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イエリと王さま  作者: みつきあこ
第五章 雨
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寄り添いあって手を握る

「ビナー!」

 イエリが背の上で暴れまわると、ビナーはようやく翼のスピードを緩めた。暴れると言っても、背中にしがみついたまま上体を揺らす程度だ。それだって十分危険な行為だが、無茶なことをして落下死はしたくない。こんなところで死ぬわけにはいかないのだ。

 眼下の景色を見るに、ビナーはタリステリアから離れてしまったようだ。イエリが投獄されていた町付近まで戻ってきてしまった。しかしそこからどこへ行くべきか決めかねているようで、ビナーはゆったりと上空を旋回していた。

 一体、どうしたらいいのだろう。竜たちの暴走は止まらず、人々は悲鳴を上げながら逃げ惑うばかりだ。あちこちで火の手が上がり、焦げ臭い煙が空まで漂ってくる。もはやどこにも逃げ場はない。

 それでも、諦めるわけにはいかない。

「ねえ、ビナー、聞いて!」

 イエリは風の中で叫ぶ。

「王さまが竜殺しさんを説得できればいいけど、駄目だったら大変なことになる。きっと森の中も大混乱なんでしょ? このままじゃ、人だけじゃなくて竜も滅んじゃう」

 ビナーが高い声で鳴いた。か細い声を出すとアオにそっくりで、不意に彼のことが気になる。アオは無事でいるだろうか。森の奥深くで、騒ぎに巻き込まれていないといいが。

 しかし今はそれどころではない。かぶりを振って思考を戻す。

「イエリに考えがあるの。王さまを助けられるかもしれない……」

 ビナーの羽ばたきが変則化する。彼女も悩んでいるのだ。恐らく王からの命令と、イエリの要求は相反している。通常時ならば王の命令が優先されるはずだが、今は緊急事態である。

「お願い、ビナー。イエリ、竜のみんなが大好き。これ以上傷ついてほしくない……そのためにできることがあるならやりたいの」

 ざらついた鱗を撫でる。剣も弾くような強靭な鱗の下、筋肉がうごめいて翼を動かしているのが伝わってきて、泣きたくなる。

 竜も人も、もう死にすぎた。

 やがてビナーは、低い声で短く鳴いた。イエリには竜の言葉が分からないが、なぜか、彼女の返事が了承であると理解できた。

「ありがとう、ビナー」

 イエリはビナーを再度撫でる。そして、下の町へ降りるよう頼んだ。


 町は、先ほどよりも酷い有様だった。

 落ちている人の死体は損傷が激しかった。食い散らかされて内臓や骨を露出したもの、四肢を失ったものが点々と落ちている。横を見れば、叩きつけられて飛び散った人が、家の壁にこびりついて複雑な模様を描き出していた。ツンと鼻をつく酸っぱいような生臭さと、竜の獣臭さ、燃えた家々から立ち上る煙が混じりあう。傷んだ死体は母のもので見慣れているはずだが、この景色はそれをさらに上回る。イエリたちの降り立った付近にはもう人も竜もおらず、ただ惨劇の冷めきらない熱だけがくすぶっていた。

「ビナー、イエリが呼ぶまで上にいて」

 イエリの頼みに、彼女は難色を示した。イエリがひとりで出歩いて興奮した竜に出くわしでもしたら、一瞬で肉塊の仲間入りだ。彼女の懸念はよくわかる。

 だが、ビナー自身がイエリを食らわないとも限らない。

 竜が興奮状態に入るトリガーは不明だ。人を食らうことだろうが、この死臭に満ちた町は、滞在するだけで正気が削がれていく感覚がする。竜がどう感じるのかは分からないが、彼女が再び正気を失わない保障もまたなかった。

 幸い、付近に竜の気配はない。タリステリアと都の中間地点にある町のため、竜が分散したのだろう。今のところ、イエリが単独行動をしても問題ないように思えた。

「それに」

 イエリはうつむく。錯乱したフリアナを思い出し、心臓が軋んだ。

 この状況で、大型の竜であるビナーが町にいれば、生き残った人を不必要に刺激してしまう。竜を否定する人を見るのは悲しく、出来れば見たくなかった。

 口ごもったイエリの葛藤を察したのか、ビナーは納得できないながらもひとまず上空で待機することに同意した。彼女もまた、自分が暴走しない自信がないのだろう。最後まで心配そうに細く鳴きながら、彼女は空へ飛び上がった。

