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イエリと王さま  作者: みつきあこ
第五章 雨
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魔女

 室内に入ると、イエリは床に降ろされた。投げるとまではいかないが、優しい手つきではない。尻を床に打ち付け、イエリは情けなく声をあげた。

「うへえ、痛い……」

 座ったまま尻をなでさする。せっかく全身の怪我が治ってきた所だと言うのに、また新しい痣になってしまうかもしれない。せめて痣にならないよう祈っておく。

 そこで、背筋がぞっと冷えた。

 顔をあげればその理由が分かる。兜の隙間、視界の確保のために開けられた小さな穴から何かがイエリを見ていた。穴の中は暗く、瞳の色すら分からないと言うのに、こちらを冷ややかな目で見ていることだけははっきりと理解できた。

「何が目的だ」

 低い声が問う。その声は感情の起伏が薄く、泥沼のような重たさがあった。そこで、思う。初めて出会ったときの王の声にそっくりだ。王もはじめは、義務感で話しているような不自然さがあった。竜殺しの話し方は以前の王と似ている──いや、それよりももっと異質だ。

「さっき初めてあなたを見たとき、もしかしてって思った。今、声をちゃんと聞いて分かったよ」

 竜殺しの目をひたと見つめ返す。指先が無意識に震えたが、こぶしを強く握り込んで気が付かないふりをした。

「竜殺しさん。あなたが、人の王さまだ」

 イエリの指摘にも、彼はたいした動揺を見せなかった。まるでイエリがそう言うことがわかっていたかのようだ。彼は両腕で側頭部を押さえると、頭を覆う兜を持ち上げた。

 露わになったのは、半分ほどを漆黒の鱗に覆われた肌だ。短く刈られた髪も黒く、同様に黒い角がねじ曲がりながら生えていた。瞳は透き通るような金色で、この世の全てに辟易したように静まっていた。王と比較すると精悍な顔立ちをしているが、かなり整ったものと言える。

 彼は、王と同じ。人と竜の境目の存在。

「竜を殺せる槍や、護符を作ったのもあなた。自分の爪を剥がして、槍にした……」

 彼の持つ鱗や爪は、成竜と同じものだ。だからこそ、彼は自分自身を使って武器を作った。護符についても、彼が竜と同じ性質であるならば研究し作ることができるのだろう。それは、並大抵の努力では成しえないことだったはずだ。

「本当は、人の王さまにお願いがあって来たの」

 イエリは自分の右手をもう片方の手で包んだ。そうでもしなければ、みっともなく震えていると気が付かれてしまうかもしれない。せめて気丈にふるまって、自分が交渉の余地のある人間だと思ってもらわなくてはならない。いつもよりも落ち着いて、慎重に話を進める。

「イエリ、少し前から森で暮らしてる。竜の王さまに見逃してもらって、一緒にいたの」

 イエリは簡単に説明をした。森で暮らすうちに竜たちの優しさを知ったこと。竜たちが傷つくのが耐えられないこと。掟を思い出して、森への侵攻をやめてほしいこと。

 イエリが話す間、竜殺しは微動だにしなかった。目を凝らさなければ、瞬きをしているかも怪しいレベルだ。

「人の食料がなくなったのは自分たちのせい。なのに、仕方ないからって理由で森を奪うなんて間違ってる。今からでも戦うのをやめてほしいの」

 大柄な竜殺しに凝視されたまま喋り続けるのは、いくらイエリでも緊張する。王からは無鉄砲で緊張感や警戒心がない、と散々な言われようだったが、それを訂正することが出来そうだ。イエリは一度唇を舐めた。

「竜殺しが人の王さまだった。竜殺しは竜がすごく嫌いって聞いた。だから竜を殺す武器や道具を作るんだって。でも……」

 イエリの中の違和感は、竜殺しの正体を知ったことで無視できないほど大きなしこりとなっていた。

「竜殺しさん。森の南のほうの水場に、パネノミを入れたでしょう?」

 彼は動かない。しかし、イエリにとってほぼ確信に近い。

「確かに南の竜は何匹も死んじゃった。でも、あれだけじゃ意味ない。死んじゃったのは竜の中でもほんの少しだから、竜の数を減らせたわけでもないし……人が攻めてこようとしてるのがばれちゃうだけ。本当に森を奪いたいなら、あんな中途半端なことしない……よね?」

