7 私は男の子ではない
言わせてほしい。私は犯罪者でもなければ容疑者でもない。
学業に邁進する、善良で世間を知らない少女だ。
そんな無垢で人を疑わない少女にやっていいことと悪いことがあると思う。
「パピー、お帰りなさいっ。聞いてっ。ひどいのっ」
「ただいま、フィル。可愛い愛の妖精。まだ起きてたのかい。寝坊しても知らないぞ」
夜も遅かったものだから父のベッドに入れてもらった私は、父の大胸筋にすりすり頬ずりしてそのたくましさを堪能しつつ、いかに私が不条理な目にあったかを訴えた。
いきなり変装した王子エインレイドが現れ、私の友達だと言ってみんなとお昼を食べたのだ。
こんなことが他の生徒にばれたら、嫉妬の嵐で私達がいじめられてしまう。収納鍵箱の私物もナイフで切り裂かれ、ゴミが入れられたりするのだ。
廊下を歩いていたら上からお水が降ってきて、びしょびしょにされるのだ。
せめて王族とか公爵家とかのご令息ご令嬢と、王子は仲良くするべきだ。
「もう怖かったんだよっ。フィル達、抜け駆けして王子様とご飯、食べたことになっちゃったぁっ」
「昼食は誰にも気づかれなかったそうだが、たしかにあそこまで色を変えてしまうと分かりにくくなるもんだな」
王子の変装はそれでいいが、続きがあるのだ。
私はよりによってエインレイドの聴講にまで付き合わされたのだ。それを聞いたマーサは、
「まあ。本当に仲よくなったんですわね。フィルお嬢ちゃまがいい子だからですわ」
と、褒めてくれたけれど、そういう問題じゃないと思う。
「だけどねえ、フィル。知ってたかい? 男子寮の王子の部屋の周囲には様々な装置が取り付けられているってこと」
「え? 何それ」
何のことだと思った私だが、王子が寮生活できるのは、共用廊下や食堂などに映像監視装置があり、そして離れた所からも常時監視できるから、あえて男子寮内には警備の人間をおかなくていいのだとか。
さすがにシャワー室にはつけられていないそうだ。
どうでもいいよ、そんなこと。
私の人生設計に警備員という職業選択は入っていないのである。何の参考にもならない。
「へー。でも、別にフィル、王子様のお部屋なんて近づいてない」
「そうだね。・・・髪を青紫にした姿を見たいと国王陛下が仰ったものだから、今日はその一家団欒の場に私達も呼ばれたんだけどね」
なんと、王子の苦情を入れる為に国王へ会うのは至難の業だったが、ここに父という救世主がいた。
そしてエインレイドは借りた部屋ではなく、王城に向かったらしい。
ならば是非私を巻きこまないでくれと、国王に伝えてほしい。
私の保護者として父よ、国王にガツンと言ってやるのだ。
「じゃあパピー。私、もう王子様と無関係でいいよねっ」
「・・・あのね、フィル。そこでお前が階段でやらかした王子とのやりとり映像、そして学校長に呼び出された部屋で王子としたやりとり映像。それから昨日と今日との移動車内での運転していた者とのやりとり、そして王子が参加した昼食でのやりとりが流されたんだよ。それで私も帰宅が遅れたんだがね」
「・・・・・・え」
ちっちっちっちっちっちと、どれくらいの時間が経っただろう。
私は、父の前でも常に舌足らずで愛らしい娘を貫いていた。そしてあの男子寮における階段のやり取りは絶対にウェスギニー家の人間に見られてはならないトップシークレット。
「じ、人権侵害・・・」
私は別に犯罪容疑者でも何でもないのだ。勝手に映像を撮っておいて、本人の承諾もなしにみんなで見たなんて・・・!
いかがわしいことに使われたらどうしてくれるのだ・・・!
