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イエリと王さま  作者: みつきあこ
第三章 君の痛みを知るもの
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雷・続

 その日は朝から天気が怪しかった。

 木々に日を遮られる森がさらに薄暗く、不穏な空気を孕む。隙間から空を見上げれば、分厚い灰色の雲に覆われていた。湿度が高く、息を吸い込むと濡れた地面の匂いがした。これから大雨になるだろうことはすぐに分かった。

「王さま、天気を教えてくれてたんだね」

 洞穴を探しながらアオへ話しかける。アオは落ち着きなく羽ばたきながら鳴いた。

 イエリが目を覚ますと、すでに天気は傾いていた。王の忠告を思い出したイエリは慌ててアオを起こし、雨宿りできる場所を探し始めた。

 だが、都合のいい場所などそう簡単に見つかるはずもない。木のうろを見つけても小さすぎて入れず、洞穴も近くには見当たらない。イエリはあちこちを歩き回ったが、めぼしい場所を見つけられずにいた。そのうち遠くから、竜の咆哮に似た音が聞こえてくる。雷だ。

「雷はやだ! 早くどこか見つけないと」

 雷鳴から間を開けずぽつぽつと雨が降り始め、雫が葉を叩く音が広がった。イエリはアオを抱きかかえて走り出した。アオの不安げな鳴き声が焦りを余計に募らせる。

 雨が本降りになる頃、イエリはようやく洞穴を発見した。入口が狭く奥まで見ることはできないが、ここなら雨宿りできそうだ。イエリはほっと息をついてアオを腕から下ろす。

「ここならきっと大丈夫だよ」

 しかしアオは地面に降りたまま動こうとしない。困惑しているようだ。この洞穴は別の竜の住処なのかもしれない。

「ここ、他の竜がいるの? 入口はとても小さいけど……雨宿りさせてくれないかな?」

 アオの前にしゃがみこんで尋ねる。彼はしきりに周囲の匂いを嗅いでいてなにも答えない。イエリは困り果て、アオの背中をつついた。

「ね、入ろう? 中の竜に聞いてみようよ。少しここにいさせてくださいって」

「構わない」

 背後からかけられた声は突然だった。イエリはひゃあっと飛び上がり尻もちをつく。慌てて顔を向ければ、そこには王が立っていた。

「入れ」

 それだけ言い残すと、王は洞穴の中へ入ってしまう。尻もちをついた場所がじっとりと湿るのを感じ、イエリはのろのろと立ち上がった。

「ここ、王さまの家だったの」

 どうりでアオの様子がおかしいわけだ。しかし他に行くあてもなく、王本人が入っても良いと言っている。どうするべきかは考えるまでもないだろう。

 イエリは尻の汚れを払ってから洞穴へ足を踏み入れた。


 入口は小さいが、中は広い空間となっているようだ。暗いながらに、そこそこのスペースがあるようだと感じ取る。空気が冷えており、わずかに肌寒い。イエリがぺたぺたと中へ入ると、後ろから遠慮がちにアオが続いた。

 王は奥に座っていた。小さな入口から差し込む光だけが頼りなため、王の様子は見えない。イエリは王から数歩離れた場所に座った。

 外は雨が激しくなり、地面を叩く音と断続的な雷の音が響く。雷が鳴るたびにびくりと体を震わせるが、ここは安全そうだと言い聞かせて深呼吸をした。

「王さま、今日の天気が雷だって分かってたの?」

「ああ」

「どうして? 空模様を見たの?」

「感覚だ」

 恐怖を紛らわせようと話しかけるが、王の返事は短くすぐに会話が終わってしまう。

 ──ティファレトとは普通に話してたのに。

 イエリは自分の膝を抱え込んだ。自分が嫌われていることは知っていたが、ここまで態度に違いをつけられるとダメージがある。こんなことにショックを受けるなど自分勝手だが、雷への恐怖がより気分を落ち込ませた。そばに丸まったアオが小さく鳴くが、背中を撫でてやるくらいしかできない。

 木が裂けるような轟音がした。近くに雷が落ちたらしい。イエリは悲鳴をあげて体を小さくする。

「恐ろしいか」

 王の静かな声が響いた。暗闇の中で、黄金色の瞳が光っている。イエリは素直に頷いた。その拍子に背筋が震えくしゃみをした。

「……近くへ」

「え?」

 王はそれきり何も言わない。こちらへ視線を注ぐばかりで説明はなかった。王の言葉足らずは今に始まったことではないが、もう少し話してくれないものだろうか。イエリは少しばかり拗ねながら王の近くへ這い寄った。

