八尺様
「感じるわ、この辺りよ」
佐藤政宗は甲子園の魔物に連れられ、彼女の持つ力によって見知らぬ土地へと移動してきたのだった。
「恐れが具現化した怪異が居る場所に移動するとは聞いたが、これは瞬間移動のようなものか・・・・・・」
「受け入れが早いようで助かるわ。・・・・・・この辺りから怪異の気配を感じたの、きっと"向こう"もそうでしょうから、近くにいればすぐに接触してくるはずよ」
佐藤政宗は真っ直ぐな男である。
故に理解の及ばない出来事に対してはとりあえず目の前の美人の言うことを信用すると決めたのだった。
それは奇しくも、尋常の沙汰ではない強度のトレーニングに身を置く時と似た心境であった。
とはいえ会話をする上で"甲子園の魔物"と呼ぶのではあまりに長ったらしく呼び難いことこの上なく、加えてちょっと距離を感じて僅かなションボリを覚えていた。
果たしてどうするべきかなどと考えていたその時である。
「ぽ」
聞こえた。
「ぽぽ、ぽぽっぽ、ぽ、ぽっ・・・・・・」
濁音とも半濁音とも、どちらにでも取れるような、そんな音であった。
「あら、最初からビッグネームが来たわね・・・・・・」
「この音を発してるのが怪異か?」
「そうよ。この音・・・・・・ これは"八尺様"の声ね」
甲子園の魔物がそう放った時には、佐藤は目の前の生垣の上を滑るように移動する帽子を視認していた。
その帽子が生垣の端に達し、"それ"は姿を現した。
その名の通り2mを優に超える巨躯に白いワンピースをひらひらと翻かせる女の姿をした怪異ーー "八尺様"である。
「八尺様・・・・・・ 怪異にも名前があるんだな」
「ええ、怪異は都市伝説や怪談に語られる存在の名と習性を持って具現化するの。人々の恐れがより強く集まる形を求めた結果と言えるわね」
「なるほど。それで具体的にはこいつをどうすればいいんだ、今にも襲ってきそうだが」
八尺様と呼ばれる"それ"は、佐藤の言う通りまっすぐに、それでいてどこかぼんやりと佐藤たちへ向かって歩を進める。
「怪異には概ね、言い伝えられている対処法があるわ。恐れを抱くことなく、恐れに取り込まれることなく怪異に適した対処法を用いることでその脅威を祓うことができるの!」
「恐れに取り込まれることなく、か・・・・・・。今の所恵まれたフレームなこと以外は特に気にもならないが、対処法というのは・・・・・・」
佐藤がそこまで口にしたところで、ゆったりと歩み寄っていた八尺様の様子が、乱れた。
不意にぐわんと形が歪んだように見え、気づけば不自然なまでに長身な女の手が佐藤の両頬に添えられていたのだ。
視界がぼやける、目の前に八尺様がいるはずなのに、はっきりと顔を認識することができない。
今自分の目の前にいるのは、一体誰なんだ
「佐藤、佐藤」
佐藤を呼ぶ声。
甲子園の魔物ではない。
低くしゃがれた男の声だ。
「佐藤、疲れただろう」
佐藤は、この声を知っている。
佐藤の鼓膜に、グラブジャムンのシロップが如くひたひたに染み込んでいるこの声。
「か、監督・・・・・・?」
そう、我らが仙台デスバッファロー高校野球部監督、片倉繁三郎その人の声であった。
「いけない、八尺様は狙った相手にとって親しい人物を装って動揺を誘う・・・・・・!佐藤くん!それは監督じゃないわ!」
甲子園の魔物の声は、既に佐藤に届いていない。
佐藤の耳に響くのは、聞き慣れた音である代わりに、抑揚であるとかそういった謂わば人間らしさとでも言うようなものが備わっていない"つくりもの"の監督の声だった。
だが、佐藤が違和感を覚えたのはそこではなかった。
「佐藤、もう疲れただろう、頑張ったな。ゆっくり休め」
「監督・・・・・・」
もはや佐藤の目にははっきりと映らない八尺様の顔がぐにゃりと喜悦に歪みーー
「いや、八尺様とやら」
一転、驚愕の様相を表した。
「佐藤くん!?正気に戻ったのね!」
飛び退いて八尺様から距離を取る佐藤に、甲子園の魔物が駆け寄る。
「ああ、危うく監督と間違えるところだったぜ・・・・・・」
佐藤政宗は如何にしてまやかしを看破したのか?
その答えは、八尺様扮する監督の放った言葉にあった。
『佐藤、もう疲れただろう、頑張ったな。ゆっくり休め』
佐藤は師を疑わない。
監督は高校球児にとって適切なトレーニングと適切な休息、その塩梅を完全に把握しているとわかっているからである。
だが、絶対的な信頼を寄せる師の知識・経験・人格と同じく、確かなものを知っている。
それは、努力に終わりは無いというたった一つの事実。
そう、高校野球に"頑張った"という言葉など存在しないのである。
それは高校球児にとって常識である以前の問題。
そもそも佐藤を始めとする高校球児は"頑張る"ならともかく"頑張った"という言葉自体を知らないのだ。
佐藤にとって目の前の"それ"は、急に理解できない語句を口走ったことによって恩師に似た声で鳴るだけのしゃがれ声パーソナリティ率いるミッドナイト・レイディオと化した。
これは監督がものを教える際、誰にでもわかるように教えることができる優れた人間であることにも起因する。
かくして八尺様の策はただ一点、高校野球を知らなかったというだけの理由で崩れ去ったのだ。
「さすがね佐藤くん。私も今の間に用意しておいたわ!」
「用意?・・・・・・これは!」
「八尺様は四方を囲う結界によって一つの地に留まるよう封じられていたとされているわ。そしてこの結界ならーー!」
佐藤たちと八尺様を囲うように四方に設置されたのは無論ホームベース、ファースト、セカンド、サードからなる四つの塁、即ち結界とは内野!
ダイヤモンドとも呼ばれる、この世で最も熱い正方形である!
「そうか、内野に入ったということは!」
「八尺様は結界の外には出られない。しかし高校球児たちが汗水流す内野に入ってしまった"部外者"が辿る道は一つ!」
「居ても立っても居られない気まずさと緊張感、そして己とは交わらないベクトルを持つ高校球児の熱意によってーー」
「「消滅する!」」
八尺様はそれまで発していた音とは全く異なる金切り声を上げ、渦巻く光の粒子となって消滅した。
その表情はどこか気まずそうで、それでいて高校野球への確かな憧れを秘めたものであった。
「ふう、ゲームセットだな・・・・・・」
「最初からなかなかの強敵が相手だったけど、私たち結構良いコンビかもしれないわね?」
そう言って微笑む甲子園の魔物を見た佐藤もまた、どこか気まずそうに明後日の方を向くのであった。
「あ、あぁ・・・・・・ そうだ、そういえば」
「あら、なぁに?」
「いやその、名前というか、呼び方というか・・・・・・」
怪異退治と佐藤の初恋は、まだどちらも一回オモテであるーー。




