人の王、竜の王
ビナーの背から眼下の竜殺しを探したが、それよりも先に問題が発生した。
森の中でも、先ほどと同じように竜同士で争い始めたのだ。
森では、攻めてきた兵士たちを孤立させてあると王は話した。だが、その兵士たちを襲うなという命令は出していない。孤立した兵士を襲うために竜たちが集まり、やがて同族での諍いに発展したらしい。その騒ぎは、上空にいるイエリたちにも届いていた。
「王さま、どうしよう!」
吹き付ける風に負けないよう叫ぶ。王は一瞬黙ったが、竜殺しを探すのが先決と考えたらしい。ビナーにはそのまま飛ぶように指示した。
「騒ぎは至る所で起きている。いちいち介入していたらきりがない」
「これも全部竜殺しさんのせいってこと?」
王は答えない。イエリがさらに問いかけようとした瞬間、下から一際大きな悲鳴が聞こえてきた。
見れば、森に攻め入った兵士たちが命からがら逃げ出してきたようだ。絶望の表情を浮かべた彼らは、腰を抜かしながら転がるようにして森から飛び出してくる。イエリはなんとも言えない感情に支配されながら彼らを見下ろした。
「あ……!」
その中で、ひときわ目立つ動きをする人物が見えた。重い鎧をなんなく着こなし、飛び跳ねるようにして駆け抜ける。黒く鈍い輝きを宿したその鎧には、返り血と思しき赤が斑に飛んでいた。
「いた! 竜殺しさん!」
「ああ」
王の頷きと同時にビナーが急降下する。イエリは体を縮こまらせ、胃の浮き上がる不快感に耐える。垂直に地面に向かっていく感覚は、ビナーを信用していてもどうしたって恐怖を煽る。イエリが硬直していると、背中を支えていた王がぼそりと呟いた。
「少し離れていろ」
それだけ言い残すと、王は再びビナーの背から飛び降りた。猛スピードで地面へ向かっていたビナーは急に姿勢を持ち直し、ぶわりと浮き上がった。唐突な方向転換に、脳と内臓が揺さぶられ吐き気を催した。胃液が口までせり上がるが、なんとか飲み込む。朝食を食べていたら吐いていたかもしれない。開戦したことで朝食が配布されていなかったことが吉とでるなど、皮肉なものである。
ビナーはスピードを緩めると、ゆっくりと地面に降り立った。口元を押さえながらほっとする。
「それより、王さまは……!」
ビナーの背からずり落ちると、真っ青な顔で王の行方を探した。
周囲を見渡せば、王はあのスピードで背から飛び降りたというのにけろりと地面に立っている。そして竜殺しの前に立ちふさがると、静かに彼を見据えた。
竜殺しもまた、自分の前に立つ者が竜の王だと気が付いたらしい。手に持った槍をおろし、王と相対する。離れた場所に降りたイエリのところまで、ぴりついた空気が伝わってきた。思わずビナーに抱き着く。
「人の王だな」
竜殺しは王を見つめている。すると、不意に兜を外し、その顔を晒した。
彼は以前見たときと同じ、感情のない冷たい目をしていた。王とどこか雰囲気が似ているが、やはり何かが決定的に違う。竜殺しの瞳は薄い黄金色だが、どんよりと淀んでいる。冷えているが、触れれば火傷してしまいそうだ。竜殺しは、何者をも寄せ付けない孤高の空気を纏っていた。
「この事態は、全てお前の計画通りというわけか」
王が言い放つ。遠くでは竜の咆哮が響き続け、人の悲鳴らしい甲高い声が時折聞こえてくる。あちらこちらで竜が争いあう振動や土煙が立ち上っていた。もはや、ただ人が撤退するだけでは収まらない。イエリは固唾をのんで王たちの会話を見守った。
「竜の王は、本当に人の姿をしているんだな」
竜殺しは王の問いに答えず、他人事のように言った。その返答が気に食わなかったのか、王は眉根を寄せた。冷静に、しかし不快感をにじませた口調で畳みかける。
「復讐が望みなら同族の中でやっていろ。人風情が竜を巻き込むな」
「同族」
