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イエリと王さま  作者: みつきあこ
第六章 歌は続く
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魔女の住処

 この道を進むと魔女の家がある。それはタリステリアに住む者には有名な話だった。

 セフィールは息を呑んだ。目の前に広がる広大な森、その奥へ続く道の前に立ち尽くしている。小さな手を強く握り、こみ上げてくる恐れを誤魔化す。

 人を食らう竜の住む森。そこから竜が現れ、平原の人を襲ったのは自分が生まれる前の話。けれども竜の恐ろしさについては大人たちからしつこいほど何度も聞かされた。昔の戦争で大勢の人が亡くなったことも。セフィールは一度も竜を見たことがないが、竜が恐ろしい存在であることだけは知っていた。

 この森には、そんな竜と共に暮らしている魔女がいる。

 竜は人を食らうが、人を食いすぎると暴走してしまうため基本平原には近づかない。人もまた竜を恐れているため森に入らない。だが、魔女だけは特別らしい。

 森に入っても食われることがなく、竜を従えて暮らしている。人でありながら不思議な術を使う魔女。彼女は戦争中王を助けたらしいが、人はみんな魔女を嫌い、忌避していた。

 しかし、セフィールの祖母は違っていた。

「変わっているけど、優しい子だよ」

 祖母は魔女について話す時、目尻の皺を深くして微笑んでいた。そしていつも寂しそうなのだ。枯れてしわくちゃになったパネノミの押し花を撫でて、帰らない思い出を懐かしむように話した。

「不思議な子だったわ。明るいのにどこか欠けていて、でも優しくて……私のことを助けてくれた。それなのに私は、怖がることしかできなくて」

 魔女の話になると、祖母はいつも後悔を語った。年老いた彼女の話は要領を得なかったが、魔女に対して何かわだかまりを抱えていることは伝わってきた。

 その祖母も先日亡くなった。

 セフィールは考えた。祖母が抱えていた気持ちを、魔女に伝えたい。極悪非道と呼ばれている魔女であっても、祖母の思いを知れば何か感じるはずだ。それに、祖母はずっと魔女のことを「優しい」と言い続けていた。セフィールには、祖母が嘘をついているとは思えなかったのだ。

 かくして、セフィールは魔女の家へ向かうことにした。

 改めて森を観察する。木々はどれも背が高く、セフィールを飲み込もうと枝を大きく広げている。森からは竜の気配など感じられないが、本当に存在するのだろうか?

「……よし」

 セフィールは覚悟を決めた。いつまでもここで足踏みしている場合ではない。早鐘を打つ胸を押さえながら、一歩慎重に足を踏み出した。

 森の中は、静まっていた。

 虫や鳥の声は頻繁に聞こえてくる。木の葉の擦れる音で風のざわめきを感じるため、音自体は平原にいるよりも複雑だ。ただ、森は空気が違う。静謐な空気は、確かに人の住む場所とは違うように感じられた。中へ進んできたが、今更これが間違いだったのではと思い始める。しかし今更引き返すのも、負けたような気がして嫌だ。セフィールは唇を噛み締め、足音を殺しながら歩き続けた。

 しかし、森の中は道という道がない。木や草のない場所をそれとなく進んでいるが、これで本当に魔女の家にたどり着けるのだろうか。セフィールの心に焦りと不安が募る。その時だった。

「君!」

 突然呼び止められた。

 セフィールは飛び跳ねてから振り向いた。相手が誰かなど、考える暇もなかった。

 声をかけてきたのは女性だった。ボロ布のようなワンピースに、そこから飛び出すしなやかな足。肩まで伸びたグレーの髪は絡まり放題であちこちに葉をつけていた。彼女は驚いたように灰色の目を丸くして、こちらへずんずん歩み寄ってきた。

「ああ、君だよね、森に入ってきた子供って。竜がみんなびっくりして、どうしようどうしようってイエリのとこまで飛んできたの。それで、とりあえずイエリが話してみるって言って……君のこと探してたんだ」

