呼び声
それからしばらく。イエリは落ち着かない気分で森を歩いていた。
そっと後ろを見る。すると、木の陰からこちらを覗く小さな姿がある。イエリがぱっと振り向けば、その影は慌てて木に隠れる。そしてイエリが再び歩き出すと、その影もまた顔を出し、イエリの後に続く。
イエリはなぜか、先ほどの竜の仔につけられていた。
最初は何事かと警戒したが、相手が竜の仔だと分かると途端に心がなごむ。イエリが走れば竜の仔もついてきて、イエリが止まれば向こうも止まる。そのやりとりが面白くなり、つい試すように歩幅を変えて歩いていた。しかし、それにも飽きてきた。イエリは突然走り出すと、草の中に体を滑り込ませた。
がさがさと音を立て、草が揺れる。背後からは「キュ」と焦った声がして、忍び笑いが漏れる。イエリが草の中で身を潜ませていると、竜の仔がすぐそばまで飛んできた。
「いまだ!」
イエリは勢いよく飛び出し、竜の仔の前に躍り出た。すると、竜の仔は仰天した様子で羽ばたき、あたりを飛び回る。予想通りの反応に、イエリは大声をあげて笑った。
「あはは、ひっかかった!」
竜の仔はしばらく混乱していたが、やがて落ち着くとイエリに対してギュイギュイと呼びかける。非難するような響きの鳴き声が愛らしく、イエリは笑いながら謝った。
「ごめんね。普通に呼んでも、来てくれないんじゃないかなって思ったから」
竜の仔は木の枝に降り立ち青い目でイエリを見た。
「さっき、助けてくれたでしょ? ありがとう」
イエリの言葉も、竜の仔には通じないようだ。透き通る瞳が静かにイエリを映している。それでもイエリは満足だった。
「お母さんがね、お礼はきちんと言いなさいって。お礼を言われてうれしくない人の方が少ないんだからって……君は人じゃないけど」
イエリが肩をすくめると、竜の仔は小さく鳴いた。イエリの言葉を肯定したようにも、否定したようにも思える。言葉が通じないと知りつつも、イエリは竜の仔に話しかけた。
「ねえ、どうしてイエリを助けてくれたの? あの男の人に言われたの?」
昨日、イエリの前に現れた青年。人間かどうかは怪しいが、少なくとも言葉は通じていた。彼は一体何者なのだろうか。
「あの人、君たちの王さま?」
そう尋ねると、竜の仔はキュ、と答えた。それが相槌のようで、イエリは面白くなった。
「王さまか。確かに、偉そうだったもん。竜たちにいうこと聞かせられるなんて、王さまくらいだよね」
イエリは一人で頷いた。真偽がどうであれ、ひとまずは竜たちの王ということにしておこう。昨日の仏頂面の青年が、王冠をかぶってふんぞり返っているところを想像するとおかしかった。あまりにも似合わない。
「王さま、イエリが森にいてもいいよって言ってくれたんだ。実は優しいのかな」
竜の仔は首を傾げた。そんな反応も気に留めず、イエリは一人で喋り続ける。
「村に帰りたいけど、どっちのほうだったかもよく分からないし。それに、この森ってとっても広いよね。木もみんな背が高くって……竜が大きいから?」
森の木々は、平原に生えるものと違い非常に大きかった。幹も枝も太く、木自体背が高いため、空を覆う葉はかなり高い位置にある。ドームのような森の中は、ある程度の大きさの竜であっても自由に移動できるだろう。村から出たことのないイエリには神秘的に感じられる。そしてその大きさ故か、方向を見失いやすい。イエリは既に、自分が来た道がどちらかも分からなくなっていた。
「でも、諦めちゃだめだね。イエリお姉ちゃんだから」
へらりと笑うと、再び歩き出そうと草むらから出た。草を踏み分けて獣道へ戻ると、枝の上にいる竜の仔に向き直った。
「一緒に行く?」
思いつきだったが、竜の仔はキュウと返事をした。そして、イエリの足元まで飛んでくる。どうやら返事はイエスのようだ。
「ありがとう! 一人じゃ寂しかったんだ」
微笑みかけると、竜の仔は早く行こうと言わんばかりに翼を広げた。イエリは、先ほどより幾分か軽い足取りで森を進んだ。
