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イエリと王さま  作者: みつきあこ
第一章 竜の森へ
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竜の仔

 川のせせらぎが心地よい水辺で、倒木の上に腰掛ける。さらさらと流れる水の音を聞いていると、心が静まっていく。波立っていた水面が凪ぐように、精神に静寂をもたらした。

〈王よ、本当によろしいのですか〉

〈ああ……ティファレト〉

 背後から声をかけたのは、薄茶色の鱗を持つ竜だった。彼女はこの森の中でも長く生きている竜であり、王がもっとも信頼していると言ってもよい存在だった。先ほど、王が人間の少女と話した内容を聞いていたらしい。

〈しばらく泳がせる。人の王と繋がりがあるのなら、必ずなにか動きがあるはずだ〉

 王は川を泳ぐ魚影を見つめて呟いた。岩影に隠れるように泳ぐ魚は、水の流れに揺らいでいた。

〈あの娘、奴隷という言葉に嘘はないでしょう。奴隷にはあの鉄の首輪をはめると聞いたことがあります。弟がいるという言葉は、分かりませんが〉

 ティファレトの声を聞き、先ほどの少女を思い出す。

 破れた衣服、やせ細った首にはめられた、不似合いな鉄の輪。瞳ばかりがやけに大きく、煌々と輝いていた。恐怖に怯えた目をしながらも、自身の肉親を案じてみせた。

〈弟とやらは、十中八九嘘だろう〉

 王には確信があった。

 人間に限らず、生き物には生存本能が備わっている。友情や愛情は存在していても、生存本能には勝てない。自分の身が危なくなれば、そちらを優先する。本能とは残酷だが、今生きている動物たちはそうして生き延びてきたのだ。

 つまり先ほどの少女の言葉も、竜から逃れるべくとっさについた嘘だ。そうでなければ、あの少女はどこか頭のねじが外れている。自分より他者を優先できる者など、居はしないのだ。

 なにより、森に竜がいることを知らないなど普通はありえない。常識と言うのも馬鹿馬鹿しい、この世界の前提だった。そんな見え透いた嘘をつくなど、人の王の手先であろうともまだ幼さを感じられる。

〈人の王が不可侵の掟を破るのならこちらも考えがある。どんな出方をするのか、じっくり観察させてもらう。どちらにしろ、あの少女を生きてこの森から出すつもりはない〉

〈貴方の考えに従います、王よ〉

 ティファレトは王の足元へひれ伏した。竜にとって、相手の足元へ鼻先をつけるのは最上級の礼だ。長命である彼女が自分に従ってくれることに、感謝を覚えた。

〈私も注意しておくが、少女が怪しい動きをすればすぐに分かるよう、監視をつけてある〉

〈監視……ネツァクですか〉

 どこか心配そうなティファレトの声に頷く。

〈ネツァクは小柄で弱く見える。もしかしたら、相手の油断を誘ってなにか情報を聞き出せるかもしれない〉

〈そう……王が決めたのなら何も言うことはありません〉

 ティファレトはそれだけ言うと、静かにその場を去る。離れていく彼女の背を見送りながら、王は小さく息を吸った。水と草の匂いがする。


 この世界には、竜と人が住処を分けて暮らしている。森と海は竜、草原と川は人、といった具合だ。その境界線を破ったものは異端者と見なし、殺される。森に入ったものは竜の餌となり、草原へ出た竜は人に狩られる。

 しかし、竜が森や海から出ることはあまりなかった。竜が人を食うといっても、人しか食べられないわけではない。森や海には他の生き物が多く存在する。わざわざ狩られる危険を冒してまで外へ出る必要がないのだ。

 境界を破るのはたいてい人だった。うっかり道に迷って、少し狩りをしようと思って。様々な命乞いを聞いてきた。人は、奇妙な階級制度を構築したことで、富裕層と貧困層が生まれたらしい。貧困層の人間は、森へ入らねばならないほど日々の食事にひっ迫していた。だが人が自らを苦しめたとて、竜には関係がない。森へ入れば食われるだけだと、分かっていながら森へ足を踏み入れる人の、愚かで哀れなこと。

 とはいえ、ここ最近は森へ入る人が増加している。今までは一人、二人が人目を忍んで入ってくることが多かったが、今は大勢で堂々と侵入してくる。人が竜に対して邪なたくらみを持っていると感じるのは仕方がない。

