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イエリと王さま  作者: みつきあこ
第三章 君の痛みを知るもの
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 川に足を浸すと、きんと冷えた水が肌を撫でた。浅い川の流れは緩やかで、平原に流れる大きな川とは全く別物だ。イエリは足先で水を蹴りながら、物思いにふけっていた。

 イエリは森にいることを許された。王はイエリを嫌っているが、イェソドの件で恩を感じているのか自由にさせてくれる。自分は何もしていないと訴えたが、王は聞き入れなかった。竜は頑固で義理堅い性質のようだ。若干納得の行かない部分はあったが、森にいられるのはイエリとしてもありがたいため文句は言わずにおいた。

 竜たちは帰ってきたイエリに優しかった。イエリと顔をあわせるたび、鼻先をイエリの足元へ下げる。竜たちのおかげか、イエリが野犬に遭遇することはなくなった。彼らは気が向くと果実の生る場所を教えてくれる。彼らの言葉は分からなかったが、その目や空気で言いたいことを伝えてくる。イエリのそばに寄り添うアオや竜のおかげで、イエリは森の中で自由に過ごしていた。

 シオについては、迎えに行く時期を見極めることにした。

 シオが森に捨てられた様子はない。だとすればまだ村にいるはずで、誰かが面倒を見てくれているのだろう。シオはとても愛らしいから、村の誰かの良心が咎めて引き取ってくれたのかもしれない。狡猾で心の狭い村人がそんなことをするとは思えなかったが、森に来ていない以上そうとしか考えられない。イエリが慌てて迎えにいかなくとも、弟は安全なはず。

 そして、平原に居場所のないイエリがシオを迎えに行ったとしても、彼をすぐに死なせてしまう可能性が高い。シオは森で生きていくには幼すぎる。どちらにせよ村の場所も不明の今、イエリにできることはない。シオが大きくなるのを待ちながら村を探すことに決めた。

 そうなると、気になってくるのは竜殺しだ。

 イエリは竜たちに迫る危険を見過ごせない。部外者のイエリを受け入れてくれた彼らのために、イエリはなにかしたかった。竜ではなく、人であるイエリにしかできないことがあるのではないかと感じたのだ。

 竜殺しのことを調べるなら手伝いたい、と言い出せば、王は顔をしかめた。まだイエリを信用できないのか、イエリが手伝うことに消極的だった。王がイエリを嫌っていることは理解していたが、イエリは王や竜が好きだった。嫌われたままでも構わないから役に立ちたかった。

 最終的に王は「考えておく」とだけ答えた。王がどのような判断を下すか待つしかない。イエリは悶々としながらここ数日を過ごしていた。

「森の探検でもしようかなあ」

 イエリが川から上がると、川辺でくつろいでいたアオは顔を向けてきた。足の水気を払うと、飛沫が飛んだのか抗議する声で鳴いた。イエリは軽く謝って体をぐんと伸ばす。

 川辺にはシィラがいくつか果実をつけている。イエリはその一つをもぎ取ると、川で洗ってからかぶりついた。

 口内が痺れるような酸味に、思わず体を縮める。まだ熟れていない実だったのか、酸味と苦味がいっそう強く感じられる。種を吐き出しながら、イエリは思い切り顔をしかめた。

 シィラには森の魔力を無効化する力がある。つまりこれを齧れば、迷うことなく森を探索できるのだ。シィラの実にも限りがあるため毎日食べるわけにはいかないが、森を歩き回りたい時などは重宝していた。

 外れのシィラをなんとか完食し、イエリは歩き出した。アオ、と呼びかければ彼も起き上がってイエリの後に続く。

「今日はどっちに行こうかな」

 イエリは適当に方角を決めると、そちらへ向かって一直線に進んだ。アオはどこへ向かっているのかと訝し気な目線を送ってきたが、目的地など決めていない。イエリはアオに対してとりとめもない話を死ながら、のんびりと森を歩いていた。

 そのまましばらく進むと、森の様相が少しずつ変わってくる。常緑で背の高い木が茂っているいつもの森と違い、木々の感覚が開き日差しが直に降り注ぐ。それに伴って湿っていた地面が乾き、白い砂が足元を覆っていた。からりと乾いた空気は、森とも平原とも違う。アオが隣でキイキイと騒いでいたが、好奇心を刺激されたイエリは足取りを早めた。

 やがて木が完全に途切れると、景色が急に開ける。

「う、わあ……」

 そこは真っ白な谷だった。

 イエリの目の前はすぐ崖になっており、覗き込めば遥か下に谷底が見える。そこはやはり白い砂と、何かの骨が散らばっていた。崖はほぼ垂直の急斜面であり、翼を持つ竜でなければ這い上がることはできないだろう。下から乾いた風が吹きあがり、イエリは背筋を冷やした。

