帰りたい
流石に怯え切ったルオをビナーの背に乗せるわけにはいかないが、タリステリアまで移動するのに、イエリたちの足では時間がかかりすぎる。ルオに堪えてもらってビナーを呼ぶか思案しながら、ひとまずは町の郊外へ向かった。ビナーを呼ぶにしても、死の気配が濃厚な町の中より人気のない場所の方がいいと踏んだのだ。
ふらつくルオを支えながら早足で町から出ると、遠くから馬が走ってくるのが見えた。馬が来るのはタリステリアの方角だ。生き延びた者が逃げてきたのか、と目を凝らす。すると、同じようにしていたルオがびくんと体を震わせた。
「お兄様!」
歓喜に満ちた声で言う。ルオの言う通り、やってきたのは彼の兄──フェルディオらしい。近づくにつれて、向こうからもルオの名を呼ぶ声が聞こえてきた。
やがてすぐそばまでやってくると、手綱を引いて馬が止まった。鼻息の荒い馬は落ち着かない様子で足踏みを繰り返していたが、フェルディオに撫でられてなんとかその場に留まっているようだった。
「ルオ、無事だったか……!」
フェルディオは馬から降りるなり、ルオを抱きしめた。ルオもまた兄に出会えた安堵から、泣きそうになりながらしがみついている。イエリは突然のことに驚きながらも、彼に見覚えがあることに気が付いた。
「この人、森から出たときにいた……」
数日前、森から出たイエリが人の王との面会を申し出たとき、話を聞いてくれた青年だ。すぐに竜殺し本人が出てきたためそれきりになっていたが、まさかルオの兄だったとは、世界は狭いものである。するとフェルディオもまたイエリに気が付き驚愕した。
「君は……イエリ? ルオと共にいたのか」
「えと、うん。さっき合流したの」
頷きながら、どこか違和感を覚える。彼とは、どこか別の場所でも会ったことがある気がする。イエリの記憶は所々欠けているため確証はないが、彼の態度からしても、ただの顔見知りではなさそうだ。だが、頭の中をひっくり返しても彼の情報がうまく出てこない。これ以上考え込んでも無駄だと知っているため、イエリは曖昧に笑って誤魔化す。
「イエリ、君は……君が、竜の王にこのことを命じたのか? 君はこうなることを知っていたんじゃないか?」
フェルディオは、ルオを抱きしめたまま身を引く。その目にははっきりと疑念が浮かんでいた。この騒動は竜が仕組んだものではないか、イエリが引き起こしたものではないかと。イエリは慌てて否定しようとし──その前に、別の声に遮られた。
「違うよ!」
叫んだのはルオだった。彼はフェルディオに抱きすくめられたまま、顔を真っ赤にして言った。
「イエリは違う!」
その必死の様子に、フェルディオだけでなくイエリもあっけにとられた。
竜殺しを止めるために力を貸してほしいと頼みはしたが、イエリの気持ちを細かく説明などしていない。それどころか、竜さえ生き残るなら人などどうでもよいとすら発言したのだ。同じように、イエリを疑ってもおかしくない。だが、ルオの目はまっすぐにイエリを見ていた。透き通る瞳は、一点の曇りもなく断言する。
「お兄様、イエリは何もしていません」
胃が縮まって熱を持ち、冷えた手足に血が回る。ルオの言葉で、イエリの全身に力が宿るようだ。
信じてくれた。ルオはイエリのこと、信じてくれてる。
イエリもまた、フェルディオに向き直って強く頷いた。
「イエリ、何もしてない。イエリもこの騒ぎを止めたいの」
子供二人の何とも言えない圧力に負けたのか、フェルディオは戸惑いながらも「わかった」と了承した。
「まあ、とにかく……無事でよかった。二人とも、こっちは駄目だ。タリステリアは竜も人も滅茶苦茶になっている。竜同士でも食いあっていて……イエリ、君がこの件の首謀者でないのなら、今行くのは危険だ」
フェルディオは、ひとまず弟の言葉に従ってイエリを信用することに決めたらしい。彼がタリステリアの状況を見たのなら、そちらへ向かうことは推奨しないだろう。だが、この町も酷い有様だ。森から離れたとしても、安全な場所などないように思える。それに、イエリの目的は初めからタリステリアだ。