 竜殺しが本気で森を欲しているのなら、森の水場あちこちにパネノミをまくべきだ。そうすれば、南部の湖周辺の竜だけでなく、全体の数を減らせる。人の勝率は上がるはずだ。竜と全面的に対立したくないと考えたのかもしれないが、戦いを選んだ時点でそれは虫が良すぎる。

「竜殺しさんは竜を殺そうとしてる。なのに、人を勝たせるつもりもないみたい……」

 イエリは、食糧難によって森を奪うのは間違っていると言いたかった。しかし、竜殺しが森を襲う理由が食料確保でないとしたら、その説得は無意味だ。

「それらは、竜の王の受け売りか」

 竜殺しは口を開いた。イエリは頷きつつも首を傾げる。

「うんと……王さまが言ってたところもあるし、イエリが勝手に考えた部分もあるよ」

「魔女はなかなかの慧眼というわけだ」

「……まじょ?」

 竜殺しは兜を抱えてイエリの前に立ちふさがっている。大きな体は壁のように威圧感があり、イエリは尻もちをついたまま立てない。彼はこちらを見下ろして告げる。

「貴様の見立て通り、俺は人を勝たせるつもりはない」

「それなら、なんのためにこんなこと……」

 竜殺しの瞳は王のものよりも色が明るかったが、それが余計に近寄りがたい雰囲気を醸し出している。瞳の中には、人ならざる細長い瞳孔が走っていた。

「人を滅ぼす」

 イエリはごくりと唾を飲んだ。その答えは想定外だ。答えに窮したイエリを一瞥し、竜殺しは言い放った。

「人と竜の全面戦争。それによって人を壊す」

「な、なんで……どうして!?」

 問い詰める声はほとんど悲鳴だった。彼の話す内容が理解できない。

「あなたは人の王さまでしょ? どうして人を滅ぼしたいの?」

「人がいる限り、竜がいる限り、悲劇が続いていくからだ」

「悲劇って……?」

 竜殺しはガントレットを外し、その腕を掲げた。彼の腕の有様を見て、イエリを思わず息を飲んだ。

 彼の腕には無数の傷跡があった。茶色く変色した部分は傷の治った跡なのだろう。一部分は赤く皮膚が盛り上がりひきつっている。鱗が無理やり剥がされたような跡もあり、薄いピンク色の肉が覗いている。痛ましいその傷たちは、短い間に出来たものではない。長い間、繰り返し刻まれたものに見えた。

「俺の母は、俺を孕んで狂った」

 彼の口調は淡々としていた。他人事のように軽薄な口調は、いっそ痛々しくもある。

「貴様も恐らく知っているのだろうが、『王』たちは竜と人、二つの性質を持って生まれる」

「うん……知ってる……」

「俺の父も王だった。次の王を産むため、父と母は交わった。だが、母は竜を過剰に恐れている人だった。竜に似た姿の父に犯されたことで、心が壊れた」

 その言葉で、なんとなく想像がついた。竜を恐れている人は多い。そんな女性が竜の角や鱗を持つ者と交われば、それは恐怖以外の何者でもない。イエリは悲しくなってわずかにうつむいた。

「母は自分の感情を制御する術を失った。俺を愛していると言いながら、俺に熱湯をかける。俺を抱きしめながらナイフを握る。俺を憎みながら俺を犯す」

 イエリは唇をぐっと噛み締めた。自分を守るように体を縮めて、手を握る。そうでもしなければ、彼の告白を聞くことは出来なかった。

「俺を受け入れ、愛してくれた人もいた。彼女は温かく、柔らかで、こんな俺でも構わないと笑ってくれた。しかし母は……彼女を殺した。俺がどこかへ行くのを許さなかったのだ」

 その時、初めて竜殺しの目に痛みがよぎる。しかしそれは一瞬で通り過ぎ、再び感情が消えた。

「その時に理解した。人が竜を恐れているからこうなる。王などと言う異質な存在がいるからこうなる。この歪んだ仕組みを壊さなければ、この悲しみは何度でも繰り返す」

「だから、人も竜も滅茶苦茶にしたいの……」

 竜殺しには目的地など存在しなかったのだ。何千年と続いてきた人と竜の危うい均衡を破壊し、掟や王というシステムをなくす。その先のことなど、彼にはどうでもいい。

 この人はすごく怒ってる。それに、すごく悲しんでる。

 竜殺しの表情筋は硬直しておりピクリとも動かないが、奥底にある激情をかすかに感じ取れた。母から認められず、愛してくれた人を失い、彼に残ったものはこの世界に対する憎しみだけだったのかもしれない。

