Chapter3-Section47 pardon
「おはようございます」
私が挨拶すると、的井翔琉は無言で会釈をした。その横には彼の母親がいて「お世話になっております」と頭を下げ、茶色いポニーテールを揺らした。
彼らは静岡から来ていて、会場のある千葉からは遠い。そのため昨日は近くのホテルに前乗りで泊まったそうだ。高校生だけで宿泊はできないので、応援もかねて母親が付き添ってくれていると前もって聞いている。
「これ。差し入れのマフィンです。昨日の朝に作って来たの」
母親は私に袋を渡した。マフィン作りにハマっていると言う彼女のマフィンは何度か食べたことあるが絶品だ。私は唾を飲み込んでから、その袋を受け取った。「ありがとうございます……!」
「で、なにしてたの?」
的井翔琉が訊くと、三雲進は困った顔で自分のパーマを揉み込んだ。
「それはこの子が……。てあれ?」
気付けば、夏海は私の背中にまた隠れていた。彼女は極度の人見知りだから、人が増えたことに怯えてしまったのだろう。でもどうして毎回私の後ろ?
「もういいや。なんでも……」
それよりもさ。と三雲進は話題を変えた。
「カケル、おまえ……! この前の試合よくやってくれたよ! まじでナイスだった! 今日もIGLするか!? なあ?」
入れ替え戦の決勝戦。体調不良で途中退場した三雲進に代わり、的井翔琉がIGL、つまりチームの司令塔を引き受けた。そして彼は見事に結果を出してみせた。そんな彼の活躍もあり「CONTRAIL」はプロリーグへの昇格を決めることができている。
「あのときは運が良かったって自覚してる。普段は三雲がやったほうがいいよ。まだ」
まだ。その言葉を強調するように言う。
「まだ……ね。言うじゃん」
「覚えといて。三雲が少しでも調子悪かったら。すぐに俺が変わってあげるから。IGL」
「いいけどさ。引退するまで覚えてられるかな。おれ」
「そんなに早く引退するつもりなんだ」
どうして味方同士でバチバチと言い争っているのだろうか。呆れる私のとなりで、的井翔琉の母が涙ぐんでいた。慎ましく微笑んでもいた。
「感激だわ……! 翔琉が友達と楽しそうに会話してるなんて……!」
楽しそうか? これ。
そして普段の彼はどんな学生生活を送っているのか……。
まあ確かに、好きなことで気を置かずに本音をぶつけ合える相手がいるという環境はとても貴重だ。それはきっと、的井翔琉の人生にこれまでなかったものなのだろう。そういう意味では、楽しそうという表現はあながち間違っていないのかもしれない。
「pardon」
綺麗な音が空間を横切った。水滴の落ちる音を膨らましたような、透明でありながら、注意を向けざるを得ない存在感を放つ、そんな声が。
声の方を向くと女性が立っていた。
西洋人だろうか。肌は白く、すらりと背が高い。そして横を通れば、誰もが振り向くような美貌を持っていた。
どうやら道を空けて欲しいらしい。三雲進と的井翔琉の立つ場所は彼女の通り道をさえぎっていた。三雲進はその意図をくみとって、的井翔琉の肩に腕を回し、一緒に道の脇へと避けた。すると彼女は「メルシー」と透明な声を置いていき、颯爽と通り過ぎていった。そのすぐ後ろにぞろぞろと集団が続く。
モデルさん? なにかの撮影? そんな私の疑問を見透かしかのように夏海がつぶやいた。
「彼女はプロゲーマーだよ。今日の出場選手。やばいよ! 生で見ちゃった……!」
「プロゲーマー……! あの人が!?」
その美貌と存在感はハリウッド女優と言われた方が納得できた。
うん。と私の背後で縮こまりながら夏海は頷く。
「フランスの『Laurier』というチームに所属してる。ヨーロッパ地域で最強格のチームだよ。ちなみに前回大会は世界6位」
「世界6位……!」
驚いている私に「元モデルなんだとさ」と三雲進がさらに追い打ちする。「美しすぎて息のんじゃったよ。おれ」
元モデルであれば、あの美貌にも納得だ。同時に、だったらプロゲーマーに転身しない方が良かったのでは? と別の疑問がわいて降ってくるが、きっと彼女も、その場所でしか発散できない熱を持っているのだろう。
しばらくすると、ラヴフィンはやってきた。黒のキャップを深く被り、サングラスを掛けていた。
「よっしゃ! そしたらさっさと行こうぜ!」
まるで漫画の主人公のように、自分が最後に登場するのが当たり前であるかのように言う。
そうして私たちは幕張メッセの会場に足を踏み入れる。そこで出会うのは、まだ見ぬ怪物達、想像を超える熱狂、そして世界一の男達。
それらは私達にとって、あまりにも早すぎる邂逅だったのかもしれない。
おまけ
三雲「ラヴィ。また遅刻だね」
ラヴ「わりい、わりい。少し遅れた」
翔琉「気をつけなよ」
三雲「カケル。おまえが言う?」
レイ(言いはしないが少しではない。なぜなら私がラヴフィンにだけ早い集合時間を伝えているからだ。私が想定している集合時間より、少しだけ送れてくるくらいの時間を。本当はラヴフィンは30分も遅刻している。しかし、みんなそれに気づくことはないだろう。遅刻したという会話になろうと、ラヴフィンは事実遅れているのだから。そして何分遅れたかなんて、わざわざ突っ込む几帳面な人間はここにいないのだから。計画通り……!)