 もともと、この不可侵の掟を取り決めたのは遥か昔の王たちだ。今の人と竜の間に信頼などなく、ただ太古から続く取り決めに従っているに過ぎない。どちらかが行動を起こせば、この均衡が崩れるのは必至だろう。

 人が竜を疎ましく感じていることは知っている。機会さえあれば、この世から竜を放逐したいと思っているのだろう。森へ入ってきた人は皆、恐怖と憎しみのこもった目でにらみつけてきた。

 竜と人には圧倒的な力の差が存在する。無策に戦いを挑んでも、人が負けることは想像にたやすい。一体、どんな奥の手を用意しているのか。

 王は再び水音に耳を澄ました。今は、あの少女を観察するのが手っ取り早い。監視につけたネツァクがうまくやってくれることを祈るほかなかった。






 気が付くと、あたりはすっかり暗くなっていた。

 イエリは草の上に座ると、大きなため息をついた。全身が重く、疲労がのしかかってくる。

 あれから、森の中をあてどなくさまよった。

 何度か竜に遭遇したが、彼らはイエリを一瞥するだけで襲ってはこなかった。先ほど男が言った通り、イエリは森にいることが許されたらしい。襲われないと分かっていても、竜がそばを通るたびにはらはらしてしまう。朝から馬車に乗せられ、竜に追われ、散々な一日だったイエリの体力は限界だ。

 こんなところで眠っては、竜に襲われなくとも獣が寄ってくるかもしれない。せめて火でも焚いておかなくては。

 頭では分かっていても、疲れ切った体は言うことを聞かない。

「ちょっと、だけ、休憩……」

 イエリは体を横たえ、目を瞑った。少しだけだ。ほんの少し休憩したら、すぐに薪を集めて火を起こそう。それで、明日からシオを探そう……。


 キイ、キイイ。近くで鳴き声がする。


 イエリは微睡みから引き起こされた。眠っていたらしい。馬車から落ちた時に打ち付けた背中が痛みを訴えて、イエリの意識が浮上していく。目をこすりながらそろそろと体を起こした。

「うわあっ」

 そこで初めて、周囲の状況に気が付いた。

 イエリの周りには数匹の野犬が集まっていた。少しだけと思いながら、すっかり眠っていたらしい。霧は出ているがぼんやりと明るく、朝になっている。火も焚かずに眠っているイエリは、野犬にとって食事が落ちているのも同然だ。

 問題は、イエリの前に立ちふさがった竜だ。

 その竜は、ひどく小柄だった。翼を含めても、イエリが両腕を広げた程度の大きさしかない。まだ子供なのか、鳴き声も高く細かった。赤褐色の鱗に、伸びかけの黒い角。頼りない竜の仔は、イエリを守るように翼をはためかせていた。

 野犬は小さな竜を警戒し、これ以上は近づいてこない。しかし餌をみすみす見逃すつもりもないのか、離れようともしなかった。竜の仔と野犬のにらみ合いは、イエリが起きるよりずっと前から行われているのだろう、お互いに疲れが見えた。

 どうしてこの子、イエリを庇ってくれるんだろう。あの人は「襲わないよう言っておく」としか言ってなかった。守ってくれるなんて……。

 イエリは疑問を感じながらも、ひとまずこの危機から逃げるのが先決だと考えた。見るに、竜の仔はかなり疲弊している。もしかしたら、竜の仔ごと野犬の食事になってしまうかもしれない。

 事態を打開する方法について頭をめぐらせていると、にらみ合いに動きがあった。

 竜の仔は、体力に限界が来たのか翼を止めて地面に降り立った。そして、その瞬間を待っていたかのように、野犬の一匹がとびかかる。

「危ない!」

 イエリはとっさに手を伸ばし、竜の仔を持ち上げた。

 野犬は竜の仔がいた場所へ突っ込み、盛大に土を跳ねた。その勢いに肝が冷える。竜の鱗は頑丈そうだが、まだ子供のこの子は鱗がやわらかい。野犬の牙には耐えられないだろう。

 イエリは竜の仔を抱くと、野犬に背を向けて走り出した。後ろでは野犬たちが荒く吠える。

 なんでこんなに走り回ってばかりなの?