 しかし、それでも王は口を開かない。先ほどと同じ目でイエリを見る。

「もっと、ってこと?」

 困惑しながらも少しずつ近寄る。一歩、また一歩と王の顔色を窺いながら進むと、やがて王と触れ合うほど近くまで寄ってしまう。

「そこに」

 王はようやく許可を出した。イエリはなにがなんだか分からず、王の隣に座りなおす。

 座ると体の右側にぬくもりを感じる。王はいつ触れても冷たいと思っていたが、今は温かい。イエリは驚いて彼の顔を見た。

「王さま、今日はあったかいね」

 すると王はすっと腕を持ち上げた。そしてイエリの手を取ると、爪に注意しながらそっと握る。手の甲には鱗が生えているが手のひらはすべすべとしている。そして何より温かかった。

「お前が冷えているんだ」

「ああ、そっか」

 雨に打たれながら歩き回ったからか、イエリの体は冷え切っていたようだ。おまけにこの洞穴は寒い。王のぬくもりに触れると、ほっと緊張がほぐれていくようだった。イエリの小さな手を包み込んだまま、王は既に目をそらしている。洞穴の中、竜の目にはなにかが見えているのかもしれない。

 王さま、イエリのこと嫌いなのにどうして優しくしてくれるの?

 喉から出かけた問いを慌てて飲み込む。喉がごくりと妙な音を立てたが、それよりも黙っていることが重要だ。

 どうしてか、それを王に問いかけてはいけない気がしたのだ。

 王はなんと答えるだろう。竜殺しの手下だとイエリを疑っているのか。イェソドの恩があるからか。それとも何も答えないかもしれない。黙ったままの王の顔は想像にたやすい。彼の回答はいくらでも想像できるというのに、自分は何を恐れているのだろう。

 イエリは王をじっと見つめた。彼の整った横顔を見ていると、なぜか泣きたい気持ちになる。

 竜なのに人みたいで、人よりも優しい。顔も知らない人の王さまよりも、よっぽど本当の王さま。

 王の手のぬくもりを感じながら、イエリは別の質問を投げかけた。

「王さま、竜なのになんで人みたいなの?」

「この姿のことか」

「うん。鱗や角はあるけど、姿はほとんど人みたい……あ、失礼だったら、ごめんなさい」

「構わない。本当のことだ」

 王が目を伏せる。その瞬間、再び雷が落ちる。イエリが肩を跳ねさせると、王はちらりと目を向けた。

 王の手が離れる。あ、と名残惜しく目で追いかけると、王の手が自分の膝を叩いた。ここへ乗るように、イエリへ催促しているのだ。これにはさすがのイエリも驚いた。

「いいの?」

「竜の仔が寒がる時には寄り添って温める。それに、人もそうするのではなかったか」

 つまり、イエリは竜の仔と同じ扱いをされている。そう思うと喜びがじわじわとこみ上げてきた。

 嫌いなイエリにも、竜の仔にするみたいに丁寧にしてくれる。王さまはすごく優しい。怖くない。誰よりも優しい竜だ。

 イエリは王の膝へ、横向きに座った。以前骨の谷でしたように、王の腕がそっとイエリの体に回る。先ほどよりもはっきりとした熱に心臓が跳ねる。

 ほっとするのに、落ち着かない。

 イエリは王の胸元に顔を埋める。長い髪が鼻先をくすぐってこそばゆかった。朝食を食べ損ねたからか、胃が締め付けられるような違和感を訴えているが、不快ではなかった。

「小さいな」

 王が呟く。イエリはむっとして思わず反論した。

「アオよりは大きいもの」

 返事はない。相変わらず気分屋である。

「先ほどの問いだが」

 王は珍しく自分から口を開いた。さきほどの話題に戻るらしい。近くで聞く声は低くかすれていつもと違うように感じる。イエリは頷いて言葉の続きを待った。

「『竜の王』を継承すると、この姿になる。人と竜の混血のように、どちらの特性も併せ持つ体となる」

「王さまって、生まれた時からこの姿なの?」

 王は静かに頷いた。そして顎をあげると、喉元にある鱗の一枚を指さした。大きく色の深いその鱗が、王の逆鱗なのだろう。イエリはしげしげと見つめた。

「王の逆鱗には魔力がある。王を継承する際、逆鱗を剥がし、卵に触れさせる。するとそこから生まれる竜が王となる。王は生まれながらにしてこの姿だ」

 つまり王は卵の時点で決まっている。王となる卵に逆鱗を与えることで、人に似た姿で生まれるのだ。

「でも、逆鱗を剥がしたら竜は死んじゃうんだよね。王さまが変わると、前の王さまは死んじゃうの?」

「そうだ。王が同時に存在することはない」

 イエリは竜の神秘に感動を覚えた。王はとても特殊な生まれ方をするようだ。

「じゃあさ、逆鱗に魔力があるなら、王さまもなにか特別なことできたりする?」

「王は人に近いため翼も持たず、牙や爪の大きさも他の竜に及ばない」

 ただ、と王は続ける。

「逆鱗には特別な力がある。それを引き出せるのは王だけだ」

「へえ……すごいね! イエリの知らないことばっかり」

 しかし感激するイエリを見て、王は首を傾げた。

「人の王も同じだろう」

「そうなの?」

「人は胎生故、多少違いはあるだろうが……人の王も竜の特徴を持つはずだ」

 イエリは目を丸くした。そんな話は聞いたことがない。イエリが世間知らずであることを差し引いても、それが世間の常識とは思えなかった。そもそも人の王自体、人前に出てくることが少ない。もしや、直接見たことがある人はいないのではないだろうか。

