続・甘党男と酒やけ女
男=宍戸創也=甘党陛下
女=里中凜子=酒やけ王女
陛下と王女の来世のお話です。よろしくお願いします。
「すいませーん、レモンサワー追加で~!」
よろこんで!の掛け声と共に去っていく店員。
「元気が良いなぁ」と掠れ気味の酒やけ声でご満悦な表情をする女。その手元のグラスには氷から溶けだし仄かにグレープフルーツの味がする水が僅かしか入っていない。それを飲み、下げてもらうようテーブルの端へ置いた。
「少し、ピッチが速いんじゃないか?」
「んー?」
軟骨の唐揚げをぽくぽく口に頬張っていると、目の前の男が半目でこちらを見ていた。
「駆付三杯じゃないんだ。飲みすぎるなよ」
「大丈夫大丈夫。あ、創也さんの好きな出汁巻き玉子来たよ」
誤魔化すように女はひらひらと手を動かしたものの、飲み過ぎを心配する男は納得してくれない。そっと男の前に出汁巻き玉子を差し出しても視線を外してくれない。
じっと見つめてくる視線を遮断するように、女はメニューを広げて壁を作った。
「凜子」
乗り出した男が指先でメニューを下げる。
「もう、何よ。モツ煮は譲らないんだからねっ」
「それは好きにしろ」
「ありがとっ」
すいませーん、と女の手が上がる前に男は店員を呼ぶボタンを押す。と、先ほど頼んだレモンサワーを持った店員がやってきた。その店員に空いたグラスの片付けとモツ煮の追加注文を頼むとまた元気よくよろこんで!と厨房の方へ戻って行った。
早速届いたレモンサワーに口をつける。レモンの酸っぱさと炭酸の弾け具合がビールとはまた違う喉越しに思わず声が出た。
「っかー!美味いねー!」
「どこのおっさんだ」
女は「自分もおっさんのくせに」と口を尖らせる。その様子に男はため息を吐いた。
「何よ?」
「…いや、いい」
そう言って男は甘い出汁巻き玉子を食べ始めた。ほんのちょっとだけ、女に「おっさん」と言われたことに傷つきながら。
「いや~、やっぱり居酒屋は良いなぁ」
今日は久々の居酒屋デート。女は半分程飲んだサワーのグラスを片手にしみじみ言うと、モツ煮をつついていた男の手が止まる。
「そうか?」
「だってさ、お酒がこーんなにいっぱいあるんだよ?こんな幸せな空間ってそう無いと思うんだよねえ」
うんうんと何に納得をしているのか女はしきりに頷いている。そして「あ、」と何かに思い至り、満面の笑みを浮かべた。
「ひょっとして目の前に素敵な旦那様がいるからかな?」
「……お…まえ、相当酔ってるだろ」
「酔ってますよ~」
「…のんべえめ」
ケタケタと笑う女の顔はアルコールで既に真っ赤で。体質的に顔が赤くなりやすいらしく、また笑い上戸でもある。
一方の男は元来アルコールが苦手ということもあるが、今日は車で来ているので一滴の酒も飲んでいない。そのはずなのだが、耳まで真っ赤になっているのは最愛の人からの不意打ちが原因であろうか。
「あれ創也さん、ひょっとして照れてる?」
「…うるさい」
不機嫌な顔を赤く染めたその様子に、女は嬉しくなって掘りごたつに下ろした足で男の脛をつつき出した。
「結婚式は来月だけど、予行演習も良いよね旦那様?」
またも言われたその呼び方に、フイと顔を逸らせ今度は男がメニューで壁を作ってしまう。
「…食後はこのパンケーキにするかな。ソフトクリームも乗って美味そうだ」
「じゃあ私ハイボールのダブル!」
「お前はもう飲むな!!」
…こうして、男と女の夜は更けていく。
居酒屋を出た後、千鳥足になっている女の腕を支えながら男は車まで誘導する。
「おい、大丈夫か」
「んふふ~」
女は酒好きではあるがザルではない。そのことを知っている男が釘を刺しておいたが、結果はこの通りだった。
腕を掴んでいないとふらふら明後日の方向へ歩き出す女を呆れた面持ちで自分の傍へと引き寄せる。
「だからそこまで飲むなって言ったんだ。飲ませ過ぎで親父さんに殴られるのは俺なんだからな」
