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月夜とガラクタに囲まれて

作者: 上野竜二

 闇夜を照らす唯一の光は月だった。空に映し出されている景色には、月と、その月の光によって薄っすらと見える雲以外は何も見えない。

 星空が見えることも、ましてや太陽が昇ることすらない空を、一人の少女が見上げる。

「早く大人になりたいなぁ」

 少女はボロボロになり、壊れた車の屋根に仰向けになって月を見上げてつぶやく。

 彼女の独り言に答えるはずもなく、月は黙って少女と、少女が住む廃墟と化した都市を照らし続ける。

 気温は低めだというのに少女は夏用の学生服を着ており、黒く短いスカートでは少女の脚を風から守れるはずもなく、同じく黒の半そでの上衣では身を暖めることもできない。

 頭の後ろに結んだ黒色のポニーテールがなびき、風がやや強めだと証明する。

 どれくらい月を見上げていたのだろう。少しだけ眠気を感じた少女はその場から立ち上がり背伸びをする。

 体を伸ばしながら、車の屋根の上から都市を眺める。

 壊れた車が位置するのはこの廃墟と化した都市の中でも割と高里にあり、全体を一望するにはもってこいだ。

 そこからの眺めを見るだけで、この都市に誰かが住んでいると分かる者はいるのだろうか。

 崩壊した建物があちらこちらに見受けられ、わずかに点灯している信号が遠くから薄っすらと見え、道路や歩道には数え切れないほどのガラクタが散乱している。

「おーい、シキ」

 後ろから名前を呼ばれた少女シキは、スカートについた埃を払いつつ振り向く。

「あぁ、トリシャ。こんにちは」

 シキは歩み寄ってくる友人、トリシャに笑顔を向ける。

 トリシャはシキより年上に見えるが、実際は同年代の十代後半だ。

 褐色の肌はきれいに真っ直ぐ伸びた金色の髪を目立たせる。

 背中まで届いている金髪は風に流されないよう赤いマフラーで首にそっと固定されている。

 シキとは違い、トリシャはしっかりと上着に白いコートを着ていた。コートの中にはオレンジ色の長袖のTシャツにピンク色のスカートを履いていたが、上着がある分シキほど寒さを感じたりはしない。

「また月を眺めていたの?」

 ポケットに突っ込んだ手を温めつつ、トリシャはシキに問いかける。

「まぁね。ずっと編み物してたから、ちょっと休憩してたの」

 シキは傍らにあったセーターをトリシャに見せ、少し自慢げな表情を浮かべた。

「ほう、さすがシキ。編み物はお手の物だね」

 わざわざポケットから手を出したトリシャは、パチパチと静かに拍手を送る。

「でも、休憩ばかりしてたら大人になれないぞぉ」

 意地悪く笑うトリシャにシキは頬を膨らませる。

「む、大丈夫だよ。私は毎日しっかりとお仕事してるもん」

 むくれながらシキはそう言い張り、セーターを紙袋に入れ直して壊れた車から降りた。

「はいはい、わかってる。シキは大人になって絶対夢を叶えるんだもんね」

 からかい続けるトリシャだが、シキは怒らず共にその場から歩き出した。

「そうだよ。私は大人になったら月に行けるんだ」


 街には倒壊したビルの破片や薙ぎ倒された電柱、割れたガラスやゴミ等で不規則に地面という地面を埋め尽くされていた。

 だが、わずかにそれらのガラクタを押しのけたかのように人が通れる道が幾つかある。

 その狭くも広くもない道をシキとトリシャはゆっくりと歩いていた。

「シキっていつも月眺めてるけど、よく飽きないよねぇ。月は一日中空に浮かんでるのに」

 寒がりつつもシキに質問するトリシャだが、当の本人はまったく寒そうなそぶりを見せない。

「飽きないよ。月ってすごくきれいだと思うし、あんなにきれいな場所に住んでる人はきっと皆良い人なんだと思う」

 また月を見上げながら答えるシキの表情には月を愛しむ笑顔が見られる。

「そっか」

 純粋だなぁ、と思いつつも、トリシャにとってそんなシキが微笑ましい。


「……ねぇ、私達本当にこのままで大人になれるのかな?」

 しばらく歩いていると、先ほどとは打って変わって、少しだけ不安な表情を浮かべてシキはトリシャに問う。

「どうしたの急に?」

 暗い表情をするシキに、トリシャは問い返す。

「うん、私もトリシャも、他の皆も大人になりたいわけだけどさ、今まで大人になれた人いないじゃない? それで、どうやったらちゃんと大人になれるのかなぁ、て。さっき月を見ながら思ったの」

