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イエリと王さま  作者: みつきあこ
第二章 境界の地
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海の王

 王はいつものように小川の横に腰掛け、せせらぎに耳を傾けていた。水の音は心を落ち着ける。だというのに、いつまで経っても王の胸の内から不快感は消えなかった。

 イエリという人の娘。彼女は王の理解を超えていた。

 森に入った時、竜が人を食うところを目の当たりにしたはずだ。自分と比べものにならないほど体の大きな竜を森で見かけたはずだ。だというのに、彼女は昔からの友人と話すようにネツァクや王に話しかける。害意や敵意を全く感じさせない。王にはそれが恐ろしかった。

 人は誰しも自分の理解できないものを排除したがる。竜という存在、人を捕食する食物連鎖の上位存在、人はそれを恐れて竜を憎んでいる。だというのに、イエリからはそんな感情が全く伝わってこない。アオや卵を守り、初めから森で暮らしていたように溶け込んでいる。気が付けば、彼女を疑う気持ちはほとんど残っていなかった。

 しかし、それこそが人の王の策略かもしれない。こうして油断させ、最後に盛大に裏切るのかもしれない。他の竜が許したとしても、自分だけは最後まで疑わなくては。そう言い聞かせる王の前で、イエリはのんきに笑う。花で作った冠を王に渡し、満足そうに微笑むのだ。

 親しい友人のような振る舞い、恐れや敬虔を含まない目線。そうして我らを油断させた後、裏切るのかもしれない。考えれば、イエリはとても危険な存在だった。

 故に森から出ていくよう命じた。これ以上森や竜や自分を掻き乱すのは我慢ならない。

 ──王さま。

 子供特有の高い声がする。雛のような膨らんだ髪が走るたびに揺れて、その髪に手を差し込んだらどんな心地がするのか気になった。ブルーグレーの瞳はいつも興味や興奮で煌めいていて、卵を盗みにやってきた男に踏まれている時でさえ、その目には強い意思が宿っていた。くるくると表情を変える痩せこけた少女。

 最後に見た、傷ついたような困惑の表情が脳裏にちらついていた。

〈王よ〉

 ふと声がかかる。何かと目をやれば、川から顔を覗かせている一匹の竜がいる。ネツァクとそう変わらない大きさだが、彼は老竜だ。普段は海に暮らしており、用がある時にこうしてやってくる。海と森の連絡役を務めていた。

〈どうした〉

〈ケセドが呼んでいる。王に話があると〉

 ケセドとは、海を統べている竜である。王は海へ入れず、ケセドは陸へ上がれない。そのため、統括する場所をわけ、協力しているのだ。いわばケセドは、海竜の王だった。

 そのケセドからの呼び出しとなれば、断るわけにもいかない。人が怪しい動きをしている今、どんな小さなことも見逃せない。

 すぐに了承すると、使いの竜は水中へ潜り、川を下って行った。そのまま海へ戻るのだろう。彼の影はすぐに見えなくなり、元の静寂が戻った。

 先日卵を盗もうとした者の言葉を聞く限り、今すぐに人が大挙して押し寄せることはないだろう。彼らは竜を殺す口実を用意しようとしている。それに、いくら人が束になろうと、森には無数の竜がいる。無計画に突入したとしても勝機はないと向こうも分かっているはずだ。

 王は海の方角へ向けて歩き出した。道中すれ違った竜に、ティファレトへの伝言を頼む。ティファレトには昔から、王が留守にするとき森のことを任せている。王が不在の間に、なにかあれば彼女が対処してくれることだろう。

 竜の森は広大だが、その魔力を利用すれば望んだ場所へすぐに到着できる。人の足で歩けば一週間はかかるだろうが、王は数刻で海岸付近へ到着した。

 木々の庇護から出れば、強い日差しが照りつける。強い潮の香りと、波の打ち寄せる泡の音。強い風が吹き付けると、鱗がべたつく感触を覚え顔をしかめた。

 いつ来てもここは好きになれない。

 海は透き通るような透明な青だ。体を浸せば磯の香りが鼻をつき、体中が砂と潮にまみれる。鱗の隙間に入った砂は、水浴びを繰り返してもなかなか取れない。苛烈な日差しや強風も含め、森で暮らす王にとってなじみが薄い場所だった。

 砂浜へ降り、波打ち際まで足を進める。白砂が日を照り返してまぶしかった。王は眉をひそめて、まっすぐに歩いていく。

 やがて波の押し寄せる境界へたどり着くと、足を止めて声をかける。

〈ケセド〉

 その一言で、突如海面が大きく盛り上がった。王は海水を浴びないよう、大きく後ろへ下がる。海水などひっかぶれば、後で後悔するのは自分だ。

 持ち上がった海面から水が割れ、その姿をあらわにする。水しぶきが雨のように飛び散り、銀色の鱗がぬらりと輝く。白い瞳は視力をほとんど持っていないため、光を持たず濁っていた。海面から現れたのは頭部のみだったが、それでもティファレトの全長ほどはあろうか。ケセドは最も大きな体を持つ竜で、手足を持たない蛇のような形をしている。移動の際は体を捩るようにして海を泳ぐ。普段は海底に体を丸めているが、彼がその気になればこの星を一周できるほど長い体を持っているとされている。