 女性は口を開くと、怒涛のように喋り始めた。その勢いに口を挟むことも出来ず、目を白黒させる。彼女は構わず話し続ける。

「森に入った人は食べるってことにしてるけど、君はまだ子供だから。子供が死ぬと、大人ってすごく怒るの。それでまた戦争なんて仕掛けられたら嫌だから、子供は無条件で食べないようにって前に決めたんだ。ていうか戦争が終わってから森に入る人なんてほとんどいなくなってたのに……今更、なんで君みたいな子が森に来たの? 入っちゃ駄目って言われたでしょ?」

「あのっ」

 決死の思いで言葉を遮る。すると、彼女はまた目を見開いて、けれど今度は口を閉じた。そして居心地悪そうに目をそらすと、照れ笑いを浮かべた。

「あは、ごめんね。人と話すの久しぶりで。イエリ、おしゃべりなの」

 そう謝罪すると、目でセフィールの言葉の続きを促してくる。セフィールは緊張で声を詰まらせながら、予感を確信に変えるための質問を投げた。

「あなたが、魔女?」

「そうだよ」

 彼女はなんてことないように頷いた。そしてだらしのない笑みを浮かべる。

「でもイエリはなんにもできないよ。ただ竜と一緒にいるだけ」

 なんということだ。セフィールは町で大人たちが話していた「魔女」の像がどれだけ間違っていたのかを知った。

 大人たちは、魔女は狡猾で残忍で、酷く年老いた老婆で、言葉を交わすだけで相手を惑わす力を持つと話していた。しかし、話している限り彼女はどこか間が抜けている上、どう見積もっても二十代後半だ。どうやら、恐れのあまり魔女のイメージばかりが膨らんでいたらしい。警戒していたセフィールの肩から力が抜ける。

「ね、今度はイエリの質問に答えて。何をしに来たの?」

「それは、その」

 祖母の死と、その思いを伝えたい。そう考えてここまで来たが、どのように伝えるべきだろうか。セフィールは言葉を選びながら祖母の顔を思い浮かべる。

「あなたは、フリアナばあちゃんのこと知ってる?」

 魔女があっけにとられた。そしてこくりと頷く。

「フリアナは……イエリが大好きな人だよ」

 それを聞いて、少し安心する。どうやら祖母が心配していたほど、魔女と祖母の間に隔絶はないようだ。セフィールは魔女を正面から見据えた。

「フリアナばあちゃんが死んじゃう前、ずっと魔女のこと気にしてたから……だから、それを伝えなきゃって思って」

 魔女の顔から表情が抜け落ちた。呆然とした彼女が口の中で小さく呟く。

「そっか。フリアナ、死んじゃった……」

 それから少しずつ、彼女の瞳に悲しみがにじみ出る。今にも泣きだしそうな顔になりぎょっとするが、その目から涙がこぼれることはなかった。魔女は俯き、先ほどまでの様子とは打って変わって黙り込んでしまう。セフィールは、魔女がここまで祖母の死を悼んでくれたことに驚いていた。

「ばあちゃんと、知り合いだったの?」

 尋ねると、彼女は顔を上げた。小さな微笑みを浮かべると、泣きそうな声で頷いた。

「フリアナは、イエリのこと助けてくれたの。面倒見てくれて、優しくて。あったかかった」

 魔女の話す祖母は、セフィールの記憶と相違ない。面倒見のいい祖母は、両親が畑仕事をしている間セフィールを構ってくれた。懐の深い、温かい人だったと思う。

「ばあちゃんが、魔女にずっと謝りたいって言ってたんだ。魔女の大切なものを理解できなかったから、それで傷つけたんじゃないかって。そればっかり話してた」

 瞬間、風が吹き抜け、魔女の髪を揺らした。顔にかかる髪の毛を煽り、魔女の戸惑った顔が晒される。彼女は唇をわななかせ、そっか、と言った。

「……そんなの、よかったのに。イエリは、そんな」

 彼女は強く目を瞑った。何かをこらえるように肩が震え、体を縮こまらせる。今度こそ泣いてしまうかもと思ったが、やはり彼女は泣くことはなかった。それでも、次に顔をあげたときは顔だけが泣いていて、けれどどこか晴れやかに見えた。

