63 ローゼンゴットの解決はどこだ
ウェスギニー・ガイアロス・フェリルド子爵の愛娘、ウェスギニー・インドウェイ・アレナフィル。
アレナフィルは玉蜀黍の黄熟色の髪に針葉樹林の深い緑色の瞳がちょっと垂れた感じの愛らしい少女だ。
私の弟ネトシル・ファミアレ・グラスフォリオンが彼女の成人を待って求婚するつもりだったが、その前に外国人の婚約者を作られてしまい、弟は申し込む前からフラれた。
末っ子ならではの甘ったれたところにむかつくこともあったので、実はざまぁみろと思いもしたが、いい挫折経験だ。どうせその婚約は未来において解消予定だとガルディアスからも耳打ちされている。
我がネトシル侯爵家はウェスギニー子爵家の娘なんぞに引っ掛かるとはと、かなり文句たらたらだったが、アレナフィルの婚約目的が我が国へ履歴の残らない兵器を輸入することにあったと聞きつけてしまった。
(レア製品って男心をくすぐるよな。内緒で貸してもらう確約とったから別に羨ましくないが)
履歴の残らない兵器の輸入と言っても、秘密裏の納品だけに数が限られる。
与えられるのは軍部でもガルディアスと縁の深いミディタル大公家とサラビエ基地、ガルディアス警護を自ら申し出たことによりその指揮下にあったレスラ基地、ウェスギニー大佐フェリルド率いる工作部隊、ガルディアスを警護し、グラスフォリオンが所属する近衛隊だ。
つまりその恩恵を受けられるのはウェスギニー親子の価値を把握した上で全てを画策したガルディアスと娘共々協力したフェリルド関連部署だけである。
おかげで父や兄などは、何故最初からグラスフォリオンに婚約届を出させておかなかったのか、あの狡猾な男の娘がただの欠陥品な筈などなかったのにと、思いきり後悔中だ。ちょっと気分がいい。
(婚約届なんぞ出したところであの悪ガキがうちに配慮するもんか。私のスナックにすらリオンの菓子より安いと文句をつける小生意気娘だ。自分から尽くしてこいという感覚の奴らに何かしてやる思考そのものが存在せんだろうよ)
アレナフィルが自発的にサービスする相手は王妃と大公妃と祖母と家政婦ときた。王妃の娘である王女は嫁いで子育ての真っ最中、大公妃とウェスギニー前子爵夫人、そして家政婦に息子はいても娘はいない。
おかげでライバル皆無でアレナフィルは可愛がられている。
ガルディアス曰く、男女関係トラブルはごめんだから家族じゃない男にサービスはしないの、だけど自発的に可愛がってくださるのは構いませんのよと、どこまでも男に図々しい要求をつきつける強欲婆ガールということだ。
私の目でも確認したが、まさにその通りだった。初めてその顔を間近で見た時はとても可愛いピンクうさぎガールだったのに、中身がどうしようもなかった。
(あんな賄賂と称する酒なんぞどうして学校長や祖父が受け取るもんかと思いきや、あの悪ガキ、なんで甘え方だけはプロなんだよ)
他の人から邪魔されぬよう、こっそり物陰に連れこんでから甘えておねだりするのが基本行動の性悪ウサギ。照れながら見上げる仕草も堂に入ったものだ。
いくら謹厳実直な祖父であろうと、二人きりであんな風にこそこそと頼られてしまったならそれは甘くもなるだろう。
ミディタル大公邸は天井の様々な所にさりげなくミラーが取り付けられていて、警備に当たる者はそれを把握している。だから私は見てしまった。
『あ、あのね、お祖父ちゃま。フィルね、博物館長様にね、お祖父ちゃま達にね、素敵な瓶のお酒、お土産にしたいからって、子供だけど五本売ってもらったの。とっても素敵な瓶に入ってるんだよ。博物館長様ね、それならお城の特別行事でお会いしたら確認しますよって言ってたの。ほんとは子供に売っちゃいけないから』
