卵泥棒
王を探し始めて数日、イエリは段々と腹が立ってきた。
「絶対、絶対に聞こえていると思うの。なのに無視してるんだ」
口をへの字に曲げて座り込む。呆れ顔のアオは、イエリの食事の前に座り込んでいる。言葉は通じなくとも、アオの考えていることがなんとなく分かるようになってきた。朝起きてから夜眠るまで四六時中一緒なのだ。イエリには、親密にならないほうが難しい。ちなみに、今日の朝食は昨日見つけたシィラの果実だ。酸味が強いが、みずみずしくさわやかな香りがする。リルの実よりはよほど上等な食事だ。
「王さま、優しい人だって思うんだけど。出てこられない理由があるのかな」
シィラを齧る。強烈な酸味と共に爽やかな香りが一帯に広がる。アオが鼻をひくひくと動かし、気分よさそうに鳴いた。どうやら竜にとっても好ましい香りらしい。肉食だというのに、不思議なものだ。
イエリは手早く食事を終えると、果汁でべたついた手を洗おうと水場へ向かった。この森は迷いやすいが、水場に関しては場所を覚えた。イエリは胸の内で王に対して文句を連ねながら、無言で歩いていた。
しかし、しばらく歩くと違和感を覚えた。
「川、こんなに遠かったっけ……?」
この森は不思議なもので、どこにいたとしてもある手順を踏めば必ず川にたどり着く。最寄りの木を右回りに三回、次に近い木を左手に見ながらまっすぐ進む。するとなぜか、突然景色が開けて川が現れるのだ。この仕組みを知った時は度肝を抜かれたが、どこか納得してもいた。この森では、不可思議な事が起きる。それは人間の常識を超えたものだ。
しかし、その手順に従って歩いても川が現れない。それどころか、見たことのない道に出てイエリは困惑した。あれほど歩いても進めなかったというのに、川へ行こうとしただけで抜け出せるなんて。思わずアオの顔を見ると、アオは怪訝そうに首を傾げた。アオもよくわかっていないらしい。
イエリはそのまま足を進めた。せっかくの機会だ、進まないのはもったいない。このまま村の方向へ出られるかもしれないし、王の元へ繋がっている可能性もある。イエリは唾を飲み、黙って歩いていた。
しばらく歩くうちに、何かの気配を感じた。竜かと思ったが、どうにも違う。竜の静謐な空気ではない、どこか落ち着かない、ざわついた感覚だった。耳を澄ませると、ぼそぼそと声が聞こえる。
──人だ!
イエリは驚いて声をあげないよう、口を押さえた。喜びと驚きを感じつつも、違和感を抱く。
どうして森に、人がいるんだろう。入ったら竜に食べられちゃうって知らないのかな。
イエリはなんとなく、身を隠しながら声の元へ近づくことにした。アオに向かって「しい、だよ」と言い聞かせる。アオは分かったのか分からないのか、返事をしなかった。
しゃがみながらそっと近づくと、その声はより大きく鮮明になる。男性が三人ほど集まり、何かを相談しているようだった。
「すごいな、竜が真横を通っても気が付かないなんて……」
「森で迷うこともなかった。護符の効果は本物だな」
「まあ、早く卵持って出ようぜ。いくら護符があっても、生きた心地がしねえ」
彼らは小さな声で話している。どうやら、竜を避けられる護符を持っており、そのおかげでここまでたどり着けたらしい。アオが反応を示さないのも、彼らの持つ護符のせいだろう。そんなアイテムがあるなら、あの奴隷商人も持っていればよかったのに。イエリは草むらに隠れたまま、彼らの様子を窺った。
男たちがいるのはどうやら竜の巣らしく、木の枝や木の葉が丸く敷き詰められている。イエリも森を歩く中で何度か見かけたが、竜は巣に近づかれるのを嫌う。襲われはしないものの、吠えて威嚇されるため傍にいかないようにしていた。それを、彼らは堂々と巣の中へ入っている。竜は食事に出ているのか、周囲にはいない。イエリは胃の底が冷たくなる恐怖を感じた。見つかったら絶対に殺されるのに、何をしているんだろう。
さらに目を凝らす。すると、男の一人が巣の中央に置かれたものへ手を伸ばした。薄いクリーム色で、両手で抱えられる大きさの丸い球体──卵だ。男たちは、竜の巣から卵を持ち去ろうとしている。イエリは思わず目を疑った。なんて命知らずなんだろう!