 ため息一つを入れつつトリシャに思ったことを素直に伝える。

「うーん、足長おじさんが言うには二十歳にさえなれれば良いみたいだけど」

 シキの表情を見て、友人の不安を少しでも取り除いてあげたいと思ったトリシャだが、なかなか気の利いた言葉をかけてやれない。

 人差し指を頭に当てて唸り、やがて何かを思いつき、コートのポケットから紙切れを取り出す。

「シキ、これ見て」

 シキは差し出された紙切れを覗き込む。それはどこから持ってきたのか、雑誌か本の切れ端だった。

 その紙切れには何かの資料を片手に作業をしているスーツを着た男性の写真が載っており、その横に文字で大きく『社員大募集!』と書かれている。

「この服を着てる男の人、足長おじさんと同じ服だよね」

 トリシャの指摘に同意したシキは頷く。

「つまりこの写真の人はきっと大人だよ。この人みたいにしっかりお仕事できたらちゃんと二十歳になれるんだよ」

 そんなものなのか? と顔で訴えるシキに笑顔でトリシャは答える。

「私は街の散策や皆が欲しい物を探す。シキは皆の服を編んだり、直したりする。一生懸命あたし達がお仕事をこなせば、あっという間に大人になれるよ、きっと」

 勝手な解釈だがシキを元気づけさせるのに十分だった。

 トリシャはシキにとって頼れる友人だった。いつも悩み事があると必ず助けてくれる。

「そっか。うん、そうだよね。私がんばる」

 静かに、だが笑顔でシキは頷く。

「……ん、そういえばさ、トリシャは大人になったらどこか行きたい所でもあるの?」

 そういえば聞いたことがない、とふと思いトリシャに聞く。

「え!? あ、あたし?」

 唐突の質問にトリシャはなぜか赤面する。

 ただ質問しただけなのだが、そこまで取り乱したりするものなのか。

 どうしたんだろう、とシキは首を傾げる。

「あたしは、その……やっぱ散策が仕事だし、この街の外を出ていろんな所行きたいなぁ、なんて」

 目を泳がせ、嘘をついているのは明らかだが、シキは何の疑問も持たず「良いね」と返す。

「そ、そんなことより! 今日はあたしもシキもやる事終わったし、カロルの家に行こうよ」

 これ以上この話題を引っ張りたくないのか、トリシャは提案を出して話を切り替えようとした。

「そういえば最近カロル見かけないね」

 無理やりな話題転換だったが、何の違和感も抱くことなくシキはそれに乗った。

「でしょ? 最近お仕事サボってばっかみたいだから、このままじゃ大人になれないぞって脅かせに行こう」

 話題を反らせたことに成功して喜んでいるのか、意地の悪そうに笑うトリシャはシキの手を取って目的地へと急ぐ。

 

 歩くこと十分程度で二人は目的地に着いた。

 二人が辿り着いた場所は、昔居住区だったのだろうか、倒壊したマンションや傾いた家が多く点在していた。

 ほぼ瓦礫しかない元居住区に、他と比べて比較的傷の少ない一階建ての家が一件建っている。

 その家の窓からロウソクの明かりが外へこぼれ、人が住んでいる事を示す。

 二人は扉の前に立つと、シキが前に出てノックする。

「カロル、いる?」

 ノックをしてしばらくすると、家の中から足音が鳴り、やがて扉が開く。

「「あれ?」」

 シキとトリシャは同時に言った。家から出てくるはずの人物はカロルではなく、眼鏡をかけたショートヘアの少女だった。

「偶然、ルビアもカロルの家来てたんだ」

 思わぬ所で出会った少女ルビアにトリシャは彼女の肩を叩く。

「えぇ、最近見ないから様子を見に来たのよ」

 落ち着いた口調をしたルビアは料理でもしていたのだろうかエプロンを着用しており、わずかに家の中から香ばしいにおいがシキとトリシャの鼻に届く。

「ちょうど料理が出来たところよ。作りすぎたから、カロルと一緒に食べる?」

 二人に聞きつつルビアはエプロンを脱ぐ。

 ルビアが着る紫色のタートルネックのセーターに薄い青色のジーパンは、彼女のボディラインを正確に示す。

 相変わらずスタイル良いなぁ、と思うシキだが、そんな事より食べ物だ! とでも言うようにトリシャは意気揚々とルビアと共に家の中に入っていく。


 家の中に入り、料理を持って行くから先にカロルの部屋に行けというルビアの指示に従い、シキとトリシャはカロルの部屋に入る。

「やぁ、シキ、それにトリシャ」

 それほど広くもなく、だが四人で食事をする程度なら十分なスペースがある部屋の隅に位置するベッドに寝ていた少年は、入ってきた二人の友人にあいさつする。

 一日中寝ていたのだろう、カロルの茶色い髪は寝癖であちらこちらに逆立っており、白色のパジャマのままで二人を迎える。

「ずっと寝てたの?」

 目が半分しか開いてないカロルを見て、シキは率直に聞いた。

「うん、最近眠気がすぐに襲ってくるんだ。今日も昼までたっぷり寝て、起きたらすぐに頼まれた砂時計の修理をしようと思ったんだけど、結局夜まで二度寝しちゃったんだ」

 まだ寝足りないけどね、とカロルは目を擦らせる。

「まったく、前々からよく寝る子だとは知ってたけど……そんなに寝てたら時間が止まっちゃうよ」

 呆れた様子でトリシャは両手を腰に乗せる。

「はは、そうだね。しっかりしないといけないんだけど……」

 面目ない、とでも言うようにカロルは頭をかく。

「まぁ、あまり良い傾向ではないわね」

 カートの上に、料理の入った鍋と食器を乗せて運んできたルビアはトリシャに同意する。

「さ、早く冷めない内に食べましょう」

 ルビアが鍋の蓋を開けると暖かい湯気をまとったクリームシチューが姿を現す。

 