「王さまと竜殺しさんがタリステリアにいるはずなの。ルオとイエリは、そこに行かなきゃ」
「なんだって?」
フェルディオが目を剥く。当然の反応だ。ルオも、タリステリアの状況を聞いて顔色を一層悪くしたが、タリステリア行きには頷いた。フェルディオは眩暈を抑えるように頭を振っている。
「駄目だ。危険すぎる!」
「竜殺しさんを止めなくちゃ、安全な場所なんてどこにもないよ」
「竜殺しだって、もうどこかで野たれ死んだだろう。それより、陛下はどこにいるんだ。戦争を仕掛けたのなら、こうなることは予測できたはずだ。探し出して、どうするつもりなのか……」
「人の王さまが竜殺しさんなの!」
イエリが言うと、フェルディオがはっと口をつぐんだ。幽霊を見たような顔つきでこちらへ向き直る。
フェルディオの現状からずれた発言に、イエリは珍しく苛立ちを覚えていた。早く行かなければという焦りが心の余裕をなくしているのだ。イエリは感情が爆発するまま、支離滅裂に叫ぶ。
「人の王さまは竜と半分半分なの。でも、人が竜を怖がるからずっと隠れてた。竜殺しさんも、鎧を着て顔を隠してたでしょ? 竜殺しさんは人も竜も憎いから、全部壊したくて戦争を起こしたの。どうするつもりもこうもないの!」
叩きつけるように言い切れば、その場には一瞬の静寂が落ちる。すぐに音は戻ってきて、馬の息遣いや遠くから聞こえる竜の声が聞こえた。だが、フェルディオは言葉を失ったままだった。
「ルオのお父さんは多分竜殺しさんだから……会って、説得してほしいってイエリが頼んだの。竜殺しさんを止める方法、イエリにはもう思いつかなくて」
フェルディオの顔がみるみる凍り付いていく。隣にいるルオもまた、気まずい話題のためか居心地が悪そうにうつむいている。やがてフェルディオは、ぼそぼそとした声で呟いた。
「竜殺しが、人の王。竜殺しがルオの父……? ならば兄上が、マルクトがどこにも見つからなかったのは……いや……」
「お兄様……」
ルオが心配そうに兄の顔を覗き込む。ルオには、既にイエリから伝えてあるため、純粋に兄を気遣っているのだろう。フェルディオはルオの顔を見ると、呆然としたまま言った。
「だとするなら……王家とはなんだったんだ……」
鋭い風が耳元を切り裂き唸り声をあげる。ビナーの背から下を覗き込むと、豆粒のように小さな影をなんとか見つけられた。いかに馬といえど、ビナーが本気でスピードを出せば追いつけない。フェルディオたちが着いてきていることを確認しながらでなければ。
「私も共に行く。王室の歪みがこの事態を招いたのなら、私たちにも責任がある」
フェルディオは、竜殺しと人の王が同一人物であることにショックを受けていたが、のんびりしている暇がないと知ると同行を申し出た。子供だけに任せるわけにはいかないと言い、ルオと共に馬でタリステリアへ向かうことになった。正直、怯えたルオをビナーに乗せられるとは考えていなかったため、彼の申し出はありがたい。ルオも兄がいれば安心だろうということで、反対する理由はなかった。イエリはビナーに乗って先行し、道案内をしている次第だ。
「母上の異常さには気が付いていた。だが、私にできることはないと、行動を起こさずにいた。そんな気弱な考えが、兄上──いや、父上を追い詰めたのかもしれない」
フェルディオは、王室の肉親関係についておおよそ全て察しがついたようだった。
イエリには、フェルディオが語る内容を完全に把握することは出来なかったが、その形が歪であることは理解できた。特に、フェルディオが禁忌の末に生まれたのだと知ると、ルオは白い顔で絶句していた。父親のいないイエリにはピンと来ないが、親子で交わるのは相当まずいことらしい。