〈ケテル……古き友。久しいね〉

〈私は王であり、それ以外ではない〉

〈そうかな。自分にとって君はケテルであり、王であり、友だ〉

 ケセドが名を呼んだことを咎めるが、彼は反省を示さなかった。何度言い聞かせようと、王の昔の名を忘れようとはしないのだ。それに呆れつつも、彼を御することなど誰にもできはしないのだと感じる。ケセドは古竜と呼ばれる、長命な竜だ。

〈いつもの問答をしにきたわけではない。私に話があるのだろう〉

〈ああ、そうだね〉

 抑揚の死んだ声でケセドは告げた。

〈人の動きは君も察しているだろう〉

 やはりこの話か。王は予想通りの話題であることに落胆を覚えた。

〈海でもか〉

〈森に立ち入る者ほど多くはないだろうけど。素潜りどころか船を出す人が増えている。以前はほとんどゼロだったものだから、最近の動きが目立っているね〉

 海は、森以上に人の侵入が知覚しやすい。海竜は視覚が未発達な固体が多いが、非常に耳がいい。船でも出そうものなら一瞬で竜の餌食だ。まだ生身で海に潜ったほうが見つからないかもしれない。

〈入れば命がないと分かっていながら、人はたびたびやってくる。この件をどうするか、君と話しておきたくて〉

〈それについて、一つ情報がある〉

 そう告げれば、ケセドが王へ顔を向けた。

〈先日森に侵入した者がいた。そしてその者たちは、卵を奪いにきたのだと言う〉

〈それは……〉

 ケセドが言葉を失っている様子を見て、無理もないと感じた。なんという命知らず。竜の卵を盗み出そうなど、通常なら思いつきもしないだろう。

〈そして卵が奪われるまで、いや……卵が奪われてからも、私たちはその侵入者に気が付かなかったのだ〉

 ケセドの目の色が変わった。鼻先を海面につけると、ちゃぷりと水音を立てる。王は話を続けた。

〈彼らは護符と呼ばれるものを持っていた。と言っても、袋にシィラとパネノミの花粉が詰まっているだけのものだったが……〉

 シィラはあの少女が食べていたものと同じで、魔術除けの効果を持つ。一方パネノミは竜が嫌う香りの花で、竜の嗅覚や感覚を鈍らせる。かつての竜がその花を嫌うあまり、森に生えているパネノミを一つ残らず燃やしてしまったが、平原にはまだ残っているらしい。

〈それにより竜からの知覚を遮断し、森の魔力に惑わされることもなかった。そして私たちの森で、堂々と卵を奪って見せた。

 彼らの目的は、卵を奪うことで、それを追ってきた母竜を森の外へ誘い出し、殺すことだった。堂々と竜を殺す理由を作りにきたのだ〉

〈なんてことを……人はそこまで愚かになったのか〉

 彼の声が一種の哀れみを感じさせた。王もこの計画を聞いた時は怒りを通り越して呆れてしまった。人とは、どこまでも自分勝手になれる生き物らしい。

〈しかし、なぜ彼らの計画に気が付いたんだ。知覚の遮断は君には効かなかったのか〉

〈確かに、他の竜に比べて私への効果は薄かった。しかし、近くに寄ってそこに何者かがいると確認しなければ気が付かなかっただろう。音を立てなければ、私も気が付かなかった可能性が高い〉

〈ではどうやって彼らを止めたんだ〉

 そこまで話してから、王は口をつぐんだ。あの少女について説明しなければならないが、どこから話したものか。言い淀んだ王に対してケセドが詰めよる。彼が顔を寄せると、海の匂いが強くした。

〈自分にも話せないか〉

〈いいや、そうではない……ただ、なんと説明すればいいか〉

 いつまでも隠し立ててはおけない。少なくとも、森の竜にはイエリの存在は知れ渡っている。今隠したところで、ケセドの耳に入るのは時間の問題だった。

〈彼らを捕らえたのは……人だ〉

〈なんだって〉

〈森には少し前から滞在している少女がいた。その者が、卵を奪った者たちに気が付いた〉

 ケセドが珍しく動揺している。ティファレト以上の老齢である彼は、あまり動揺することがない。王をからかいおかしそうに笑うことはあれど、怒りや悲しみを抱くことはほとんどなかった。その彼が、返事に困っている。

〈君が少女の滞在を許したのか〉

〈人の王の手先だと考えた。泳がせればしっぽを出すと〉

 しかし彼女は、恐らく人の王とは無関係だ。森にいる間にしたことといえば、ネツァクと遊ぶか弟を捜し歩くかのどちらか。森から出るように言ったあとも、大人しく従い外へ出て行った。