「ここまでしっかりしているお嬢さんなど他にいないだろうと、皆に爆笑されたよ。国王御一家、学校関係者だけじゃなく、私の上司や部下、軍でも警備や寮監出向予定者、色々な人がその映像を一緒に見たからね。おうちでおとなしくしてる子だと思っていたら、我が家の妖精は隙を見てお出かけしていたようだ。変な髪染めや眼鏡も知ってたぐらいだしね。まさか寄り道の為、入学式を居眠りして体力を養っていたとは」
「・・・・・・え、冤罪」
ファレンディア国の製品を知っていたのは、かつて自分が使ったことがあったからである。そんな変装グッズを駆使して街で遊んでいたわけではないのだ。
だけど言えない。そんな裏事情、誰にも言えない。
父よ、信じて。別に変装してよからぬことなどしていなかったし、私は無実なの。
「ぁう、・・・ぁぅうっ、・・・あのねっ、パピー、王子様には教えたけどっ、フィルッ、使ったことないからっ。持ってもないしっ」
「うんうん。落ち着きなさい、フィル。大丈夫だ、分かってる。お前はいい子だ」
よしよしと私を抱きしめて頭を撫でてくれる父の手は優しいが、まさにこれは私の危機だ。どうしよう、どうすれば父を記憶喪失にさせられるの。時間を戻して過去を改竄する発明を私は今すぐ必要としている。
「あと、一人で昼食をとっていたとしても成績評価表には影響しないが、一人でご飯を食べていた三人の女の子、そして殿下を巻きこんで仲良くご飯を食べるようにしたことは評価してくれるそうだよ、フィル」
「ひゃああっ」
いや、それ、計算高すぎるだろって、目をつけられただけだよねっ!?
なんてことだ、エインレイド。寂しい一人ご飯を救済してあげた私への裏切りがひどすぎる。
他のことはともかく、昼食時のそれは王子が協力しないとできなかったことではないか。
責める。絶対に責めてやる。私はそう決意した。
(問題はパピーだ。私がルードより格段にしっかりしてることがばれた・・・!)
怒ってはいないようで、父はその指で私の髪を梳きながら撫でてくるのだが、同じベッドの中なので逃げ場がない。
そんな私に、父は優しい眼差しで微笑んだ。
その優しい針葉樹林の深い緑色の奥底が深すぎて見えません、お父様。それは本当に怒っていないのでしょうか。
「少なくとも殿下の苦悩は解消されたし、色々な部が授業の時間割を少し見直してみるそうだ。殿下も一人で抱えこんでいた自分が虚しくなったと言っておられた。お前のおかげだそうだよ、フィル。よく頑張ったね」
「パピぃー」
ぎゅっと抱きつけばやっぱりいい大胸筋と上腕三頭筋である。すりすりと頬ずりするだけで幸せだ。
甘えれば撫でてくれるし、褒められるのは嬉しい。
だが、問題が一つある。猫かぶりがばれた。
「だけどルードじゃ考えもしない行動といい、子供らしからぬ変な思考といい、フィル、うちの書斎の本を読んでいたのかな? 大人のご本はまだ駄目だって言ってあっただろう。一体、何をどうやったらあんな耳年増で口達者な子になるのかと言われてしまったよ。私にはいつまでも可愛い赤ちゃんだけどね」
「・・・フィ、フィル、もう眠いっ」
「やれやれ。困った子だ」
額にキスしてくれる父は、やっぱり素敵な父だ。たとえあれを知ってしまっても私に甘い。
大丈夫だ、父よ。
私は永遠の二十代な女。あの手が届かない本棚に置かれていたアダルトな小説などよりもっと過激なものだって読んでいた。
そして私の思考は、こんなおうちの本程度から生まれたものではない。
「おやすみ、可愛いフィル。変な影響を殿下が受けてからでは遅いと、私もかなり粘ったのだが・・・。お前のたくましさなら任せていいだろうと、殿下のお友達に決定してしまったよ。王子に他の友人ができたら解消してもらうよう頼んできたがね」
「・・・ぇ。・・・パ、パピー。フィル、風邪ひいたかもっ。背中がぞくぞくするっ。どうしよう、不治の病かもっ。うつしたら大変っ」
まさか今日の父の帰宅が遅かったわけは・・・・・・。
ああ、なんてことなの。王子様のお友達は身分よりもたくましさ重視だとでも言うの?
