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組曲〜移し身の双子〜  作者: マオ
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弐・アスリート〜狂想曲(カプリッチオ)・5

 同じ顔の少女たちがいる。先程どこかへ行ったと思っていた彼女たちは、明彦の目の前に佇んでいる。

「あの男の子の耳、貰ったの」

 無表情に、優亜は言う。

「あの男の子の耳を貰う代わりに、貴方を『りくじょうぶ』に入れるようにしたの」

 言いながら、明彦を見上げる。

「でも、駄目だったの。あの男の子の耳じゃ、駄目だった」

「もう片方くれるって言ったけど、もう要らない。だってあの男の子のじゃ駄目だって分かったから」

 にこやかに、音亜が言う。

 意味が、分からない。分からないのに、無性に腹が立った。

 片方の耳。奴が失ったもの。

 片方の耳。明彦があきらめた道。

 明彦を陸上部に入れるためのお芝居だったというわけか。あの実験事故も、蛍光灯で怪我をしたのも。

 こんなわけの分からない双子にまで頼んで、片方の耳を失ってまで。

 そうして自分で誘っておきながら、陸上部にいられなくしてくれとまたこの双子に頼んだ。

 そうか。そんなに走りたいのか。

 自分だけが一番でいたいのか。一番先を走りたいのか。

 勝手に走れ。

 自分には関係ない。

 明彦はそのまま立ち去ろうとした。明日部活を辞めようと思った。これ以上奴に付き合うのは真っ平だと思った。奴は己の考えのままこの一年明彦を引きずりまわした。一年付き合えば充分だろう。


「要らないところはない?」


 その背に、かけられた声。同じ顔をした少女のどちらだったのか。それを判別するには振り返らなければ無理だろう。

 一年前にかけられた声と同じ内容、同じ声のトーン。

「貴方の身体で、要らないところはない?」

「お礼はするよ。だから要らないところがあるのなら、頂戴」

「貴方の望むものをあげるよ。だから頂戴」

 一年前と同じ言葉を、同じ顔の双子は投げかけてくる。一年前、明彦は取り合わなかった。

 どこの部分も明彦にとっては必要な部分だったからだ。要らないところなどなかったからだ。

「……本当に、おれの望んでいることがかなうのか」

 一年前と違い、明彦は双子に振り返った。

「かなうよ。それが貴方の望むカタチとは限らないけれど、かなうよ」

 この双子は何なのだろう。神か悪魔か、化け物か。しごく淡々と、望みをかなえるから身体のどこかを寄越せと言う。身体のどこかが欲しいから、お礼に望みをかなえると言う。

「どうやって? 奴にしたように事故を起こすのか?」

「さぁ」

 にこやかに音亜が首をかしげた。明彦は眉を寄せる。望みをかなえると言いながら、『さぁ』と言うのはどういうことなのか。双子自身にもわけが分かっていないように思える。

「さぁって……あの事故を起こしたのはお前たちなんだろ」

 いまだに原因不明の実験室での事故。薬品が混ざったわけでもなく、ガスが出ていたわけでもなく、どこにも責任が見つけられない事故。

 担当教師はかなりPTAからつつかれたらしいが、教師が悪いという結論にはならず、結局そのまま水に流れた。

「違うよ」

 音亜はにこやかに言い放つ。あの事故は自分たちが仕組んだものではないと。

「でも、そうなるの。あの男の子がそうしたいと望んだから。わたしたちに耳をくれると言ったとき、そう望んだから」

 やはり意味が分からない。なのに、どうして彼女たちに身体の要らないところを渡せば望みがかなうと思い始めているのだろう? 言葉にすればいい。それだけで明彦の望みはかなうと感じているのだろう? 言葉にしようと思い始めている自分が、恐い。明彦は唾を飲み込んだ。ひょっとして、とんでもないものの前にいるのかもしれない。

 現実にありえないような存在の前に。

「分からない。どうしてそうなるんだ? お前ら、神か悪魔か。常識って知ってるか?」

 うふふ。音亜は笑い、優亜は無表情に明彦を見上げている。

「神と悪魔ってどう違うの」

 無表情のまま、優亜は言ってきた。

「常識って他とどう違うの。わたしは優亜。こっちは音亜。それだけだよ。そうだよね、音亜」

「そうだよね、おねえちゃん」

 双子に返す言葉を明彦は持っていない。常識。神。悪魔。自分で口にしておきながら、それが何なのか明確に知っているわけではないからだ。

 皆が皆常識と言う。それすら非常識の波の中にうずもれかけている世の中で、常識はどこにあるのか。

 神も悪魔もいない。それを断言できるほど世の中を知らない。明彦は未熟だ。

「ねえ、要らないところ、ある?」

「あるのなら、頂戴」

 双子が明彦の瞳を見上げている。外灯の光に青く煌めくありえない瞳が明彦を覗き込んでいる。

 明彦はその未熟のまま、呑まれた。確固たる自分を持っているつもりだった少年は、ありえないものの前に怒涛のような感情に呑まれてしまう。

 足を止めなければ良かった。双子の声に振り返らなければ良かった。

 だが、明彦自身がそう思うことはなかったのだ。


          ***


「約束、したからね」

「頂戴ね」


          ***


「皆瀬」

 声がかかる。

 かけてきた相手に明彦は笑顔で手を上げる。会うのは何ヶ月ぶりだろう。

「元気だったか」

「おう。お前は相変わらずだな、サル」

「サル言うな。ったく、その毒舌変わってねえよなー、高校のときから」

 彼らは成人していた。どちらも大人だ。片方は短距離陸上の国際的スプリンター、片方は大企業のコンサルタント。

 どちらも世界をまたに駆ける青年たち。特に奴は忙しく、ついこの間も世界的な大会に出て、昨日戻ってきたばかりだ。帰国して真っ先に明彦に優勝の報告に来た。結果は当人が携帯のメールで送ってきたし、明彦もテレビで見ていて知ってはいたのだが、直接祝って欲しいらしい。いつもそうである。