 小さなテーブルに三人分のクリームシチューが乗せられた。

 カロルの分はトレイに乗せられ、ベッドで体を起こして食べられるよう、カロルの膝の上に乗せられている。

「ベッドから離れられないくらい眠いの?」

 少し心配した面持ちでシキはカロルに聞いた。

「うん、立ったらすぐにも寝ちゃいそうで……あまりベッドから出たくないんだ」

 シチューを食べて目を擦る、その繰り替えしをするカロルを見て三人はなかなか彼から目を離せなかった。

「しっかりしなさい。そのまま時間が止まってしまう人もいたけど、気力で持ち直した人もたくさんいたんだから」

「そうだよ、ずっと寝てたらあたしがカロルの顔に落書きしちゃうぞ」

 平然とした顔をしたルビアと、今からでも悪戯してやろうかと言わんばかりのトリシャだが、本心では二人共カロルが心配なのだとシキは理解している。

「確かにこのまま寝たらひどい目に合いそうだ。がんばって起きないとね」

 クリームシチューをもう一口食べ、カロルはその味の良さに満足の笑みを浮かべる。

「カロルは大人になったら行きたい場所はあるの?」

 目が覚めてきたのだろう、シチューを口に運ぶペースが安定した事に安堵し、シキは明るい話題を提供しようと思い聞いてみる。

「うーん、行きたい場所があるわけじゃないけど欲しい物ならあるかなぁ」

「欲しい物?」

 カロルは一度頷き、笑顔で話を続ける。

「テレビかな。この街にはたくさん壊れたテレビがあるけど、ちゃんと動いている物もないし直すこともできない」

「居眠り大好きなカロルらしいや、テレビが使えれば一日中ベッドの上で暇を潰せるもんね」

 ごもっともなトリシャの意見にカロルを含め全員が笑う。

「ルビアは? やっぱりいろんな記録や日記を書いてるから図書館に行きたいとか? それとも欲しい本でもあるの?」

 皆がこの話題で盛り上がったのを嬉しく思い、シキは次にルビアの夢を聞いてみる。

「そうね、私は大人になって叶えたい願いはたくさんあるわ。ちゃんとした図書館にも行ってみたいし、欲しい本は山ほどある、けど……」

 言いかけ、シチューと一緒に持ってきた紅茶を飲んで間を置き、少し頬を赤らめてもう一度口を開く。

「ケーキバイキングというお店に行ってみたいわね」

 普段は真面目なルビアはあまりしゃべらないので誰も知らなかったが、意外な一面と共に見せた彼女の夢に三人は微笑む。

「うんうん。いいね、ケーキバイキング! 私も行ってみたいな」

「僕もシキと同意だなぁ。確かケーキを好きなだけ食べさせてくれるお店だよね? 良い夢だと思う」

 あまり自分自身について語らないルビアがここまで話してくれて嬉しかったのか、シキとカロルは何度も頷く。

 二人の友人に暖かく笑みを向けられ、ルビアはさらに頬を赤くしたが、紅茶を飲んでごまかす。

 そんなルビアの様子を見逃さなかったトリシャは顔をニヤニヤさせる。

「いつもクールなルビアにしては、すっごく可愛らしい夢だねぇ」

 恥ずかしがるルビアを見て楽しむトリシャだが、ルビアはすぐにいつもの平然とした態度に戻り、目を瞑って紅茶を飲むと片目を開けてトリシャを睨む。

「あら、あなたの夢の方がよっぽど可愛らしいと思うけど?」

 まさかの反撃にトリシャはしまった、という様子で口に運ぶ途中だったスプーンの手を止める。

「え? トリシャの夢って?」

 聞かれたくないと顔で訴えるトリシャの願い叶わず、悪気があるわけではないのだが、カロルは構わず聞いてくる。

「トリシャの夢って、いろんな場所に行くことじゃなかったっけ?」

 カロルの家に向かう途中トリシャが言っていた事を思い出すシキにトリシャは全力で頷く。

「そうそう! 世界中を旅して色んな場所に行ってみたいんだよね!」

「あら、具代的にどこなのかしら?」

 必死に何かを隠そうとするトリシャに容赦なく言葉で追い詰めるルビア。

「それは、その……」

 言いよどむトリシャだが、シキとカロルはトリシャの次の言葉に目を輝かせながら待つ。

「私が変わりに言ってあげもいいわよ?」

 ティーカップを置き、逃げ場を作らせないためにルビアは止めの言葉をトリシャに送る。

「――っ! えーい! わかったよ、白状しますよ!」

 観念したトリシャは椅子の背もたれにかけておいたコートのポケットから缶詰を出した。

 その缶詰はトリシャがいつも大切な物を保管するために使っていると、この場にいる者全員は知っていたが、中身を全て見せてもらったことはない。

 トリシャが缶詰をテーブルに置くと、ゴトッと重そうな音が鳴り、その音から察するに中には大量の物が詰まっているのだろう。

 蓋をそっと開け、数多くの小さなガラクタを押しのけてトリシャが取り出したのは折りたたまれたチラシだった。

「これが、その……私が行きたい場所」

 トリシャはゆっくりとチラシを広げ、カロルと、他の二人にも見せる。

「遊園地?」

 そのチラシには五歳から十歳くらいまでの子供達が笑顔でコーヒーカップや観覧車に乗っている写真が写されていた。

 シキがじっくりとチラシを眺める間、ルビアは紅茶の最後の一口を飲み終える。

「それで? トリシャはこんなに幼い子達がたくさんいる中どの乗り物に乗りたいのかしら?」

 どうやらルビアは見かけによらず根に持つタイプらしい。

 これだから敵に回すとおっかない、とシキは思いつつ、トリシャの様子を見る。

 トリシャは恥ずかしがりながらもチラシの右下に写っているナイトパレードの欄に人差し指を置く。

「こ、これに乗りたい……です」

 トリシャが指した写真には、ナイトパレード用に豪勢な飾りつけをされた乗り物達に囲まれた大きめのメリーゴーランドが写っていた。

「わぁ、キラキラしてて綺麗だね」

 カロルが素直に思った事を言い、シキも相槌を打つ。

 明らかに低年齢層な子供向けの場所へ行きたい事をバラしたトリシャの恥ずかしさは最高潮に達していたのだろう、褐色であるはずの頬は今では真っ赤に染まっている。

 そんなトリシャが哀れに思ったシキは、チラシの一番角下に『対象年齢十歳』という記述を見なかったことにしてあげた。

 