 イエリはすっかり心が折れていた。彼に対してかけるべき言葉が分からない。居場所を見つけてしまったイエリが何を言っても、浮ついた言葉でしかない。それでもここまで来たからには、何もせずに帰れない。イエリは必死で話した。

「竜は、なんにも悪くないよ……人が勝手に怖がって、勝手に森を欲しがって……同じことにならないようにするなら、人の王さまだけなくせばいいでしょ?」

「駄目だ」

「どうして?」

「これは復讐だからだ」

 部屋の温度が急激に下降する。背筋を冷たい汗が伝った。イエリはさらに小さくなって、少しでも竜殺しから隠れようと無駄な努力をする。

「人も、竜も、王も。最初から存在しなければよかった。そうであれば、彼女を失うこともなかった」

 イエリは口をつぐんだ。全てを壊すことが目的ならば、戦争を引き起こすのは手っ取り早い手段と言えるだろう。そして、どんな説得も無意味だ。イエリは肩を落として、最後に尋ねた。

「全部壊すつもりなら、なんでイエリに話してくれたの……?」

 その時、竜殺しの目じりが少しだけ緩んだ。瞬きをすればもとに戻っていたため見間違いかもしれないが、彼の表情が初めて動いた瞬間だった。

「貴様が魔女だから、だろうか」

「その、魔女ってなに?」

 イエリは眉をひそめた。言葉の意味は分からないが、ネガティブなワードであることは分かる。竜殺しは兜を被りながら答えた。

「人でありながら竜を愛した異端者──魔に落ちた女ということだ」

 がしゃん、と鎧が重たい音を立てた。その金属音が、冷たく会話の終わりを告げていた。

「貴様は竜の王と親しいのだろう」

「えと、うん……一緒にいてって、言ってくれた……」

「そうか」

 竜殺しの返答は短かったが、どこか懐かしむような、柔らかい響きがあった。最初に交わした会話のような不自然さのない、感情のある声だった。もしや、このまま会話を続ければ譲歩する余地もあるのではないか。しかし、イエリの淡い期待はすぐに打ち砕かれた。

「では貴様が戻らなければ、竜の王は確実に人を憎むだろうな」

「王さまを怒らせたいってこと?」

 イエリはばっと体を起こした。どちらかが滅びるまで続く泥沼の戦争にするためには、激しい憎しみや引っ込みのつかない状況が必要だ。彼はイエリを使って、竜たちを刺激するつもりらしい。

「そんなの、意味ないよ。王さまは誇り高い竜なんだ。イエリ一人のために、竜を巻き込んで戦争したりしない」

「表向きはそう振る舞うだろう。だが、愛したものを奪われる痛みは、理性で抑え込めるほど軽くはない」

「王さまはそんなじゃない!」

 イエリはむきになって叫ぶが、竜殺しは聞く耳を持たなかった。イエリを持ち上げて小脇に抱えると、騒ぐイエリを無視して部屋から出ていく。

 外へ出ると、イエリを抱えた竜殺しの姿を見て兵士たちがぎょっとしていた。竜殺しは兵士へイエリを押し付けると冷たく言った。

「その子供は魔女だ。隣町に移送して牢にでも入れておけ。殺すなよ」

「は……ハッ!」

「やだ! 竜殺しさん! 話を……!」

 イエリは手足をばたつかせたが、兵士からはしっかり拘束されて動けなかった。

 王さまの所に帰らなきゃ。でも、このまま帰っても駄目。竜殺しさんを止める方法は本当にないのかな。

 抵抗虚しく、イエリは縄で縛り上げられた。荒い縄目が体に食い込んで痛かったが、それよりも自分が王の役に立てなかったことが悔しかった。

 言われたこと守れなくてごめんなさい、王さま。でも、まだ帰るわけにはいかないみたい。

 イエリはぐっと顔をあげる。遠くへ歩き去っていく竜殺しは、鎧の重みを感じさせない。その内側にある泥をどうにかする方法はすぐには思いつきそうになかった。

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