怖くない
翌朝、イエリは目を覚ました。
汗で前髪が顔に張り付いていたが、熱自体は下がったようだ。起きるなりぼうっとした顔で言った。
「全身、痛い……」
「致命傷はなかったようだが、痛むのか」
起き上がろうとするため手を貸す。イエリはえへへ、と照れ笑いを浮かべた。
「よくあるの。知らない間にふらふらって歩いて怪我してる。大丈夫だよ」
「よくある?」
王は眉をひそめた。怪我は命に関わらないものの、軽いものではない。こんな怪我を頻繁に負っているというのか。ひとまず詳細を確認する必要がありそうだ。
「煙の出所を探っていたのではないのか」
「煙?」
イエリはぽかんと口を開けた。分からない、と表情が語っている。それは嘘や誤魔化しのようには思えなかった。
「昨日、ネツァクと共に煙があがるのを見たのだろう」
「そうなの?」
イエリは寄り添うネツァクへ尋ねる。彼はイエリへ頭をこすりつけて甘えるばかりだが、それについては王が昨日聞いている。ネツァクの代わりに頷いた。
「ネツァクはそう話した。お前は見なかったのか」
「うーん」
彼女は頭を抱えてしまう。そしてやや申し訳なさそうに呟いた。
「こうやって怪我するときって、昼間に何してたか覚えてないの。だから、わかんない……」
彼女は体を縮めて落ち込んでしまう。責めているつもりはないが、彼女が何も覚えていないとなると、森の外で何が起きたのかは知りようがない。
「お前とネツァクは、遠くに煙が立つのを見た。そしてその火元を確かめようと向かった」
「うん」
「最終的に、火元は森の外だと分かった。ネツァクを森に待たせたまま、お前は外へ出て行った」
「うん……」
「お前が戻ったのは夜だ。なぜか全身に怪我をしていた」
「そうなんだ」
イエリのあっけらかんとした様子に、わずかに腹が立つ。自分が怪我をしたというのに、この関心のなさはどういうことだ。口調が鋭くならないよう注意しながら、王は続ける。
「これを聞けば、お前は森の外で何者かに襲われたと考えるのが妥当だが?」
「そうかなあ」
イエリは放心しているように見えた。返事は上の空で、どこか遠くを見ている。記憶を掘り返しているのだろうか。
「村にいる時は、本当によくあったんだよ。気が付くと時間が過ぎてて、イエリは怪我して道端に落ちてるの。だから今回も、きっとそう……」
彼女の言葉は、自分自身に言い聞かせているようでもあった。瞳がぶれて、小刻みに揺れている。イエリは深くうつむいた。
「ごめん、なさい。この話、なんだか、したくないかも……」
イエリが自分の髪をぐしゃぐしゃにかき回す。少女の爪には、洗い落せなかった血の跡が残っていた。
「なにがあったのか、わかんない。でも、こわい……思い出したく、ない」
少女は、いつもに増して小さく見えた。竜に物怖じしない快活な彼女の影はなく、ただ怯える子供でしかない。
「……ならば、もういい」
イエリがほんの少し顔をあげる。乱れた髪の隙間から、孤独な瞳が覗いていた。
王は手を伸ばしかけて、躊躇う。全身を痛めているのなら、無理に触れるのはよくないかもしれない。
「触れても?」
王が尋ねると、イエリは目を丸くしてから、泣きそうに顔を歪めた。そして間髪を容れず、自分から王の元へ飛び込んでくる。あまりの勢いの良さに、傷に障るのではと心配になるが、彼女は気にしていなかった。胸元に顔を埋めようとすり寄る。
「ぎゅって、して」
「わかった」
おずおずと彼女の体に腕を回す。イエリは王の腕の中で、ただ体を丸めていた。小さく、小さく、何かから隠れようとしているように。
「命があるのなら、それでいい」
彼女の身に何があったのか、気にならないといえば嘘になる。今後も彼女が同じように怪我をするならば対策を考えなくてはならないし、襲われたとしたらその相手に報復をしなければ。しかし、現段階でイエリはこれ以上の追及を望んでいない。思い出すのが嫌になるほどのことがあったのなら、無理に傷をえぐりたくはなかった。
イエリは王に体を預け囁いた。
「前に、イエリのこと不思議って言ったでしょ?」
「ああ」
「王さまも、不思議だね」
「この体が、か」
「そうじゃなくて……」
イエリの小さな手が、王の頬に触れる。皮膚を覆う鱗をなぞりながら、イエリはぽつりと呟いた。
「王さまといれば、怖くない」
王は目を瞬いた。イエリはいくらか落ち着いたようで、王を見つめて柔らかく微笑む。
「あったかいね」
「それは、お前のほうだろう」
戸惑った王が言い返すと、イエリは安心しきった顔でくすくすと笑った。そのまましばらく、彼女は王から離れなかった。