「やっぱり早く大人になりたいよね」

 全員が食事を終え、食器を片付ける中、シキは改めて思った事を口にする。

「私の夢はもちろん……」

「「月に行くこと」」

 自分だけがまだ皆に夢を教えていないと思ったシキだったが、周りの友人達は当然のように言い当てた。

 無理もない、毎日ぼやいていたら嫌でも覚えるはずだ。

「本当にシキは月が好きだよねぇ、行きたい理由は何?」

 ティーカップとテイーポットをトレイの上に戻し、トリシャが聞く。

 シキは一度頭の中で言いたいことを整理し、おもむろに視線を上へと移す、部屋の天井で見えないが、今でも浮かんでいるであろう月に向かって。

「あんなに綺麗に光ってる月って一体どんな所なのかなぁって思って。それに、私にはもう一つ夢があるんだ」

 最後の皿をトレイに乗せたシキに全員の目線が移る。もう一つの夢、そんなものがあるとは誰も知らなかったからだ。

「私、足長おじさんになりたいな」

 シキは楽しそうに自分の夢を語り続ける。

「足長おじさんになったら、きっと色んなことができるんだよ。カロルにはテレビをあげようかな、ルビアは一緒にケーキバイキングに行こう」

 トリシャには遊園地作ってあげるよ、とシキは優しく語る。

「ま、ありがたく受け取るけど。シキ、女の子の場合だと足長おじさんじゃなくて足長おばさんじゃない?」

 トリシャの突っ込みに笑いが起きる。シキも始めはむくれたがつられて笑う。

「そういえば、足長おじさんと言えば明日ここに来るわよね」

 片付け終えた食器をトレイごと持っていこうとしたルビアはふと思い出した。

「この前来た時からもう一ヶ月も経ったんだっけ?」

 カロルはまた睡魔が襲ってきているのか、未だベッドから起き上がらず目を擦りながらもどうにか会話に参加する。

「ちょうど良いんじゃない? 健康診断のついでにカロルを診てもらえるだろうし」

 コートを取りながらトリシャは言う。

 カロルの様子を見ることが出来、食事も食べ終えたので後は帰るだけだと、トリシャはコートを着てマフラーを付け直す。

「そうね、明日ここに連れて来ましょう。あとトリシャ、皿洗い手伝って」

 ルビアの命令に、「嫌だ面倒臭い」、と渋るトリシャだが、「メリーゴーランドの対象年齢ってさ……」と呟かれた途端トリシャは率先して台所へと向かった。

「それじゃ、私もお皿洗い手伝ったらそのまま帰るね」

 部屋を去ったトリシャとルビアについていこうと、シキはカロルに別れのあいさつをする。

「あ、ちょっと待ってシキ」

 重い目をどうにか閉めないよう頑張るカロルに呼び止められたシキは振り向く。

「シキにお願いがあるんだ」


 次の日、シキ、トリシャ、ルビアの三人はカロルの家から歩いて十分の場所にある小さな公園にいた。

 公園には折曲がったブランコや薙ぎ倒された滑り台、枯れてしまった木々が散乱していた。

 もはや子供が遊ぶような場所ではない。

 そんな場所にシキ達は五分ほど前から何かを待っていた。トリシャとルビアは倒れた木に座り、暇つぶしにとりとめのない事を話し、シキはいつものように沈むことのない月を見上げていた。