「君は、フリアナの孫なんだね。伝えにきてくれて、ありがとう」

 魔女は笑っていた。その笑顔には、大人たちが話す邪悪さは感じられない。まるで同い年の子供と話しているような、そんな親しさを感じられた。

「それなら、君はちゃんと森から帰してあげなきゃ。フリアナが悲しむことはできないもの」

 さ、と魔女が手を差し出す。首を傾げると、彼女は笑って肩をすくめた。

「この森、すごく迷いやすいの。外に出るまで一緒に行くよ」

「うん……」

 セフィールは素直に頷いて、彼女の手に自分のものを重ねた。魔女の手は傷だらけだが温かく、人と同じに見えた。

 彼女に手を引かれるまま歩いていく。その隣を歩きながら、セフィールは不思議だった。

「どうしてあなたは魔女なの? 優しいのに」

「イエリもよくわかんない。竜と仲良しだと、魔女なんだって」

 彼女の返答はあっけらかんとしていた。魔女と呼ばれることをなんとも思っていないようだ。しかし、その言葉で疑問がさらに増えていく。

「なんで竜と仲良しなの? 竜は人を食べる怖い生き物だって聞いたよ」

「うーん」

 その問いには困ったように微笑んでいた。流れるように話す彼女にしては珍しい。しかしその態度が、余計にセフィールの興味を引いた。

「イエリね、竜の王さまに見逃してもらって森で暮らしてたの。そのうちに竜がどんな生き物なのか知って、仲良くなって、竜が大好きになった。竜を怖いって思うときもあるけど、それでもイエリが一緒にいたいのは竜だったんだ」

「竜にも王さまがいるんだ」

「……そうだよ」

「どんな王さま?」

 繋がれた手がぴくりと動いた。それから力がこもり、しっかりと握られる。その指先が震えているように感じたが、一瞬のことで判断がつかなかった。彼女は前を向いたまま、独り言のように答える。

「イエリの帰る場所。世界でいちばん大好きなの。王さまと一緒にいれば、どんなことがあっても怖くなかった」

 セフィールはふうん、とだけ返した。答えになっていないが、彼女の雰囲気がこれ以上の追及を許さなかったのだ。幼い印象の魔女だが、王を語るその目には抱えきれない虚しさや愛しさがこもっているように見えた。

「今は、一緒じゃないの?」

「前の戦争がどうやって終わったか、知ってる?」

 セフィールは頷く。竜の恐ろしさを伝えると同時に、大人たちは戦争についてもよく話をした。

 竜は、集団で人を襲うと自我を失う。人も竜も区別がつかなくなり、ただひたすらに命を貪る獣と化すのだ。

 以前の戦争は、森に人が攻め入ったことで起きた。そして竜たちは我を失い、同族同士で食いあいながら町を蹂躙した。竜は平原の中心地まで入り込み、都も竜の被害にあった。竜を止める手立てなどなく、人が皆絶望した時だった。

 空が光ったのだ。

 そのまばゆい光は、空を覆っていた分厚い雲を切り、光明をもたらした。暴走していた竜たちが動きを止め、その光を見上げたのだ。人々もまた、前触れもなく光った空を見つめていた。

 やがて光が収まると、竜たちは一斉に森へ向かって退却した。食っていた人も同族も放り出し、一心不乱に森へ戻っていったのだ。あの光は、人にとっても竜にとっても救いの光だった。

 後に都へ戻ったフェルディオ──現王によるとこうだ。

 人の王、竜の王は特殊な逆鱗を持つ。その逆鱗は王を作るために存在するが、二つを合わせると大きな力が生まれるのだ。当時の王たちは、逆鱗を合わせることで戦争を終わらせたと。

 そう説明して見せると、魔女は、よく知ってるねと微笑んだ。彼女に認められたことが嬉しく、セフィールはひっそり舞い上がる。

「逆鱗の力で竜は正気に戻った。でも、その逆鱗や王さまがどこへ行ったのかは誰も知らない。イエリも、見てない」

 彼女はそこで初めてセフィールを見た。寂しげな表情でこちらを覗き込む。

「王さまは最後に、イエリに役目をくれた。王さまたちの逆鱗を探せって。王さまがイエリに役目をくれたのは初めてなんだ。だからイエリはずっと探してるけど、竜の逆鱗だけは見つからなくて……でも本当は、見つからないでほしいって思ってる」

