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イエリと王さま  作者: みつきあこ
第四章 炎の足音
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王城にて

 王城はいつも、恐ろしいほどに静まり返っている。見張りに立つ兵士たちの目はどんよりと虚ろだ。人形のような彼らがゆっくりとドアを開けるのをフェルディオは苛つきながら待っていた。

 重い木の扉が激しく軋む。長い悲鳴をあげながら開いたドアに体を滑り込ませる。今は一分一秒が惜しかった。

 大股で城内を進む。廊下にはフェルディオの焦った靴音だけが響き、静けさを引き立てた。

 フェルディオが幼い頃は、この城にももう少し活気があった。兵士たちはフェルディオを見るたび敬礼をし、にこやかに話しかけてきたりもした。しかし今や、この城にいるのは母に従順な兵士と王族のみだ。母を諫めた者や反発した兵士は皆母の手で処断された。

 この城は、母のゆりかごだ。

 フェルディオはここが嫌いだった。城にいると、常に母に見られているような感覚がある。どこにいてもなにをしても母に筒抜けになる恐怖。だからこそフェルディオは理由をつけて城を開けるようにしていた。直接盾突くことはなかったため母からは放置されていたが、今回ばかりはそうも言っていられない。母の元へ行って真意を確かめなくては。

 母の私室へたどり着くと、部屋の前に控えていた兵士たちが行く手を遮る。フェルディオは早口で母への取次を要求した。

「第二王子フェルディオ・レイメル・フィールドだ。母上への取次を」

「面会の場合は、しかるべき手順で」

「急いでいるから直接来たのだろう! 無礼は承知の上だ」

 つい怒鳴りつけてしまい、逆に冷静さを取り戻す。彼らに言ったところでのれんに腕押しだ。一度深呼吸をし声を張り上げた。

「母上! フェルディオです。いらっしゃるのでしょう!」

「おやめください、フェルディオ様」

 兵士たちがよどんだ瞳でフェルディオへ寄ってくる。こちらが王子だからか手荒な真似はしてこないが、強行突破は無理だろう。出直しか、と唇を噛み締めていると、突然部屋のドアが開いた。

「入りなさい」

 女性の声が響いた。

 途端に兵士たちが下がり、ドアの前に戻る。ここまで来るともはや洗脳だ、と不気味に思いながら襟を正した。なんにせよ、母本人から許しが出たのだ。フェルディオは横眼で兵士たちを睨みつけながら部屋へ入った。

 ドアの脇にはメイドが一人。兵士たちと同じ暗い目をしている。上品な家具で整えられた室内に、母は座っていた。

「久しいわね、フェルディオ」

 彼女はまるで十代の少女のようだった。ドレスから覗く首筋は病的なほど細く真っ白だ。頬もほっそりとしており、緑色の瞳は零れそうなほど大きく見える。

顔つきが幼く、成人した子を持つ母とは思えない若々しさだ。

「母上も、お変わりない様子で」

 そう、変わっていない。時が止まっているように、母は美しいままだった。

「今日はどうしたの。随分急いでいたようだけれど」

「はい。母上に確認したいことがあるのです」

 フェルディオは唾を飲む。緊張からか、喉が乾いていた。

「森へ侵攻する作戦が、陛下の名前で動いております。これはまことに陛下のご指示なのですか」

 思わず声に力がこもる。

 竜の森への侵攻および、領土の拡大。タリステリアだけでなく全土の兵士へ伝えられたこの命令は、人々を大いに混乱させている。命令書には王のみが使う特別な印が押されていた。これはまごうことなき王命──父の指示で行われたことになる。

「これは大変なことだ……竜と全面的に戦争をなさるおつもりですか!」

 命令が出されて以降、革新派は大喜びで民衆を扇動しており、民意も戦争へ傾いている。ただでさえ日々の暮らしが苦しいのだ。領土が拡大して畑を増やせれば楽になると考えるのは仕方のないことだろう。それに、先日の竜討伐で犠牲が出なかったのもまた追い風となっている。竜は手の付けられない化け物ではなく、人が殺せる動物だと皆が思い始めているのだ。一部の者は侵攻に反対しているが、彼らの声はあまりに小さい。命令を撤回させるには弱すぎる。

「興奮しないで。大声を出されると、恐ろしいわ」

「茶化さないでください」

 母は弱弱しく微笑んだまま表情を崩さない。その余裕のある態度がフェルディオの神経を逆なでした。母は、事の重大さを理解していない。母は首を傾げながら、鈴を転がすような声で言った。

「でも、なぜわたくしの元へ来たのかしら。陛下へ直接尋ねればいいじゃない」

 その言葉に、フェルディオは思わず笑いだしそうになった。

「陛下を誰にも会わせようとしないのは母上ではありませんか……」

 フェルディオは父、ゲブラーに会ったことが一度もない。肖像画を見たことはあるが、直接話をしたことはない。フェルディオにとって父は絵でしかないのだ。それは全て、母が父との面会を全て拒否しているからだ。

 使用人から家族にいたるまで、父に会うことは許されない。父からの言葉は母を通して伝えられ、父に用があるときは母へ伝える。それがこの城の暗黙のルールだった。

 そんな冷え切った家族の中で、唯一の光がルオだった。ルオは不義の子だったが、だからこそ冷たい家に染まらず素直に育った。フェルディオが声をかければにっこりと微笑んで駆け寄ってくる。フェルディオは幼いながらに、弟を守らなければと決心した。