それなら私、一番に排除されてもいいと思うの。だって愛の妖精って愛情がないと死んでしまう儚い存在だもの。こんな私に王子様ゲット包囲網と戦えるわけがない。
「仮病してもお医者さんがやってくるだけだから諦めなさい。王子も変装している時しかお前に声はかけないそうだ。安心して男子寮にも来て大丈夫だと言われたよ」
なんてことだ。
私は本気でエインレイドの友達作りを手伝わなくてはならなくなった。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
国立サルートス上等学校。
一般部は他の部に比べてほんの少し授業が簡単で試験も少しだけハードルが低い。だが、なんということだろう。
その日、一般の部の基礎課程も他の部と同じレベルにすることが通達された。
(まさかよりによって一般の部のレベルアップ宣言。なんてこったい)
ゆえにどの部であろうと、基礎課程の授業レベルは統一されるので、自分で各校舎の時間割をチェックして違うクラスで受けてもいいことになったのである。
それで授業の見落としがあると、その授業は欠席したことになり、自分の首を絞めるので、失敗したくなければ普通に今までと同じクラスで受けた方がいいらしい。
そういうことならばと、違う校舎に行く生徒も出始めた。
「なんかね、王子様と同じ授業を受けたいって子が多かったから、それで経済軍事部、キレたみたい」
「えー。それで一般の部の授業引き上げかよ」
「よそのクラスに仲がいい子がいるとかなら、友達と受けられて嬉しいんじゃない?」
「嫌いな先生の時は、同じ授業をしている違う先生の所に行けばいいんだ」
「だけどさあ、違う先生の授業を受けても、試験は元のクラスで受けなきゃならないんだろ。それじゃ困るの、自分じゃないのか?」
色々な意見があったが、誰もがこれは王子の為の配慮だろうなと察していた。何故なら王子が授業に出ることさえ拒否していることは噂になっていたからだ。
これで王子は自分のクラスじゃなく隣のクラスでも、はたまた違う校舎でも授業を受けられる。さすがに王子がどこで授業を受けているかなんて、その場に居合わせない限り誰にも分からないだろう。
押し寄せていた生徒達も諦めるしかない。
「花の王子様なのよね。ライラックの髪に、ローズの瞳。いつかうちのクラスに来てくれるかなぁ」
「うん。ちょっと楽しみだよね」
「色合いは優しい感じでも、性格はそうでもないって聞いたけどな」
そういった感じで、他の部にいる生徒達は受け止めた。
だけどそれは先送りにすぎないのではないかと、私は思う。
基礎課程が終わったら、どっちにしてもエインレイドは自分のクラスに戻らなくてはまずいと思うのだが、いいのだろうか。
その頃には「王子様と仲良くし隊」や「王子様と恋に落ち隊」も落ち着いているだろうと見ているのか。
(それまでの王子様の時はどうしてたんだろう。だけどパピー。いつの間に私の持ち物もチェックしていたのだ)
ちなみに私は、鍵付き引き出しの中にお小遣い箱を仕舞っていて、10ローレ (※1) 以上を貯めていた。そしてお小遣い帳と現金は1ナン硬貨の狂いもない。
要は、11ローレ3ロン856ナンのお小遣いがある。兄と違って毎月のお小遣いを使いきっているような愚か者ではないのだ。
(しかもっ。なんと私にはジェス兄様からもらった隠しお小遣いまであるのだっ。しかも100ローレッ)
うん、いくら私が可愛くても、ちょっとこの年の女の子に多くあげすぎだと思う。だけど、本当に欲しい物があった時、100ローレあればどうにかなるだろうと言われたら、受け取るしかなかった。
(※1)
1ナン=1円。
10ローレ=10万円。
11ローレ3ロン856ナン=11万3千856円。
100ローレ=100万円。
物価的に1.5倍を掛ける。
(※1)
アレンルードには持たされていないけれど、私なら大丈夫と思ってくれた叔父の人を見る目が素晴らしすぎる。
しかも使いきったら遠慮なく言いなさいとも言われている。
(貴族のお友達ができた時、趣味でいい物を揃えようと思ったら高くつくからって、どんな趣味を作れと。防犯グッズは趣味じゃない。それにおじいちゃま、お友達付き合いで必要な物があったら何でも買ってあげるって言ってくれてるしなぁ)
私がけたたましい音の出る小さな笛を買いこんで上着の裏側や鞄などに取りつけ、端が処理された鉄板を買って全ての鞄に仕込み、金属線の入った布を道具屋で買い求めてから上着の内側にポケットをつけて入れていることを、何故か父は知っていた。
まあね、子供の持ち物を見ればすぐ分かることだけどね。