『む? あそこはいつも令嬢が代理で来ておられたものだが、そういえば近年は館長がいらしてたか。令嬢のご結婚が決まったということだろうと思っていたが、・・・うちも頭の痛いことだ』
普通は子供が酒を買うという行動こそが咎められるのだが、それゆえにわざわざ博物館長が前子爵という世代に確認を入れるのだと話し始めた孫娘。
父親や叔父ではなく祖父というところがポイントなのか。博物館長も前子爵に近い世代。話しやすいというのはあるだろう。
爵位を譲ると一気に交友関係が減るものだが、ウェスギニー家は現在の子爵が特殊なので全く存在感を失っていない先代である。
『やっぱりお祖父ちゃま、お知り合いだったの? あのね、内緒だけど、お祖父ちゃまと学校長先生の分はね、ふくよかな熟成バージョンなの。ガルディアス様とグラスフォリオン様と、今回お世話になったローゼンゴット様のはね、爽やかなコクなんだって。どっちも特別非売品って言ってたの。売店で売ってるのよりもね、箱もゴージャスなんだよ』
『む。そうなると飲んでおかねばならんだろう、感想もお伝えせねば』
普段はお兄さん呼びのくせに、お外ではきちんとしていますよと様付けアピール。しかも子供に酒を売ってくれたのは祖父との付き合いがあればこそだったんだねと言わんばかりの眼差しで話をまとめにかかるミニ悪女。
内緒も何も、内緒にする必要のない情報だろう。
たかが土産物の酒でも違いが出る程に仲がいいのかなと、針葉樹林の深い緑色の瞳が問いかけるように祖父を見上げていた。
あの悪辣ウサギ、博物館長のサービスは、あれ程の事件で殺されかけた少女への配慮であることを完全に無視して祖父になすりつけてやがる。
『それでね、お祖父ちゃま。ローゼンゴット様ってば、おうちでお祖父ちゃまに渡すのを確認するまで没収って、フィル、お酒、取り上げられちゃったの。そしてローゼンゴット様、子供からお酒なんかもらえないって言うの』
まるでいじめられたと言わんばかりの表情で、祖父の服を掴んで孫娘は言い募り始めた。
どうしてそこで被害者サイドに立とうとするのか。誰がどう見ても常識的なのは私の方だ。
『だけどね、受け取ってもらわないと、フィル、嘘言ったことになっちゃう。だからね、お祖父ちゃま。お酒、ローゼンゴット様から返してもらって、そして一本渡してもらっても、・・・いい?』
『ふむ。さすがネトシル家の若虎。己への厳しさも立派なものだ。とはいえ、贈り先を聞いての館長のご配慮。ローゼンゴット殿には博物館長の顔を立ててもらい、受け取っていただくようお願いせねばな』
子供がお酒を売買していい筈がないから取り上げられたのは仕方がないと理解を示しながらも、まだまだ若いのだからそういうことまで融通がきかないのだろう、博物館長の立場を考えてもらわなくてはいかんなと、ウェスギニー前子爵セブリカミオは孫娘に対して頷いた。
するとアレナフィルが唇をとがらせる。
『そうなの。ローゼンゴット様厳しくて、お祖父ちゃまじゃないと、お話、聞いてくれない。子供だからって、フィル、信用してもらえず苦労ばっかり』
しゅんっと悲しそうな顔になる孫娘の頭を撫でている前子爵の常識は立派だが、問題はその孫娘だ。お前がいつ苦労した。しかしそこで割り込むような不調法などできる筈もない。
仕方がないのでミラーで二人の様子が確認できる位置から一度立ち去り、改めて前子爵セブリカミオと会った時に私は言おうと決意した。
(まるで私が社交付き合いもできないような青二才みたいな言い方するか、あのクソうさぎ。私は博物館長の気持ちを無にするような人間ではない。全てはお前の渡し方が悪かったんだと何故理解しない)
私のことを高く評価し、褒めてくれた前子爵に四角四面な対応しかできぬ若造と思われるのも癪なことだ。全てはあの性悪な孫娘がのさばっていることが元凶である。
