Set
屋台や出店が並ぶ、広場は賑わっていた。昼間からビールを飲む連中、安い値段の飯に食らいつく肉体労働者、安物の宝石をぼったくる者、殴り合いの喧嘩をしている者。そんな光景を眺めながらコーヒーを啜る。
そんな彼の横には女性が満面な笑みでピースする写真が手摺りに置かれている。
榊拓は、広場を眺めながら涙を流した。それに気がつくと、慌てて涙を拭う。
「……未練ありまくりだな」
苦笑いしながら写真に話しかけた。だが彼女は笑顔のまま答えてはくれなかった。
唐突にドアの奥から軋む音がした。彼は素早く右腰につけたホルスターからベルギーのFN社製のブローニング・ハイパワーMk3を抜いた。抜くのと同時に安全装置を解除。左手に持っていたコーヒーカップを音を立てないようにそっとテーブルに起き、両手でブローニングを構える。銃口は木製のドアに。
複数の足音が聞こえ、三人と判断した。しかも一人は女性だ。足音がドアの前で止まると、ドアがノックされた。榊は身を隠しながら銃だけはドアを向ける。
「誰だ?」
「水谷」
そう言うとスーツ姿の水谷がドアを開けて入ってきた。彼は水谷だと分かってからブローニングをホルスターに戻す。
「相変わらず用心深い人ですね」
溜め息混じりな声で彼女が言った。残りの二人はスーツ姿の男で、入口に立っていた。
「それで、なんか用か? あんたが直々に来るって事はなんかあったんだろ?」
榊は、残っていたコーヒーを飲み干す。
「詳しい話は車の中で」
そう言われた榊は紺色のシャツの上に黒いジャケットに腕を通し水谷と部屋を出た。廊下には娼婦といちゃつくデブ男が体を密着させていた。彼を退かしながら狭い階段を降りると、おんぼろのアパートの前にはそぐわない黒く大きなバン――GMC社のサバナ――が堂々と止まっていた。スライド式のドアを開けると、そこには先客がいた。
「お前もか、拓」
大澤誠だ。黒いサングラスをかけながら風船ガムを噛んでいる。これが彼のトレードマークだ。
「お前も、とはなんだ」
榊はそう呟きながらサバナに乗り込むと、奥のシートに座った。それから水谷も乗り込むとすぐに車が発進した。
「それで、なにがあったんだ?」
榊が話をきり出す。
「実は飛び入りで仕事が入りまして」
そう言いながらノートパソコンを開いてなにやら作業を始めた。その間に車のスピードが落ちて、止まったと思うとドアが開いた。そこには茶髪の女性が不機嫌そうに立っている。後ろにはスーツ姿の男が二人おり、彼女を半ば無理矢理車に乗せた。
「絵里香もか」
「一体なんだってのさ。今日はオフなんだけど」
清水絵里香が愚痴をこぼしながら、榊の隣に座った。それからサバナが再び動き出す。
「今回あなた達に集まってもらったのは仕事の件です。しかもかなり厄介な仕事です」
「仕事以外に何があるんだよ」
清水は腕を組みながら言った。
水谷は、聞かなかったのかそれとも聞こえなかったのかそのまま車内の側面に設置されたモニターに顔写真を映した。三人はとりあえずそれを見る事にした。
「彼の名前は坂口明典、三十八歳。昨日起きた警察上層部の殺人事件の関係者だそうです」
最後の言葉に大澤が突っ込んだ。
「だそうですって、あやふやだなぁ。それは確かなのか?」
「彼は大島社長の友人だそうです。文句があるなら社長に」
大澤は「別に」と言って引いた。大袈裟に肩を竦めながら。
「それで? この野郎を警護したらいいの?」
清水が先を進めさせようと話を戻す。そう言われた彼女は咳ばらいを一つしてから話を戻した。
「彼は現在、都内のモーテルで身を隠しているそうです。あなた達の任務は彼を無事に港まで送る事です」
榊は車内をとりあえず見渡した。三人とは心細いと思い、鼻で笑った。
「こちらで野村を呼んで、既に事務所にいます」
「四人でやる気?」
清水が目を丸くして言った。
「警察に追われてる奴を警護するには四人じゃ無理よ」
確かにと榊と大澤が頷く。
「ご心配なく。もう一人呼んでいます。社長のお墨付きの人です」
話が終わるとサバナが停車した。水谷がノートパソコンを持って降りると、続いて榊達が降りた。降りた場所は地下駐車場だった。
