日本すごい! すごいすごいすごい!
とある中学校。その少年は始業チャイムが鳴る少し前。教室の後ろのドアの前で立ち止まり、深呼吸した。そしてドアを開けると
「お、宮田ぁ! 日本中学生、エベレスト登頂初の成功者おめでとおおおぉぉぉう!」
と、第一声を上げた教師の後ろの黒板には飾りと、その旨の言葉が書かれていた。
「おめでとーう!」
「すごいよ宮田くん!」
「おめでとなぁ!」
「いやー、みんな、どうもどうも」
称賛と祝辞の嵐の中、肩を背中を叩かれ、へらへらしながら自分の席に向かう宮田少年。
鞄を下ろすとふぅと一息ついた。集まる視線にぶるっと身を震わせ、恍惚な表情。
「いやー、ほんと宮田はすごいなぁ」
「ふふっ、ありがとうございます、先生、いや、ビッグティーチャー」
「おいおい、アメリカかぶれかよ宮田」
「やっぱ、エベレスト登ると違うよなぁ」
「いや、エベレストはネパールあたりでしょ」
「とにかくすごい! 宮田はすごい!」
まるで英雄の帰還に沸く教室。と、ここで「でもぉ……」と教師は腕を組んだ。
宮田少年は胸を張り言った。
「ん? なんです? 大先生ぇ。まだ始業まで時間はありますし、なんでも質問してくれていいですよ」
「あ、宮田。お前、さてはみんなが集まった頃を狙って登校してきたな!」
「普段は早いのにおかしいと思ったぜ!」
「もう、調子いいんだから」
「ははははははっ!」
そう言い、笑う生徒たち。ずばり図星であったが、宮田少年は動じず笑う、笑う。しかし……。
「ふふっ。いや、先生、思うんだけどなぁ……そのすごい宮田の先生である俺もすごいんじゃないかなぁ」
「……ん?」
「それはそうよねぇ」
「ああ、確かに」
「盲点だった」
「あー」
「いや、え?」
「だってなぁ、今の宮田があるのは先生のお陰だろ? 先生が宮田を育てたんだ。だから先生もすごいってことにならないか?」
「いやいやいや、僕を育てたのは両親と、それに――」
「その通りだわ! 先生、すごい!」
「すごいぜ大先生!」
「せんせーさいこぉぉぉぉぉ!」
「ひゅうううう!」
「いや、いやいやいや、待ってよ! 百歩譲ってだとしてもだよ、もっとさぁ僕を褒め称えていいんじゃない?」
「せ・ん・せ!」
「せ・ん・せ!」
「だぁーいせんせ!」
「フォオオオオオウ!」
「せんせー!」
「全然聞いちゃいないね」
「ねぇ、みんな待って!」
「お、なんだ? 西本」
「どうしたの?」
「なになに?」
「いや、みんな待つんだね。僕の時は待たなかったのに」
「宮田、しっ」
「当然でしょ」
「黙ってろよ」
「扱いが……」
「で、どうしたんだ西本」
と先生が訊ねた。西本はすごいことを発見したとばかりに震えながら言った。
「宮田くんがすごい。先生がすごい。と、なると……私たちもすごいってことにならないかな?」
「はぁ? 何言って――」
「おま、そこに気づくとは天才か?」
「え、待って。体震えてきたんだけど」
「お、俺は、すごいのか……?」
「私もすごいんだ!」
「力が湧き出てくるようだ……これが、俺の、能力……」
「いやいやおかしいって! すごいのは僕! 僕でしょ!」
「俺はすごい!」
「私はすごい!」
「先生もすごいぞ!」
「うおぉぉぉぉぉぉ!」
「おかしい、おかしいよこんなの……」
宮田少年は机に手をつき、項垂れる。こんなはずじゃなかった……。あれだけ大変な思いをしたのに……と。
「ははははは! まぁ、でも宮田もすごいぞ!」
「だ、大先生……」
「そうよね、そこは認めないとね」
「そうだな!」
