ざわめき
平原にも高台や緩やかな丘は存在する。そのような見晴らしのいい場所にはたいてい兵士の詰所が設置されるものだが、この周辺には兵士の姿が見当たらない。人員不足だろうか?
緩い坂を上っているにも関わらず、景色が高速で後ろへ流れていく。つい鞭を入れすぎたのか、馬のスピードが上がりすぎたようだ。フェルディオは反省し、馬をなだめて一度足を止めた。
冷静になると、自分がしばらく何も口にしていないことを思い出した。町へ戻ったら食事をしなければ。気にすると途端に空腹が襲い、フェルディオは苦く笑った。少し頭を冷やしたほうがよさそうだ。
馬から降り、ねぎらいながらゆっくりと歩く。そのまま丘の上に出ると景色が開け、人々の暮らす平原が一望できた。広々とした畑には収穫を待つ野菜が実り、ぽつぽつと人の暮らす屋根が見えた。日は昇ったばかりだ、畑で作業をする農家の姿もちらほらと確認できた。柔らかな日差しに照らされた人の営みは、平穏で美しい。今にも戦争が起きようとしているとは思えなかった。
世界は、とてつもない速度で動いている。
森へ侵攻する準備は着々と進んでいたが、人々は混乱していた。
竜に勝つことができるのか、都まで戦場にはならないか、これで生活が楽になるのか。
様々な思いが交錯する中、フェルディオはただ無力だった。
母から出生について聞かされると、あまりの衝撃にフェルディオは数日塞ぎこんだ。兄と思っていた男が自分の父であり、自分は禁忌によって生まれた子供だったのだ。王位を継承するつもりがなくとも、王族としての誇りを持って生きてきたフェルディオにとってこの事実はあまりに残酷だった。誰かに相談などできるはずもなく、あんなに嫌っていた王城の自室に引きこもって過ごした。
事態が動いたのはそんな時だ。
突然、都のあちこちで火の手が上がったのだ。都だけならず静かな城までが一時騒然とした。火は燃え広がることなく鎮火したものの、重大な問題を引き起こした。
火が上がったのは、全て食糧庫だった。
穀物や保存食が保管されていた食糧庫は、その大半が焼け落ちた。わずかに残ったものもあるが、全体の数パーセント程度。民衆の飢えは一気に加速した。
ただでさえ苦しかった暮らしが圧迫され、民意はますます開戦へ傾いた。戦争に消極的だった者も数を減らし、今や都全体が開戦ムードだった。
もはや生き残る術は、戦争により新たな土地を切り開くほかない。都だけではなく平原の全てに、そんな考えが広まっていった。
フェルディオはそんな町の様子を知り、閉じこもっていた自分を恥じた。自分が打ちひしがれている間に、状況は大きく変わった。
フェルディオは、自分が過ちによって生まれたとしても、王族としての責務を投げ出したいとは思わなかった。人々は操られるように戦争へ駆り立てられている。明らかに何かがおかしかった。
兄──いや、マルクトが何を考えているか読めない。このまま勢いに任せて開戦し、人が勝利できるとは考えられなかった。
このままでは、取り返しのつかないことになる。
もはや直感だが、フェルディオは大きな危機感を感じていた。出生について悩むのは後でもできる。とにかく今は、開戦を阻止する手立てがないか探ることにした。
しかし今回の侵攻作戦は、王の命令によるものだ。いくら王族とはいえ、フェルディオが直接止めることはできない。マルクトを説得して戦争をやめさせるしかない。
フェルディオはマルクトと顔を合わせたことがない。父と同じく、母が会わせなかったのだ。顔も声も知らない相手であり、母に取次を頼んでも微笑んで聞き流される。なによりマルクトは侵攻へ向けた準備で出かけていることが多い。偶然出くわさない限り、話をするのは難しそうだ。
フェルディオは作戦を変え、タリステリアへ向かった。ハルタは誠実で慎重な男だ。今回の戦争に勝ち目が薄いと思えば、手を引くよう周囲を説得してくれるかもしれない。もし民意が開戦から遠のけば、いくらマルクトであっても今回の命令を撤回するかもしれない。