「ご苦労だった水谷君」
大島が高校生のような顔立ちをした童顔の野村正司と一人の金髪女性を連れてきた。榊は女性の歩き方を見て驚いた。
「お前らにこの仕事を頼むのは信頼してるからだ。なんなら断ってもいいんだぞ?」
「やっかいな仕事はいつもの事だろ? やるさ」
榊が笑みを浮かべながら言った。
「ところで、社長。その女は?」
清水が怪訝そうに聞いた。そんな彼女の目は明らかに敵意の目になっている。
「紹介する。彼女はリンダ・エヴァレットだ。イギリスの特殊部隊、SASに所属していた実績がある。今回彼女とこの仕事をこなしてもらう」
榊はそれを聞いて納得した。
「リンダです。よろしく」
さらに驚いた。彼女の日本語は訛りがほとんどなく、完璧に近い。それを聞いた大澤が口笛で吹いた。
「俺は榊拓だ。よろしく」
榊が手を出して握手を求める。リンダもそれに答えて握手をする。
「大澤誠だ。誠って呼んでくれ」
同じく大澤もリンダと握手した。
榊は清水を見ると、まだ敵意剥きだしの目をしていた。溜め息をつきながら、
「彼女は清水絵里香だ」
代わりに紹介しておいた。それを聞いたリンダは笑みを浮かべて握手を求めた。しかし清水はそれを払った。その瞬間、凍てついた空気が流れた。お互い動かず、目だけで会話しているようだ。ただどう見ても会話しているようには見えないが。
「まあ、仲良くやってくれ。水谷君、あとはまかせたぞ?」
大島はそう言って逃げるように去っていく。それを水谷が見届けると、サバナに乗っている部下に手で指示をして隣に止めてある白いステップワゴンのスライドドアを開けた。
「あなた達の装備はもう準備しています。すぐに仕事に取り掛かって下さい」
榊と大澤と野村の三人はそれぞれ自分の装備を確認してボストンバッグからボディアーマーを着た。
「あなたがたもです。今はいがみ合ってる場合ではありません」
そう言われた清水とリンダがお互いの目を見ながら装備を取りに行った。
大澤はスイスのシグ社が開発したSG552をいじり始めた。この銃はCRW(近接戦闘武器)で、コンパクトながらも威力は十分ある。加えて性能も抜群だ。彼は半透明になっている弾倉を抜いて棹桿を何度か動かす。それが終わると弾倉を差し込んで安全装置をかける。
榊はボストンバッグからイスラエルのガリルSARを出すと折り畳み式の銃床を起こして、一度構える。もちろん引き金には指をかけない。世界でもっとも有名なAK47の構造を真似て作られており、性能は落ちるが十分な威力を持っている。確認が終わると弾倉を抜いて、五.五六ミリ弾が詰まっているか確認して戻す。
野村は社内でずば抜けて射撃の腕がいい。そんな彼が愛用しているのは都市迷彩を施したスプリングフィールド社のM21。M14を狙撃用に改良したのがこのモデルだ。それを負い紐で肩から下げて、右太腿につけたホルスターには榊の愛銃と同じベルギーのFN社が開発したファイブセブンを差し込んだ。
清水はドイツのH&K社のUMPという短機関銃に弾倉を差し込んだ。ポリマー素材を使用しており、非常に軽い。加えて性能もよく、信頼できる銃だ。そんなUMPには空いた手で握るタイプ――通常は空いた手で被筒をしっかりと支える――のバーティカル・グリップと照準器が装着されている。
リンダは米軍や特殊部隊が制式採用しているアメリカのコルトM4A1を持ち上げた。リンダのM4は上部にあるキャリングハンドルを取り外し、代わりにホロサイトという照準器が装着されている。伸縮式の銃床を動かし、自分に合う位置を決めた。
「用意が出来たようですね?」
水谷がそう言うと、榊達はそれぞれ予備弾倉をボディアーマーの上にある弾倉袋に納めた。
「場所はナビにインプットさせております。細心の注意をして仕事をこなして下さい」
「大丈夫だって。俺たちがいれば楽勝だ」
大澤がガムを噛みながら言った。
「では、よろしくお願いします」
水谷の言葉が言い終わると仕事用に大澤が改良した黒いGMCのバンデューラに乗り込んだ。榊と大澤が運転席に、残りは後部座席に。大澤がキーを回してエンジンをかける。ギアを動かしてアクセルを踏み込む。仕事の始まりだ。