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イエリと王さま  作者: みつきあこ
第五章 雨
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喰らう

 イエリが開戦を知ったのは朝日が昇るころだった。

 長く、大きな声が響き渡る。この大地で聞こえない場所など存在しないほどの、竜の大合唱。大小様々な竜が一斉に鳴き、これから狩りが始まることを知らしめていた。

「嘘……始まっちゃったの!?」

 イエリは飛び起きて鉄格子にしがみつくと、少しでも外の様子が見えないかと顔を押し付けた。変わらず竜の咆哮は空気を震わせており、そのせいで町のざわめきすら聞こえなかった。牢の囚人たちも何事かと混乱しており、皆一様に窓に寄っていた。

 この咆哮は、間違いなく人を狩る時のものだ。戦争が始まってしまった。

 イエリの胸に深い落胆が落ちる。しかし、まだ諦めるには早い。犠牲が増える前にこの戦いを終わらせれば、まだ。

 竜の声は止まない。小さな窓の外では、晴れた空に延々と鳴き声だけが広がっていた。

「おい、魔女!」

 日が空の頂点に昇るころ、背後から声をかけられた。鉄格子に張り付いていたイエリが振り向くと、檻の外にはイエリを移送した兵士がいた。彼は強張った表情で牢の鍵を開ける。

「おい、出ろ!」

「いいの?」

 ルオが「お兄様に頼んで釈放してもらおう」と言っていたが、それがようやく叶ったようだ。イエリが急いで牢から飛び出そうとすると、兵士から肩を捕まれた。

「逃げるんじゃない!」

「うえ?」

 男はイエリを引き戻すと、その手首に頑丈な枷をはめた。鉄製のそれは、がしゃりと音を立ててイエリの手首を拘束した。手錠はかなり重たく、イエリの腕はだらりと下に下がってしまう。

「なんで? 出してくれるんじゃないの?」

「なにを馬鹿な事を! 竜を止めるためにお前を利用するだけだ!」

 男は焦っていた。目は血走っており、汗で髪が額に張り付いている。そのただならぬ様子に、何かあったのかと悟る。

「森に入ったんでしょ? もう戦いになった? 竜はどうなったの?」

「うるさいッ!」

 男はイエリに繋がった鎖を引いて外へ出ていく。他の囚人たちは兵士に気が付くと「どうなってやがる」「ここから出して」と口々に叫んだ。イエリは四方八方からその声を浴びて、居心地悪く肩を縮めながら兵士の後に続いた。

 そうして、イエリは数日ぶりに外に出て、言葉を失った。

「う、うわああ……! もうこんなところまで竜が!」

 男が悲鳴をあげて頭を抱える。イエリは天を仰いで呆然とした。

 空を、竜が飛び交っている。

 翼を広げて飛翔する姿が、影のように空を舞っていた。森にいる竜は上空まで飛び上がることはないため、こんな姿を見るのは初めてだ。その巨体をどうやって持ち上げているのか不思議になるが、竜は空の王者とでも言いたげに、自由に羽ばたいている。

 その影の一つが、こちらへ向かって舞い降りて来た。

「ああああああ!」

 男が鎖を離して走っていく。イエリは足が地面に釘付けになり、動けなかった。

 やってきた竜は赤褐色の鱗を持ち、立派な黒い角を生やしていた。今まで見た竜の中でも、トップクラスに大きい。竜は土煙を巻き起こして、地面を揺らしながら降り立った。

 その鋭い目は、深い青色をしている。その顔つきと鱗の色には見覚えがあった。

「もしかして、アオ……?」

「惜しいな」

 低い声が竜の背から聞こえた。声の主はひらりと地面に飛び降り、イエリの前に現れた。そして長い髪を揺らし、柔らかな微笑を浮かべる。

「イエリ」

「王さま……!」

 イエリは両腕が拘束されたまま、王の元へ飛び込んだ。突撃したイエリを、王は何も言わずに受け止める。王の腕に抱かれると、張りつめていた緊張がほぐれていく心地がした。

「王さま、会いたかった!」

「お前が無事でよかった」

 たかが数日だと言うのに、王と離れている間不安で仕方なかった。このまま戦争が始まってしまうのではないか、竜たちが傷つくのでは。そんな恐怖も、王のそばにいればすぐに消えてしまう。

「イエリ、手を」

 王の囁きに従って、イエリは素直に手を差し出す。王はその手で鉄の輪をぐっと掴むと、力を込めて壊した。重い鎖がバラバラと砕け、地面に転がる。イエリは自由になった両手で王にしがみついた。