「ああ!」
「たった一人でエベレスト登頂とはなぁ」
「ふふん、ありがと。いやぁ、あの苦労と言ったらほんとなんて表現したらいいか……。まあ、伝えきれないよねぇ登った者にしかさぁ。みんな涙して肩を叩き合ってねぇ本当に――」
「ん? みんな?」
「え? 待って。一人じゃないってこと?」
「ああ。さすがにガイドとかいるもんな」
「荷物運びもな。ポーターっていうらしいぞ。俺、この前調べたんだ。すごいだろ」
「それは別にすごくないだろ」
「何人で登ったの? 三人? もっとかな」
「二百人だけど」
「二百人!?」
「は?」
「いや、それはそれですごい人数だけど……」
「ふつー、そんなに必要なものなの?」
「んー、まぁ、さすがにほら、疲れちゃうじゃん? いるだけでも寒さとか大変なのに登るなんてさ。だから、交代交代で背負ってもらってね」
「背負ってもらった!?」
「そ、パパと一緒にね」
「お父さんも付き添いで!?」
「いやー、山頂に着いた時は感動したなぁ。何人かリタイヤしてたし、ドラマがあった。いやもう大作映画だよねぇ。
あ、どうです、先生? 今日は授業をお休みして、その辺の話をみんなでじっくりと聞くというのは……ん? どうしたのみんな、その感じ、え、僕、すごいよね?」
「はいはいすごいすごい」
「すごーい」
「ほんとすごーい」
「はぁ……」
「いやいや、え!? こんなの中々できるもんじゃないでしょ!」
「金の力だろ?」
「親のな」
「はぁーあ」
「しょーもな」
「頭がたけーんだよ」
「いや、いやいやいや!」
「まぁ、待てみんな」
「大先生……」
「……宮田のお父さんの財力はすごい。これは間違いない。そして宮田のお父さんが勤めているのは世界に名を馳せるこの国の大企業の一つ。つまりそれは……日本すごいってことだ!」
「と、いうことは日本人の俺らって」
「すごいってことね!」
「日本すごい! 俺らすごい!」
「日本すごい! 日本すごい!」
「いやいやいや、そこは僕も否定できないけどもっとさぁ……ってやっぱり聞いちゃくれないんだね」
「そうだ! すごいぞ! 世界で活躍する日本人プロスポーツ選手! 職人! 食文化! 技術力ぅぅぅぅぅ!」
「日本すごい!」
「俺らすごい!」
「日本すごい!」
「私たちすごい!」
「すごいすごいすごい!」
「お、よーし、そろそろ始業の鐘が鳴るぞ! この流れのまま行くぞ! さあ、ばんざーい! ばんざーい!」
「ばんざーい!」
「ばんざーい!」
「ばんざーい!」
「ばんざーい!」
「日本ばんざーい!」
「日本ばんざーい!」
「はぁ、ばんざーい……ばんざーい」
「ねぇ、宮田くんっ」
「え、な、なに、西本女史……」
宮田少年が話しかけてきた女子に目を向ける。高鳴る心臓。他の声がまるでさざ波の音ように感じた。
「私たち……結ばれるといいねっ」
「えっ、そ、それって、どういう……」
「もう、わかってるくせに。国家主催の合同結婚式よっ」
「う、うん。そ、そうだね、へへへ……」
「ふふふっ、そんなだらしない顔じゃきっと無理だぞっ。抽選だもん」
「あ、あ、ぼ、僕、あ、いや、俺、頑張って国民スコアを溜めるよ! そ、それで、君を選ぶよっ」
「ふふっ、期待してるよ。ばんざーい!」
「う、うん。ば、ばんざーい! ばんざーい!」
宮田少年はホワホワした気持ちのまま、その一体感に酔いしれた。それは何よりも心地よく宮田少年は天にも届けとばかりに腕を伸ばし、大きく声を出す。
「ばんざーい! ばんざーい! 日本ばんざーい! 偉大なる指導者様ばんざーい!」