「なんで?」

「だって逆鱗だけが見つかったら、それは……」

「それは?」

 沈黙。魔女は口を閉ざしてしまった。

 もう一度催促しようとしたその瞬間、魔女は突然走り出した。

 ぐんと手を引かれたセフィールは、間抜けに叫びながら振り回される。魔女は、大声で楽しそうに笑いながらセフィールを引っ張った。はしゃぐ彼女につられて、セフィールも笑い出す。魔女は全く、理解不能だ。

 そうして走ったり転がったりして遊びながら歩けば、森の出口はすぐだった。セフィールは、いつの間にこんなところへ出たのかと戸惑う。まるで魔術を使ったようだ。

「君の名前は?」

 森の出口で、彼女はようやく足を止めた。セフィール、と名乗ると彼女は頷き、セフィールの前にしゃがみ込んだ。

「セフィール」

 傷と泥にまみれた手のひらが頬の輪郭を軽く撫でた。

「二度と森に入らないで」

 彼女の声は真剣だった。出会った瞬間からずっと明るい調子だったため、鋭い目つきを向けられるのに慣れていない。困惑するセフィールを気遣うこともなく、彼女はひたとこちらを見たまま目線をそらさない。

「セフィール。竜がみんなイエリの言うこと聞くわけじゃない。次森に入っても、イエリが助けられるとは限らないの。もう森に来たら駄目」

「でも」

「駄目」

 魔女の手がセフィールの頬に触れている。親指が目の下をなぞり、乾いた泥の感触がする。有無を言わさぬ彼女の様子に、セフィールはついに根負けした。

「わかった……」

「うん」

 セフィールが了承すると、魔女はそれで満足したようだ。顔に触れていた手が離れ背中に回る。そのまま強く抱きしめられ、セフィールはぎょっとした。

「フリアナのこと、ありがとう」

 魔女はとても痩せていたが、抱きしめられると柔らかかった。温かい体がセフィールをしっかりと抱くと、その余韻を残してすぐに離れていった。

「さよなら、セフィール」

「うん、さよなら……」

 魔女が手を振る。これ以上森に留まることは許してもらえなそうだ。セフィールは消化不良に似た感情を抱きながら、彼女に背を向けた。

 森からは簡単に出ることができた。

 平原に出てから森の中を振り返る。しかし、すぐそこにいたはずの魔女の姿はもうなかった。セフィールが行ってすぐ立ち去ったのか、魔術を使ったのか……彼女は魔術など使えないと話したが、彼女ならば魔術を使っても不思議ではないと感じる自分がいた。

 ともかく、当初の目的は果たした。魔女に祖母の意思を伝え、魔女もまた祖母の死を悼んでくれた。おまけに命があるまま森から出られた。これ以上ないほどの大成功だろう。

 だというのに、この感覚はなんだろうか。

 やりきれないような、寂しいような、暗くなった夜道をひとりで歩くような不安感。魔女との出会いが、そんなにも恐ろしかったのだろうか。

 違う。魔女が寂しそうだったからだ。

 魔女は明るく無邪気に振る舞っていたが、悲しい気配がした。それは彼女が王と呼ぶ存在が、隣にないからではないだろうか。彼女ははっきりと答えなかったが、王を帰る場所と呼ぶ彼女は、王を失ってからずっとどこにも帰れずにいるのかもしれない。

 あの人、迷子なんだ。だからぼくまで悲しいんだ。

 ふと、セフィールの胸の中に冷たい風が吹き、足を止める。

 人は竜と魔女を恐れる。理解できない存在だと怯え、寄り添うこともない。だが、魔女の本当の姿を知った今、竜が同じく恐ろしいだけの存在とは思えなかった。

 祖母は、魔女を理解できなかったことをずっと悔やんでいた。自分が違う選択をしていれば、魔女が「魔女」と呼ばれることもなかったはずだとことあるごとに口にした。

 それはもしや、今からでも変えられるのではないか?

「ぼく……」

 セフィールは唇を噛み締めると、踵を返した。森へ戻るのだ。

 しかし、考え込んでいたためだろうか。自分のすぐ後ろに人影があることに気が付かず、セフィールはその影にぶつかった。

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