前子爵にそこの事情を正しく伝えようと思えば、まずは孫娘の行動を報告することからだろう。
大公邸で預かることが確定した躾のなってないウサギ娘の部屋や護衛メンバーの確認を終えて戻ってきたところでセブリカミオに呼び止められた私は、
「どうやらうちの孫娘が、土産物の酒のことで心配をおかけしたようで・・・」
と、話し始めた彼に言葉を選びながらそれを伝えた。
『あの、・・・アレナフィル嬢、そのお酒、賄賂だと言って渡してこようとしたのです』
『は?』
『ぅきゃっ?』
その時のアレナフィルのしまったという顔と、前子爵セブリカミオのあっけにとられた顔はあまりにも対照的だった。
孫可愛さのあまり信じてくれないかと思ったが、前子爵はそんなこともなかった。問い返しもせず、即座に私の言葉を信じた。
それは没収もされるだろうと、セブリカミオは理解したのである。
『アレナフィル、お前は何という恥ずかしい言葉を覚えてきたのだ。何よりローゼンゴット殿へ賄賂を渡そうと思ったらお前の口座全額出しても足りんわ』
全くである。よくぞ言ってくれた。
やっと、・・・そう、やっとまともな意見を聞くことができた。もうこのヴェラストール行きはあまりにもおかしい奴らばかりだった。こんな性悪ウサギに誰もが激甘でなんでも許すときたのだから。
(あ。なんだか察したっぽい。そりゃそうか。この孫娘の可愛がられ方を知らん筈がない。でもってあえて厳しく真面目に対応しようとすればどれだけ私が周囲から朴念仁とか真面目ちゃんとか揶揄されるか、祖父だからこそ気づくよな)
私の表情に何を見出したのか、同情するような顔になったウェスギニー子爵家の先代だけが常識人である。
『ええっ!? どんなぼったくりっ!?』
『お前と一緒にするでない。ローゼンゴット殿は本来ならお前など足元にも近寄れん貴公子ぞ。それはガルディアス様こそそうなのではあるが、・・・全くお前という子は』
深いため息に、祖父の嘆きを私は見てしまった。そして孫娘の非常識に、祖父は無関係だと知った。
(そうだよな。父と娘がおかしくても、祖父はまともなんだよな。家族だからこそ苦労してることはあるよな)
私とて家族の非常識に苦労している身だ。前子爵の苦悩はよく分かる。
王子エインレイドと少年達の手前、大人として一度は没収せざるをえなかった事情を説明し、改めて私はセブリカミオに預かっていた酒を渡した。
どちらにせよ、アレナフィルから皆に渡す土産である。
その際、子供の目があるとやはり手本としてなあなあにできなかったことを詫びれば、前子爵からはかなり労われた。
『旅先では誰もが子供に甘くなってしまうものですが、さすがはローゼンゴット殿。兄弟揃ってエインレイド殿下のお側に抜擢されるとは、ネトシル侯爵もさぞ誇りに思っておいででしょう。アレナフィルは世間知らずなところがありますが、どうぞ遠慮なく叱ってやってください』
『恐れ入ります』
真面目な私だからこそ今回の護衛に抜擢されたのだと、前子爵は解釈したらしい。
王子は関係なくて、大公妃付きだったから今回の同行に至ったのだが、良識ある保護者としての言葉がとても稀有で貴重にすら思えた。
(護衛用の特別映像記録も渡せたし、こんなものだろう。グラスフォリオンと縁を結ぶならやはり私自身ともある程度の交流は持っておきたかった。父親と叔父はもう諦めて、先代こそ押さえておくべきだな)
王侯貴族の婚姻はかなり流動的だ。何がどう転ぶか分からない。
外国人の婚約者がいるアレナフィルだが、その婚約が偽装となれば誰と婚姻するかなど分からないのだ。それこそ王子エインレイド以下、仲良しのクラブメンバーかもしれない。はたまた両親にも顔合わせをさせてその庇護を取り付けたガルディアスかもしれない。そして私の弟たるグラスフォリオンかもしれないのだ。