彼らは素早い動きで卵を袋に入れ、そそくさと立ち去ろうとしている。イエリは目を白黒させながら、必至で考えた。
なんだか、嫌な予感がする。竜の卵をこそこそ持っていって、いいことに使うなんて思えない。
イエリはアオにささやく。
「王さま、呼んできて。イエリはあの人たちに何してるのか聞いてくるから」
アオは変わらず首をかしげている。卵を持ち去った人の姿が見えていないのだ。仕方ない、アオが奇跡的にイエリの思いを汲んでくれるのを祈ろう。イエリは何度も「王さま、王さまね、分かった?」とだけ言い、草むらから飛び出した。
慌てて彼らを追いかける。少し目を離した隙に、ずいぶん離れてしまっていた。がさがさと草をかき分け、男たちを追う。
「待って!」
イエリが叫ぶと、男たちはぎょっと振り返った。まさか竜の森に人がいるとは思わなかったのだろう。虚を突かれたような間抜けな顔をしていた。
「な……子供!?」
「しかも奴隷じゃないか」
イエリが呼びかけると男たちは足を止めたが、イエリの首輪に気が付いて仰天した。男たちの前に飛び出してから、イエリは自分が逃げ出した奴隷であることに気が付いた。彼らが悪人であれば、イエリは町の奴隷監督所に突き出されてしまうかもしれない。
この人たちが悪い人じゃなければ、なにも問題ないもの。イエリがそれを確かめればいいんだ。
「ねえ、竜の卵とってたよね? どうするの?」
「見られたか」
チ、と男が舌打ちをする。イエリは眉をひそめるが、逆に男たちから尋ねられる。
「お前こそ、こんな森の奥でどうして生きている? 普通なら竜に食われているはずだ」
「イエリは売られる途中で森に入って、で、みんな滅茶苦茶になっちゃったけど、イエリだけ王さまに見逃してもらったの。シオを探したいって言ったら、いいよって」
王の姿を思い出しながら話す。王と話してから時間が経っており、その姿や声は記憶の中であやふやになってきている。黒いシルエットのような王を思い出し、いつになったら出てきてくれるのかなあ、と考えた。
「王……竜の王か? そんなことがあるわけ……」
「って、違うよ。イエリが先に聞いたのに、誤魔化さないで! 卵、どうするの? 竜に見つかったら、きっとカンカンだよ?」
我に返ったイエリが問いただすと、男たちは顔を見合わせた。そして、イエリの傍にきてしゃがみ込む。
「竜を殺す口実だよ」
「口実?」
男は神妙な顔で頷いた。
「竜は滅多に森から出ない。人が竜を殺す口実がないんだよ。不可侵の掟がある以上、森から出た竜しか殺せない。だから竜が自分から出てくるように、卵を持ってくのさ」
説明を聞いたイエリは、その作戦の邪悪さに背筋が冷えた。なんて自分勝手、なんて自己中心的。幼いイエリでも、それが道理にかなわないことだと理解できる。
「竜はなにも悪いことしてないのに、自分の子供を追いかけて出てきたところを殺すの!?」
「お前だって、森にいるなら竜の恐ろしさは知っているだろう! あんなのが森にはうじゃうじゃいる限り、人は安心して暮らせないんだ」
「ひどい……ひどい!」
イエリは地団駄を踏んで叫んだ。すると、竜が寄ってくることを恐れたのか男がイエリの口をふさぐ。そのままイエリを小脇に抱えると、男たちは頷きあって再び歩き出した。
イエリは竜を思った。
確かに竜は恐ろしい。硬い鱗に覆われ、大きな足で踏みつけるだけで馬車は粉々になる。人を食べる恐ろしい生き物。でも、それは人が森へ踏み入るからだ。イエリの村は森に近かったが、人が竜に襲われたという話は聞いたことがない。だからこそイエリは竜の存在を知らなかったのだ。だというのに、人は竜を殺すためにこうして森へ入り、卵を盗む。くやしさのあまり涙がにじんだ。
まだ孵っていない卵も、その親である竜も、どんな気持ちだろう。巣に帰った時、大切にしていた卵がなくなっていたら。
男の持っている袋は、重たそうに揺れている。中には、丸い卵がある。それは、なぜかシオの姿と重なって見えた。
まだ間に合う。イエリなら助けられるかもしれない。