「ありがとう!」

 しかし、再会を喜んでいる場合ではない。イエリは王から離れ、状況を確認する。

「今、どうなってるの? 王さまがこんなところまで来て平気なの? 森は……」

「大丈夫だ」

 王は静かに言い切った。

「森はわざと明け渡し、侵攻してきた者を孤立させてある。おかげで境界の守りは手薄だった」

「そうなの? じゃあ、こんなにたくさんの竜が出てきたのは……」

「竜は恩を忘れない。そして、受けた痛みもだ」

 王の瞳が輝いた。その黄金色の光には、激しい怒りと憎しみが宿っていた。ここまで感情を露わにする王は珍しく、思わず息を飲む。

「人の身勝手な理由で多くの竜が死んだ。そして、お前も戻らなかった。これ以上私たちが耐える理由がどこにあるというのか」

「やりかえす、ってこと……」

 王は否定しない。イエリは言葉を失った。

 竜殺しの筋書き通りにことが進んでいる。このままでは、竜と人はどちらかが滅びるまで戦うことになる。そして滅ぶのは、恐らく人だ。

 イエリは周囲を見渡す。町は竜の出現により混乱状態となり、ルオとの合流は難しそうだ。そうなれば、イエリの考えていた作戦も不可能となる。どうするべきか。

 イエリが思案していると、王を乗せていた竜が低くグゥルル、と唸った。それを聞き、王が思い出したように振り返った。

「ああ、構わない」

 一言、王が告げる。その瞬間、竜がはじかれたように前に飛び出した。

「ぁがっ?」

 戸惑った声の、短い悲鳴。その声を発したのは、先ほどイエリを連れ出した兵士だ。彼はイエリの鎖を手放した後、腰を抜かしてその場に転がっていた。その彼は今、竜の足の下敷きになっている。

 バキッ、と大きな音がした。その瞬間、男の体が不自然な方向に曲がった。張りのある果実を踏みつけた時のように、ブシ、と血が噴き出す。それは竜の体を濡らし、生臭い臭いをまき散らした。

 竜はそのまま口を開けて、男を齧った。鋭い牙が柔らかな肢体に食い込み、千切れていく。まるでパンを引きのばした時のように、男の体は元の形を失った。

「彼女はビナー。ネツァクの姉だ」

 目の前で起きた惨劇と釣り合わない温度で、王が説明する。麻痺した脳の一部が、どうりで似ているわけだ、と他人事のように思った。イエリはやっとの思いで目を離し、王の襟に顔をうずめた。

「どうした」

 王が首を傾げる。イエリはただ静かに首を振ることしかできず、背後から聞こえてくる食事の音から意識をそらすので精一杯だった。

「……人のこと、滅ぼすの?」

「滅ぼしはしない。だが、人の王には責任を取ってもらう必要がある」

 王はそれだけ答えると、イエリを抱えた。ビナーに食事を中断させようと呼びかける。

 しかし、なにかおかしい。

 王がいくら呼んでも、ビナーは食事をやめようとしなかった。口元を鮮血でべたつかせ、血走った眼でひたすらに貪り食う。王の声が段々と鋭く、大きなものになっていくが、彼女はそれさえ無視した。

 ビナーは、見るからに様子がおかしかった。

 王の制止も聞かず、ただ一心不乱に人へ牙を立てる。なにかに急き立てられるように、誰かからそう命じられているかのように。

「どうしたの? なんだか変だよ……?」

 竜が王に反抗するなどありえない。心配になったイエリが王の表情を窺うと、彼は困惑をにじませた厳しい表情でビナーを見ていた。

「……少し、待っていろ」

 王は一度イエリを降ろし、ビナーへ近づいていく。どうするのかと手に汗を握り見守っていると、王は体を捻り、軽くビナーを蹴り飛ばした。

 瞬間、ビナーの巨体が吹き飛び、そばにある民家へ突っ込んだ。王の蹴りは、その動作の軽さとは裏腹に、すさまじい重さのようだった。家の崩れ落ちる轟音に耳を塞ぐ。

 王が冷たい声でビナーへ告げる。恐らく指示を聞かなかったことへの叱責だろうが、その王たる態度に、イエリは怯んだ。卵泥棒を捕まえたときの雰囲気に似ている。普段イエリが接している王は穏やかなため忘れてしまうが、彼は竜の全てを統べる王なのだ。

 ビナーはゆっくりと顔をあげると、きょときょと周囲を見渡し、目を瞬いた。そして体勢を整えると、王の足へ鼻先をつける。どうやら正気に返ったらしい。イエリはほっと肩の力を抜いた。

 王とビナーは少し話すと、ようやくイエリの元へ戻ってくる。イエリは王へ駆け寄りしがみついた。

「ビナー、大丈夫?」

 イエリが彼女の様子を見ると、彼女の目には理性が戻っていた。顔は血で濡れているし、口の端からは衣服の繊維が覗いているが、我を失ったような様子はもうない。ビナーはイエリに対しても詫びるように小さく鳴いた。