その後、一日かけて森をさまよったが、めぼしい成果は得られなかった。気が付けば同じところをぐるぐると回っており、見たことのある景色ばかり。イエリはすっかり困っていた。生っている果実や川魚を採ってなんとか食いつないでいるが、下手をすると食料を確保するだけで一日が終わってしまう。数日が過ぎても、シオの捜索は思うように進んでいなかった。
「アオ、村がどっちかだけでも教えてよお」
イエリは竜の仔に泣きつく。呼び名がないと不便だと考えたイエリは、勝手にアオという名前をつけた。はじめはきょとんとしていたアオも、それが自分を呼ぶ音だと学ぶと、反応を示すようになった。しかし、相変わらず意思疎通は図れない。村の方角を尋ねてもアオは黙ったまま、ただイエリの後をついてくるだけだ。
これ以上自分の力で探すのは無理があるかもしれない。イエリは件の青年を頼ることにした。
「ねえ、君たちの王さまってどこにいるの?」
竜の王──だとイエリが思っている青年──がいれば、竜たちと会話ができる。そうなれば、シオを見かけた竜がいるかどうかも聞くことができ、村の方角を教えてもらえれば、森の中をさまよう生活ともおさらばできるだろう。あてもなく森を歩くより、よほど効率的に思えた。
問題は、竜の王がイエリの頼みを聞いてくれるかどうかだ。先日顔を合わせた際は、冷たい表情をしながらもイエリの滞在を許した。正直、王がどのような人物なのかイエリには分からない。
「アオ、王さま、優しい?」
アオはキ、キ、と短く答える。その鳴き声の意味するところは想像するしかない。
とにかく、試してみるしかない!
イエリは気を取り直し、今度はシオを探すためでなく、王を探すために歩き出した。
「王さま、おーい、王さまぁ……お話があるの!」
大きく叫びながら歩き回る。アオは驚いた様子で、短い鳴き声をあげて何度か咎めてきたが、イエリが聞く耳を持たないと察すると、黙ってついてくるようになった。
「王さまぁ」
高い叫び声が森にこだまする。その声にこたえるものは、何もなかった。
〈熱烈ですね〉
からかう声は、ティファレトのものだろう。王は頭を抱えて、やめてくれ、と呟いた。
人間の娘を監視し始めてから一週間。彼女はなぜか、王のことを探し始めた。
はじめは、彼女が話した通り何かを探している様子だったが、森の魔力に惹きこまれ同じ場所を回り続けていた。哀れな、と嘲笑しながら眺めていると、やがて森から抜け出すことを諦めたのか今度は王を探し始めたのだ。
若い竜は人語を解さないため彼女が何をわめいているのか知らないが、ティファレトのように老齢の竜には筒抜けだ。何を考えているのか読めない少女の行動は、王の頭を悩ませた。
監視につけたネツァクは、少女に命を救われてからすっかりなついてしまったらしい。そもそも、監視しろとは言ったが姿をさらしてまで助けろとは言っていない。少女の懐に入ることには成功したようだが、竜を連れた人間が森を歩き回っているとして、竜たちは皆怪訝そうにしていた。
ネツァクの報告によれば、少女は返事をしなくても一人で話し続けているそうだ。ネツァクはまだ若いため少女の言葉が分からないが、それでも活き活きと話しかけられると悪い気はしないらしい。報告で顔を見せるたび、面白い楽しいと言った感想ばかり聞かされた。怪しい動きも特にないようで、日々の食事の確保と森の探索ばかり行っているようだ。
〈あの娘、どうも人の王の使いには見えませんが〉
〈まだ油断はできない。人は狡猾だ。こちらが気を許したところで何か仕掛けてくるつもりかもしれない〉
王は断固とした態度で言い切る。危険を見逃せば、この森やすべての竜を危険に晒すことになる。そう簡単に信用するわけにはいかない。
〈人の王の使いでないのなら、すぐに処分する。竜に危害を加えようとした時もだ〉
要するに、少女の命は様子見の期間中のみ保障される。そう説明すると、ティファレトは納得したように鼻を鳴らした。
王は少女から距離をとるべく、反対方向へ向かった。遠くから聞こえる呼び声は、やけに耳について不愉快だった。




