幼心
「イエリだよね?」
そう問いかけた声は幼かった。イエリは首を傾げながら、そろそろと窓へ近づく。そして格子の隙間から外を覗くと、話しかけてきた人物と目があった。
「君……ルオ?」
少年、ルオは花がほころぶように笑った。小さな窓は彼の身長ではぎりぎりの高さにあるらしく、溺れているように顔だけが覗いていた。
「やっぱりイエリだ! 生きてたんだね!」
そう言うなり、彼は青い眼いっぱいに涙を溜める。彼とは森で竜に襲われて以来だ。イエリもまた鉄格子に鼻頭をつけ、隙間から手を伸ばした。
「ルオも、無事でよかった!」
「イエリが竜をひきつけてくれたから……あの時は本当にありがとう」
ルオが手を握り返す。彼の手は汗でしっとりと濡れていたが、柔らかく触り心地がいい。ささくれ立って汚れたイエリの手とは大違いだった。
「ルオ、こんなところにいていいの? お兄さんが王族ってことは、ルオもそうなんだよね?」
イエリがそう尋ねると、彼は目を丸くした。
「え、そ、そうだけど……君、お兄様に会ったの?」
「え?」
聞かれることではっとする。イエリはルオの兄と会ったことがあるだろうか。そして、なぜルオの兄が王族だと知っているのだろう。
もしかして、こないだ森から出た時?
記憶がない間に彼の兄と出会ったのだとしたら、王族だと知っていてもおかしくない。しかし記憶は断片的で、どうして王族であると思ったのか分からない。全ての事情を説明すると冗長になってしまうため、イエリは曖昧に微笑んで誤魔化すことにした。
「ぼくの父上は王さまだけど、母上は使用人だったんだ。だからぼくは王族でも、居場所がない。何しててもほったらかしだから」
「そっか」
そういえば、初めて出会ったときにも同じような話をした気がする。彼は妾の子で、正妻から嫌われているのだと。妾の子とはいえ王族が奴隷になるなど一大事だ。何やら王室も大変らしい、とぼんやりした感想を抱いた。
「それより、君のことだよ。さっき兵士に連れられて歩く君を見つけて、すぐにピンときた。それでここに連れていかれるのを見て、慌てて追いかけて……」
ルオの顔が泣きそうに歪む。
「今までどこに隠れてたの? お兄様が必死に探しても見つからなかったのに。それに、魔女なんて呼ばれて……一体どういうこと?」
「それは、全部話すとすごく大変なんだけど……」
イエリは適度にかいつまんで説明をした。ルオを助けるために竜をひきつけた後、竜の王と出会った。彼に許されて森で過ごしていたが、人が攻めてくると知り、人の王を説得しに来たのだと。
話を聞きながらルオは赤くなったり青くなったり忙しかった。イエリでさえ目まぐるしかったこの半年近くの出来事は、他人事として聞くと信じがたいような展開の連続だった。
ルオはイエリよりも幼く見える。話を理解してくれるか不安だったが、彼は青ざめながらもしっかりと頷いてくれた。
「じゃあ、君は竜と知り合いになったから、魔女って呼ばれているんだね」
「そうみたい」
竜と友人になるだけで魔女扱いは酷いものだと思うが、そこを掘り返すと話がややこしくなるのでやめておく。ルオはううん、と唸った。
「ぼく、イエリが助けてくれたのに何も出来なくて悔しくて。それで、お兄様にお願いしたんだ。イエリに恩返ししたいって。だからお兄様は、イエリと、イエリの弟を探してくれてた。でも、どれだけ探しても見つからなくて……森にいたなら、見つからないわけだよね」
彼は眉を下げて情けなく笑った。その笑顔には怯えの影がちらついていたが、イエリを理解したいという意思も感じられた。冷たくあしらった竜殺しや、侮蔑の目で見てきた兵士たちとは違う。そんな彼の言葉が嬉しくなり、鼻がツンと染みる。何度も瞬きを繰り返し、溢れそうになる涙をこらえた。
「それなら、ルオのお父さんは竜殺しさんなんだ。若く見えたけど……竜と半分半分だから、年を取るのが遅いのかな」
イエリは何の気なしに言うが、返事が返ってこない。ルオの顔を覗き込むと、彼はぽかんと口を開けていた。
「ルオ?」
イエリが心配になって声をかけるが、彼は何が何だか分からないといった表情で首を傾げていた。
