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Chapter2-Section32 待ってダメえ!

「れーいー!」


 公式大会の入れ替え戦当日、例のごとく夏海のマンションに向かうと、まだインターホンを押しても無いのにエントランスから夏海が飛び出してきた。随分と手厚いお出迎えだ。


「助けてー!」


 と私に抱きついてくる。違った。お出迎えではないらしい。


「どうしたの?」

「ついに出たのぉー!」

「出たってなにが?」

「ゴキブリだよおー!!」


 涙目で私に訴えてくる。なるほどゴキブリか。あれを見てしまったのならこの慌てようも頷ける。しかし、ちょっと待って。


「夏海」と彼女の肩に手を置く。


「あの不潔の塊でしかない黒光り悪魔を私にどうしろと?」

「退治してえ!」

「無理! 絶対に無理だから!」

「いつも私の部屋を掃除してくれるじゃんよお!」

「それとこれとは別だから! 私もゴキブリは苦手なの!」

「なんで出てくるのお! 私の部屋5階だよお!?」

「そんなの知らないよ! もっと高階層に住めば良かったのに!」

「だって昇り降りが面倒くさいんだもんー!」

「あんたほとんど家出ないでしょ!」


 マンションの前で意味の無いやり取りをくり広げていると、どこからか「玲ちゃん?」と呼ぶ声が聞こえた。声の方を見ると三雲進が立っていた。


「三雲さん……?」

「え……? ミクモン……!?」


 夏海はササっと私の背中に隠れる。


「どうしてここに?」

「散歩だよ。試合前はいつもそうしててさ。俺の家すぐ近くなんだよね」

「そう……。だったんですね」

「玲ちゃんこそどうしてここに?」

「私はこの子の家で一緒にみんなの応援をしようと……あれ?」


 振り向くと夏海は居なくなっていた。辺りを探すとエントランスの柱にいつのまにか隠れていた。


「えっと、あの子……」

「なんか猫みたいだね……」

「ところで三雲さん」

「うん?」

「ゴキブリは平気ですか?」


 とたんに三雲進は目を泳がせた。


「あー、俺はそろそろ試合あるからさ。ということで――」

「待ってください」


 と彼のTシャツの裾を掴んだ。この千載一遇の好機を逃してなるものか。


「試合までまだ一時間以上ありますよね? 家すぐ近くなんですよね? もう一度尋ねますが、ゴキブリは平気ですか?」

「れ、玲ちゃんの頼みならば男を見せようかな……」


 三雲進を先頭に部屋にあがった。私はその後ろを付いていき、夏海はさらに五歩後ろを歩く。


「どこにいるの?」


 三雲進が訊くと、か細い声で「リビングです」と夏海は答えた。

 リビングに入ると早々に先頭の彼が「うわっ!」と声をあげた。連鎖するように「ぎゃあ!」と夏海が大きな悲鳴を上げるから、それに驚いて私まで思わず悲鳴をあげてしまう。


「いたの……!?」

「いや、ごめん。猫にびっくりして」

「無駄に驚かさないでください」


 冷ややかな目を向けると、彼は困ったようにパーマを揉み込んだ。


「しょうがないじゃん。猫苦手なんだから」


 ん? と三雲進は目を細め一点を見つめ出した。そこを指差して「もしかしてあれじゃない?」と言う。

 指先を追うと一匹のアメリカンショ―トヘアの猫がいた。クリーム色だからテレスだろう。テレスの目の前には小さな黒い塊がある。それは間違いなくゴキブリだった。テレスは三雲進を視認すると、隠れるようにリビングの奥へと消えていった。


「死んでるね。猫が撃退してくれたのかな?」


 三雲進は何重にもティッシュを重ねてからそれを掴むと「ゴミ箱はどこ?」と尋ねる。


「あっち。キッチンの方……」


 夏海は言うと「テレス―!」と歓喜の声をあげながら猫を追いかけて奥へと駆けていった。


「面白い子だね。友達?」

「はい。インパーフェクトのことについて彼女からたくさん教えてもらってるんです。アマチュア予選の時から三雲さん達のことを一緒に応援してくれてるんですよ?」

「そっか。そしたら『CONTRAILコントレイル』のファン第一号だ」

「確かに。そう言えるかもしれません」


 彼はゴミ箱にゴキブリを捨てると、キッチンの水道で手を洗った。意外とまめなところもあるんだなと思いがけず感心する。


 ソファの陰からぼそぼそと何かを言っているのが聞こえてきた。見ると猫を顔の前に持ち上げた夏海がこっちを見ている。というより猫のテレスがこっちを見ている。


「なんて言ってるの?」

「お礼言ってるんだと思います。あの子すごい人見知りだから。ああなっちゃうけど」

「ふーん……」


 三雲進がソファの方へ歩くと「待ってダメえ!」と今度は大きな声が飛んで来た。一番近くでその大声を浴びせられるテレスがなんとも可哀そうだ。黒い悪魔を倒すという大戦果を上げたのに、その見返りがこれなんて。


「もう治りかけだけど私昨日まで酷い夏風邪だったから! 大事な試合の前に選手に私のウィルスを移すわけにはいかないと思うの! だから近づいたら駄目なのだ!」


 とんでもない早口だった。しかしその中身はファン第一号に相応しい立派な気遣いだった。だからずっとあんなに離れていたのか。理由はそれだけでは無い気もするけど。


「さすが玲ちゃんの友達なだけある。真面目だね」


 三雲進はそれでも彼女に近づいた。


「うちのマネージャーの友達で、しかも『CONTRAILコントレイル』を応援してくれるファンなら大事にしないとね」


 前に立つと身を屈め、目線を合わせた。


「握手するだけだよ。いいでしょ?」と手を差し出す。


「直ぐに洗うなら」

「分かった。洗う」


 夏海は手を伸ばした。握手を交わしたタイミングで、猫のテレスは身をよじり夏海の腕からするりと抜けた。テレスの尻尾が夏海の鼻先に当たったのかもしれない。


 夏海は盛大にくしゃみをした。


 そのとき夏海から出た全ての飛沫は三雲進の顔にかかった。

 呆然とする三雲進。青ざめていく夏海。そして、こみあげる笑いを必死に堪える私。


 それは入れ替え戦の開始まで、ちょうど一時間前のことだった。


おまけ

朝日玲あさひれい

生理的に虫全般が苦手。蛙も苦手(小さい頃に車に引かれた蛙を見たのがショッキングだったから)。

意外とお化け屋敷も苦手(幽霊は信じてないが、びっくり系が無理)。

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