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Chapter4-Section66 憧れ


 五つ上の兄がいた。


 俺たちは腹違いで、幼少期を共にアメリカで過ごした。兄はアメリカ人の母から産まれ、俺は日本人の母から産まれた。


父はアメリカ人で、遊び人を絵に描いたような男だった。兄を産んでおきながら、当時の女とは別れ、結婚相手に選んだのは、仕事の都合で日本からアメリカに移住してきていた俺の母だった。それでも兄をしっかりと養っていたあたり、遊び人として矜持のようなものがあったのかもしれない。

 それから間もなくして、俺が産まれた。


 兄は何かにつけて、自分のカッコよさを俺に誇示するような男だった。橋の上から川に飛び込んだり、素手で木を登ったり、三百メートルもある上り坂を自転車で漕いだりした。それらを臆したりせず、辛そうな顔を微塵もせず、喜々としてやってのけた。

 俺は純粋に、そんな兄のことを格好いいと思った。この人にとって恐怖やしんどいという感情はちっぽけで、簡単に乗り越えられてしまうものなんだと憧れを抱いた。


「どんな逆境も、楽しいに変えていくんだ」


 兄が言っていたのを覚えている。


 それを聞いて、俺は自分の過ちに気づき、兄のことをさらに格好いいと思った。恐怖もしんどいも、兄はちっぽけに感じていたわけではなく、全てを楽しいという感情に変換していた。

 そんなことが出来るなら、最強で無敵だと思った。恐いものなしだ。


 とにかく兄は格好良すぎた。


 俺が五歳になったとき、親は離婚した。

 理由を訊いたわけではないが、おそらく父の不倫だと思う。それくらいあの父には、女の影が絶えなかった。


 母は日本に帰国することになり、それに着いていく形で、俺も日本で暮らすことが決まった。兄は父とアメリカに残ることになったので、俺たち兄弟はそこで離れ離れになった。連絡を取り合うことすら禁止されてしまったので、完全に疎遠の関係性になってしまった。

 なぜ連絡すら禁止なのかと、子供のころの俺は母と口を利くのもやめるほど強く怒っていた。だが今思えば、俺がアメリカに戻りたいと言い出すことを、母はずっと恐れていたのかもしれない。俺の兄への憧れを、兄弟の仲の良さを知っていたから。


 月日は流れ、俺が十八歳になった頃。バイトで貯めたお金でアメリカに飛んだ。アメリカに行くと伝えたとき、最初こそ母は反対していたが、兄に会いに行くだけだと言うと、何か言いたげに口をパクパクとさせたが、結局、それ以上強くは反対してこなかった。


 俺と兄を引き離してしまったことに、母にも罪悪感はあったのだろう。


 アメリカに行くと、まず父のところを尋ねた。そこには知らないアジア人の女がいたが、兄はいなかった。

 兄の居場所を訊き出して、そこに向かった。もっと寛いでいけよ。と父に言われたが、俺は遠慮した。すると今度は、何があるか分からないからと、俺のスーツケースがパンパンに膨らむほど菓子パンとスナック、それに少しの現金を詰めこんだ。母からしてみれば父は悪いやつだが、たぶん、それ以外のほとんどの人間にとって、父はそこまで悪いやつじゃない。


 兄がいると伝えらえた場所は、薄暗く、ジメジメとした場所にあるアパートだった。壁面のレンガは黒ずんでいて、二階に続く鉄骨の階段は今にも崩れそうなほど錆びついていた。

 そこは、あの兄がいる場所には相応しくなかった。格好よくて、最強で、無敵な兄とは、かけ離れている。


 それでも、そこに兄はいた。

 いや、兄と同じ名前なだけの、別の何者かがいた。そいつはまるで死人のように肌は青ざめていて、頬も体も全部痩せこけていた。目に光は無く、ここのアパートの立地と同じように薄暗く、他人の不幸を喜びそうな湿った視線をしていた。


 そいつは俺の存在を弟と認識すると、部屋の中に招き入れた。

 部屋は物置小屋をめったやたらにかき混ぜたくらい散らかっていて、足下を見て歩かないと、物や服を踏みつけてしまいそうだった。


 そいつは嬉しそうに、俺に色々と喋りかけるが、呂律が回っていないことが気になってしかたなかった。部屋の奥から裸の女がシーツにくるまったまま出てくると、そいつはいきなり怒声をあげ、女を部屋の奥に戻らせた。

 突然、焦ったようにテーブルの上にある何かを手に取ると、それを戸棚の中に隠した。


 ドラッグかもしれない。

 そう思って、そいつを見ると、変わり果てた容姿も、言動も、仕草も、何もかもが怪しくなった。首をかきむしる手が震えていた。


 俺が憧れたあの人は、ここにはいない。


 失望。裏切り。それらはこの場で怒りとして変換された。


「あんたは俺の兄貴じゃない。俺が知っている兄貴は、おまえみたいなやつじゃない」


 俺はそう言った。兄の人生にいったい何があったのか。尋ねてみてもよかったのかもしれない。でも俺はひどく動揺していて、そんな余裕はなかった。

 踵を返して、逃げるように部屋から出て行った。


 それから俺は日本に戻り、配信者『RabPhin(ラヴフィン)』となった。俺の憧れを消さないために、存在を残し続けるために。


 どんな逆境も、楽しみながら乗り越えていく。格好よくて、最強で、無敵な俺の憧れ。


 それがラヴフィンという男。俺が憧れた男の姿。


「なに言ってんだ! ようやく温まってきたところだろ!」


 俺の憧れは、こんなことで挫けない。


「本当の勝負はここからだぜ!」


 日本最強だろうが敵じゃない。


「いいね」リンクスは余裕綽々と言う。「君との勝負は飽きないね」


「あと百戦やろうよ!」

「はっ! 桁がひとつ足りねえだろ!」


 互いのボルテージが最高潮になったとき、


「やめい。おまえら……!」


 突然に第三者がゲームに乱入してきた。



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