(かつて王子妃になると目されていた姫君が男爵家に嫁いだこともあったように。学生時代に道を踏み外すことも人は珍しくない。この悪辣ウサギは人間としての道をとっくに踏み外しているにせよ)
全てにおいて混乱せず、ほどほどの無難な選択としてグラスフォリオンだろうと私は考えているが、その際に我がネトシル侯爵家の父母や長兄が出張ってはまとまる結婚もまとまらなくなるだろうと見ていた。
うちの両親と兄では、子爵家の娘なぞ使用人レベルとしか思わず、結婚できたことを感謝して自分に尽くせと要求しかねない。
それでは破談あるのみだ。
なぜならアレナフィルは侯爵家との婚姻だからと感激するような性格ではないからだ。そしてウェスギニー子爵家もアレナフィルを外に出す気がない。
もしもグラスフォリオンとアレナフィルを婚姻させたいのであれば、グラスフォリオンをウェスギニー子爵家のアレンルードにとって頼れる義弟として送り込んだ方がいい。ネトシル侯爵家への恭順など求めてはいけないのだ。
そんなところで下手なことをやらかしたらその縁談が壊れることは見えている。
弟の幸せを思うなら私が今のうちからウェスギニー子爵家とも交流し、うまく運ぶ必要があった。
何よりネトシル侯爵家が抱く不満をも全て押さえつけなくてはならない。
様々な家門のバランスや人間性、そして成長と共に変わりゆくアレナフィルの価値観なども織り込んでどう動くべきかを私が考えていると言うのに、あの性悪うさぎ娘は本当にしたい放題で生きていた。
(早めにその資質を見込んだ娘に限って、他の妬み嫉みを受けて美点を枯らすことが多い。あの天真爛漫なところに惹かれたにせよ、それなりの教育を受けて変化した場合、誰もがアレナフィルを可愛がることができるものだろうか。・・・ただ、多少の教育では効果などなさそうなんだよな、あのクソガキ)
サルートス上等学校長も、酒なぞ教育者が受け取るものかと思っていたら、どうやら博物館長が特集番組で自分の名を出していたこともあって親しくなるきっかけにちょうどいいと判断したらしく、喜んで受け取ったとか。
それはアレナフィルが一緒に渡したヴェラストール博物館長からのカードの影響もあっただろう。アレナフィルは、子供がお酒を買ってはいけないからと、自分の祖父に確認が入ることまでぺらぺら喋った。
子供が酒を所持してはいけないからと没収を食らった話から、祖父と没収者との確認の話までされたのだから、学校長もこれ以上の確認は必要ないと思っただけかもしれない。
次に王城で会った時には博物館長が前子爵に確認を入れてくる筈が、祖父が先に礼状を書き、会った時に味の感想を伝えることまで喋ったのだから、学校長もそれに合わせるつもりだとか。
(そんなの受け取るような人じゃないと思っていたが、この場合は仕方ないのか。学校関係者に顔はきいても、博物館はまた分野違いだ。受け取った礼状を出すことで縁はできる。サルートス上等学校長とヴェラストール博物館長。畑違いながらも学術系という意味で知己となって困ることはない)
アレナフィルがやらかした飲食店との提携もあり、学校長もいずれ休日を利用してヴェラストールを訪問する予定を立て始めた。
本当にアレナフィルはゴマスリが上手い。他にもらったメンバーを聞けば、そりゃ学校長の機嫌も良くなるだろう。
学校長だからと敬して遠ざかる生徒は多くとも、祖父とお揃いのお土産をもらってしまったことも影響しているに違いない。
しかもヴェラストールの誓いにおける初代領主は女だった説までぶちかまし、アレナフィルは土産に深みを与えてみせた。華やかな観光地に行ったと思いきやとても真面目なものだったと、誰もが誤解するではないか。