「マルクトはルオの父だが、私の父でもある。説得するというなら私も行く。いざとなったら、刺し違えてでも……」
フェルディオはどうやらかなりの覚悟を決めたようだった。イエリとしても、もう竜殺しを説得する以外に手がなかった。彼らに思いを託すしかない。
フェルディオたちに合わせる形でも、馬の脚ならタリステリアはすぐだった。ほどなくして、大きく広がる森が近づいてくる。だが目的地に近づくということは竜の数が増えるということでもある。竜の鳴き声が大きくなり、血の臭いが濃くなっていく。
ここまでくれば、あとは走っても行ける。
「ビナー!」
イエリはビナーの背を叩き合図する。彼女は応えるように、すぐに高度を下げ始めた。速やかに地上へ着地すると、イエリが降りやすいよう身を屈めてくれる。ありがとう、と彼女の赤い鱗を撫でた。
イエリが降りると、その気配に気が付いたのか、遠くに見える灰色の竜がこちらを窺い始めた。正気であれば問題ないが、タリステリアまで出てきている時点でそれは望めないだろう。イエリの願いも虚しく、灰の竜は叫びながらこちらへ突進してきた。
ビナーが一つ鳴く。イエリははっとして彼女から離れた。
「ビナー……ありがとう。またあとで」
彼女は答えることなく、灰の竜へ向かって飛翔する。赤い竜は凄まじいスピードで滑空し、向かってきた竜へ飛びかかった。瞬間、どちらのものか分からない血液がぱっと散るのが見えた。イエリは必死の思いでそこから目をそらし、フェルディオたちを呼んだ。
「こっち! ここからはすぐだから!」
イエリが呼ぶまでもなく、馬ももはや限界だった。竜を本能で恐れているのだろう、瞳がきょろきょろと動き回り、今にも暴れだしそうな気配だ。フェルディオは馬をなんとか落ち着かせて止めたが、二人が降りると馬はあたりの土を蹴り飛ばした後、どこかへ走って行ってしまった。
「あの子も頑張ってくれた。後は自分の足で行こう」
そう言いながら、フェルディオも唇を震わせている。イエリたちに話しかけながら、目線がビナーたちの方へ向いていた。彼女たちからは距離があるが、竜の巨体がぶつかり合う様は遠くから見ても迫力がある。ルオに至っては、フェルディオにしがみついたまま離れなくなっていた。
「ビナーが助けてくれてる。今しかない!」
イエリは二人を励まし、半ば引きずるような形で進んでいく。足が進まないのはイエリも一緒だ。だが、ここまで来て引き返すこともできない。進むしかないのだ。住んでいる人が少ないためか、町中よりも死体の数は少なかったが、代わりに竜の数が多い。油断すれば彼らの餌になってしまう。
そっか。人はずっと、こんな気持ちだったんだ。
イエリは初めて竜が怖かった。初めて竜を見たときも恐ろしかったが、あれはもっと瞬間的な恐怖だった。今のように、いつ襲われるか分からない、途切れない恐怖というものは息が詰まる。心臓は速くなったままテンポが戻らず、いくら息を吸っても苦しい。
食べられたくない。死にたくない。こっちを見ないで。気づかないで。
祈りに似た恐怖だけが頭の中に鳴り響く。今すぐに帰りたい。こんなところにいたくない。
しかし、イエリの帰る場所は王の隣だ。
「帰る。帰らなきゃ。そのために、行かなくちゃ」
自分を鼓舞するために、ひたすら呟き続ける。極度の緊張で頭痛がしたが、意地で歩き続ける。
そのうち、森の中で何か争い合うような大きな物音が聞こえ始める。今まで周囲の竜の咆哮で隠れていた音が、近づいたことで分かるようになったのだ。そしてイエリには、それが王たちの争う音だと直感的に分かった。王たちは人間離れした身体能力を持っている。殴りあうだけでも大きな衝撃があるのは道理だ。
「もうすぐ! もうそこだよ!」
イエリは二人を振り向く。彼らは同じような顔つきでイエリを見た。汗をかきながら青い顔をした彼らは、安心とも絶望ともつかない不可思議な表情を浮かべていた。その時だった。
不意に、キー……と高い音がした。