竜殺しの口元に冷笑が浮かぶ。薄い唇の隙間からは王と同じく尖った歯が覗くが、そのいくらかは欠けているようだ。イエリは彼が母親から受けた仕打ちを思い出し、胸が苦しくなる。
「俺にもお前にも、同族など存在しないだろう。人でも竜でもない俺たちが、一体どこへ行けると?」
「人が過度に竜を恐れるからそうなる。自分の民だろう、自分で面倒を見ろ。人から受け入れられなかった腹いせに私たち竜を利用しようなどと……人は力の差も分からないほど愚かになったのか」
イエリは自分の心臓の鼓動をすぐそばで聞いていた。
彼らのどちらの言い分も分かる。
王は竜たちから否定されたことはない。確かに、普通の竜と比べればその存在は異質だが、それを理由に竜たちから恐れられたり、迫害されたりはしていない。王は自分を殺してでも森に奉仕してきた。その王には、竜殺しの抱える痛みや憎しみは理解しがたいものだろう。
一方で、人から迫害されたからといって竜を巻き込んだ復讐をする竜殺しもまた自分勝手だ。彼の苦しみは誰にも慰められるものではないが、だからといって世界を壊されては困る。そもそも、人が竜を恐れすぎるからこうなる。種族間の確執がここまで深まる前に、前の時代の王や人々がなんとかするべきだった。
王たちは、この世界で唯一同じ存在だというのに、最も分かり合えない者同士でもあった。
すると、竜殺しは不意に空を見上げる。つられてイエリも空を仰ぐと、上空では二匹の竜が互いを食いながら森の中へ落ちていくところだった。どちらも血走った目をしており、正気ではない。例の興奮状態なのだ。イエリが思わず顔を覆うと、少ししてから何かの墜落する大きな音がした。
「どうも竜の王は人を下に見ているようだが……知能が足りないのは竜のほうだろ」
王が顔をしかめる。竜殺しは竜たちが墜落した方面へ顔を向けながら、王を嘲笑した。
「興奮した竜は、相手が人か同族かも分からないらしいな」
「お前、何を知っている」
王が静かに殺気を放つ。鋭い目に睨まれても、竜殺しは涼しい顔をしていた。手元の槍をくるりと一回転させると、不意にその槍を投てきした。
あ、と思ったときにはイエリの眼前に槍が迫っていた。目をつぶる隙すらなく飛んできた槍は、イエリに命中する寸前で静止していた。
「お、王さま……」
槍の行先を見た王が咄嗟にこちらへきて、槍を受け止めたらしい。飛んでいる槍を掴み取るなど人間技ではないが、考えるまでもなく王は人間ではない。イエリは目を回しながらひとまず礼を言った。すぐ後ろでは、ビナーが怒りに任せて唸っている。一歩遅れてばくばくと暴走し始めた心臓を押さえ、イエリは地面に座り込んだ。
「惜しいな。竜の王にも、俺と同じ憎しみを味わわせてやろうと思ったんだが」
王は無言のまま、手に持っていた槍をばきりと折って投げ捨てた。そしてイエリの脇に手を差し込むと、体を持ち上げてビナーの上に乗せる。
王が何か呟いた。竜の言葉だ、と理解した瞬間、体がぐらりと揺れる。慌ててビナーの背にしがみつくと、彼女はそのまま上昇し始めた。
「え……待って! 王さまが!」
ビナーを叩いてどうにか止めようとするが、イエリの力では蚊に刺されるより弱い。騒ぎ立てるイエリを無視して、ビナーはその場から飛び立ってしまう。
「王さま! 王さまっ!」
下を覗き込むと、彼らは再び睨みあっていた。先ほどと同じように、背から飛び降りると脅してみたり、ビナーをなだめすかしたりとしたが、必死の抵抗も虚しく、ビナーの背に乗ってその場から離れる他なかった。
「ここから逃がしたとしても、この混乱では命の保証などないぞ」
竜殺しが揶揄する。そんなことは王も重々承知だ。竜殺しとの争いに巻き込まないため一時的に避難させたが、それも根本的な安心にはならない。ビナーが再び我を失えば、背にいるイエリを振り落とすかもしれない。そう考えると、ここで悠長に話をしている場合ではなかった。