自宅でも学校生活でも一番の権力者を狙っていくミニサイズ悪女がいつかは私の義妹になるのかと思うと、軽く意識が途切れる事態だ。いつかネトシル家を牛耳りそうで恐ろしすぎる。
(考えてみりゃ上等学校入学早々王族二人を魅了した上、そんな子供がと懐疑的だった大公夫妻まで即座に気に入ったときた。リオンは結婚できずとも数年待つといった具合だ。あいつ、どんだけの男を手玉に取る気だよ)
ガルディアスまであっさりと受け取り、
「そりゃ盗み飲みしてたらまずいが未開封なんだから問題ないさ。ま、エリーが陛下に土産話する時にでも出してみよう。非売品って、要はあそこが特別な相手にしか渡してない上物だろ」
と、この国の法律を何と思っているのか、どこまでも無責任だった。
空き瓶にはヴェラストールにあるメーカーのチョコレート菓子でも入れてやってエインレイド王子にあげれば喜ぶだろうと、そんなことを言ってるのだからどこまでも甘すぎる。
普通なら空き瓶なぞあげるものではないが、今回はとてもいい思い出になっただろうからと、何故かほのぼのとした空気を醸し出していた。
(何なんだろう。俺だけが苦労人なのか・・・?)
グラスフォリオンは、
「この可愛く尽くしてくれるとこもサイコー。本気で可愛くねえ? 兄上だって実は可愛いなって思ったろ? もうアレナフィルちゃん、世界の奇跡だと思わねえ? は? そのハチャメチャっぷりがいいんだろが。予測できねえ思考と行動、まさに男を翻弄して打ちのめしながらも魅惑する女神様の子供形態」
と、変なドラッグをキメていた。
特別非売品を通常の売店価格で安く手に入れ、
「えへへー。リオンお兄さん、いつも色々と教えてくれてありがとうございますっ。そんなお兄さんにっ、なんと賄賂ですっ。見てくださいっ、これって売店で売ってるように見せかけて特別非売品っ。王子様との特別フォトで館長からゲットしちゃいましたぁっ」
と、ふざけた渡し方をされてどうして喜ぶのか。
護衛対象者を売り払われたと普通は怒るところだろう。
しかもどう考えても普段のグラスフォリオンが連れ出している際の支払いの方が高い。尽くしているのは我が弟の方である。
(弟の育て方を間違ったのか? お前も貴族として育ってきてなんでアレが女神だよ)
だからいつまでも性悪ウサギが反省しないのだと知った。売り払われてしまったとかいう王子そのものが、苦笑一つで済ませているのだからどうしようもない。
まあな。可愛くはあるんだ、外見だけは。
困ったウサギ娘だが、顔と仕草だけは愛らしいのである。何も分かっていない幼児であれば、私とて抱き上げて頭を撫でてお菓子をあげたかもしれなかった。
「え? このチケットでお茶とケーキ、一つずつ選べるんですか?」
「友人の家が経営者なのですよ。もらったものですが、私は行きませんしね。アレルちゃんなら甘いお菓子も食べるでしょう。習得専門学校すぐ傍で女子生徒に人気なお店です」
「ありがとうございますっ。10枚もあるなんて誰と行こう。えへっ、クラブメンバーがいいかな。それともこういう所は女の子で行くべきかな」
「客の8割は女性だそうですけどね」
「それは確実に美味しいお店っ。ティナ姉様、誘ってもいいかもっ」
子爵家の娘に非売品の酒をもらっておいてそのままというわけにもいかない。
友人の親が美味しいことで有名なティーサロンに出資していた筈だと思い出し、もしもあるようならばケーキセットのチケットを買わせてもらえないかと打診したら、最初は女性をデートに誘うと思ったらしく変にうざい絡まれ方をされた。
――― え? なになに? ついに落としたい令嬢でもできたって? その娘、習専の学生さん? 甘い時間でまずは健全に口説こうって?