男と女は結婚式を間近に控えているが住まいはまだ別々だった。男は独り暮らしをしているが、女は実家暮らしなので日付を越えないように送り届けるのが女の家族への配慮だった。
二人は出逢ったその日に結婚の約束を交わし、その後二日と待たずに男を結婚相手として紹介された時の女の家族の胡散臭そうな顔が脳裏にこびりついている。
それはそうだろう。それまで彼氏や恋人の存在がいた気配など微塵もさせていなかった娘が唐突に婚約者だと名乗る胡散臭い男を連れてくれば怪しいことこの上ない。特に父親からは怪しまれ「大事な娘をどうする気だ」と2,3発殴られた。
その際、男は結婚の許しを貰うために結婚式を挙げるまで女を遅い時間まで連れ歩かないと約束をしたのだ。
女を抱えながら駐車場につき、車のロックを解除して助手席側のドアを開ける。
「ほら、頭に気を付けて乗れ」
「ふぁ~い」
ふにゃりと力の入らない女を席に乗せ、背もたれを調節してシートベルトで固定する。
男も運転席に座り込み、キーを差し込んでエンジンを始動させてからもう一度女の方を見ると赤ら顔でもごもご何かを呟いている。女はもう夢の中へ片足を突っ込んでいそうだ。
「……」
ハンドルに凭れながら男はその顔をじっと見つめる。
あの日、街中で女とすれ違ったあの一瞬。何か引っ掛かるものを感じて振り返って見てみると相手も何か思うところがあったのだろう、女もこちらを振り返って見ていた。
長い間立ち止まり、無言のまま互いに観察していたと思う。そこで脳裏に浮かんだのは前世で生涯を共にした女との記憶。人に言えば下らない妄想だと笑われるかもしれないが、男は前世の記憶というものを持っていた。
何故その記憶が唐突に浮かんだのか分からなかった。前世の女に似ても似つかぬ女の容姿。黒髪は同じだけれど、目の前の女は茶色がかった黒だった。前世の女は漆黒。僅かにも似ている部分は無いに等しいのだけれども、何故か「彼女だ」と確信を持ったのだ。
どう声を掛けようかと考えあぐねていると女から「甘い物でも食べませんか」と酒やけのようなハスキーな声音で言われた。それに男は思わず笑ってしまい、「酒も飲めるしそこのファミレスでも」と楽しそうに返した。
男は音を立てないようにサイドブレーキを引き、助手席へ身を乗り出す。そっと、座席で眠っている女の赤らむ頬に指を添えて柔らかな稜線を辿り、まだむにゃむにゃと動いている唇に人差し指で触れた。
魂に刻まれた女の記憶。もし互いにその記憶が無かったらあの時振り向くことはなかったのだろうか。
いや違う、と男は思う。記憶があろうとなかろうと、あの日あの時男と女は立ち止まり、どちらからともなく声を掛けただろう。
「これもひとつの一目惚れ、ってやつか…」
そう言って、男は薄く開いた女の唇に触れるだけのキスをした。
飲み過ぎた女との深いキスは、男を二重の意味で酔わせてしまうから。
触れられても目を覚ますことのない女に、一抹の苛立ちを覚えるがあどけない寝顔にそれもすぐに腹の底へ引っ込む。
「………持ち帰りてえな」
ぼそりと呟いた本音の言葉。もう一度唇を重ねて名残惜しげに音を立てて離れると、男は濡れたようなため息を零す。
―――さあ、0時の鐘が鳴る前にお姫様を帰そう。
思わず浮かんだお伽話のような台詞。男はそんな自分を薄く笑って車を発進させた。
―――昔々、ここではない、どこか別の世界から続く物語。
甘いものが大好きな男が、酒好きな女と出逢い、恋に落ちた物語があった。
男と女の幕は上がったばかり。
これから先の未来も共に歩む道が続いていくことを願いながら、物語は続いていく―――。
せっかくのクリスマス・イブなので甘い話をと思ったのですが、超微糖でした。二人は清い交際…!
男の本懐を遂げる日がいつか来ることを祈って。
お読み頂きましてありがとうございました!