(パピー。そんなにもお外を怖がっているなら、やっぱり王子の警護が出してくれる車で帰宅した方がいいだろうって結論はやめてほしいの。私はマミーが殺された理由が分からないから、怨恨だとまたあるかもって思って自衛していただけだから)
だけど考えてみれば通学を父もローグもマーサも心配はしていなかった。私が狙われることはないと思っているからだ。
だとしたら、どうして母は殺されたのだろう。母への個人的な怨恨だったのか。
そんな私の思いはともかく、父は私が制服をスラックスに固執したことと、自分が与えたものではない自衛グッズに、そんなにも通学を怖がっているのかと案じていたらしい。
(私のよそ行きのお洋服は、ジェス兄様が一緒に仕立てに行ってくれるけど、パピーに報告はされてるもんなぁ。おしゃれに着飾る時以外、私、ズボンばかり選んでるし)
父は私が王子と友達になるのはともかく、その事実が伏せられるのであれば、移動車で送ってもらえるし、そこまで悪いことではないと受け入れたそうだ。
記録装置に残る私の言動で、父以外の意見が一致したこともある。普通なら言いにくいことを言ってあげる私の姿勢は貴族令嬢としてはアウトだが、王子の保護者達にとってはセーフと判断されてしまった。
(まさか王子の自立心を高める為に一人暮らしをさせようと、学校のすぐ近くに住まいの手配をしていたら、いつの間にかその近所に、高位貴族のご令息ご令嬢がお部屋を借りていたとは)
どうやら父はその話を知っていたらしく、だから王子が寮にいるとは思わなかったそうだ。知っていたらアレンルードは自宅から通わせたのにと、溜め息をついていた。
だからといって、子爵の娘がお友達というのはないだろうと思うのだが、一緒にいたら王子もたくましくなるんじゃないかと、そっちを見こまれたそうだ。
そんなドタバタを、双子の兄は知らずに過ごしている。
(まあね。13才の少年には荷が重いよ。マーシャママもまだごまかせる程には落ち着いてないし)
最初の週末には帰宅することが多いという寮生だったが、男子寮では希望者のみ参加で山小屋体験が行われたそうだ。勿論、王子も参加した。兄も参加した。どうやら男子寮の生徒全員が参加したようだ。
軍用の大型移動車で運んでもらえることに釣られたに違いない。男の子、ミリタリーって好きだよね。
みんなで薪を拾ってきたり、肉と野菜の煮込みスープを手分けして作ったり、雑魚寝する為の寝床を作ったり、そういう作業をしていれば取り入るも何もあったものじゃなく、全般的に王子もみんなと仲良くなれたそうだ。
うちの兄では人参の皮すら剥けたかどうか怪しいものだが、どこのお坊ちゃまも似たり寄ったりだろう。平民であっても、あの学校に通える時点で富裕層だ。
そんな怪しげなもの、食べるのが私でないならそれでいい。
「で、お友達になれそうな生徒はいましたか?」
「そうだな。思いがけない人と仲良くなれた気がする。おとなしくて目立たなかった人が意外と器用だったりさ。やっぱり上級生は力もあるよね」
「それなのにどうして私達は、こうして二人でよその校舎に来て授業を受けているのでしょう」
私の質問にエインレイドはちょっと考える顔になった。
「寮生の割合が決して多くないからだ」
「レイドのクラスにも寮生はいますよね?」
全くいないということはないだろう。寮生は平民がほとんどの筈だが、地方からやってきた優秀な生徒でもあるのだ。
「僕と親しいと分かると、紹介してとか、さりげなく仲間に入れてとか頼まれるから、申し訳ないがクラスでは近づかないようにすると言われた。寮ではみんなと普通に食事してる。だが、僕と同じクラスと知っただけで、『お友達になって紹介して』と、申し込みが殺到するそうなんだ。もう近づかなければ何も頼まれずにすむからと」
「それはそれは。みんなレイドの状況に同情はしていても、無力なことも分かっていたんですね」
なんてことだ、男子寮生。男を見せろよ。そこで王子の為に立ち上がるんだ。
だけど私も王子の前でそれを言ってしまう程、無神経な人間ではなかった。
「うん。君の言っていた通りのことを、もっと柔らかく三重布で包んだ感じで言われたね。普通の貴族なら、絶対にそういうことは言わないんだけど、けっこう正直だ」
「それが身分高い貴族と、一般庶民の差なのです」
「・・・アレルも貴族だと思うんだけど」
髪を青紫にして眼鏡をかけたエインレイドと私は、今日もよその校舎にきている。しかも朝からだ。
なんということだろう。この王子様は権力を遠慮なく使ってくれやがった。
私と二人であちこちの授業に紛れこんでしまえばいいと結論づけ、しかも学校側が時間割を考えた。とりあえず王子にくっついていけば、私も授業の見落としはないそうだ。
いや、そうじゃないだろう・・・!
