お誘い
翌日。
四時限目の授業が終わり、昼休憩の鐘が鳴る。
クラスメイトたちが食堂に向かったり、仲の良い友達と弁当を広げたりするなか、わたしは机に突っ伏した。寝不足だから。昨日は図書室のことがありほとんど眠れなかった。くそ眠い。
「ふへぇ……」
わたしが通うのはガガガ学園という、偏差値そこそこの進学校だ。
家から近いのと、学費が安くなる制度があるから通っている。まあ、浮いた学費のほとんどは使ってしまうけど。
そして、この学園には特別英才学科というのがある。
勉強や運動だけでなく、演技や芸能など、幅広い分野から才能ある人だけを集めた、少数精鋭の学科。卒業後も手厚い補助が受けられ、将来の成功が約束されている。
片手で数えられるくらいの人しかおらず、学園内でも自由奔放に活動しているので、関わることも少ない。
縞恵丹美。彼女もそのひとりだ。
「おーい、おーい……」
さて、そんな天才のひとりに昨日、接吻をされたわけだが。
「寝てるのか~? 顔にサインするぞ~?」
どうやら、その天才に懐かれてしまったらしい。
わたしが顔をあげると、丹美さんの顔があった。
見下ろしているような体勢だが、小柄なので、小さな子が偉ぶっているように見える。
ヘッドホンは首にかけており、ポケットに手を突っ込みながら、わたしの顔を覗き込んでいる。
「おっ、ようやく目覚めた」
丹美さんがにやりと笑う。
昨日、丹美さんは執筆が終わると、さっさと教室から出ていった。しばらく惚けていたわたしはいなくなってから、そのことに気づいた。担任に報告して帰路についたけど、頭の中は丹美さんのことでいっぱいだった。
「ん? どうした?」と、丹美さんが首を傾げる。
……それにしても、初対面の人に接吻するとか、作家っていうのは小説のために何でもするのか。わたしでもそんなことしないのに。丹美さんは躊躇が無かったもん。
やっぱり天才は違う。
わたしは帰り道も夜ご飯も布団の中でも、図書室のことが頭の片隅から離れなかったのに、丹美さんは何事も無かったように振る舞っていやがる。
彼女にとって接吻なんてのは日常の一端なのかもしれない。
……もしかして、わたし以外の人にもやっているのかな。それはそれで複雑というか、なんというか……。
「お~い、考えごとか~い?」
わたしの反応が無いことにしびれを切らした丹美さんが、頬を引っ張ってきた。いひゃい。
「ほれで、わたひにあんのよう、でふゅか?」
「放課後って暇?」
丹美さんに頬を離された。ひりひりする。
「まあ、暇ですけど……」
部活には入ってないし、今日の図書委員の仕事は別のクラスが担当だ。家に帰ったとしても、だらだらするだけだし、時間はたっぷりある。
「どうして、そんなことを聞いてきたんですか?」
丹美さんは一瞬、間をあけて、にやりと笑う。
「デートいこ?」
「うん……ん? デートっ⁉」
どうやら、聞き間違いじゃなかったみたいだ。
「近くのショッピングモールに用事があるんだけど、せっかくならデートしようかなって?」
「ど、どうして、わたしなんですか?」
「ご褒美だよ。私は嘘をつかないから」
丹美さんは念を押すように、わたしの耳元で囁いてくる。
「もちろん、いいよね?」
くすぐったい。背筋がぞくぞくする。
艶っぽい声色。吐息が耳の奥を震わせてくる。
「は、はい……」
断れるわけがなかった。
そんな蠱惑的に誘われたら、受け入れる他ない。
丹美さんの顔が耳元から離れる。満足そうに微笑む彼女。
……そこで気づいた。わたしたちが周囲の視線を集めていることに。
時期は五月。二年生に進学し、新学期になってから、すでに一ヶ月が経過している。そのため、クラスではグループやカーストができている。
カースト下位でぼっちなわたしが、英才学科の天才美少女と楽しそう(?)に話しているのは、奇妙な光景なんだろう。ヒソヒソと噂されているのがわかる。
わたしは丹美さんの肩をぐいと押し、距離を離す。
「あの、ちょっと……色々と勘違いされたら、困るんで」
丹美さんは首を傾げる。
「勘違い?」
「いや、それはわたしと丹美さんが――」
そのとき、わたしの声を遮るように丹美さんのポケットから聞き覚えのあるボカロ曲が鳴った。どうやら着信音のようで、丹美さんはポケットからスマホを取り出す。
「……はい、はい。わかりました。詳細はまた後日で」
内容はよく聞こえなかったが、丹美さんが一瞬、切なそうに笑った。彼女はスマホをポケットにしまうと、
「それじゃ、また放課後に……ね?」
ヘッドホンをつけて、教室を出ていく。
わたしがほっと一息つくと、周りにいた生徒たちが押し寄せてきた。
騒然とする教室。
囲まれたわたしは次々と質問を投げられた。
「どうして君は丹美さんと仲が良いのっ⁉」「君と縞恵さんはどういう関係だっ⁉」……などなど。
適当に聞き流したが、ただひとつ、言いたいことがある。
誰かひとりくらい、私の名前を憶えておけ。
わたしは、冬樹司だ。




