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 全身が、痛い。

 なんのアナウンスもなかった。機体が飛び上がって数時間。突然視界が傾き、風が肌を滑り、全身を打ち付けるような痛みが走った。理解もなにもできないまま。

 機体が射ち落とされた、といったところなのだろうか。とにかく血が足りないのか、思考がままならない。土と血が口の中に入って、何とも言えない味がした。

 ああ、これで死ぬのか。

 でももう、僕には何も関係ないな、と思った。


   □


「喜べ、君が今世のラッキーパーソンだ」

 あまりにも高らかな、少年のような声だった。

 僕は閉じかけていた目を無理やり開けた。額に切り傷があるのだろう。赤混じりの視界に映るのは逆光で黒く塗りつぶされた女。

 女の髪は色素が薄いのか、光に透けてきらきらと輝いている。

「ああ、そう言われてもピンと来ないか。まずは瓦礫に下敷きになっているその体からどうにかしよう。僕は人ではないが鬼でもないからね、気を遣うこともできる」

 女は新芽のように細い指をシェルターの残骸にかけ、いとも簡単に持ち上げた。そしてまるでゴミを投げるように彼方に放った。

「軽くなっただろう。もう話せるんじゃないか」

 切り取られた影の中で、女が笑ったのがわかった。切り揃えられた前髪の下に覗くのは、紫色の瞳。

「殺して、くれ……」

 正直、早く楽になりたかった。こんなところで助けられても、もう。

 女は怪訝に眉を寄せると手を口にやった。

「人の喜びとは生きることと教えられたが、そういうこともあるのかい? もしや早速、ケースバイケースというやつか」

「うるさい。ギンギン声で喋らないでくれ……」

 こんな状況なのに、自分の口が回るのが不思議だった。

 腹に力を入れると、不思議と上体を起こすことができた。数秒前より明らかに回復している。破壊された「舟」の下敷きになって瀕死だったはずなのに。

 白衣はべっとり血がついているし、砂埃でぐちゃぐちゃだった。なのに切れた布の合間から覗く肌には傷跡がない。

「ふふ、いいねいいね。生き汚いのが一番良い」

「あんた……何をした?」

「少し傷を治しただけさ。君の好きなゲームでホイミとかキュアとか言うやつかな」

 女は満足そうに鼻を擦った。

 赤紫に沈む夕日を背に、白いストレートヘアが揺れている。瓦礫の飛び散る山の上ではためくセーラー服は、あまりにも場違いだった。

「僕の正体が気になるんだろう? 残念ながら神ではないんだ。少し違うが宇宙人と言った方が適切かもね……ああ君はSFの素養があるのか。ならばこれでも伝わるかな」

 山の形も変わって久しいチョモランマの頂上で、ローファーがステップを踏む。

「並行世界からやってきた、とある男のクローンだ。名前はEve-12。ひとえに、この世界を滅びの運命から遠ざけるために」

「なぜ、僕の前に」

 なぜ、生き残ってしまったただの生物学者の前に。

 世界を救う力なんてない、ただの男の前に。

「船子穂村、ざっと僕が見渡した中で金枝の王の適性が一番高かったからね。それはそれとしてだ、君はどうしたい?」

「僕は」

 一瞬、斎の顔がよぎる。

 ここで立ち上がるということは、彼女がいない世界で生きていかないといけないのだ。

(わかっている、そんなことは)

 強く、唇を噛む。

「僕は、この世界が継続することを望む」

 折角拾った命だ。存分に使わせてもらう。

 それが彼女への贖罪にもなるだろうから。

「そう来なくっちゃね」

 僕の思いを知ってか知らずか、イブと名乗った少女は口笛を吹いた。下手だ。

「手を」

 言われた通りに手を差し出す。作り物のような白い肌に重なる泥まみれの無骨な手はあまりに不恰好だった。

 少女が青白い光で包まれていく。

「今ここに金枝の王の契約を結ぶ。生体データを世界樹と接続。システム・レックスネモレンシスを起動。登録者名、船子穂村」

 まるで体に水を流されているかのようだった。光は自分をも包み込み、気力が湧き上がってくる。

 旋風が、吹く。

「ラルファス・フランベルジュ・ノーデンスの名のもとに告げる。汝、健やかなる時も病める時も、世界樹を育て、外なる者に対抗することを誓うか」

「誓おう」

 何を言っているのかわからないが、口をついて出た。

 イブは頷くと、不敵に微笑んだ。

「今ここに契約は成立した。この世界をノーデンスの血族の観測範囲とし、共に人類を存続させることを誓う」

 イブは大きく息を吸った。

「この世界に幸運を」


  □


 かくして、金枝の王とかいうよくわからない役職に半ば無理やり添えられた僕が行ったのは、まず舟の乗組員の蘇生作業。舟の修復作業……というか研究所の形への改装作業。そしてもう一つ、乗組員の遺伝子改造だった。

「君たちが名状しがたきもの、と呼ぶそれらは、実は宇宙に偏在する概念なんだ。あれらは惑星を滅ぼし、エネルギーを補給して去っていく。それを防ぐため、我ら剪定者と金枝の王がいる」

 白髪の異邦人、イブはそう語る。

 簡単に説明すると、王の責務とは、名状しがたきものに対抗するために世界を運営することらしい。

 そのため、ある程度世界の定理と呼ばれるものの改造が可能。科学法則を自分で書き換えられるということだ。まさか、一晩にして恐ろしいほどの力を得てしまった。

 暖色の間接照明で整えられた、船内研究所の休憩室。観葉植物と木目調のインテリアで洒落たカフェのような空間が作られているが、ここは標高八千メートルを超える高山の上である。

「この星の生物はあらかた食い尽くしたらしく、いまのところあれらの脅威は去った、という感じだな。で、穂村。君はどうしたい」

 僕に寄りかかるように身をもたげてイブは言う。その細めた目蓋も相まって、悪魔のささやきじみている。

「今の状態で、個々人があれに対抗するのは現実的ではないね」

「それはそうだ。人間は脆い」

「……わかった。じゃあ僕はひとつだけ、大規模な定理操作を行おうと思う」

「聞こう」

 興味深そうにのぞき込むイブに向かって、僕は笑みをこぼす。

「幸い、ここにはたくさんの動物の遺伝子があるだろう。それを、生存者の遺伝子と乗算する。強化人間を作って、繁栄させる」

 RCOの遺産を最大限に利用させてもらう。自分の思っていたこととは違うが、当初の「役に立ちたい」という目的は叶うこととなった。

 イブは白い髪を振り乱してけらけら笑った。

「はは、君ってば見かけによらず、随分なマッドサイエンティストなんだね」

「知らなかったかい? 僕には人間の心なんてないんだよ」

 そう言って僕は、ぬるくなった白湯に口をつけた。



 そうして僕は、死体が残っているかつての知り合いたちをひとりひとり蘇生させ、この世界を存続させるための実験に協力してもらえるよう交渉した。

 なんといっても対人間だ。難航することもあったが、誠意をもって対応した。結果として、全員を説得することができた。

 毎日、毎日、実験器具、いや棺に、かれらを一人ずつ、閉じ込めて行った。

 残るように、遺るように。

 今日で作業は終わり。褐色の肌の民俗学者は、自らの意志で、管の繋がれた棺に入っていった。

 あとは待つだけ。明日を、信じて。

 棺の蓋を閉じ、目を閉じて、祈るように呟く。

「僕が、繋ぐ」

 応えるように、棺がブウン、と低く唸った。

 君の愛したこの世界を、継続させる。

 それがこの舟の竜骨となった主の、最後の贖罪だ。

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