――― さっきから違うと言ってるだろう。
仕方なく渡す先は婚約者もいる子供、それもあのウェスギニー家のアレナフィルだと言った。
――― あの殺されそうになった子かっ!? それならそうと言えよ。任せろっ、怖かった記憶も即座に消えちゃうお菓子を用意させてやる。・・・は? ペアチケットなんてケチくせえことは言わないって。
――― だから双子だから二人分でいいんだって。
――― もう黙ってろ。こっちの方が分かってんだからさ。
友人は出資している親から店長に連絡を入れさせ、店も力を入れた特別チケットを作成して渡してきた。
どうやらあの特集番組を見て、かなり同情していたらしい。
友人の親も、あの誘拐された子爵家長女に双子の兄と一緒に食べに行けるように渡すのだと聞いて、そういうことならとすぐに店へ連絡を入れた。
店長もまた、初めての第二王子のグループ旅行でいきなり殺されそうになった女の子へ渡されるのだと知って、即座に本来のチケットよりも力を入れたチケットを作ったそうだ。
殺されそうになったんじゃない、ただの誘拐罪ではお仕置きにならないとばかりに殺人未遂罪にグレードアップさせただけだ。と、本当のことなど言えない。
双子だから二人分でいいと言ったのに。二人分の代金しか払ってないのに。
(なんで二人分のデザートチケット頼んで十人分渡してくんだよ。あいつも店の利益を考えてやれよ)
全国的に同情されているアレナフィルだが、プレゼントや応援レターは本人の手元には届かず、捜査資料として倉庫に運ばれる事情が公開されている。こういう形でサービスできるならと、店長も思ったのかもしれなかった。
今をときめく話題の主が来てくれるなら間近で顔を拝めると思ったのかもしれないし、そこら辺はもう考えるまい。
なんであんな性悪ウサギだけが皆に優しくされるルートを確保していくのか。
ともあれ、先にチケットを見せるようにという文言も入っているので、恐らく個室へ案内される筈だ。怖い目に遭ったのは確かなんだし、ちょっとした優雅で美味しい時間を楽しめばいい。
そんな裏の思惑など知る筈もないアレナフィルは、そのチケットに興味津々だった。型押しされた上質紙に押された店名も繊細なデザインだったからだろう。
「チケットもとっても綺麗。この紙と印刷だけで普通のケーキ買えちゃいそう」
「そのチケットは贈答用で使われるからでしょう。もらった人も大抵は娘にあげるものですが、私は独身ですしね」
「お母様とかお兄様の奥様とかに渡さなくてもいいんですか?」
「人妻となれば学生さんに人気なお店に行きたいとは思わないでしょうね」
「そっか。えへっ、なんか嬉しいです。ありがとうございます」
一応、気を遣っている様子だったので、その必要はないのだと言えば、アレナフィルも安心した様子だった。
きゃっきゃと喜ぶ様子は、頭を撫でてやってもいい程度には愛らしい。よしよしと撫でられると嬉しそうに目を細めるところも心が和む。
(どうせならネトシル家に生まれてくればよかったものを。なんでウェスギニー家かね)
本当の妹として産まれてきてくれていたなら、今頃は思考にも行動にも何一つ瑕疵のない令嬢に育ててあげたというのに。
ミディタル大公妃も言っていたが、こういう甘やかされることしか考えていないタイプはまず係累にいないタイプだ。思考はどうしようもないが、バカな真似をしないなら少しは可愛がってやってもいい。
尚、アレナフィルは王子エインレイドを含めたクラブメンバー5人、ガルディアスとグラスフォリオンと習得専門学校の女講師と双子の兄という5人とで2回に分けて利用したらしく、店の方が感動していたと後日聞いた。