「ぼくの父上は陛下だよ。竜殺しじゃない」
「ええと……竜殺しさんが王さまになる前に生まれたってこと?」
だが、ルオと竜殺しの年齢を考える限りそれはありえない。王は生まれた瞬間から王である。そして、王は同時に二人存在しえない。つまりルオの父が王であるということは、竜殺しが父であるはずだ。
「あ、そうか」
イエリは一つの可能性に思い至り、手を叩いた。
「竜殺しさんが人の王さまだって、ルオも知らないんだ?」
竜殺しは鎧で姿を隠している。あの特徴的な角を見ればすぐに分かりそうなものだが、ルオが鎧姿の彼と会ったことがないならそれも頷ける。一人納得しているイエリに対し、ルオは言いづらそうに言った。
「あのね、イエリ。なんだかよくわからないけど……ぼく、父上のお姿は見たことがないんだ」
「そうなの?」
ルオは体を縮めて居心地が悪そうだ。イエリは一瞬驚いたが、そういうこともあるか、と思い直した。
「イエリもお父さんの顔知らないの。おそろいだ」
「え……そうなの?」
ルオが視線だけをあげる。イエリは照れ笑いを浮かべながら頷いた。
「お母さん、娼婦だったの。だから誰がお父さんなのか、わかんない」
そう思うと、二人の間には共通点が多かった。母を亡くし、父の顔を知らない子供たち。生まれは違えど、境遇には似たところが多い。イエリは嬉しくなって微笑んだ。
「誰かと一緒って嬉しいね。お母さんが死んじゃったのも、お父さんが分からないのも楽しいことじゃないけど、友達とおそろいだって思うと嬉しい」
「友達……?」
「友達じゃない?」
イエリが眉を下げると、彼は一瞬あっけにとられてから激しく頷いた。
「と、友達……! 友達がいい!」
「よかったぁ」
ルオからも認められて、イエリはほっと胸を撫でおろす。
「人の友だちはルオが初めて」
「ぼくも……お兄様以外、近くには誰もいなかったから」
「じゃあ、またおそろい?」
ルオは頬を赤く染めて笑った。あはは、とこぼれた声は無邪気で明るいものだ。
イエリもどこかむずがゆい気持ちになり、顔が熱くなった。
「それで、さっきの話……」
ひとしきり笑いあうと、話を戻す。
「ルオはお父さんの顔を見たことないなら、誰がお父さんなのかも分からないってことだよね?」
「うん。でも、母上は父上のことを陛下って呼んでた。だから父上は王さま……ゲブラー様のはずだ」
「それなんだけどね」
イエリは王の仕組みについて話した。王は生まれる前から決まっており、同時に二人はいない。そして、今の人の王は竜殺しであり──ルオの父であるはずだった。
ルオはさすがに納得できない様子だったが、ふと思い出したように「あ」と声をあげる。
「この前、お兄様から変な手紙が届いたんだ」
「手紙?」
「うん。『王族は穢れている。なにもかも滅茶苦茶だ』って……読んだ時は、王妃様がまた乱心されたのかと思ったんだけど、そうじゃなくて……」
「竜殺しのこと、知ったのかな?」
「そうかもしれない……」
ルオはそれきり黙りこんでしまった。イエリは自分の言葉が彼を傷つけたような気持ちになり、この件については保留とすることにした。これ以上ここで話しても、真実は闇の中だ。
「あのね、イエリ、ここから出たいの」
話を変えると、ルオがはっと顔をあげる。険しい顔をしながら、彼はこくりと頷いた。
「竜殺しさんは、本気で戦争を起こしたがってる。だから、そうなる前にあの装置を壊さないと……」
「装置?」
ルオが言葉の端にひっかかるが、イエリは無視して話を進めた。
「ルオ、一緒に森に行こう」
美しい碧眼が見開かれた。イエリは格子に顔を寄せて、必死で語りかける。
「イエリと一緒にいれば、きっと竜も襲わないでいてくれる。だから、戦いが終わるまで一緒に行こう。人が諦めたら、その時ルオも帰ればいいよ」
「ま、待って……」
「ルオだけじゃない。フリアナと、おじいさんも連れて行かなきゃ。あとは……」
「待ってよ!」
絹を裂くような叫びでイエリの言葉は遮られた。ルオは今にも泣きだしそうな顔で、悲痛な呟きを漏らす。
「ぼくら以外はどうなるの?」
