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イエリと王さま  作者: みつきあこ
第四章 炎の足音
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少女と男

 ハルタとの話はそこで終わった。兵士たちの説得という目的は果たせなかったものの、竜殺しの足取りは掴んだ。馬を一頭借りて、フェルディオはひとまず南へ向かうことにした。

 タリステリアの南部は、今まで幾度となく食物の栽培が試されてきた。人口増加による飢餓は随分前から問題になっていたのだ。しかし、どんな方法を試しても畑として開拓することはできなかった。南部は土が死んだ土地として放棄され、人も暮らさない。

 だが、人に見られたくないことをするならもってこいとも言える。

 人が住まないということは、誰からも見つからないということだ。兵士の見回りもないため、南部は賊の根城になっていると噂で聞いた。一人で向かうのは危険だったが、同行する兵士はいない。自分勝手にふらついている王族に付き合う暇などないのだ。都まで戻ればあるいは誰かしらいたかもしれないが、そんな時間はない。フェルディオは覚悟を決めて南部へ足を踏み入れた。

 死んだ土地という名前にふさわしく、そこは乾いた土が広がる大地だった。風や雨で肥沃な土が削られたのか、固い地面が露出している。ひび割れた地面には所々雑草が生えているが、そのどれもが細く、弱弱しかった。

 馬を歩かせながら、人影が見えはしないかと周囲に目を凝らす。草木のない土地は見晴らしがいいが、頻繁に砂埃が立つため視界を遮られることも多かった。そうして歩いているうちに、高く立ち上る煙を目にしたのだ。

 火のないところに煙は立たない。意味は違えど、誰かが火を起こしたことは間違いない。そして、煙の立ち方や色の濃さからしてなかなかの火事のようだ。フェルディオは煙の出所を確かめることにした。

 そこで、あの少女と出会ったのだ。


 森のすぐそば、焼け落ちた集落に彼女はいた。尻もちをついた彼女の目の前には体躯の大きな男性が血を流して倒れている。フェルディオは急いで駆け寄るが、男は既に事切れていた。首の太い血管を切り裂かれたらしく、顔や顎を血に濡らし仰向けに倒れていた。

 少女は呆然と座り込み、両目から涙を流していた。男の血を浴びたのか、少女もまた血まみれだ。フェルディオは男について諦め、少女へ声をかけた。

「君、大丈夫か。一体何があった?」

 少女は放心して動かない。首輪をつけているところを見るに奴隷だろうが、一体奴隷の少女がこんなところで何をしているのか。燃えた集落の中、少女と男の姿しか見えない理由も不明だ。よく見れば、返り血以外にも少女は擦り傷や打撲痕がある。少女の手には赤黒く染まった木片があり、それで男の首を引き裂いたのは明白だった。

「君がこの男を殺したのか」

 フェルディオは息を飲みながら尋ねる。相手は小さな子供だが、油断すればフェルディオもこの男と同じ目に合うかもしれない。警戒しながら少女を観察する。

「シオ……イエリは、シオの……」

 少女がぼそぼそと呟く。その言葉の中に聞き覚えのある名前が混ざり、フェルディオははっとした。

「イエリ……イエリと言ったか?」

 少女の虚ろな目がフェルディオを捉える。嗚咽もなく零れ続ける涙が、頬に飛んだ血と混ざり合って赤い雫となった。

「この人が、イエリを何度も殺したの。忘れちゃえば、なかったことになるから平気だった。でも……」

 彼女は心ここにあらずといった口調のまま男へ目を落とした。

「イエリ、もう、死にたくなかった……」

「君が、イエリなのか」

 そう尋ねながら、ルオから聞いた恩人の特徴を思い出す。

 名前はイエリ。グレーの髪をした同年代の子ども。彼女が、弟を助けた恩人だ。

「君は、ルオを覚えているか?」

 イエリはわずかに反応を示した。

「奴隷の子?」

「ああ、そうだ。君と共に馬車で森へ入った少年だ」

「覚えてる。すごく怖がってた」

 イエリの言葉に、体が不思議な高揚感で満たされる。探していたのは竜殺しだったが、思わぬところで弟の恩人に出くわすとは。イエリという名前の少女はずっと探していたが、どこにも見つからなかった。半ば諦めていたが、これでようやくルオに胸を張って報告できる。フェルディオは喜色満面で少女に詰め寄った。