客の素性に気づいた店側は、店長自らが給仕に立つ程に喜んでいたらしい。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
ミディタル大公邸に、その外国人婚約者と親しいという触れ込みの学者と共に身を寄せているアレナフィルは、まるでミディタル大公家令嬢の如く元気に過ごしていた。
通常、客人は客室のあるフロアと来客を迎えて使用する団欒室や娯楽室等で過ごすものだが、アレナフィルは子供であることを最大限に利用し、図々しくも大公妃の私室や寝室まで行動範囲を広げている。
どんな邸宅でもその家族が居住するフロアに客はまず立ち入らないものだ。けれども大公妃が、そして何より事後承諾ながらも大公が許したのだからどうしようもない。
ミディタル大公邸に子供ならではの明るさがもたらされていた。
「コスケラーデ男爵家の長男から懐かしくて・・・と連絡がありました。情報収集を頼まれた可能性と、何かを知らせたい可能性とを考え、会う予定を入れております」
「殴りつけて聞き出せたなら早いのだけどね」
物憂げに呟くミディタル大公妃トレンフィエラは、アレナフィルを養女にしたいぐらいに気に入っているが、実の父親であるフェリルドに手放す気がないそうだ。
あんなのが大公家令嬢になったら、ミニ悪女が学校で一番身分の高い令嬢となってしまう悲劇が到来するのでそれは仕方ない。
アレナフィル自身も養子縁組する気はないが、母親のように甘えられるのは嬉しいらしく、ミディタル大公妃に毎晩のお茶を運びがてらお喋りするのを楽しんでいた。
王妃までミディタル大公邸にマナーレッスンという名目で不定期に訪れるものだから、ミディタル大公妃の笑顔も増えている。
母親には見せない息子達の様子をアレナフィルから聞けるのが楽しいのか。マナーレッスンとか言いながら、その実態はただの井戸端会議だ。
ガルディアスやエインレイドも、自分達のプライベートを母親達にべらべらと喋りまくる性悪ウサギが身近にいることを認識すべきである。同時に母親達にとっては貴重な情報源、自分の意向を反映させてくれるとあってアレナフィルはとても気に入られている。
それだけに大公妃もアレナフィルを取り巻く状況に不快感を隠せぬ様子だった。
「その気持ちを抑えてはいますが・・・。やはり妃殿下もですか」
「ええ。アレルによると、あなたには悪いことをさせてしまったお詫びだそうよ。私は優しい人だったからなんですって。本当に可愛いわ。あの子なりに気を遣っているのね」
「どう見ても取り入る相手を選んでるだけです。それより方法が気になります」
無理やり膝の上に座ってきたアレナフィルの頭を撫でさせられた日、あれから私の身体能力が上がっている。上がったというよりも自分の中にあった何かが外れて成長したような感じだ。
その代わりに破壊衝動も心の中に生まれ、それをコントロールするのに苦労している。何かを言ったりしたりする際に、今までの自分の行動を思い返して今の自分がおかしくなってないかを確認する日々だ。
「それを強引に聞き出さないローゼンだからしてくれたんでしょう? ニッシーさんによると、口の堅さと自分に強引なことをしない甘さを最重視しているそうだもの、アレルったら」
ニッシーというのは、アレナフィルの外国人婚約者と親しいファレンディア人だ。ニシナという姓で、呼びにくいだろうからニッシーと呼ぶように言われている。
ウェスギニー家の面々はカーズと呼んでいた。
そのニシナはミディタル大公妃にその破壊衝動のコントロール法を教えているそうだが、私にはさっぱりだ。男なら自分で努力して身につけろと言ってのけた。
アレナフィルの亡くなった母親ウェスギニー・インドウェイ・リンデリーナを娘のように可愛がったこともあったらしく、その縁もあってアレナフィルを孫のように可愛がっている。