 トリシャは昨日と同じ白いコートを着て、しっかりと上までボタンを閉めていた。

 ルビアもセーターの上から黒のコートを着て肌寒さから身を守っていたが、シキは相変わらず夏用の学生服を着ている。

「お、来たね」

 ルビアと話し込んでいたトリシャは遠くから白いワゴン車が来るのを見て立ち上がる。

 公園の入り口前に白いワゴン車が止まると、スーツを着た五十代の男性と、同じくスーツを着た二十代半ばの男性が出てきた。

「足長おじさん!」

 シキは五十代の男、足長おじさんを見るや満面の笑みで走り寄る。

「やぁシキ、元気だったかな?」

 皆から足長おじさんと呼ばれた五十代の男は、その年相応に頭には白髪が目立ち、眼鏡の奥から少女達を見つめる目はまるで父親のようだった。

「いつも通りだよ。……えと、あの人は?」

 白髪の男の後ろにいる二十代半ばの男はシキ達にとっては初対面だった。

 若い男は白髪の男と同じスーツを着ているがだらしなく、ネクタイはゆるく結びシャツの第一ボタンは開けていた。

 赤く染めた短髪は目立ち、少しだけシキ達の警戒心を仰ぐ。

「あぁ、彼はマルコ、私の友人だ」

 足長おじさんの紹介を受け、ども、とマルコは快活にあいさつする。トリシャとルビアも軽くあいさつを返し、シキもそれに習う。

「マルコっス。これからは自分が毎月ここに来る事になるっス」

 マルコは明るく接するが、シキは一つ引っかかることがあった。

 だがその違和感を言う前に、マルコが車から持ってきたらしい段ボール箱を持ち出した。

「これ、お土産っス」

 やったね、とシキの隣に立ったトリシャがシキの頭に手を置く。

「ありがとうございます」

 ルビアが段ボールを受け取り、中身を開いてみる。

 食材や木綿がぎっしりと詰まっており、ルビアはそれを見て頷く。

 満足した表情を見て、マルコは笑顔になる。

「車にもっとあるっスよ。オオクボさん、全部渡していいんですよね?」

 女の子達が喜んでくれて嬉しかったのだろう。マルコは白髪の男、オオクボに許可を得て車からお土産が入った段ボール箱を取り出す。


「さて、健康診断をしようか。注射をするから一人ずつ車の中においで」

 いつもの手順でオオクボが一人ずつ車の中に招き、血をある程度採取したのち、次に透明な液体が入った注射器で全員にそれを注射する。

 最後がシキの番となり、車の後部座席に入る。

「それじゃあシキ、少しだけ血を頂くよ」

 きちんと手入れをした注射器を持ち出し、オオクボは血液サンプルの採取のための準備にかかる。

 毎月同じことをしているので、シキはあまり緊張はしておらず、それよりもさきほど聞きそびれた事を聞いてみようと思った。

「おじさん、来月からマルコさんも一緒に来るみたいだけど、急にどうしたの?」

 今まではオオクボ一人がシキ達を訪ね、健康診断のついでに彼女達の生活の足しになるお土産を置いていく。

 オオクボが友達を連れてきた事などこれまで一度もないし、ましてや友達の話など一度も聞いたことがない。

 それなのに突然友達を連れてくるとはどうしたのだろう、とシキは疑問に思ったのだ。

 今、車の外ではマルコが持ってきたお土産をトリシャとルビアに見せていた。会ってまだそれほど時間は経っていないが、きっと良い人なのだろうとシキは思う。

「そうだね、まぁ、さっきトリシャとルビアにも伝えたんだけど来月からはマルコが君達の足長おじさんになるんだ」

 血液の摂取を終え、マルコは次に箱の隅からビンを取り出し、新しい注射器に注入する。

「そんな……どうして?」

 オオクボとシキの付き合いは長い。シキがまだ赤ん坊で、昔この町に住んでいた者達に育てられていた頃からオオクボとは面識があるのだ。

「うん、そろそろ私も休まないといけなくてね、月でそう言われたんだ」

 そうなんだ、とシキは寂しさが入れ混じった表情を見せる。

 無理もない。シキはトリシャとルビア、そしてカロルのグループの中では一番オオクボになついていたのだから。

「大丈夫、君が大人になれば月においで。そしたら会えるさ」

 最後にシキの体に薬を注射し、ガーゼを渡し、血が止まるまで押さえているよう命ずる。

 大人になればまた会えるといっても、確約はない。

 暗い顔を浮かばせるシキに、オオクボは話題を変える。

「ところでシキ、カロル君を見かけないけど、もしかして……」

 さらに暗い話になってしまうのは承知の上で聞いているのだろう、オオクボは表情を険しくして問う。

「あ、はい。実は最近カロルが……」

 どうせ話すつもりだったのだから今話そうと、シキはカロルの事情を説明する。


 事情を聞いたオオクボの対処は迅速だった。

 シキ達をワゴン車に乗せ、カロルの家へと向かった。

 車を家の前に止め、すぐに家に入りカロルの部屋に向かう。

 部屋の扉を開けると、部屋の隅に置かれたベッドの上にカロルが布団をかぶって横たわっていた。

「マルコ、手伝ってくれ」

 オオクボの命令に従い、二人でカロルを診る。

 部屋の入り口でシキ達三人はその様子をじっと見守っていた。

 オオクボの診断が終わるのは早かった。部屋から出てくると、三人の顔を一人ずつ見て口を開く。