 上から観察していると、崖下になにか動くものが見えた。黒い背中は、砂を巻き上げながら移動している。

 こんな場所に生き物が? 場所を考えるに竜だろうか。

 どちらにせよ距離があるためよく見えない。イエリはその正体を確かめようと、地面に膝をついて身を乗り出した。

 もう少し、もうちょっとだけ。

 上半身をはみ出しながら頭を谷底へ向ける。イエリが観察しようと目を凝らしていると、下の生き物がはっと顔をあげた。

 その瞬間、イエリの首元が掴まれぐっと引き上げられる。

「うきゃあ!?」

 持ち上がった体は後ろへ引っ張られ、そのまま尻もちをつく。何事かと思えば、すぐ後ろには真っ青な顔をした王が立っていた。

「王さ……」

「何をしている!」

 鋭く叱責され、びくっと肩をすくませる。王が声を荒げるのは初めてであり、イエリは反射的に「ごめんなさい……」と呟いた。

 王ははっと我に返り、気まずそうに閉口した。目線を彷徨わせてから一呼吸置くと、すっかり元の王と変わらない様子に戻った。

「どうやってここへ来た。誰から聞いた」

「シィラを食べて、散歩してただけ……気づいたらここに出て……」

 いつも穏やかな王に叱られたことで、イエリはすっかりしぼんでしまった。座り込んで王を見上げると、やけに喉が熱を持っていた。王はため息をついて、乱れた黒髪を後ろへ流した。

「ここは危険だ。もう近づくな」

「うん……ごめん、なさい……」

 喉に詰まっていた熱の塊が膨れ上がり、イエリの肺を締め付けた。唾を飲んでなんとかこらえようとしたが、我慢することができなかった。

「イエリ、っ知らなくて……」

 じわじわと滲んでいく視界の中で、王が目を瞬いている。イエリは耐えきれなくなり嗚咽を漏らした。

「ごめ、なさ……うぐ、うえっ、ごめんなさ……っ」

 瞬きをした瞬間、目の端から雫がこぼれた。耐えきれなくなったイエリは泣きながら謝った。

「……そこまでの、ことでは」

 王の狼狽した声が聞こえる。イエリのそばにやってきたアオが心配そうに鳴いていた。

 王さまに怒られた。前に森から出ていけって言われたときとは違う。王さまがあんな大声を出すの初めて聞いた。イエリが勝手なことしたから、王さまを怒らせちゃった。また出ていけって言われちゃう。イエリの居場所がなくなる。

「イエリがっ、悪いから……」

 涙にぬれた目で、王を見る。彼は困惑した表情でイエリを見つめ返した。

「森に、いさせて……もうしないから……!」

 王は黙って立ち尽くしていた。イエリは頭を垂れて、王の断罪の言葉を待つしかなかった。

 しばらくの沈黙の後、アオがギュイ、と責めるように鳴いた。王はそれに対して何か言い返しているが、竜の言葉は分からない。イエリの処遇について相談しているのかもしれない。その言い合いを数度繰り返すと、王はぎこちない動作でイエリの前に跪いた。

「ここに近づかないよう言わなかった私にも非がある。お前は森のことなど何も知らないのだと、忘れていた」

 イエリは無言で首を横に振る。傷んだ髪がぱさぱさと耳を叩いた。

「……すまなかった」

 王がおずおずと手を伸ばして、イエリの肩に触れた。鋭いかぎ爪の生えた手が、傷つけないよう慎重にイエリを抱きしめる。イエリは驚きのあまり、涙と呼吸を止めた。

「王さま?」

 イエリが鼻声で名前を呼べば、彼自身戸惑った声で答える。

「ネツァクが、人はこうするものだと……私は人ではないが、人に近しい体を持っている。こうするのが正しいと思った。なにか、間違っていたか」

 イエリは確かにアオを抱きしめることが多かった。移動や眠るときなど、気が向けばアオを抱きあげていた。その体験から、王へ抱きしめるよう助言したのかもしれない。王もまた、人の行動には詳しくない。アオの言うことを真に受けてイエリを抱きしめたのだと思うと、どこかおかしかった。

 ふふ、とイエリが笑うと、王の体が離れてしまう。少し寂しさをあったが、謝るために嫌いなイエリを抱きしめた王の優しさを思えば、わがままは言えない。イエリは顔を手のひらで拭い、王へ笑いかけた。

「ありがとう、王さま。ごめんなさい」

 王は不愛想に頷いた。しかし笑顔がなくとも優しい竜だとイエリは知っている。


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