「人の王さまは全然出てこないの。だからもしかして、みんな知らないのかも」

「なるほど」

 王は嘲笑するように鼻を鳴らした。

「人は竜を過度に恐れる……自分たちの王が竜の姿をしていると知れば、人の王も無事ではいられまい」

「みんなに嫌われるから隠れてるってこと?」

 確かに、人々の竜に対する憎しみはすさまじい。王が竜の角や鱗を生やしていれば、たちまち町中が大混乱だ。そうなることを避けるために、飢饉が起きようが人が竜を殺そうがほったらかしというわけだ。イエリは人の王の勝手さに腹を立てた。

 けれど、こうも思う。生まれる前から王であるのは、それもまた悲しいことかもしれない。

 王である以外の在り方を認められず、知ることもない。生まれてから死ぬまで、その命は王でしかないのだ。そしてそれは、目の前にいる竜の王も同じだ。

「王さまは……すごいね」

 イエリは王に体を預けた。

「生まれてから死ぬまで、ずっと王さまなんだ。竜と森を守って生きるなんてイエリにはとてもできない。王さまはとても、誇り高い竜だ」

 王の苦労などイエリには知る由もない。イエリはただの薄汚れた子供だ。それでも、この森と竜を背負って立つ重圧がとてつもないものだと想像はつく。王は生まれてからずっと、この責任を負っている。

「王さま?」

 王からの返事がなく、イエリは慌てて顔をあげた。人のくせに分かったような口を聞くなと、機嫌を損ねたのだろうか。謝罪しようとしたイエリは、王の表情を見て閉口した。

 王は放心していた。いつも固く閉じられている唇が薄く開いて、中の牙がわずかに覗く。金色の目が丸くなり、イエリを映しこんでいた。王が驚いた表情は何度か見たことがあるが、こんなにも呆然としているのは初めてだ。

「イエリ、変なこと言った……?」

 恐る恐る尋ねると、王ははっと我に返る。そしてより一層困惑した様子で頭を振る。

「私は生まれながらにして王だが、親しい友がいた。彼は私に名前を与え、王以外の生き方を教えてくれた。悲観するほど、私は孤独ではなかった」

「王さま、名前があるの? なんて言うの?」

 イエリは興味津々で尋ねたが、王は教えようとはしなかった。

「もう捨てた名前だ。私は王であり、それ以外ではない」

 そう言うと王はゆっくりと息を吐いた。人ならざる光彩を持つ瞳がイエリを捉える。

「お前は不思議だな」

 王がぽつりと呟く。イエリは照れ笑いを浮かべて誤魔化した。

「やっぱりイエリ、変な奴だよね。みんなそう言うもの」

「そうではなく」

 彼の手が、壊れものに触れるようにイエリの髪を持ち上げる。パサついたくせ毛は肩までしかなく、美しい長髪を持つ王とは比べ物にならない。羞恥で頬がさっと赤くなるが、王はイエリを馬鹿にしているわけではなかった。

「お前には……不思議な魅力がある。何と形容するべきか私には分からないが、数多いる人とは違う。竜たちが心を許すのも理解できる」

 王の美貌が近くに迫った。額がこつ、と触れ合う。王の額は、イエリと同じ温度だった。

「お前は、美しい」

 息が止まった。

 イエリは微動だにせず王を見つめ返す。彼の長い睫毛がイエリの肌に触れそうでもどかしい。輝く瞳の中に、唖然とした自分がいる。

 村の中にイエリの場所はなかった。

 娼婦の娘。イエリの価値はそれだけであり、どこにいても厄介者扱いだった。母以外に名前を呼ぶ者もおらず、いつも小さな家に閉じこもっていた。美人である母と比べて、イエリの容姿は凡庸だ。イエリを見る者は誰もいない。

 しかし、王はイエリを見ている。その口で、美しいと言った。

 イエリの心臓がうるさいほど高鳴る。耳の後ろがどくどくと脈打ち、全身が熱を持った。胃が締め付けられる痛みに、泣き叫びたくなるような、笑いだしたいような衝動を感じた。

 雷鳴が響く。しかし、イエリが怯えることはなかった。

「恐ろしいか」

 王が問う。イエリはかすれ声で小さく答えた。

「怖くない」

 もう怖くないよ。王さまのそばにいると、なにも怖いことなんてないみたい。

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