「残念ながら、カロル君の時間は止まっている」

 ある程度予想はできていた。だが実際その時を迎えると気持ちは落ち着かなくなる。

 だが、涙を流す者は一人もいない。

 今まで似たような出来事を幾度となく経験したからか、それが彼女達の涙を止めていた。


 来月からはマルコが足長おじさんとして来訪することになり、今月でオオクボとシキ達はお別れとなる。

「それじゃあ、カロル君の事は任せるよ」

 これで最後となるのか、とオオクボは思いつつシキ達に別れを告げる。

 まるで本当の娘達と別れを告げるかのようにオオクボは一人一人を抱きしめるが、シキ達は寂しそうな顔をするも泣くことはなかった。

「おじさん、今までありがとう」

 車の助手席に乗ったオオクボに、シキは悲しみの表情で手を振る。

「あぁ、月で待っているからね」

 最後の別れを告げ、白のワゴン車を出し、あっという間に三人の姿は遠くなった。


 車を出してしばらくし、マルコが重い沈黙を破る。

「強い子共達でしたね」

 シキ達の姿が見えなくなってすぐに男泣きしたオオクボに、マルコは優しく言う。

「あぁ。本当に、強い子達だ。こと別れとなるとさらに強い」

 オオクボは持っていたハンカチで涙を拭う。

「こんな所で赤ん坊の頃からずっと住んでいたなんて、本当に信じられ――っ!」

 言いかけたマルコだが、突然頭をかかえて車に急ブレーキをかける。

 運よく車が回りのガラクタに当たることはなく、不出来な道の真ん中で車が止まる。

 シートベルトがしっかりと機能し、オオクボとマルコの体は無事だった。

「大丈夫か、マルコ? 運転を変わるか?」

 若い新人にオオクボは気を遣う。

「面目ないっス、お願いしていいですか?」

 汗をびっしょりかいたマルコは、息絶え絶えだった。


 運転を変わり、濡らせたハンカチを額に置いたマルコは助手席の背もたれを倒し、車の天井を睨む。

「全く、こんな毒素が充満した環境に住み続けるなんて、本当に信じられないっス」

 目眩が続いているマルコは、同じ環境にいるのに平然としているオオクボに感服する。

「抗体を持たない私達には無理だ。彼女達だからこそ、この環境でも生きていける」

 実はさきほどからオオクボも目眩に苛まれていた。だが長年一ヶ月に一度シキ達に会いに行くことを繰り返したオオクボにとって、もはやそれは些細なことだった。

 少しだけ目眩に慣れてきたマルコは濡れたハンカチを額から取る。

「ガスマスクでも使えればいいですけどね、空気と完全に一体化したんじゃ効果はないっスよね」

 女の子達にも警戒心を抱かせてしまう、と続けるつもりだったマルコだが、今度は咳き込んでしまう。

「慣れるしかないな。既に体が出来上がってしまった私達では新しい抗体を持つことはできない。こうやって彼女達の生活を少しばかり支えるだけで精一杯だ」

 空気中の毒素が容赦なく二人の体に少しずつ入っていく中、オオクボは車を走らせ続ける。

「やっぱりオオクボさんはすごいっス。こんなにも過酷な仕事、志願する人は少ないってのに三十年以上も続けてきたなんて」

 それはお世辞でも何でもなく、マルコの素直な気持ちだった。

 だが、オオクボは褒められたところで喜ばない。

「そんなことはないさ、私は最後の最後で、あの子に……シキに嘘をついた」

「嘘? どんな嘘をついたんですか?」

 虚しい表情を見せつつオオクボは言う。

「さっき注射をしていた時だ。私はシキに、来月からお前がこの地区を担当することになると告げたんだ。あまりにも寂しそうな顔をするから、つい成人したら月で会えると言ってしまった」

 流す涙はもう流したオオクボだが、悲しみを止めることはできなかった。

「私はもう長くはないのにな。それだけじゃない、他にもたくさん嘘をついた」

 まるで長年溜めていた事を吐くかのように、オオクボはぽつりぽつりと話す。

「抗体が毒素の対処に追いつかず命を落とした子供達の事を、『時間が止まって大人になれなくなった』など、子供騙しなことを言って、彼女達はそれを素直に受け入れた」

 またしても涙が浮かんでくるがオオクボは続ける。

「まったく情けない。今日にしたってそうだ。抗体を持たない私はすぐにここから去らなくてはならないという理由で、カロル君をろくに弔ってやることすらできなかった」

 悔しがるオオクボに励ましの言葉を送ってやろうと、マルコは背もたれから身を起こす。

 だが、車が目的地である街の端っこに到着し、オオクボはエンジンを止め、車に設置されていた無線を取り出す。

 涙を拭ってどこかへ連絡を取り始めたため、マルコは声をかけてやるタイミングを逃してしまった。

「こちらオオクボ。『ツクヨミ』、応答されたし」

 しばらく間を空けると無線から声が返ってきた。

『こちらツクヨミ、位置を確認した。その場を動くな』

 指示通り車のエンジンを止め、オオクボとマルコは空に浮かぶ月を見る。

 すると、月から細い緑色の光が発射され、車の屋根に当たると光の糸は広がり、車を包み込む。

 そして惑星の重力を無視してオオクボとマルコが乗った車が宙に浮かび、光の軌道に従い月へと引き寄せられるように車が飛んでいく。

 