 寝起きで頭の回らない中、とにかく足を動かす。ちらりと後ろを振り向けば、野犬は猛烈な勢いで追ってきていた。俊敏さでは、昨日の竜よりも上かもしれない。

 このままじゃすぐ追いつかれる。どうにかしないと!

 竜の仔を落とさないよう抱きしめると、胸の中でキュ、と鳴いた。

「だいじょぶ……ッなんとかする!」

 イエリは傍に生えていた実をもぎ取り、手で握った。かなり熟れていた実はイエリの握力でも簡単に潰れ、果肉と果汁を溢れさせる。

 途端、独特な香りがむっと広がった。それこそ、母の死体が放っていたような強烈な死臭だ。イエリは振り向くと、その果肉と汁を野犬たちへ投げつけた。

 足元へ実が投げられると、野犬たちは足を止めて悲鳴をあげ始めた。キャウン、と弱った鳴き声をあげながら、あたりへ散っていく。イエリたちのことは頭から抜けてしまったのか、とにかく匂いの元から離れようと踵を返していった。

 イエリは肩で息をしながら、野犬がいなくなるのを確認していた。彼らの気配がすっかりなくなると、ようやく呼吸が整う。

「よかった……リルの実があって」

 リルの実は、独特の匂いを持つことで有名だ。食べることはできるが、腐臭に耐えてまで実を食べるような者はそういない。イエリも一度口にしたことがあるが、胃の底から喉奥まで異臭がこみあげ、吐き気をこらえるのに精一杯だった。鼻のいい犬にはさぞつらいに違いない。イエリも、母の死体と暮らしていなければ匂いにひるんでいたかもしれない。

 ひとまず、危険は去った。イエリは地面に座り込み、大きなため息をついた。母の死後、追い立てるように危機が迫ってくる。

「あ、そういえば、この子……」

 すっかり忘れていたが、竜の仔は無事だっただろうか。心配になって様子を窺う。

 見れば、竜の仔はすっかり目を回していた。竜もまた犬並みに鼻がいいのだ。そのことを知らなかったイエリは、心底申し訳なく思ったのだった。


 森を流れる小川を見つけると手をすすぎ、臭い消しの草を揉みこんだ。リルの実の匂いは簡単には取れないが、なにもしないよりはましだろう。

 竜の仔を小川のそばに寝かせると、イエリは川で顔を洗った。キンと冷たい水は手を差し込むだけで心地よく、口に含めば疲労まで消える気がした。イエリは喉を潤すと、四肢を投げ出して横たわった。

「どうしよう、これから……」

 ぽつりと呟くと、かすかに感じていた不安が実態を伴いのしかかってくる。

 森にいるのは竜だけではない。野犬や狼、熊など、イエリが出くわせばすぐに食べられてしまうだろう相手ばかりだ。その相手から逃げ回りつつ、なんとか生き延びてシオを探さなくてはならない。それをイエリ一人の力でなすのは、途方もないことに思えた。

 森から出るべきか? しかし人に見つかれば、首輪をしているためイエリが奴隷であるとすぐにばれてしまう。奴隷が逃げるのは重罪だ。よくて一生奴隷、悪ければ殺されてしまう。森から出るのは危険すぎる。やはり、なんとか森を通って村まで戻らなくては。

 イエリが思案していると、ギュ、と呻くような鳴き声がした。竜の仔が目を覚ましたようだ。不機嫌そうな唸り声をあげて首をせわしなく振っている。

「起きた?」

 イエリが声をかけると、竜の仔ははっとこちらを見た。青い瞳の中、細長い瞳孔が縦に走っている。人と構造の違う瞳に見とれていると、竜の仔は慌てて起き上がり、飛び去ろうとする。

「あ、待って!」

 咄嗟に呼び止めるが、竜の仔は構わずに行ってしまう。木々をすり抜けるように離れていく小さな影を、少し寂しく思いながら見送った。

「助けてくれたお礼も言ってないのに……」

 イエリは、すっかり心を許している自分に驚いた。

 竜を恐ろしく思う気持ちはあるが、あの竜の仔は小さく愛らしい見た目をしているため恐怖が浮かばない。犬猫に接するような気持ちになっているのは否めない。

 竜の仔に置いていかれた以上、一人で森を進まねばなるまい。イエリは落胆しつつ立ち上がった。

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