しかしそうしてタリステリアまでやってきたフェルディオが見たのは、慌ただしく走り回る兵士たちだ。鱗を貫く特別性の槍は数が少ないためか、最高率で竜にダメージを与えられるよう何度も試行錯誤を繰り返している。戦争に反対しているフェルディオはこの地において完全にアウェーであり、兵士たちも対応に困っているようだった。目が合うと敬礼はするが、近づいては来ない。
「フェルディオ様」
「ハルタ!」
どうすべきか立ち尽くしていたところへ顔見知りがやってきて、フェルディオはほっと肩の力を抜いた。久々に見たハルタは少しばかり痩せて、髭を長くしていた。どうやら相当忙しいらしい。
「大変なところ押しかけてすまない」
「いえ。状況確認は必要ですから」
彼はゆっくりと話せる室内へ案内しようとするが、丁重に断った。忙しくしている彼の時間をこれ以上奪うのは申し訳ない。二人は騒然とした場所で立ったまま話を始めた。
「可能性をつぶす意味で聞かせてほしい。お前の説得で、この流れを返ることはできるか」
ハルタは沈痛な面持ちでゆっくり首を振った。
「まず無理でしょうな」
「そうか」
予想通りの言葉だ。都を出る時にはハルタの説得で兵士たちが落ち着きを取り戻すのではと考えたが、その考えの甘さに気が付いた。兵士、特にタリステリアの者たちは竜への復讐を望んでいる。絶好の口実を与えられた今、それを易々と手放すはずがない──となれば。
「勝算は」
ハルタの目が鋭くなる。戦う者のまなざしでこちらを見つめ返した。
「正直、分かりません」
彼は森の方角をちらりと見た。
「竜は基本的に群れないと聞きます。各個撃破が出来れば活路は十分にある。しかし、竜が戦略的な動きを見せたなら……」
森から複数の竜が出てくることはなく、基本的に一匹のみだ。そして竜はどれも頑丈な体や力の強さに頼った単純な攻撃方法ばかり。そこを利用してうまく倒すことが出来れば、ということなのだろう。
「竜殺しには会ったか?」
「はい。彼は大丈夫だと言っていました。既に最初の手は打ってあると」
フェルディオは眉をひそめた。行動が早すぎる。王命が出されてからまだ数日だというのに、竜殺しは既に侵攻における一手を終えているのか。
「一体どんな手品だか」
ぼそりと呟く。ハルタは分かりません、と言いながらもきっぱりとしていた。
「ですが、竜殺し殿の道具は本物です。彼の道具によって私たちは犠牲を出さずに竜を討伐できた。私たちは皆、彼を信頼しています」
「そうか」
前線に立つ者は、特にその思いが強いのだろう。ハルタだけでなく、タリステリアの兵士が皆同じ思いだとするなら、竜殺しを信用しないよう言ったところで意味はなさそうだ。
「だが、これだけは伝えておく」
フェルディオは言った。
「都の食糧庫が軒並み燃えた。おかげで都は強盗やら暴動が多発している。城だってたいして安全じゃない」
「聞き及んでおります」
「食糧庫が燃える前、竜殺しらしき人物を見たという証言がある」
ハルタの目が丸く見開かれた。フェルディオは努めて冷静な声で続けた。
「奴は戦争を起こしたがっている」
ハルタが逡巡の表情を浮かべた。そして目線を外し、芝居がかった声で話始める。
「これは独り言なのですが」
彼の目が遠くへ向けられる。なにかと思って目線をやれば、南へ続いていく道があった。タリステリアの南部は、土地が痩せており作物が実らないため人も住まない。
「竜殺し殿は、数日前に南へ行くとおっしゃっていました。何をしているのかは分かりませんが……」
「その独り言に感謝する」
ハルタは苦く笑った後、準備を進める兵士たちを眺めた。彼らはこれから命をかけた戦いに挑もうというのに、悲壮感はなかった。怒りに似た決意を持って戦いの準備をしている。
「今回の侵攻作戦は成否に関わらず犠牲が出るでしょう。命をかけるからには、自分の信じられる理由があってほしい」
「理解するよ」
ハルタは深く頭を下げた。彼はやはり誠実な男だ。戦争で亡くすにはあまりに惜しい。フェルディオは彼の思いに応えようと、深く頷いた。




