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イエリと王さま  作者: みつきあこ
第四章 炎の足音
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 気が付くと、イエリは地面に横たわっていた。

 すっかり日が落ちたらしく、あたりは真っ暗だ。月明りにぼんやりと映し出される景色を見るに、ここは森の外らしい。

 大変、いつの間にか外に出ちゃったんだ。

 恐らく、ふらふらと散歩をしているうちに森の外へ出てしまい、気が付かないまま眠ってしまったのだろう。イエリは自分にすっかり呆れた。頭がよくないのは知っていたが、森の外で眠ってしまうとは。王に見つかったら肺が空になるまでため息をつかれそうだ。

 ひとまず森へ戻らなくてはと立ち上がろうとするが、全身の激しい痛みで動けなかった。イエリは痛みに悶絶して地面を転がった。

 そこで理解した。これはイエリにとってよくある現象だ。森で暮らすようになって起きていなかったが、村にいる頃はよく起こっていた。

 まず、イエリが目を覚ますのは夜だ。体中あちこちが痛み、酷いと軽く出血もしている。昼間の記憶がなく、イエリはぼろぼろで家の前に横たわっている。何が起きているのかは不明だが、とにかくイエリは知らない間に怪我をしている。今回もそれと同じようだ。

 イエリ、歩きながら寝てるのかな。もしかしてすごく器用なのかも。

 ぼうっと月の出ている夜空を見上げた。顔が腫れているのか、右目がうまく開かず、口の中は血の味がして気分が悪い。今回は特に酷いらしい。

「あ、アオは……?」

 アオは基本的にイエリと行動を共にしている。イエリが寝ぼけながら森の外へ出て行ったとき、アオはどうしていたのだろう。まさか一緒に外へは出ていないはずだが、心配だ。

 イエリは痛む体に鞭を打って立ち上がった。周囲に人がいないことを確認すると、体を引きずって歩いた。

 森からはさほど離れていないようで、少し歩けばすぐに森の中へ戻ることが出来た。幸い、兵士の詰所や訓練場は近くにないらしい。もし兵士の詰所の目の前で寝ていたらと思うと肝が冷えた。

 森の中に戻ると、空気がざわついているのを感じた。もう夜だというのに、なにかあったのだろうか。イエリは不安になりつつ、アオを探し始めた。

「アオ……げほっ、うえ」

 喉が掠れて声を張れない。大声を出そうとした途端咳が邪魔をした。しかし、虫の音ばかりの森の中で咳をすれば、その音は大きく響く。

 イエリが体の痛みに耐えながら息を整えていると、どこからか翼の音が聞こえてきた。森の中は暗く視界が悪かったが、やってきたのは体の小ささからしてアオだとすぐに分かった。

「アオ!」

 キューッと笛のような鳴き声をあげながら、彼はまっすぐにこちらへ飛んできた。そのまま腹へ突撃され、イエリは地面に崩れ落ちた。

「ゔっ……ま、まって……今、怪我してて」

 腹を押されたことで気分の悪さが増す。アオに悪気はないだろうが、今のイエリにはちょっとした衝撃すら痛みになる。涙目でアオを見ると、彼もようやくイエリの状況に気が付いたらしい。大声で鳴きながらあたりを飛び回った。

「こら、もう夜だから、騒がないで……」

 イエリが蹲っていると、遠くからまた誰かがやってくる足音がする。今度は突撃されないようにしなくては、と手を構えるが、草むらから出てきたのは王だった。

「王さま」

 王は顔面蒼白で乱れた恰好をしていた。髪は絡まり放題、体のあちこちに葉をつけている。肩で息をしている彼は、骨の谷へやってきた時と似ていた。

 王はイエリの足元に膝をつくと、切羽詰まった声で詰め寄ってきた。

「何があった」

「え?」

「どこが一番酷い。出血は……ないか。この血はなんだ。気分は?」

 王から矢継ぎ早に質問され目を回す。王の美しいかんばせが間近でイエリを見つめている。その瞳は、本気で心配しているように見えた。

「おう、さま」

「ああ」

「王さまだ……」

「……どうした」

 王さまがいるから、もう大丈夫だ。怖くない。

 ほっとした途端、目の前がぐるぐると回りだす。夜だというのに視界が点滅してまっすぐに立てない。イエリは王の体にもたれかかって力を抜いた。






「おい、どうした」

 体にしがみついて黙ってしまったイエリの顔を見る。彼女はぐったりとして目をつぶっていた。荒く苦しそうな呼吸が繰り返され、一目で体調が悪そうだと察した。額にそっと触れると、じんわりと熱い。怪我のせいか、彼女は熱を出していた。

 イエリの背に腕を回し、爪に気を付けながら抱え上げる。彼女の体は軽く、片手でも簡単に持ち上がりそうだ。

〈ネツァク、来い〉

 おろおろと旋回していたネツァクに声をかけてから歩き出す。ひとまず汚れを洗い落して怪我について確認したほうがいいだろう。王はイエリを揺らさないように留意しながら大股で小川へ向かった。