「ルオを助けただろう。私はルオの兄だ。恩を返すため、ずっと君と君の弟を探していた」

 そう告げた途端、イエリの瞳が丸くなり、悲壮に飲まれる。彼女は頭を抱えて苦しげに唸り始めた。

「シオ、シオ……でも、シオは、もう」

 少女の手から凶器が離れる。かつん、と軽い音で木片が地面に転がった。

「シオが、シオだけだったのに。イエリはシオだけいればよくて、だからシオに生きていてほしくて、死んでないことにしたのに。シオがいなくなったら生きられないから、なのに……」

 呪詛のごとく吐き出される言葉に、口を挟む隙はない。彼女の話を聞くに、弟であるシオは死んでしまったようだ。そのショックで彼女は呆然としているのだろうか。フェルディオは意を決して彼女の言葉を遮った。

「この男は君の主か」

 フェルディオが肩を揺さぶると、イエリは口を閉じた。顎から涙がぽたぽたと零れて彼女の洋服に染みを作り出す。彼女は途切れ途切れに応えた。

「……違う。イエリはずっと森にいたの。でも、この人に見つかって……このままじゃ連れていかれるって思った。そしたらまた、死んだり生き返ったりの繰り返しの毎日になる。王さまに、会えなくなる。それだけは、どうしても……たとえシオがいなくても、生きていたい」

「森にいた……?」

 イエリの表情がみるみる歪んでいく。眉をぎゅっと寄せたかと思うと、唇が戦慄いて初めて嗚咽をこぼした。

「王さまと……一緒にいたい……」

「君の言う王とは……」

 フェルディオの背を汗が伝う。イエリは泣きじゃくって体を縮めた。

「竜の王さま。とっても、とっても優しい……」

 絶句した。こんなことがあり得るのか、目を疑う。目の前の少女は呆然自失としているが、嘘をついているようには見えなかった。

 ルオが奴隷商人に連れられて森へ入ったのは半年ほど前。それ以降イエリという少女は、奴隷として売買される者も含めてどこにも見つからなかった。彼女を最後に目撃したのはルオであり、彼女が森の奥へ走っていくところを見ている。

「竜の王と面識があるというのか。こんな少女が」

 竜は森へ入った人を許さない。森へ入った者が無事に出てきた例は未だになく、森へ入ることはすなわち死を意味する。しかしこの少女は、この半年間森で過ごし、生き延びている。竜から滞在を許されているのだ。

 彼女は顔立ちが美しいわけでも、特別なオーラを持っているわけでもない。どこにでもいる、薄汚れた奴隷の子供だ。しかし、この世界で誰よりも特別だ。竜と心を交わした初めての人だった。

 その時、雷撃が落ちたように閃いた。フェルディオの頭の中で思考が走り、体を痺れさせた。

「イエリ。君のような少女に頼むのは気が引けるが、しかし、君にしかできないことがある」

 彼女は鼻をすすった。脱水を心配するほど涙を流しているが、それについては一旦後回しだ。彼女が再び森へ戻ってしまう前に伝えなくては。

「このままでは、人と竜は戦争になる」

 王が森へ侵攻する命令を出したこと。人々は食料を得るため、森へ入るのもやむを得ないと考えていること。竜殺しが何かしかけようとしていること。それらを伝えると、イエリは驚愕に目を見開いていた。そして、失望したように肩を落とす。