「衝動的に、人を食らわねばならないと感じたようだ。空腹だったわけでもないが……平原に出て興奮したのか」

「でも、王さまの言うこと聞かないなんて……」

 懸念を口にすると、王はイエリの髪に触れながら思考に沈んだ。

「竜は人を食らう時に興奮状態になる。それは分かっていたが……先ほどから竜たちが騒がしいのも気になる」

 竜の咆哮は、朝から断続的に続いている。遠くから響く鳴き声は、反響して耳にこびりついてしまいそうなほどだ。そうして王に撫でられるがままになっていると、イエリはふと我に返った。こんなところでのんびりしている場合ではない。王の袖口をぐい、と引いて話しかける。

「あのね、王さま。イエリ、人の王さまと話したの」

 そう告げると、王の意識が一気にこちらへ向いた。静かな瞳が話の続きを催促する。

「会ってみて分かったんだけど、人の王さまが竜殺しだった。人の王さまは大切な人が死んじゃって、王とか竜とか人とか、そういうの全部憎んでる。だから全部壊したくて、竜殺しとして戦争を仕掛けたんだ」

「私たちが平原へ出てくることも、人の王は予測していたと?」

「わかんないけど……竜を怒らせて、とりかえしがつかないくらいの戦争にしようとしてるのは確かだよ。このままだと、人の王さまの思い通りになっちゃう」

 王がすうっと目を細める。そして上空を飛び交う竜の影を見上げた。

「竜が人に負けるはずもない。だが、今の状況はなにかおかしい……」

 王はぼそりと呟くと、イエリに向き直る。

「人の王がどこにいるか、分かるか」

「イエリが最後に会ったのはタリステリア……森のすぐ近くだった。もしかしたら、兵士たちと一緒に森に入っていったのかも」

「そうか」

 イエリの返事を聞くなり、王はビナーを一瞥した。彼女はその目線だけで意図を察したのか、首を低く下げる。そしてイエリは王に持ち上げられ、ビナーの背に乗せられた。すぐに王も続き、後ろからイエリを抱えるように彼も座った。

「森へ戻る」

 王はそれだけ告げると、ビナーの背を軽く叩いた。それに反応するようにビナーが大きくいななき、翼を広げる。跨った足の下、筋肉が躍動する感触と浮遊感に、イエリは悲鳴をあげた。

「ひゃああっ!」

「掴まっていろ。揺れるぞ」

 体が大きく揺れる中、王の低い声に従って必死にビナーの背へ掴まる。後ろからは王が支えてくれているが、空を飛ぶという未知の恐怖は簡単には消えなかった。

 ビナーの体が傾き、ぐんと重力がかかる。激しい風が前から吹き付け、耳元でごうごうと唸った。目と口を固く閉じ、イエリは祈るような気持ちで硬直していた。

 やがて、重たくのしかかっていたいた重みがふっと消える。相変わらず風は凄まじいが、ビナーの体が水平に戻ったのを感じる。イエリはうっすらと目を開いた。

 そこにあったのは空だ。

 空が近い──いや、空の中にいる。視界を遮る木や建物は何もなく、ただひたすらに青が広がっていた。ビナーの体の隙間から下を覗くと、遠い地面に小さな家や木が見える。眼下の景色は作り物のようだった。

「と、飛んでる……!」

 イエリが素っ頓狂な声をあげると、王が「あまり動くと危ない」と注意してくる。イエリは慌ててビナーの背に体を伏せるが、空を飛んだ興奮は全身を痺れさせたままだった。

「王さま、王さま!」

「どうした」

「空を飛んだ人って、今までいるかな?」

 風に負けないようにしてイエリは叫ぶ。鋭く吹き付ける風は冷たく痛い程だ。入りは興奮か寒さか分からない震えを抱いたまま笑った。

「イエリが初めてじゃない?」

 すると、王が体勢を変え、イエリの上に覆いかぶさるようにして体を倒した。それによって風はほとんどが遮られ、安定感が増す。イエリは首を傾けて王の顔を窺った。

「お前が初めてだろうが……はしゃいで落ちたりしないように」

 王は呆れつつも、穏やかな目をしていた。イエリは王にすっぽりと覆われる形で、竜の背に乗っていた。先ほどよりも圧倒的に乗り心地がいい。

「王さま、あったかい」

 王の体は温かかった。上空で強い風に晒されていたせいかもしれないが、それを抜きにしても王に抱かれると安心する。

 このまま殺し合いになったら駄目。王さまが死ぬなんて耐えられないし、他の竜のみんなも、それに人も……これ以上誰かが死んだり悲しい思いをするの、見たくない。

 空から見る景色はとても美しく、寒い。もしかしたら、竜殺しがいるのも空の中なのかもしれない。そう思うと、イエリの胸の奥に痛みが刺した。

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