 王は、イエリがやってきた経緯をかいつまんで説明した。ケセドは静かに聞きながら、瞳に好奇心を浮かべていた。

〈つまり君は、人の王の手先だと思っていた少女に助けられ、しかし彼女を信用しきれず森から追い出したわけだ〉

 王の言葉少なな説明であっても、ケセドは事の顛末を大体理解した。そして王を上から下まで舐めるように観察する。

〈竜は恩を忘れないはずだけれど、ふむ、そうか〉

〈不可侵を破って侵入した彼女を殺さず森から出した。それ以上私になにをしろと?〉

〈いいや。そうだね。君は王だ。竜すべての命を背負う以上軽率な行動はできない。正しい判断だったと思う〉

 ケセドは言葉と裏腹に、どこかからかうような口調だった。

〈君とは長い付き合いだ、それこそ君が生まれてからずっと。だから君の考えていることはなんとなく分かる〉

 王が黙っているのをいいことに、ケセドは体をうねらせて言った。

〈君は彼女に裏切られるのが怖かったんだ。信じて、心を預けて、しかしそれが嘘だったと言われるのが嫌だった。違うかい〉

 イエリは無邪気だった。なにを考えているか分からず、気が付けば懐まで入り込んでくる。森に住む動物たちでさえ、もっと竜を恐れる。恐れや敵意を抱かない彼女の行動は予測不能だった。だからこそ、森の安寧のために危険分子は追い出さなくてはと考えた。

 ──いや、それは言い訳だ。本当は、王自身が嫌だったからだ。

 彼女に裏切られること、あの瞳が侮蔑や憎しみに染まることに耐えられない。彼女の言葉がすべて嘘であると突きつけられるのを恐れた。だから、裏切られる前にイエリを森から出した。少女と自分の間にある奇妙な関係が壊れる前に離れたかった。

 すっかり黙り込んでしまった王に、ケセドは驚いたようだった。

〈まさか、一言も言い返さないほど図星か。能面の君がそこまで心乱されるなんて、不思議な人の子がいたものだ〉

〈全く違う……とは言い切れまい。古竜の観察眼には恐れ入る〉

 ただ、と王は水平線を見やった。海は遠くへ行くほど光を反射して白く輝いている。海風が王の長い髪に絡みつき、後ろへ流れていく。

〈王として、彼女を簡単に受け入れられなかったのも本当のことだ。私が彼女を信用するということは、彼女を森の一員、竜の味方であると認めることになる。そこまでして、彼女に裏切られて犠牲を出してみろ。私は自分自身を殺すだけでは足りなくなってしまう〉

〈相変わらず生真面目なことで〉

 ケセドは茶化してから、改めて真面目なトーンに戻る。

〈では、ここ最近人の侵入が多いのは、彼らと同じく竜を殺すためであると考えるべきか〉

〈確証はない。が、今後も怪しい動きがあれば、ただ黙っているわけにもいかない〉

 竜は森の外へ出ないため、平原で人がどのように暮らしているのか知らない。現王がどのような人物かは知らないが、不可侵の掟を放棄するのであれば竜にも考えがある。

〈とにかく、海へ入る人間には注意しろ。見つけ次第殺して構わない。海は森に比べて人の入りにくい場所ではあるが、例の護符もある。気をつけろ〉

〈ああ。まあ、卵の恩人だけは殺さないようにするさ〉

〈……とにかく、おかしな動きがあればまた知らせてくれ〉

〈君、もっと愛想よくしないと卵の恩人に怖がられてしまうよ〉

 ケセドの減らず口はなんとかならないものだろうか。相当歳を食っているはずだが、彼はつかみどころのない不思議な性格の持ち主だった。

〈では〉

 軽口には乗らず、あっさりとした別れを告げて立ち去った。ケセドもまた呼び止めることはなく、背を向けた王を見送っていた。お互い、そう簡単には死なないと分かっているため別れを惜しむこともない。人に何か動きがあればすぐにまた顔を合わせることとなるだろう。

 王は砂浜から離れ、再び木漏れ日の下へ戻る。日差しの遮られる木陰はひんやりと涼しく、心が安らいだ。思わず木の根に座り込み、小さく嘆息した。海の傍へ出るのはとても体力が必要だ。

 ──君は彼女に裏切られるのが怖かったんだ。

 故旧の言葉を反芻する。長い時を生きる竜は心の機微に聡かった。

「だが、私にどうしろと……」

 王という立場でなければ、彼女を友人として受けいれていただろうか。ネツァクのように懐いて、彼女の傍らで眠っていただろうか。

 全ては詮無いことだ。自分は竜の王で、彼女は森へ侵入した人。彼女が森を出て行った以上、再び出会うことはないだろう。

 それよりも今は、人の動きに注意しなくてはならない。王は彼女のことを頭から追い出し、人の対策について思考をめぐらせた。

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