 イエリの体には血液が付着していたが、彼女の体に出血を伴う傷は見当たらなかった。この血液は彼女のものではないのかもしれない。体にはいたるところに打撲の痣が見られたが、命に係わる重たい怪我は負っていないようで安堵した。

 気になる傷があるとすれば、彼女の首だ。

 彼女の首には、奴隷の証である首輪がはまっている。子供の細い首にはサイズが大きいのか、緩く傾いている。首輪と首の間には拳一つ分ほどの隙間があいているため、首が締まることもないはずだ。

 しかし、今の彼女の首にはくっきりと首輪の跡がついている。赤黒いその痣は、少女の細首を異様な形で彩っていた。

 一体彼女の身に何が起きたのか。


 王がイエリの不在を知ったのは夕方近くだった。

 王は人の王へコンタクトをとるため、調査を行っていた。前王がまつろわぬ竜を処断した際、人の王にことの顛末を報告したという話を聞いたのだ。つまり、その当時は王同士で連絡を取る手段が存在したということ。であれば、今でもその手段が使えるのではないだろうか。それが可能であれば、まずは正面から、人が森に立ち入ることについて尋ねるつもりだった。

 しかし、その方法を知る竜は一匹もいなかった。あのケセドでさえだ。

 もしや、かつての王の根城に何か残されているのかもしれない。王はそう考え前王の巣を訪ねたが、それも空振りで手詰まりの状況だった。

 イエリを危険に晒したくはないが、最悪の場合は彼女を平原に向かわせなくてはならないかもしれない。

 王にとっては選びたくない選択肢だが、竜が森から出られず連絡手段もない今、人の王と話をするには誰かの助けが必要だ。竜を理解し、なおかつ人間である彼女ならば、その役割を果たすには十分だった。

 だがそれは本当に最後の手段だ。

 竜の問題は竜で解決する。そこに人を介入させてはならない。イエリを信用しないわけではないが、種に関わる問題に彼女を使うのは気が引けた。

 ともあれ、前王の巣で得られる情報は何もなかった。そうして王が諦めて自分の洞穴近くへ戻ってきた時だ。

 疲れ切った様子のネツァクが王の元へ飛び込んできて言った。イエリが森の外へ出たまま戻らない、と。

 イエリとネツァクは、遠くに煙が立ち上っているのを発見した。その火元を確かめるべく近くまで行った所、どうやら出所は森の外側らしいと判明した。ネツァクはそこで探索をやめるべきだと訴えたが、イエリは聞かずに外へ出て行った。そして、夕方になってもまだ戻ってこないのだという。

 初めに、イエリが裏切った可能性を考えた。彼女が今更裏切るとは思えないが、常に最悪の想像はしなくてはならない。そして同時に、イエリが何か事件に巻き込まれて帰ってこられないでいるとも考えた。イエリは好奇心旺盛で向こう見ずだが、体は小さな子供に過ぎない。竜どころか、人にすら勝てないだろう。

 王はひとまず、イエリを見かけたらすぐに王を呼ぶように竜たちへ伝えた。そして、ネツァクがイエリと別れた森の境界まで向かった。

 日が暮れても王はイエリを探し続けた。彼女が帰ってくることを信じたかったのだ。

 あの日、泣きながらイェソドの鱗を差し出した彼女の悲しみを王は覚えている。暗がりで王を讃えた言葉と視線も。あれらが嘘だとは思えなかった。

 結局、イエリは突然帰ってきた。顔を腫らして蹲る彼女を見たときは、心臓が止まるような心地がした。何があったのかと混乱し、彼女が大きな怪我を負っていないか心配になった。

 現状イエリは熱を出しているが、致命傷はない。体を確認し終えると柔らかい草の上に寝かし、ネツァクには休むよう命じた。彼は渋々、イエリのそばで眠りについた。

 ネツァクが眠ると、あたりに聞こえるのは虫の音のみになる。王は、暗闇の中で熱にうなされるイエリを見つめていた。

 もしイエリが、取り返しのつかない大怪我をしていたら。

 王は人について詳しくない。王の体は人に似た構造をしているが、その実全く違う生き物だ。彼女に何かがあった時、王は何もできない。

 イエリが寝返りを打った。苦しげに体を丸める彼女を、王はただ見ているだけだ。

 彼女は、森で生きるべきではないのかもしれない。

 これまでは、彼女が望むのならと森で自由にさせていた。しかし、同族から離れ一人竜の中で暮らし、彼女は本当に幸せなのか。本当は人の中で暮らしたいはずだ。

 少女を拘束する鉄の輪。

 イエリは「奴隷だから見つかると大変なの」と話した。つまり、この首輪さえなければ彼女は平原に戻り人の中で暮らせる。この鉄の輪さえ──。

 空を見上げる。夜明けまではまだ遠い。夜空には欠けた月がぽっかりと浮かんでいた。

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