こんなことがあっていいのか、国立サルートス上等学校。
学校側は教育者としての理念を取り戻すべきだ。
お昼時間は一般の部のクラスに戻って食べればいいとして、言い訳はこれだ。
「もうどの校舎で授業を受けてもいいって言われただろ? だからアレルを誘って一緒に受けることにしたんだ。何なら君達も来てみる? 休み時間は校舎をまたいでの移動だからちょっと大変だけど、アレルも居眠りする暇はないしね。色々な校舎に紛れこむのって面白いよ」
ベルナルディータ、クラウリンダ、エスティフェニアの三人もそれを聞いて、面白そうだと一日は同行してみたが、次の日からは「ごめんね。私達はやめとく」と、謹んで辞退するようになった。
よその校舎は上等学校入学の時点で自分の進路を見据えている生徒ばかりだ。どうやらその気迫が怖かったらしい。
結局、お昼ご飯だけを一緒にしているのだが、ランチタイムだけクラスにいるのって、なんかおかしくないだろうか。
いや、おかしいのはうちのクラスに馴染み過ぎている王子様だった。
「思うんだけどね、レイドも一般の部に平気で来ることができる人だし、アレルも周囲を見てない子だし、だから大丈夫なんだよ。あの部外者感、ちょっと凄いよ」
「言える。いくら自由だって告知されてても、あれはね」
ベルナルディータが淡いオレンジの髪を軽く揺らしながら言えば、エスティフェニアも同意する。
部外者感というけど、実際に違うクラスなんだからしょうがないと思うんだよ。
「だけど王子様を見に押し寄せた人達いたんなら、そうでもないんじゃないの? 授業中なんて私語厳禁なんだし、あまり関係ないよね?」
「アレルって本当に周囲を気にしないよね」
ひどいぞ、クラウリンダ。
私はいつだって周囲に気を配り、街では角を曲がる度、尾行されていないかどうかを確認している。
いつでも鉄板入りバッグで迎え撃てるよう、準備は万端だ。
「僕は助かってるけどね。僕、友達はアレルしかいなかったし、経済軍事部ってぴりぴりしてる感じが凄くてさ。まだ他の校舎の方がのびのびしてる」
「ああ、それは言える。経済軍事部の授業、なんかノート見てる顔つきも違ったよね」
「私、ちょっとあそこは二度と近づきたくない。フェニアも最初はあそこの食堂に一度は行ってみようかなって言ってたけど、やめたもんね」
「うん。いくら王子様がいてもあそこは嫌」
校舎にも特徴というのはあるもので、経済軍事部の校舎は壁や天井もダークな色合いなのだ。重厚といえば格好いいかもしれないが、威圧感がありすぎる。机も焦げ茶色で、ほとんど黒に近い。
その点、一般部はパステルカラーを多用した校舎だ。壁は淡いパステルブルーやパステルグリーンを用いてるし、机は淡いコルク色。
「そういえばレイドは大丈夫? いつもアレルと授業を受けていたら、ペアで仲良くしてるとか思われたりするんじゃない? 先生、男女交際は節度さえあればいいって考え方だけど、授業にまでそれを持ちこんでるって目をつけられたら大変だよ」
「それなんだけどさ。アレル、誰が見ても可愛い女の子だろ。だけど、どうも男の子と思われるっぽいんだよね。なんでだろう。一緒に並んで受けてても、男の子二人とみんな信じてるんだ」
エスティフェニアが心配そうに水色の瞳を向ければ、エインレイドは首を傾げる。
基本的に少年時代は肩よりも少し長め程度にまで伸ばすからだろうか。男女の髪形はそこまで差がない。女の子は肩あたりから腰までとか、人それぞれだけど。
男の子は髪をゴムで一つにまとめている人がほとんどだけど、女の子はまとめていたり、垂らしていたりと様々だ。そして男の子は革製、女の子は布製の飾りをつけていたりもする。
ちなみに私はなくしても惜しくないただの髪用ゴム紐で緩く一つにまとめていた。兄もそんな感じだ。