 オオクボと別れた後、シキ達はカロルの体を丁重に扱った。

 街の中心地にある唯一の丸型平地に、カロルの体は木製の棺桶に入れて埋められた。

 平地には数え切れないほどの墓標が立っており、シキは新しくできた墓標の前に立ち尽くし、それを遠くからトリシャとルビアは見守る。

「また増えちゃったね」

 原型がなんだったのかわからないコンクリートの山に背を預け、トリシャは言う。

「そうね、次は我が身があそこに埋められると思うと不安になるわ」

 縁起でもないこと言わないでよ、と気力なさげにトリシャはルビアに言い返す。

 しばらく二人の間に沈黙がしばらく流れ、トリシャがため息を一つつく。

「ねぇルビア、知ってた?」

 トリシャは遠くで友人の墓の前に立つシキを見つめながらつぶやく。

 ルビアは地面に転がっていた平らのコンクリートに座り、トリシャの話を黙って聞く。

「シキさ、今まで大人になれなかった人達の願い全部覚えてるんだ」

 腕を組み、トリシャは空に浮かぶ月に目線を移す。

「昨日、カロルの家で大人になったら足長おじさんになりたいってシキが言ったとき、いろいろ合点が言った」

 あの無邪気な笑顔の裏には、覚悟が秘められていたのだ。

 視線をシキに戻し、トリシャは今まで何度も月へ行くと宣言したシキの姿を思い浮かべる。

「あんなに月に行きたがってるのは、足長おじさんになって託された願いを全部叶えてやろうと思ってるんだよ」

 やっと友人の思惑を知ることができたトリシャだが、嬉しいとは思えなかった。

 トリシャの解釈に納得したルビアは少し汚れてしまった眼鏡を取り、軽くセーターの裾で拭く。

「本当、純粋な子ね。大人になれる確証はないのに」

 シキらしいわね、そう呟くルビアの前に元気よくトリシャが両手を腰に当てて仁王立ちする。

「そしたら私が願いを引き継いでやる、私の方が長く時間を進められてたらだけど。そして私でも無理だったら、ルビアに押し付けてやる」

 満面の笑みを作るトリシャにつられ、ルビアも微笑む。

「勝手ね。けどいいわ、一人でそんな大変そうなことできるはずないもの」

 汚れを払った眼鏡をかけなおし、ルビアはトリシャと共にゆっくりとシキのいる所へ歩む。


「ごめんね、カロル。さすがにちゃんとしたテレビは見つからなかったよ。ちゃんとしたテレビは私が大人になってから持ってくるからね」

 ボロボロのテレビをカロルの墓標の前に置き、シキは言う。

「それと、これ。カロルが頼まれてた砂時計、完全に寝ちゃう前に直してたんだね。偉いぞ」

 シキがポケットから出したのは手のひらサイズの砂時計で、中にピンク色の砂が入っている。

 その砂時計を見ながら、シキは昨日カロルと別れ際に話したことを思い出す。


「シキにお願いがあるんだ」

 部屋を去ろうとするシキを呼び止め、カロルは今にもベッドに倒れこんでしまいそうな身を起こす。

「頼み? 何?」

 その様子を見たシキはベッドの横に置いてある椅子に座る。

「あのね、こんなことあまり言いたくないんだけど、多分僕はこれ以上時間を進めることはできないと思うんだ」

 カロルは布団の端を握り締め、視線を自分の膝に移す。

「やっぱり自分の体の事だからわかるんだ。それでね、もうこれ以上は無理かなって思うと少し怖くなちゃって……」

 ゆっくりと語るカロルをシキは黙って聞いていた。

「このまま時が止まったら僕はこれ以上前に進めなくなる、もっと先に進みたいのに。だからシキ、僕の分もこれから時間を進め続けて大人になってくれないかな? それで、できればでいいんだけど……」