「森に入った兵士は竜に食べられると思う。王さまがどうするつもりかは分からないけど、もう攻めてこないように、町を壊したりもするのかなあ」
けろりと言い放つと、ルオは瞳を潤ませて絶句した。何度も首を横に振り、唇を震わせる。
「そ、そんなこと簡単に言わないでよ。人がたくさん死んじゃうかもしれないんだよ!」
「どうしたの? なんで怒ってるの?」
「どうしたのだって?」
ルオは鼻白む。彼の手が鉄格子を掴んでぐらぐらと揺らした。錆びついているのか、格子がぎいぎいと鳴る。
「人が死んじゃってもいいの? きっとたくさんの犠牲が出るよ」
「そんなの竜だって同じだよ。そもそも森を奪おうとしてるのは人でしょ? 勝手に入ってくるのはそっちのくせに、それで怒るなんておかしいよ!」
イエリが言い返すと、ルオはぐっと言葉に詰まった。それでも黙っていられないのか、しきりに首を振って「ちがう、ちがう」と呟いている。
「君は、人よりも竜が大切なの?」
失望したような口調に神経を逆なでされ、イエリはきっとルオを睨んだ。
「そう。イエリは竜の味方なの。ルオや、フリアナや……自分の知ってる人以外どうなったっていい。イエリはもともと人なんて嫌いだもの!」
口に出すと胸にすとんと落ちる。
イエリは人が嫌いだった。
「イエリはいつもどこにもいなかった。みんなイエリの名前も覚えてくれない。近くによるとくさい、汚いって石を投げられた。でも、竜は酷いことしなかった。イエリに、森にいてほしいって言ってくれたもの!」
人なんて滅んだって構わない。心の奥底で、イエリは竜殺しと同じことを考えている。
竜たちさえいればいい。王さえいれば、他がどうなろうと知ったことか。怒りに似た激情が胸をつき、うっすらと涙が浮かぶ。
──でも、もし王が死んでしまったら。
イエリははたと我に返る。
王はイエリを受け入れて微笑んだ。隣にいてほしいと望み、イエリの唯一の居場所になった。あの人ならざる手がイエリを抱きとめてくれるなら、どんなことがあっても恐ろしくなかった。
そんな王が、いなくなったのなら。
想像した途端、イエリの目の端から涙がひとつ零れた。王がいなくなる。シオのように死んでしまう。ようやく見つけた居場所がなくなってしまう。
「そっか……」
イエリは理解した。
竜殺しは、王を失ったイエリだ。
彼は誰にも顔を見せられず、母から蹂躙される日々の中で、初めて自分を受け入れて愛してくれる存在に出会った。きっと、彼女さえいれば他にはいらないと思ったはずだ。こんな世界でも生きていけると希望を抱いたかもしれない。
けれど、その光は失われた。
イエリはなんとも言えない痛みに胸を締め付けられた。突然黙ってしまったイエリを気にしているのか、ルオが気遣うような目線でこちらを見ている。
王さまがいなくなったら、イエリは今度こそ駄目になっちゃう。王さまを殺したものを憎んで、壊そうとするかもしれない。
そしてその連鎖は、きっと永遠に終わらない。
戦争が始まり、竜が無事に勝利したとする。しかし、争いの中で犠牲となる人は必ず生まれる。そしてその人を愛していた者が、また竜に対して深い憎しみを募らせるのだ。
人に優しくすると、その分だけ自分に素敵なことが起きる。
母の言葉を思い出したのは、随分久しぶりだった。母はただ人を許し、受け入れ、そこにいた。だからこそイエリが石を投げられても怒ってはくれなかったが、それが母の見つけた生きる術だったのかもしれない。
何かを奪い合う連鎖を止めること。そのために母は笑っていた。
「……ルオ、手伝ってほしいことがあるの」
「な、なに……? 森へ行くのなら、ぼくは……」
「ううん、そうじゃなくて」
イエリは母のように諦めがよくない。自分だけが痛みを受け入れて終わりにできるほど大人でもない。だが、だからといって痛みを人に押し付けてもなにも解決はしないのだ。
イエリは顔をあげて、まっすぐにルオの目を見つめた。彼の目は青く美しいが、瞳孔は人のものとは少しばかり形が違っていた。
「竜殺しさんを止める。そのために、ルオの力が必要なの」