 母は何度もルオを殺そうとしたが、フェルディオやその頃はまだ城にいた兵士たちの手で阻止した。食事に毒を混ぜるだけでなく、ルオのいる離れに火を放ったり、階段から突き落そうとしたり、母は執念深かった。

 ルオの母親は、命を狙われる恐怖や圧力に負けて体を壊し、儚い人となった。そこである程度溜飲を下げた母は、ルオをタリステリアへ追いやることでその存在を忘れようとした。

 しかし先日、ルオは賊の手で奴隷として売り払われた。母は未だルオを許していないのだと知り、心底恐ろしくなった。いつか取り返しのつかないことをするのではないか、それこそ民をも巻き込むような──その予感は的中してしまった。

「恐れながら申し上げますが」

「言ってごらんなさい」

「此度の王命、母上が出したものではございませんか」

 これはフェルディオの予想だが、父にはもう自分の意思など存在しないのだろう。兵士たちのように、母の操るままあの濁った目で玉座に座っているに違いない。だからこそ、今回の王命も母が出したものであるはずだ。

「嫌だわ。なぜわたくしを疑うの。あの命令書には王印があったと聞いたわ。王印は陛下にしか扱えないのよ」

「では父上は本気で戦争をすると?」

 母が小首を傾げる。淑女であればかわいらしいその仕草も、母がやると不気味に感じられる。フェルディオは動揺しながら繰り返した。

「ですから、貴方の夫が出された命令なら……」

「ああ、そうだわ」

 母はぱん、と手を叩いた。そして言葉を遮られたフェルディオを見、ころころと笑う。

「わたくしの夫は、ゲブラー様はもう王ではないの」

「は」

 母はサプライズが成功したときのように、頬を染めて微笑んだ。

「今の王はわたくしの愛しい子、マルクトよ」

 フェルディオは一瞬息を止めて、ゆっくりと吐き出す。落ち着くんだ、と自分に言い聞かせることで、叫びだしたい衝動と戦っていた。

 父が既に死去している可能性については考えたことがある。なにせここ数十年、父と会った者は誰もいないのだ。もともと父は高齢だったようだし、死を隠匿されていても不思議ではない。そして、母の独断により長男──フェルディオにとっては兄──のマルクトに王位が継承されていた。最悪の展開だが、ありえなくはない。

「いつ、兄上に王位を」

 緊張で声が固くなる。背筋を汗が伝いじっとりと湿っていた。そんなフェルディオの様子に気が付いていないのか、母は終始楽しそうに話した。

「マルクトが生まれた瞬間から」

 その一言で、フェルディオの額に青筋が浮かぶ。

「お戯れはおやめください!」

「戯れなどではないわ」

 母の目はこちらへ向けられていたが、フェルディオを見てはいなかった。兵士と同じ、淀んだ穴にたじろぐ。母は死んだ瞳で夢見心地に語った。

「ゲブラー様は死ぬ前に次の王を作るため、わたくしを孕ませた。そしてゲブラー様は亡くなり、マルクトが生まれたの。だから生まれてから……生まれる前からマルクトは王なの」

「な、なにをおっしゃっているのか、分かりません……」

「マルクトは本当にいい子なの。わたくしの言うことをなんでも聞いて、従順で……あのメイドの女と密通した時は殺したいほど憎んだけれど、もういいわ。マルクトは悪くない。あの魔女がはしたなく誘惑して、無理やりにマルクトを犯したに違いないのだから。ああ、早くあの魔女の子供も消さなくちゃ……」

 母は壊れたように一人で話し続ける。フェルディオの冷静な部分が危険を告げる。これ以上ここにいてはいけない。この話を聞いてはならない。だが、足は絨毯に釘付けになり動かなかった。

「マルクトはわたくしを愛しているの。そうなのよ。だから竜を殺してくれるの。わたくしを壊した竜、あの忌々しい獣を殺す。そのために此度の王命を出したんだわ」

 逃げ出したい気持ちを飲み込んで、震える声で尋ねる。

「では、あの命令は兄上が? 今の陛下が出されたのですか」

「そうよ」

 母は糸が切れたようにぐったりとうつむく。そして肩を震わせながら笑い始めた。

「ふふ、やっと竜が消える。あの鱗まみれの肌、恐ろしい角! 気持ちが悪い、気味が悪い……長いかぎ爪が肌に触れるたびにとっても怖かった。老いた体の上に跨らされて……ふふ、消える、消える!」

「はは、うえ……」

「マルクト、マルクトはどこ。嫌だわ、わたくし、あの子がいないと……マルクト……」

 母は常軌を逸した様子でマルクトを呼び続ける。フェルディオはいよいよ足の震えが抑えきれず、一歩二歩と遠ざかった。

「兄上の居場所を、ご存じないのですか」

 最後にと思い尋ねると、母は口をつぐむ。そしてゆっくりと顔をあげた。彼女の表情からは、感情という感情がごっそりと抜け落ちていた。

「マルクトは貴方の兄ではないわ」

 遠くで耳鳴りがする。フェルディオは本能的に耳を塞ごうとしたが間に合わなかった。

「彼は貴方の父よ」

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