「どうして……竜はなにもしてないのに」

 森で過ごすうちに、彼女はすっかり竜の味方となったらしい。幼いながらに、人の愚かしさに失望したようだった。

「耳が痛い。だが、そうならないように手を尽くすつもりだ」

 フェルディオはいよいよ本題に入った。

「森の一部を人に明け渡してほしい」

 イエリは唖然とした表情を浮かべた。彼女が何か言いたげなのを察し、遮るように手をかざした。

「言いたいことは分かるが、話を聞いてくれ」

 彼女は口をつぐんで頷いた。眉をぐっとひそめてはいるが、ひとまずフェルディオの話は聞いてくれそうだ。

「永久的にそうしろと言うのではない。一時的に、人々が落ち着くまでの間森の一部分を貸してはくれないかと、そういうことだ」

 人々は今、理性を失っている。マルクトにしろ民衆にしろ、食糧問題に焦りを感じ、森の侵略しか手段がないと思い込んでいる。フェルディオが何を言っても聞き入れはしないだろう。

 それならば、戦うことなく人に森の一部分を与える。そして食料問題が解決し人々が落ち着きを取り戻した頃、森を竜に返却するのだ。生活が安定すれば、森を奪おうとした自分たちの愚かさにも気が付くはずだ。これなら、人と竜双方に犠牲を出すことなく事態を収めることができる。

「王に伝えてはくれないか。森の一部を我々に貸してほしいと」

 イエリは唇を引き結んでうつむいていた。視線が落ち着きなくあちこちへ飛び、思考と迷いを感じさせる。フェルディオの提案について考えを巡らせているのだ。やがて彼女はおずおずと話し始めた。

「どうやって、信じたらいいの?」

「私を信用できないか」

 彼女は静かに首を振る。

「ルオのお兄ちゃんのことだけじゃない。人の全部」

 イエリの目は悲嘆にくれていた。

「森に入っちゃ駄目って掟だって人は守らない。なのに、『いつか森を返す』って約束だけは守られるなんて、どうして信じられるの?」

「それは……徹底させる。私は王族だ。土地の返却だけは、何に変えても……」

「人の王さまが、森を奪うように言ったのに?」

 少女は年齢に見合わず賢い。彼女の声のもの悲しさに、フェルディオはつい言葉を飲み込んだ。

「人の王さまが、やっぱり森は返しませんって言えば、同じだよ。竜はその都度、人に森をあげればいいの? 戦えば死んじゃう人や竜がいるからって、それで森がなくなるまで、人にあげるの?」

「それは」

 フェルディオは返す言葉を持たなかった。自分がいればそんなことはさせないと誓うが、フェルディオの生きている間に食糧難が解決するとは限らない。そうなった場合、同じことが繰り返されない保障はあるか。今回のことで味を占めた人が、再び森を借り受けようとするのではないか。

「みんな、自分勝手」

 イエリは顔を覆って呟く。その言葉はフェルディオではなく自分自身に向けられているようだった。

「シオだけいればよかったのに。なのにどんどん欲張りになる。森にいたい。アオといたい。王さまのそばにいたい。人のところに帰りたくない。イエリも、森が欲しい人たちと一緒……」

 彼女はすっかり塞ぎこんでしまった。何度か声をかけたが、イエリの意識がこちらへ向くことはなかった。どうやらここまでのようだ。フェルディオは唇を噛み締めながらも、最後に彼女へ尋ねる。

「君は弟の恩人だ。戻ってくるというのなら相応の礼をする。今は都も混乱しているが、生活に困らない程度の援助はしよう。それでも、戻る気はないのか?」

「森にいたい。王さまが許してくれる間は、森に」

 小さな声で返事に似た言葉が返される。フェルディオは大きく肩の力を抜いて、そうか、と呟いた。彼女は森で生きることを選んだようだ。弟の恩人に何もできないのは心苦しいが、彼女が何も望まないのであれは仕方ない。

「最後にこれは伝えておく。竜殺しが何か企んでいる。もしかしたら、森でも既に異変が起きているかもしれない。気をつけろ」

 イエリはぼそぼそと呟き続けるばかりでもう返事をしなかった。竜と人とを繋ぐ貴重な人材だが、彼女の人格は不安定だ。メッセンジャーとして期待するのはリスクが高い。

「殺人と脱走は見なかったことにしておく……これで恩返しとさせてもらうよ、ルオ」

 イエリの身を案じ続けていたルオに、今回のことをなんと説明しよう。フェルディオは新たに降ってわいた問題に頭を悩ませながらその場を後にした。

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