 またしても睡魔が邪魔をするのかカロルのまぶたが落ちそうになるも、気力で振り切るようにカロルは頭を振る。

「……記憶の片隅にでも良い、僕がいた事を覚えていてくれるかな? 怖いんだ、僕がいた事を忘れられるのが」

 悲痛の願いを聞いたシキは言葉では答えなかったが、ゆっくりと力強く頷いた。


 シキはカロルの墓標にそっと手を置き、膝をついた

「正直に言うとね、私も大人になれるかあまり自信がないんだ」

 手で撫でた墓は冷たく、シキは目を瞑って気を静める。

「最近寒さを感じなくなってきたし、寝ている時間も少しだけだけど、長くなってきた」

 カロルが目の前にいるとイメージし、シキは目を開ける。

「でもね、諦める気は全然ないよ。少しでも長くカロルの事を覚えておかなくちゃいけないしね」

 立ち上がり、シキはカロルが最後に直した砂時計を掲げる。

「それに、私だけがカロルを知ってるなんて寂しいよ、どうせなら色んな人に覚えていてもらおう!」

 砂時計の底に、小さな木の枠に囲まれた刺繍が付けられていた。

「カロルに砂時計の修理を頼んでいた人にお願いして、私の砂時計と交換してもらったんだ」

 交換をした後、シキが刺繍を砂時計に追加したのだ。

 作り直された砂時計の底には、カロル、と名が刻まれていた。

「砂時計ってここでは皆持ってて、いつもよく使うでしょ? 私これからこの砂時計を使って色んな人にカロルの話をしてあげるんだ」

 電気が通っていないこの街では、砂時計は日用品となっている。

 砂時計は使い回されており、万が一シキが時を進められなくなった場合もこの砂時計を別の者に回すつもりだ。

「私がんばって大人になるよ、私にはたくさんの願いが託されてるんだ。それを私は絶対に忘れない」

 固く決意したシキは、砂時計を大事にポケットにしまう。

「その話、あたしも乗った!」

「うわわ!」

 いつの間にいたのだろう、後ろから抱き着いてきたトリシャがシキを驚かす。

「私も乗ったわ。そんな楽しそうな事、独り占めなんてずるい」

 ルビアはそっとシキの頭に手を乗せ、そのまま抱き寄せた。

「ちょ、二人とも。苦しいよ」

 後ろと横から抱かれ、シキはじたばたするが、なかなか離してもらえない。

 そんなシキの耳にトリシャはそっと顔を寄せる。

「一人じゃないんだよ、シキは。私達も一緒なんだから」

 優しい言葉を送られ、シキはありがとう、と小さくつぶやく。


 空に浮かぶ月、ツクヨミに戻ったオオクボとマルコはすぐに医務室へ運ばれ、真っ白な部屋でそれぞれソファの上に座っていた。

 部屋には扉が一つあり、その隣に透明な長四角の窓が設置されており、窓の外に白衣を着た二十代後半の男が二人を見守っている。

 先ほどから部屋には白い霧が流れ込んでおり、その霧が二人の体内にある毒素を少しずつ中和している。

「それでマルコ君、初めて地上から見たツクヨミはどうだったかな?」

 様々なモニターに囲まれた部屋に座る白衣の男は、窓越しからマイクを使って二人と会話する。

「いやぁ、絶景でしたね。ツクヨミが自分達だけでなく地上に住む子供たちの生命のパイプラインであると実感したッス」

 大分毒気が抜かれ、一安心したマルコだが、目眩は未だ拭いきれていなかった。

 白衣の男の言う通り、これは一週間ほど続きそうだ。

 オオクボは疲れてしまっているのか、それともシキ達と最後の別れをして寂しがっているのか、さきほどから何も話さない。

「まぁ、こんな環境に追い込んだ原因も、全て戦争にあるのだけどね」

 白衣の男は目の前の机にあるキーボードにすばやく何かを打ち込み、モニターの内の一つにツクヨミと、ツクヨミの眼下に広がるガラクタの町を映す。

 白衣の男が移し出した映像はオオクボとマルコの部屋に置いてあるモニターにも表示される。

「信じられないっスね。このツクヨミと、下の町がでかい球体に閉じ込められていて、外に出られないなんて」

 白衣の男は傍らにあるビールを飲みながらモニターを眺める。

「エネルギーの限界の近いツクヨミに閉じこもるわけにもいかず、下の街に出るにしても、完全に環境が変わってしまったあの街で生活するのは、体ができあがった我々では不可能」

 イワンがテーブルに置かれたマウスを操作すると、映像が切り替わる。

 画面には、シキ、トリシャ、ルビア、そして他の子供達の姿が表で幾つもリストアップされる。

「遺伝子操作と薬による調整で生まれた子供達で人体実験をしている我々は、とんだマッドサイエンティストと言えるだろうね」

 皮肉交じりに言うと、イワンはテーブルの下に設置されている小さな冷蔵庫から缶ビールを一本取り出し、ぐっと飲む。

 その様子を物欲しそうに見ていたマルコは、話に集中することにする。

「実験成功の目安は子供達が二十歳まで生きのびることですよね? 今の所、最高で何年持ったんですかね?」

 マルコの質問に答えるため、イワンは資料を確認する。

「十八歳だな。二年前にその対象者は亡くなっている。今回亡くなったカロル君は十七歳だったが、恐らく抗体の上書きを続けて体に限界が来たのが原因だろう」

 イワンの説明に、マルコは眉を潜める。

「その、聞きにくいっスけど……シキちゃんと他の友達さんはカロル君と同じくらい調整を受けてるっスよね?」

 イワンはマルコが言いたい事を察する。

「あぁ、彼女達も限界が近い。だが、この実験の成功もまた目前なんだ」

 すると、ずっとマルコの隣のソファで目をつぶっていたオオクボがゆっくりと口を開ける。

「……成功するさ。実験は成功し、シキ達は無事二十歳を迎えて未来を生きる。後続の世代も毒素への抗体を手に入れて、街で暮らせるようになるはずだ」

 虚ろな顔でオオクボはそうつぶやくが、マルコとイワンはオオクボの瞳の奥が確信に満ちている事を見逃さない。

「シキ達が成人するのを見届けることができないのは残念だ」

 オオクボはため息交じりに言う。

 何年も毒素が充満する地上を行き来し、体を酷使し続けたツケがとうとう回ってきたのだ。

「マルコ、後は任せるぞ」

 オオクボの気持ちを十分理解しているマルコは力強く頷く。

「あの子達は絶対に自分が最後まで面倒見るっス」

 後輩の力強い覚悟に、オオクボは安心したのか、疲れた体を休めるために眠りにつく。


 話が一段落し、オオクボとマルコはもう一度眠りについた。

 イワンは、自分達が乗っている母艦、ツクヨミに取り付けられているカメラから見える地上の様子を見る。

 そこにはツクヨミを見つめる一人の少女の姿があった。

 地上は寒いにもかかわらず、少女は夏用の学生服を着ている。

 彼女の目を見て、イワンはさきほど見たマルコの目とどこか似ていると感じた。

 新しいビール缶を取り出し、イワンは画面の向こう側にいる少女へ乾杯する。

「君達が大人になることを夢みているように、それは同時に私達の希望なんだ」


 シキはいつものボロボロの車の屋根に登り、仰向けになって月を見上げる。

「ロージー、スティング、ナツ、アレクセイ、サトミ……カロル。それに他にもたくさんの人達がいたなぁ」

 これまで会い、そして別れていった者を一人ずつ思い出しながらシキは肌に当たる風を感じる。

「皆の願い、全部月まで持っていくからね」

 誰一人忘れることはない、これからもずっと。

「早く大人になりたいなぁ」

 月夜とガラクタに囲まれて、少女は空を仰ぐ。

初めての投稿となります、上野竜二と申します。

短編として書いた作品ですが、続きもそのうち書いていきたいと思ってます。その際はシリーズ物として再編集するでしょう。


けど、次に別の作品を書く時はもう少し明るい物語を書きたいなぁ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「きっとハッピーエンドになるんだよね。」と希望を持って終わって、じんわりとした余韻に浸れました。 楽しませていただきました。ありがとうございます。 [一言] 彼女達の会話から、色々と物語の…
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