甲子園の魔物
20XX年 8月某日ーー。
この日、高校野球を愛する者は熱気に包まれる。
全国高等学校野球選手権大会ーー 通称"甲子園"。
その決勝戦が、ここ兵庫県西宮市阪神甲子園球場にて行われるのである。
常軌を逸した特訓により生み出された、謂わばベースボールサイボーグと化した無尽蔵の坊主頭たちが鎬を削り、血で血を洗う戦いの中、並み居る強敵を薙ぎ倒し続けた二つの強豪校がぶつかり合う舞台。
この年、高校野球の到達点とも言うべき一戦に臨むのは、仙台デスバッファロー高校と鹿児島一撃必殺高校の二校である。
とりわけ高校野球を愛する者たちの目に光るのは、両軍のエース。
仙台デスバッファロー高校エースピッチャーである佐藤政宗は脅威的な膂力を持つあまり、全力投球を行った白球が異常な速度と回転により自壊、捕手のミットに収まる頃には完全なペースト状ーー即ち"ずんだ"の如き有様と化すことから、監督より全力を出すことを禁じられ、日常生活に於いてもその力を三割にまで抑えることを強いられた怪物中の怪物である。
対して鹿児島一撃必殺高校のエースもまた怪物。
4番バッターを務める高山半次郎は、一打目に全てを注ぐ。
全力にして神速のスイングを受けたボールは無惨にも一刀両断、当然ホームラン二打ぶんの破壊力と得点を叩き出すことから高校野球連盟が"両断されたボールは1ホームラン換算とする"とルールを改め、また諸高校の監督は口々に「半次郎の一打目は外せ」と語った。
奇しくも同じ世代に生まれてしまった二匹の怪物同士のぶつかり合いを今か今かと観客が待ち侘びる中、仙台デスバッファロー高校のエースである佐藤政宗はひどくナーバスになっていた。
甲子園には、魔物が棲むーー。
野球を愛する者なら誰もが知っているこの言葉が、佐藤の胸に重くのしかかる。
(俺がこんなにもナーバスになるなんて・・・・・・ よりにもよって昨日部員たちにナーバスになるなナーバスになるなと口酸っぱく言って聞かせていたこの俺が・・・・・・)
佐藤は初めて球を握り、投げたその日から強く憧れていた大舞台を前に、監督や部員や家族、監督の家族や部員の家族の期待を一身に背負うエースとしての重圧と、ここに至るまでに方々に語られた"甲子園の魔物"の存在を強く感じていたのだ。
(頭の奥がヒリつく、喉まで乾いて来やがった・・・・・・ 一旦スポーツドリンクをガブ飲みして気持ちを落ち着けるか・・・・・・)
佐藤は仙台デスバッファロー高校野球部の引くことを知らぬマネージャーによってスポーツドリンクバーと化した選手控え室へと足を運ぶことにした。
これでもかと言わんばかりに拵えられたスポーツドリンク・タンクの大群はまさしく水分補給の重戦車と化しており、傍らでは今もなお半永久的にハチミツ漬けのレモンがマネージャーの手によって量産され続けている。
水分に糖分、クエン酸と数百人の坊主の中に咲く一輪の花、仙台デスバッファロー高校野球部紅一点のマネージャーからの朗らかな笑顔を添えた激励をガブ飲みすることによってリフレッシュを図ろうという腹づもりである。
だが、佐藤はふとあることに気づく。
歩けども歩けども、選手控え室に辿り着かないのだ。
おかしい。
恩師である監督の教えによって平常時は出力を三割に抑えているとはいえ、"怪物"佐藤政宗その健脚である。
明らかな違和感と背筋に冷たいものを感じた佐藤の胸中に去来するのは、この日幾度となく反響したあの言葉である。
甲子園には、魔物が棲むーー。