「人を食らう瞬間、竜は一種の興奮状態となる。しかし、我を失うことなどない。お前、何をした」
「俺はなにもしていない」
竜殺しが肩をすくめる。その瞬間、王は地面を強く蹴り一直線に跳躍した。竜殺しの、鎧に覆われた首を鷲掴みにしようとし──防がれる。鋭く伸びた爪が首にかかる寸前で、腕を掴んで止めていた。
「なぜ過去の王たちは、竜と人の住処を分けたと思う」
手首を握る竜殺しは、変わらず冷えた目をしている。取っ組み合う形で静止し、至近距離で竜殺しを睨みつけた。
「人なんて脆弱な生き物は、竜の餌にされたってよかった。にも関わらず、王たちは竜と人が関わりあわないよう、掟まで作って隔絶した」
それは、王もまた感じていた疑問だ。竜は圧倒的な力を持つというのに、なぜ人を食らいつくさなかったのか。なぜ人を尊重し、掟を作るに至ったのか。
その瞬間、一つの閃きが王を直撃する。まさか、と唇が戦慄いた。
竜殺しはその動揺を見逃さなかった。素早く間合いへ飛び込むと膝を王の腹へ叩きこみ蹴り飛ばす。咄嗟に後ろへ飛びのいて衝撃を緩和したが、骨がいくらか軋んだ。膝をついて受け身を取る。王はそれでも、痛みではなく、自らの「気づき」に対して苦々しい表情を浮かべた。
「人と竜をひとところに集めるとこうなると……かつての王たちは知っていたのか」
竜殺しは否定しない。それがなによりの答えだった。
竜は、森に侵入してきた人を食らう。その時、特殊な興奮を覚えることは確かだが、我を忘れるほどではない。それは森に侵入する人がいつも少数であり、竜は単独で狩りをするからだ。
では、多数の人間を、多数の竜が襲ったら?
その興奮は今までのものとは比べ物にならない。襲う相手が人か同族かなどもはや区別もつかない。ただ目の前にあるものを食いつくすだけの生き物と化す。
過去の戦争でもそれは起きたのだ。人を襲った竜は同族をも食らい始め収拾がつかなくなった。だからこそ、王たちは互いのために二種族の住処を分けた。
守られていたのは人だけではない。竜もまた、森に暮らすことで守られていたのだ。
王はぐ、と奥歯を噛んだ。自分が愚かだった。
過去の歴史について、竜は恐らく誰も知らない。最長齢であるケセドすら知らなかったのだ。他の誰が知り得ようか。このような重要な事実を誰も知らなかったのは、そこに驕りがあったからだ。
我々竜は、人よりも賢い。今後も森から出なければ問題はない。人はあんなにも弱いのだ。森に侵入する愚か者を狩る程度なら構わないだろう……。
そうして永き時を過ごすうち、過去の戦争の悲惨さは忘れ去られ、人への恐れをなくした。竜と人の特性について伝える竜がいなくなり、誰も知らない過去の出来事になった。
王は過去の竜たちの愚かしさを呪いながらも、彼らと同じ考えが自分にあることを感じ取っていた。人を見下し、いざとなればいつでも滅ぼせると考えていた。だからこそ、森に攻め入ってくる人を見たとき、森を出て人を襲うことになんの躊躇も覚えなかったのだ。そんな自分の未熟さが悔しく、反吐が出そうだ。
「顔色が悪いな、竜の王」
温度のない声が神経を逆撫でする。王は苛立ちを押さえながら低く問いかけた。
「人は、この事実を知っていたのか」
「大多数は知らないだろうな。俺だって、城の書庫からそれが書かれた本を見つけなければ知らなかった。古い本だ。どこかの臆病者が書き残したんだろう……いつだって、生き延びるのは臆病者と決まっているしな」
そう言われようが、竜が犯した重大なミスを許せはしない。厳しい表情を浮かべながら立ち上がる。
「過去の王たちはどうやってこの騒ぎを収めた」
すると竜殺しは、感情のないガラス玉のような瞳をこちらへ向けた。
「教えると思うか」
思わない。
王は答える代わりに、竜殺しへ飛びかかった。言わないのなら、力づくで聞く他に方法はない。