 ビナーが飛翔するのを確認すると、イエリは体の向きを変えて目的地へ向けて走り出した。上昇するビナーの風圧が背を押す。激しい風に髪をもみくちゃにされながら、イエリは必死で足を動かした。

 イエリは、釈放された後ルオと合流する予定だった。開戦してしまいその騒ぎでうやむやになってしまったが、今再び合流地点へ向かっている。

 町がこの様子では、合流地点にルオがいるかは怪しい。だが、もはやこれに賭けるしかない。魔女と呼ばれていても、魔術など使えないイエリにはこの程度のことしかできないのだ。

 息をせききらせて町を走り抜ける。行けども行けども、道端に転がっているのは死体ばかり。イエリは涙で呼吸を乱しながら、死体の中にルオがいないことを祈った。

 やがて、ルオの死体を発見しないまま目的地へたどり着く。イエリがやってきたのは、町の大きな通りから外れた場所にある屋敷だ。ルオから口伝で道を聞いただけだったが、無事にたどり着くことができた。この町が複雑な構造をしていなかったことに感謝する。

 屋敷は一般の民家よりも大きく、品のある造りをしていた。倒壊した様子もなく、外観は無事である。ルオから聞いた話によると「お兄様の知り合いのお屋敷を借りている」らしい。ルオも一応は王族だ、流石にボロ屋に住まわせるわけにはいかなかったのだろう。イエリは屋敷の大きさに目を回しながら呼びかけた。

「ルオ、ルオ! イエリだよ。いる?」

 返事はない。

 イエリはゆっくりと扉に手を伸ばし、ゆっくりと押した。重厚な扉は驚くほど重く、イエリが必死で押さなければ開かなかった。イエリの家の薄い扉とは大違いだ。流石お坊ちゃん、と心の中で感心する。

 甲高く軋むドアの隙間から体を滑り込ませる。そこで、イエリは間抜けな声を漏らした。

 外から見た屋敷も大きかったが、中もまた大きい。エントランスは吹き抜けになっており、天井が高い。迷路のようにあちこちに扉があり、部屋の多さを窺わせた。イエリの家の何十倍もある。あの小さな部屋で、母とシオと暮らした日々が馬鹿馬鹿しくなるほどの差だ。

 イエリがこの家に暮らしていたら、誰かに食べられることもなかったかな。

 ふと、ささやかな思いつきが降ってくる。

 イエリの生まれた場所が「村」ではなくこの場所だったら。母が娼婦ではなく富裕層の娘だったら。誰に搾取されることもなく、平穏に暮らしていたのなら。たくさんのもしもが頭の中に湧き出し、イエリの足を止める。

 この屋敷。騒ぎの中でもただ静かに、重たく鎮座している富裕層の屋敷。

 イエリの心臓が縮んだ。手足が震えて、呼吸が熱くなる。

「いいな……」

 心の中に、およそ初めてと言っても良い、富裕層への羨望が芽生えていた。

 イエリはこれまで、富裕層について特に何も感じたことはなかった。実際にこの目で見たことがなかったからであり、イエリのもともとの性格でもある。日々を生きることに精一杯で、何かを憎んだり、妬んだりしたことはあまりなかった。

 今、イエリは確かに羨ましいと思っている。村でゴミを漁りながら、近くの家から聞こえた歌声を耳にした時に感じた眩しさ、それを酷く大きく、空っぽにしたような感覚があった。

 ──でも、やっぱりいいや。

 イエリは一つ深呼吸をすると、また歩き出した。

 ここで暮らしていても、奴隷になるときはなる。ルオがいい例だ。彼は王族だが、奴隷として売られていた。富裕層であれば命の危険は格段に減るが、ゼロになるわけではないのだ。