イエリは、口を覆っている男の手にかみついた。突然のことに驚いた男は、悲鳴をあげてイエリを手放す。地面に放り出されて体をぶつけたが、地面に落ち葉が積もっていたため大したダメージではない。イエリは歯を食いしばって立ち上がり、男へ向かって突進した。
「返して!」
「なんだ、このガキ!」
男はイエリにぶつかられて尻もちをついたが、それだけだ。両手を振り回すイエリへ拳を振り上げた。
ゴツン、と頭に鈍い衝撃があり、じわじわと痛みが広がる。イエリは痛みに呻きながら、負けじと男へ掴みかかった。
「だめ、返して! 連れて行かないで!」
「おい、騒ぐとさすがにやばい。そのガキは護符も持ってない、竜がくるぞ」
「コイツ……黙れ!」
今度は右頬を殴られる。横から頭を揺さぶられ、目の前に星が飛び回った。静かになったイエリを放り出し、男たちが離れようとする。
「だ、め……連れてっちゃ、だめ……!」
足に力を入れて駆け出す。狙うのは、袋を持っている男だ。くらくらと揺れる脳が冷静に考える。
卵を持っていかせなければいい。イエリが騒いでいれば、竜が寄ってくるかもしれない。それに、アオが王を呼びに行っている。それまで粘ればイエリの勝ちだ。
袋を持った男の足にまとわりつく。口の端が切れたのか、ひりついて血の味がしていた。他の男たちが引きはがそうとしてくるが、イエリは必死でしがみついた。背中や腹を蹴られると、反射的に胃が縮んで吐き気を催す。腹を守るように体を丸めて、イエリは目をつぶっていた。
連れて行かないで。イエリが面倒見るから。大丈夫だから。イエリから奪わないで。イエリの宝物をとらないで。お願い。
「シオ……!」
「何をしている」
聞き覚えのある声だった。
「えう」
悲鳴と吐息の間、不思議な声と同時にイエリの背中が軽くなる。どさりとなにかが倒れた音の後、男の悲鳴が響いた。
「う、わああああああっ! セリオ!」
イエリが顔をあげると、セリオと呼ばれた男は絶命していた。鋭利なもので切られたのか、首から上がすっぱりとない。ぼやけた視界で探すと、遠くに頭らしきものが転がっており、本能的に目をそらした。男の首からは血が噴水のように飛び出している。人間には、こんなにも多くの血が流れていたのだとずれた感想を抱いた。
セリオから間を開けず、もう一人の男もうめき声をあげて倒れた。胸に大きな空洞を開けて、男は目を見開いていた。なにが起きたのかも、彼には分からなかっただろう。
最後に残ったのは、イエリがしがみついていた男だ。彼は卵の袋を抱えたまま、腰をぬかした。イエリの腕は、力を入れすぎたのかうまく離れず、男に引きずられるようにして地面を転がった。
「私は問うている。何をしている、と」
そこにいたのは王だった。イエリが竜に食われそうになったときと同じく、彼はプレッシャーを伴って立っていた。その目は、先日とは違い怒りに輝いている。冷たい金の瞳が、男を映して人ならざる輝きを放っていた。
「ひ、ひ、護符が、効かない……なんで!」
男は震える声で後退っていく。イエリは男が再び逃げないよう、腕に力を込めた。
「王、さま……卵泥棒、捕まえて……」
かすれた声で告げると、王は眉をぴくりと動かした。どういうことかと尋ねる目に、イエリは答える。
「この人たち、竜の卵、とったの。袋に入ってる。返してあげて……」
途端、王の気配が変わった。激しい怒りが空気を震わせ、圧倒的な威圧感に息が詰まる。王はゆっくりと、一歩一歩近づいてきた。
「ああああ、返す、返すッ! 返します! 許して、ごめんなさい! うわあああああ」
男は意味のない悲鳴をあげながら両手を振り回した。しかし王は言葉を返さなかった。ただゆっくりと近づいてくる姿は、追いかけてくる竜よりも恐ろしく感じた。
でも、これで卵は大丈夫。王さまが来てくれた。大丈夫だよ。お母さんと離れなくていいんだよ。
イエリの意識はすーっと暗闇へ引っ張られていく。殴られた頭がガンガンと痛み、吐き気に襲われながらイエリは気を失った。




