06. ロバート公爵、突然の死
※ 2025/7/3 加筆修正済み
◇ ◇ ◇ ◇
イブリンは孤児となって落ちぶれたとはいえ、男爵令嬢である。
親より年上の男を夫に持つなど、身寄りがないとはいえ彼女自身は納得したのだろうか。
いくら公爵とはいえ、寡で愛人が何人もいる初老の男より、もっと年相応の若者と結婚したかったろうにと、口にこそださなかったが周囲は同情した。
否、彼女は全てを冷静に承諾していた───。
「なんて僥倖なんでしょう、少なくとも、これで明日妹たちが食べるパンの心配をしなくていい!」
イブリンはロバートの妻になれて嬉しくて仕方なかった。
なぜなら、元々彼女には外見の可愛らしさとは裏腹に野心があった。
『貧乏男爵令嬢』と学園内でイブリンを馬鹿にした高位貴族の令嬢たちを、イブリンはいつかはコテンパンにやっつけたかったのだ。その為には己も彼女等のステータスにまで登らなければ戦えない。
イブリンは中等部時代のクラスメートの令嬢たちの、自分にした酷い仕打ちをけっして忘れてはいなかった。
※ ※
イブリンは中等学園時代の辛い日々を回想する。
華やかなドレスを纏った高位貴族令嬢が一団となって、イブリンをぐるりと取り囲んでいた。
『ふふ、なあに貴方またその地味な服なの?』
『今日はダンスのレッスンだから先生たちが、ドレスを着てくるようにっていったでしょう』
『それにその恰好は着古したワンピースじゃないの、それも袖にシミがあちこちついててよ』
『キャハハ、本当だわ!』
『汚いし、みっともないわねえ』
イブリンは彼女たちにひるまずに、キッと目を見開いて精一杯の声を発した。
『今日……ダンスのレッスンがあるとは、誰も教えてれなかったので、いつもと同じ服できました』
『あら、あなたが先週休んだのがいけないんじゃない、だけど、あなたには誰も教えるお友達はいないのかしら?』
華やかな令嬢たちの中、ひときわ美しいドレスを着飾った高慢ちきな令嬢が冷淡に笑った。
彼女は公爵家の娘で高位令嬢たちのリーダー格であった。
『……そうです』
イブリンは応えたが、彼女の黒い瞳は高慢ちきな公爵令嬢の顔を睨みつけた。
──そうだ、ここでは誰も教えてはくれない。
だってこのクラスは、あなたが仕切ってるんだもの。
あなたは知ってるくせになんて意地が悪いの?
クラスメートたちはあなたが怖くて、誰もあたしと友達になってくれないのよ。
それに『落ちぶれた男爵令嬢の私を相手にするな』って陰であなたが率先して、いつもあたしのいない所で言ってるじゃない。
あたしはあなたの卑怯なやり方を全て知ってるのよ。
イブリンはこのクラスになってから、ずっとこの意地の悪い公爵令嬢と、その取り巻きに苛めの対象にされていたのだ。
酷い時には、学園の掃除人が使用してた汚水の入ったバケツを、誰かが階段の上から階下のイブリンに頭から汚水を浴びせた事もあった。
汚水に塗れたイブリンのびしょ濡れの哀れな姿は、彼女らの格好の餌食だった。
大笑いするいじめっ子の令嬢グループたち。
気の毒そうな顔をしながらも、誰も助けようとしない、その他のクラスメート。
──あたしは、この時の腐った水の匂いを絶対に忘れない。
今にみてらっしゃい、あたしはあなたたち1人残らず仕返ししてやるから!
イブリンの心は復讐に燃えていた。
イブリンが令嬢たちから苛めの対象にされたのには訳があった。
同じ学園内にある高等部の令息たちから、やたらとイブリンが注目されてたのが原因だった。
リーダー格の公爵令嬢は自分を差し置いてイブリンが令息たちから、ちやほやされるのが気に入らなかったのだ。
確かに、この頃からイブリンの容姿は人目を引くほど整っていた。
イブリンは学生になって初めて己の容姿がいいと気付いた。
そして身分の低い男爵令嬢が成りあがっていくには、自分の容姿を武器にするしかないと心に決めた。
この時からイブリンは、いかに男たちを虜にできるのか、その術を常に男たちを観察し、自分の振る舞いを姿鏡で写しながら、手足の動かし方、腰の撓り方、俯き加減で上目使いで男を見つめる等、ありとあらゆる女の手管を考えるようになっていく。
◇ ◇
イブリンは見栄えも気を付けたが、年の離れた妹たちの為にも知識とマナーがなければ社交界では生きてはいけない。せめて学歴だけでも身に着けて置かなければと、必死に中等学院を卒業したのはいいが、その後すぐに親が急死して彼女たちは食べていくにも困難な身となった。
だから運よくイブリンは学園を卒業後、ロバート公爵に見初められたのである。
イブリンは天にも昇るような気持ちであった。
──良かった、ロバート様のおかげで私は何もせずとも高位貴族の公爵夫人になれる。
これであの高慢ちきな令嬢たちにも、いつか絶対にやり返すことができるわ!
イブリンはしめしめと高笑いした!
こうしてイブリンはハートランド公爵夫人となり、1年半後にはロバートとの間に玉のような男の子にも恵まれた。これにはロバート公爵も珍しく羽目を外すほど歓喜した。
ロバートが大いに喜ぶのも無理はない。
短期間の間に若く愛らしい妻と公爵家の嫡男が手に入ったのだ。
既に中年から初老に差しかかったロバートにとって、この世の春といってよかった。
当時、ロバートには大勢の愛人がいたが、イブリンを正妻にしてからは全ての愛人たちと一切縁を切った。
それだけロバートは心からイブリンを愛していた証拠だった。
はたから見てるとロバートはイブリンを蝶よ花よと可愛がり、周りが呆れるほどの溺愛ぶりだった。
イブリンもロバートを……といいたいところだが、何せまだ彼女は16歳である。
夫への愛情というよりも、イブリンは亡き父親へに愛情に飢えていたのか、それに近い甘え方であった。
それでも優しくて包容力のあるナイスガイのロバートに、イブリンも次第に妻としての自覚が芽生え愛情を募らせていく。
可愛い男の子もすくすくと成長して、イブリンは常に夫と子供の側で微笑んでいた。
いつのまにか昔のクラスメートへの復讐心すらも薄れていった。
◇ ◇
だが数年後、ロバートは突然病であっけなく亡くなった。
まだ享年49歳だった──。
イブリンは21歳という若さで未亡人となり、子息のユーリは4歳で正式にハートランド公爵家の後継者となった。
だがまだ子息が幼い為、母親のイブリンがユーリの親権者として、子息が成人となり当主になるまでは、公爵本家の所有財産をすべて彼女が相続した。
◇ ◇
肌寒い初秋の日──。
夫の墓の前に黒薔薇をお墓の上に置いた、喪服姿のイブリンと息子のユーリがいた。
「お母ちゃま、お父ちゃまはどこにいるの?」
幼い息子のユーリは、イブリンの顔を覗き込みながら父親を探した。
ユーリは幼すぎて、父親が亡くなったことがよくわかっていなかった。
「⋯⋯⋯⋯」
イブリンはユーリをギュッと抱きしめながら無言で佇んでいた。
──旦那様がこんなに早く亡くなってしまった。
いつも私に笑顔を見せて慈しんでくれた旦那様は、もうどこにもいない。
滅多に泣かないイブリンの黒い瞳から、この時ばかりはとめどなく涙が流れ落ちていった。