「え? それ、私がいつもスラックスだから? だけどどっちでもいいんだし、けっこうスカートじゃなくてスラックスな女の子もいるよね? なんでだろう」
私がおしゃれするのはプライベートでお出かけする時だけなのだ。
「うーん。アレル、どう見ても女の子なのにね。いつもスラックスだし、レイドといてもガールフレンドって感じがしないから男の子だなって思っちゃうとか? 女の子っぽい顔の男の子って思われるのかな。たまにはリボンとかつけてきたり、スカートにしたりしたらいいんじゃない? アレルの持ち物ってなんか男の子っぽいし」
クラウリンダが薄いピンクがかったベージュの髪を揺らして私を見つめてくるが、そんなに私は男の子っぽいだろうか。
玉蜀黍の黄熟色の髪に針葉樹林の深い緑色の瞳は、見ていて心が和む愛の妖精な筈なのに。
「リボンは嫌かなぁ。だって引っ張ったら解けるし、何よりああいうのは可愛い女の子に似合うと思うんだよ」
誰よりも可愛い双子だと、ローグとマーサには言われている。私はそれでいい。ひらひらした女の子アピールは不要だ。
(へたに髪にリボンとかしていると、わざと背後からそれを解いて、「落ちましたよ」ってやらかす奴いるからなぁ。今の私なら平気かもしれないけど。・・・いや、これで可愛い私。ジェス兄様やパピーがいるなら着飾っても問題ないけど、ガード無しで痴漢に目ぇつけられたら大変)
そしてスカートは嫌だ。非常事態においてはパンツが見えることを気にせず、ささっと動かなくてはならない。
その行動が、命を拾うかどうかの分かれ目だ。
みんなから男の子に思われようが女の子に思われようが、どうせどいつもこいつも対象外。せめて恋は社会に出てから、それなりに魅力のある人相手じゃないとね。
(何より少年少女達よ。君達は大事なことを忘れている。席に座っている時点で、生徒がスラックスだろうがスカートだろうが、机で見えないということを)
そんなことを考えていたら、いきなりベルナルディータが真正面から私の両肩をがしっと掴んだ。
乱暴すぎるぞ、ベルナルディータ。愛の告白はもっとロマンティックにお願いしたい。
そっと相手の両肩に手を添えるように置いて、胸元にすりすりして甘える私のテクニックをいつか教えてあげたいものだ。私の甘え方はとても愛らしいと家族に絶賛されている。
「ね、アレル。制服の胸ポケットからのぞかせるとしたら、ピンクのレースでできたチーフと、白いシンプルなチーフ。どっちがいい?」
「白」
「お祭りがあります。所属を示す為に手首にリボンを巻かなくてはなりません。白のひらひらしたフリル付きリボンと、茶色い革製の腕輪。どっちがいい?」
「革」
「私服でお出かけする予定です。あなたはブラウスにスカートといった組み合わせか、シャツにズボンという組み合わせのどちらかを選ばなくてはなりません。どちらにしますか?」
「シャツにズボン」
「お部屋にあるスカートを最後にはいたのはいつですか?」
「いつだろう。この間も穿いたよ」
「この間っていつ?」
「だから、あれは・・・、そうっ、ススライ祭の買い物で穿いたっ」
「三ヶ月前をこの間とは言わないっ」
強くなったな、ベルナルディータよ。初めて会った時の恥じらいがちな君の姿が、とても遠い。
だが、正しくは四ヶ月前だ。マーサは私と一緒に買い出しを早めに済ませていた。
ワンピースを着て頭にはひらひらリボンをつけて、うふふ、あははと、ローグとマーサとルードと、四人で手を繋いでお買い物に行ったのである。
保護者に可愛がられる為ならそれぐらいしますとも。とっても素敵なお店でお茶もしたのだ。
だけど断言しよう。私がプライドを捨てるのは、可愛がられる時だけなのだと・・・!