「優勝おめでとう。世界新まであと少しだな」

「ははは、まぁ俺にはこれしか能がないしー」

「本当にな」

「本当に言うな。嘘でもそんなことないよと言えないのか、お前はー」

「すまん。正直者なんでな」

「嘘付け」

 笑う奴は明彦の背中に回った。そのまま、明彦の座る車椅子を押す。今日はどこかで祝いの食事を取ることになっていた。奴には恋人、明彦には婚約者がいるが、こういうときには女っ気抜きで食事することにしている。

「お前もさー、けっこう足速かったのにな。もったいないよな。ひょっとしたら俺を超える選手になったかもしれないのに」

 奴は悪びれなく言ってのけた。その感情がどこから来るものなのか、明彦は知っている。

 安堵だ。自分より上の存在がいなくなったことに対する、安堵。

 高校二年の夏、大会前に明彦は突然骨折した。秋、難病の宣告を受けた。冬、右足を切断した。

 それからは義足か車椅子の生活だ。当然、走ることなどできない。

 片足で済んでよかったと奴は笑っている。

「そうか、もったいないと思うか?」

「ああ。一緒に世界大会出たかったよ。果てはオリンピックにも」

 背中で笑う奴に、明彦は薄く笑む。奴はもうすぐ金メダルに手が届くだろう。世界新にも手が届くだろう。

 明彦が奴の上にいないから、奴の望みはかなうのだ。

 奴が押す車椅子。

「次の大会、お前見に来ないか? なんか皆瀬が見に来ると速く走れる気がするんだよなー」

「おれがあの双子に望んだからさ」

 キッパリと告げた言葉に、車椅子が止まる。

「片足をやるから、お前を世界一のスプリンターにしてくれってな」

 言葉が返ってこない。何のことを指しているのか、奴には分かったのだろう。

 分からないはずがない。奴もあの双子に身体の要らない部分を差し出したのだから。

「聞いたんだよ。おれより速くなりたかったんだろう? もう片方の耳やるって叫んでたよな。あの日、おれはお前の叫びを聞いたんだ」

 人々のざわめきが、目の前を通り過ぎている。あの日手術で切断された明彦の右足は、双子のもとへいったのだろうか? 確かめる術はないが、きっと双子は明彦の足を手に入れただろう。あの片足を何のために使うのかは知らないし、知るつもりもない。

「世界一になるんだろう? なれよ。誰よりも速く走って走って走り続けろよ? お前がおれを陸上部に入れるために片耳をなくしたように、おれはお前が世界一になれるように片足を賭けたんだからな」

 明彦の目的は果たされたのだから。

「な、なんの、ことだよ」

 奴の声が震えている。

「なんのことだろうな? 本当に、何のことだろうな」

 奴の実力ではない。奴は自分の実力でそこまで昇りつめたつもりなんだろうが、そうじゃない。

 奴のせいで明彦は行きたい道に進めなかった。陸上部に入る羽目になった。

 したいことは他にもあったのに、それが許さない状況を作り上げ、奴は明彦を陸上部に入れたのだ。

 そして自分勝手に望みをかなえようとしていた。明彦に抜かれたことが悔しくて、明彦を陥れようとした。

 ならば。

 意趣返しをしてやろうと思ってもいいだろう?

「どうした? わけの分からない話だぞ。いつもみたいに笑い飛ばせよ。冗談さ」

 薄く笑み、明彦は背後の奴を見上げた。蒼白の顔色の奴は、いつもどこかに浮かべている明彦への安堵を忘れている。

「次の大会、楽しみにしてるぞ。応援に来いと言うなら行ってやるさ。それでお前が速く走れると言うならな。シンユウだろう?」

 世界一になれよ。明彦は笑う。

 奴が右耳をなくしてどれだけ罪悪感に駆られただろう。どれだけ憔悴しただろう。償いのために奴の望みに乗ってやろうと思った。だから陸上部に入った。

 その罪悪感さえ、奴の手のひらの上だったことに一年後、気が付いた。

「なぁ、今日はどこに飯を食いに行く? お前この間上手い店見つけたってメールして来たよな。そこに行くか?」

「あ、ああ……」

 震える声が、伝えてきた。

 分かっている。明確に理解している。

 奴に反論することは出来ない。最初に卑怯な望みをかけたのは奴のほうだからだ。

 友人を名乗りながら明彦の足が折れることを望んだのだから。自分より遅くなることを望んだ卑怯者。

 明彦は笑っている。片足を失ったことで明彦は自分が望んだレールの上に戻れた。学業に専 念することが出来たのだ。

 明彦の望みはかない、奴の望みももうすぐかなう。

 だが、それは明彦の片足を犠牲にした望みだ……。


 街の喧騒の中、車椅子の青年とその車椅子を押す青年がいる。

 右足のない青年と、右耳のない青年。

 同じ右側を失っている二人。

 片方はコンサルタント業。片方はスプリンター。

 どちらも世界をまたに駆ける青年。

 だが。

 右耳のない青年は右足のない青年の手のひらで走っているのだ。

 彼の奏でたカプリッチオの中で、踊り続けることになると、彼は感じている――。


二章が終了しました。『自分勝手さ』を書いてみたかったのですが、いかがだったでしょう?人間の心は綺麗で、でも怖いものだと思います。

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