 それに、ここで暮らしていたら、王さまに会うこともなかったかもしれない。

 イエリにとって、一番大きな理由は王だった。

 多分、生きていて苦しいことばかりだった。記憶があるときもないときも、村で暮らした日々はつらいことが多かった。

 けれど、だからこそ王に出会えたのだ。アオに、フリアナに、ルオに、ティファレトに、ケセドに。

 これまでの暮らしの全てが報われたとは思わない。苦痛も悲しみも正当化されはしない。それでも、王に出会えた自分は幸福だと、胸を張って言える。

 王さまを、助ける。王さまの隣に帰る。この幸せだけは絶対離さない。

 イエリは強い決意を持って、前に踏みだした。目の前にある大きな扉を開いた。

「誰……!」

 その瞬間、絹を裂くような悲鳴がした。思わず肩を跳ねさせるが、その声には聞き覚えがある。イエリはカーテンの閉め切られた暗い部屋の中を観察した。

 部屋にはソファがいくつかあり、低いテーブルを挟んで綺麗に並べられていた。床には柔らかい絨毯、清潔な壁紙。そのソファの影に、少年が隠れるようにして座り込んでいる。

「ルオ?」

 呼びかけると、涙で滲んだ彼の瞳が煌めいた。美しい青の瞳から、雫がぽたりとこぼれる。次の瞬間、ルオは顔をくしゃくしゃにしてイエリに突撃してきた。

「イエリ……!」

「ルオ、無事でよかった!」

 抱き合いながら、お互いの体を無意味に叩く。相手が五体満足であることを、無意識に確かめたかったのかもしれない。ルオは声を上げて号泣しており、彼がどれほどの恐怖に耐えていたのか感じさせた。

「ここにいてくれてありがとう。遅れてごめんね」

 ルオを抱きしめながら謝る。彼は鼻水と涙を垂らしながら首を横に振った。

「こ、怖くて、出られなかっただけ……足が、動かなくて、逃げられなくて……」

 それはある意味正解とも言えた。外にいる人々は軒並み食われていた。ルオの足で逃げようとしても、竜たちから逃げられたとは思えない。外の惨状について話すのも気が引けたので、イエリは頷くだけに留めた。

「それで、いきなりでごめんね。イエリと約束してたこと、覚えてる?」

 ルオはいまだ嗚咽していたが、イエリの有無を言わさぬ口調に圧倒されたのか、静々と頷く。

「イエリと一緒に来て。竜殺しさんのところに行こう」

「い、今……?」

 ルオが青ざめた。確かに、以前牢では、竜殺しを止めるために共に話をしに行くと約束した。ルオもまた、自分の本当の父親かもしれない存在に興味を抱いたらしく、その申し出を受け入れた。だが、それは開戦前の話だ。竜の跋扈するこの状況で動き回るのは危険すぎる。ルオの表情がそう語っていた。

「今じゃなきゃだめなの!」

 イエリはルオの手を握りしめた。恐怖のためか、小さな手は冷え切っていた。

「竜殺しさんを止めないと、竜も人も滅んじゃう。このまま隠れてても、いつか竜に見つかるし……」

 握る手に力をこめる。イエリの手も、ルオと同じように冷えて震えていた。冷たい手と手が握りあって、震えを閉じ込めようとしている。近くにあるルオの瞳が潤んで揺れていた。

「お願い。もうルオしか思いつかないの。王さまを助けたい……お願い……イエリも一緒に行くから……」

 哀願する他に、イエリが差し出せるものは何もない。ルオを守れるだけの強さも、無事にやり切れた際に渡す報酬も、何もない。ただ頭を下げて、願った。

 その沈黙は、永遠に感じられた。ルオは長く黙り込んだ後、真っ青な顔で唇を震わせた。

「わ、わかった……」

 ルオの表情は、およそ発言の内容とはかけ離れた絶望を滲ませていた。それでも血の気の引いた顔で、わずかに頷いてみせたのだ。

「友達の頼み……だから……」

 ルオが不自然に口を薄く開いた。何をしているのか、と疑問に思ってから、笑おうとしているのだと理解する。彼は恐怖を抱えながらも、イエリの頼みを引き受けてくれた。

「ルオ……!」

 イエリはルオを強く抱きしめた。彼の体は、手と同じように冷たい。そんな状態で頷いてくれたことに、言葉にできないほどの感謝を抱いた。

「ルオ、大好き」

「ぼくも……」

 子供の体が二つ、震えながら寄り添いあう。そうして触れ合っていれば、震えが少しは収まるような気がした。

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