(スカートにそこまで価値を見出すのは何故なのか。あれは防御力が低すぎるというのに)
何より人は自分の好きなものを身につける権利がある。どうして私が怒られるのかが分からない。
普段の私はいつだって自分が無傷で生き延びることを優先しているのだ。子供人生とは様々な危険と共にある。
祖父や父や叔父、そしてローグが一緒ならいいけど、そうじゃない時はいつだっていざとなれば飛び蹴りできる自分でいたい。
「やっぱりアレル、女の子の皮をかぶった男の子なんだよ。レイド、もしもペアでいちゃついてるとか思われることがあったら言ってね。ちゃんと私達、みんなで先生にアレルの中身は男の子だって証言してあげるから」
「ありがとう、リンダ」
「じゃあ、私がペアでいちゃついていると思われたら、みんな、先生に言ってくれるんだよね? レイドの中身は女の子ですって」
「・・・え?」
四人が私に向き直る。だから私は説明してあげた。
「よく考えてみなよ。だってペアでいちゃついてると思われたら、どちらも注意されるんだよ。レイドだけじゃないんだよ。それなら私の味方をみんなもすべきじゃないの?」
「言われてみればそうか。だけど、・・・その場合、僕がどうこうじゃなくて、普通にアレルの弁護として、みんながアレルの中身は男の子だって言えばいいんじゃないか? 実際に僕、ランチしてても、女の子三人の中にアレルと二人で参加してる気分だった。ほら、女の子三人、男二人だろ?」
「そうだよね。言われてみればどうしようって思ったけど、アレルの中身が男の子なら問題ないよ」
おいこら、エインレイドにベルナルディータよ。
この外見で中身が男というなら、経済軍事部に本物が存在するんだが?
勝手に人の性別を男子に変更するんじゃない。
アレンルードとて昔から女の子顔した男の子って括りだぞ。女装させたら女の子だったけど。
「これでも中身は愛の妖精なのに・・・」
「図々しいぞ、アレル。見た目詐欺の分際で」
言うようになったな。
そこの空気に溶けていきそうな薔薇の王子サマとやらよ、いつかキャイーンと言わせてやる。
― ◇ – ★ – ◇ ―
愚かな兄だと思っていたが、やはりアレンルードは愚かだった。
いつものように通学してくるや否や、連行されてあちこちの校舎で授業を受ける私がランチタイムで戻ってきた時、私の収納鍵箱に手紙が入れられていたのだ。
私に会いに来てもいなかったから手紙を入れていったらしい。
だがな、我が双子の兄よ。せめて差出人の名前は表に書いておいてくれ。いきなり手紙が入っていたら驚くだろう。
これはラブレターだろうか、それとも王子に近づくなという警告文か、はたまた果たし状かと思って広げてみたら・・・。
『フィル、助けてくれ。洗濯物が洗濯物なんだ。これをどうにかできるのはフィルしかいない。これが僕の部屋の鍵だ。ルード』
いや、金払って頼めよ。ちゃんと洗濯物を分類して、専用窓口に出せばいいだけだろが。
兄だと威張っている割には情けないんだからしょうがないよね。全く生意気でも顔と言動が可愛い自分に感謝するがいい。
妹を手下呼ばわりしていつも威張ってるアレンルードだが、あれで私がいないと泣きそうな顔で探し回る甘えん坊だ。
(どうせ下着を出すのが恥ずかしいとか、汚れた服を見せて渡すのが恥ずかしいとか、そんな理由なんだろうけど。だからって妹にパンツやシャツを洗ってもらってどうする)
やれやれと思った私は、授業の後で男子寮に行くから今日は送って行かなくていいとエインレイドに言った。
一緒に戻ればいいと思うかもしれないが、エインレイドはよそで髪の色を落として、更に寮内では知らんぷりする間柄だ。
「大変だね、アレルも。だけど鍵を渡しちゃったら、部屋に入れないんじゃない?」
「どこに出しても恥ずかしい兄は頭が悪いんです。ということで、今からは見知らぬ者同士ですよ、レイド」
「了解」
今頃は部屋に入れずにドアの前で蹲っているか、他の部屋に入れてもらって時間を潰しているかのどちらかだろう。
呆れながらエインレイドと別れた。
(いつも一緒に帰ってたから、なんか新鮮な気分かも)
双子の兄がどれだけ愚かであろうと、私は真面目な女子生徒だ。
