っちゃうとかわいそうだから」

「んじゃ十本くらい」

「うーん、五本くらい。ほんとは一本でもいいんだけど」

 タンポポ。必ず摘んでこようと和人は思った。こんな小さな約束くらい護ってやろうと。

 大人なのだから、子供のささやかな願いくらいはかなえてやりたかった。



 夜。夜。夜。

 幾度かの夜が過ぎ、退院の日が来た。

 迎えに来たタクシーに荷物を載せ、それから和人は病院の窓を見上げた。

 少女が入院している部屋は五階。正面玄関からは見えない場所だ。

 でも、見上げた。

 彼女の姿は見えない。当たり前だ。ここからは見えない場所に彼女の病室はある。

 見送りには来られない。昨夜から熱を出しているらしいと看護師に聞いた。

 あまり具合が良くないのだろうか。

 約束のタンポポは早く持ってきたほうがいいかもしれない。

 少女が少しでも元気になるように。


        ***


 夜。

 混濁していく意識の中で、確かに聞いた。

「約束、したからね」

「頂戴ね」

 いいよ、あげる。

 あげるから、お願い。

「かなうよ。それが貴女の望むカタチとは限らないけれど、かなうよ」

 よかった。

 なら、よかった。

 ほんとに、よかった……。


        ***


 昼。

 五本のタンポポと、可愛らしい小さな花束を花屋で買って、和人は病院を訪れた。

 五階の彼女の病室に、少女の名前はなくなっている。

 どうして。

 そばにいた看護師を捕まえた。どこか違う病室に移動したのかと。

 いいえ。看護師は首を振る。そして和人は彼女との約束を果たせないと知った。

 小さく細い、白い少女はもういない。

 五本のタンポポ。あんなささやかな願いすら、自分はかなえてやれなかった。

 永遠に果たされることのない約束は、棘となって心に刺さった。

 夜と昼。

 退屈な夜を、窮屈な昼を、たった一人の少女が変えてくれたのに。

 妹のように思っていた彼女に、何もしてやれなかった。

 ちんけでちっぽけで薄っぺらく失礼な同情が、まるで少女を食ってしまったかのような錯覚に捕らわれる。

 彼女がいなくなってしまったのは和人のせいではない。少女の身体に巣食っていた病魔のせいだ。

 それでも、納得は出来ない。あんなにいい子だったのに。とてもいい子だったのに。

 簡単に人の手が届かない場所までさらわれてしまった。

 渡す相手のいなくなった黄色い花と小さな花束。

 抱えたまま病院を後にした。花をどうしよう。持って帰る気はない。でも、捨てるのもなんだかイヤだった。一番いいのは少女の眠る場所に供えることだろうが、あいにくとその場所を知らないし、知る術もない。

 少女とは仲良しだったが、彼女の身内を誰も知らなかった。親とでも会っていれば、少女の眠る場所を知る手段もあっただろうが。


「おにいさん」


 声が、した。

 いつ現れたのか。和人の前に、双子が立っている。

 にこやかに、無表情に、二人の女の子が立っている。

 あの時あの子に話しかけていた双子。

「夜、おいで」

 にこやかに。

「夜、おいでよ」

 無表情に。

 彼女たちは声を揃えた。

「「タンポポ持って、夜においで。あの子、待ってるって言ってたよ」」

 それだけを言って、双子は歩いて行ってしまった。

 言葉が、何を意味するのか。あの子はもういないのに。

 どこを捜しても、いないのだ……。


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