男子寮に行き、まずは面会手続きをしてみた。淡紫混じりな桃色の髪をした寮監先生がその手続きをしてくれたが、すぐに例の青林檎の黄緑色の髪にワインレッドの瞳をした裏切り者寮監が出てくる。
「最終授業に出た後で来たんじゃ帰宅が遅くなるだろう。何かあったのか?」
「洗濯物が溜まっているらしく、助けてコールが届いたんです。鍵まで入れてどうするんだか。今頃は部屋に入れずに廊下で座りこんでると思うんですが、本校では頭の悪さを直す授業はあるんでしょうか」
いつも兄がお世話になっておりますと、猫をかぶって挨拶する気持ちはとっくに消え失せた。あんな映像を提出された恨みは忘れん。
父に猫かぶりがばれた時には、もう甘えてすりすりおねだりができなくなるのだろうかと目の前が真っ暗になって寝てしまった程のショックだった。目を開けたら朝だった。
いつものように父がおはようのキスをほっぺたにしてくれたから良かったけれど、うちの父が神経質な人だったらどうなっていたことか。
(これだから男ってのは無神経すぎてやってらんないんだよね)
これが証拠だ、見るがいいと、兄からの情けない手紙と鍵を掲げてみせると、さっと読み終えた二人の寮監先生は顔を見合わせた。
それから私の頭の天辺から足の爪先までじろじろと見る。
「頭が悪いとこいつは言うが、とても合理的だ」
「寮則違反で罰するかどうか、ちょっと悩むところですね」
「気づいた奴が出たら違反に問うってことにするか」
「はい」
なんのこっちゃと思っていたら、青林檎の黄緑色の髪をした裏切り者寮監が顎をしゃくって寮内を示した。
入っていいらしい。
毎度思うことなんだが、私は子爵家のご令嬢。こいつらは軍から出向している平民の兵士。
けっこうぞんざいな扱いじゃないのかね、別に気にしないけど。
だけど君達は気にした方がいいと思うのだよ、礼儀として。
「あのな、ウェスギニー。慣れない新入生は洗濯するタイミングを逃してどこまでも洗濯物を溜めこみやがる。恐らく籠一つ分どころじゃないんだろう。思うに、アレンになりすまして一泊し、洗濯しておいてほしいってことだ。本人は自宅に逃走したんじゃないのか?」
「・・・・・・帰ります。父に愚兄の腐った性根を叩き直してもらいますので、遠慮なく無届で帰宅した寮生には寮則違反で罰を与えてください」
くるりと背を向けて帰ろうとした私の両肩を、がしっと掴みやがる手があった。
か弱い乙女に触れないでください。こちらはお触り厳禁です。
そして勝手に半回転させて、私を寮に入れようとしないでください。それは誘拐です。
「いやいや、待て待て。そういうことなら折角だ。アレンとして一泊していけ。ばれたら保護してやる」
「いやいやいや、それこそ狼の群れの中に無力で哀れな子羊を放りこむようなものですっ。男子寮なんて大丈夫なわけがないですっ。たしかシャワー、洗面所、トイレも共用でしたよねっ」
こいつら、絶対に面白がってる。
私はピンときた。
同じ顔と言っていい双子。どうせ兄になりすませるかどうかを見ながら、裏でゲラゲラ笑うのだろう。
これが普通の生徒なら寮監という立場上、彼らもそんなことはしなかっただろうが、今や私は王子の変装に付き合っている唯一の生徒だ。
決まり? え? 権力っていいよね。それでどうにかしちゃえば?
学校長に呼ばれた後、そんな感じでエインレイドを焚きつけた会話も聞いている奴らだ。
私なら大丈夫だろうと考えたに違いない。
「放置したら溜まった洗濯物が更に増えるだけだぞ。もう諦めてアレンのフリして飯も食っていけ。安心しろ。こっそり寮監用のシャワールームもトイレも貸してやるし、心配なら寮監用の客室に泊めてやる。大体、別人だってバレても、その時は双子の弟とでも言っておけば子供達は協力するもんだ。そういうイタズラが好きなお年頃だからな」
「着替えなら女子寮にあるから安心しなさい、ウェスギニー君。いきなり人員交代することもあるから、揃ってるんです。狼の群れに襲われそうになったらこの笛を思いっきり吹きなさい」
淡紫混じりな桃色頭の寮監先生が、ひょいっと私の首に笛のついた紐をかけて、どこかへ消えていった。
「面白がってるだけでしょおっ。この盗み撮りインケン寮監共ぉ―っ」
結論から言おう。
私は男子寮でご飯を食べた。