高名な学者で、世界のあちこちを訪れたこともあるとか。アレナフィルにとって血の繋がらない祖父といった立ち位置で、ウェスギニー前子爵セブリカミオとも意気投合していた。
「あれだけ可愛がっておられるのだから、ガルディアス様こそ一番その恩恵を受けてもいいと思うのです」
「昨夜そこをアレナフィルに聞いてみたのよ。だけどガルディ達は放っておいてもいいんですって。私やあなたは自分では外さないだろうって思ったみたい。私達は少しぐらい理性の枷を外しても大丈夫だそうよ、あの子の基準でいくとね」
「それをどうしてあの子が分かり、しかも影響を及ぼせるのかということです」
「本人もうまく説明できないみたいね。ニッシーさんは、アレルのことだからあまり深く考えてなかっただろうって。あなたや私じゃなかったら毎日喧嘩を売り買いするのが日課になったと断言していたわ」
「あのミニサイズ、なんでああも考え無しなんだか」
体のバランスを崩したり、力の抜き方がおかしくなったり、感情が抑えにくくなったり、思いきり暴れたくなったりといった症状は、私もミディタル大公妃が訓練相手になってくれたのですぐに感覚を把握した。大公妃はゆっくりと変化していくように調節されていたらしく、私のように急激な崩れ方はなかったとか。その差別っぷりがあの悪辣ウサギだ。
くすっとミディタル大公妃が笑みをこぼしたが、それは今までよりもどこか野性味を感じさせる。
「私、分かった気がするわ。どの先を緩めれば強くなれるのかが。踏み出せはしないけどね。あなたもそうでしょう、ローゼン?」
「・・・その通りです」
「外でも試してきたのかしら?」
「変装して少しばかり暴れてきました」
「私はニッシーさんに相手してもらったけど、やっぱり違うわね。どれだけ自分を抑制していたのか突きつけられたわ」
「あのニッシー、私の相手は全然してくれませんよ」
発明家ニッシーと名乗るファレンディア人学者ニシナは別に強そうにも見えなかったが、アレナフィルの隣室を客室として要望した。
寝る前にはニシナの部屋に行ってぺちゃくちゃとお喋りしているアレナフィルは、たまにそのままニシナの部屋にあるベッドで眠ってしまう。女の子としてどれだけ警戒心がないのかと説教しても、アレナフィルは何が悪いか分からないのか、きょとんとしていた。
やはり脳みそ小さな性悪ウサギは人間様の常識など理解できないのだなと諦め、2ヶ国語対比会話本とファレンディア語辞典とを使ってニシナに女の子への配慮をするようにと伝えてみれば、彼は自分が一緒に寝ていた方が安全だから構わないとぬかした。さりげなくミディタル大公邸の警備を侮辱したのである。
更に美人好みの自分にとって、アレナフィルはただの愛嬌のある顔なツルペタにすぎないからその気も失せると言ってのけた。さりげなくサルートス王国貴族令嬢を侮辱したのである。
『全世界の垂れ目少女に喧嘩売ってます?』
『んん? サルートスの美的感覚、アレナフィル、美少女? ロゼン、アレナフィル、美女、思う? おお、理解が難しい。ファレンディアの美的感覚、アレナフィル、美少女、違う。ファレンディアの美的感覚、アレナフィル、キュートでファニー。だけどサルートスの美的感覚、アレナフィル、ビューティフルガール?』
私をまっすぐ見つめてくるニシナに嘘など言えなかった。
アレナフィルは可愛い。だが、気品あふれる花のような美少女かと言われたら厳しい。どうにか持ってこれるとしたら、踏まれても踏まれても立ち上がって咲き誇るぺんぺん草か。ふてぶてしすぎる生命力で荒れ地を覆うヒースの花か。
『負けを認めましょう、ニッシー』
『はい。ロゼン、認める、真実、いいこと。心、楽になる』
父親は子ウサギのように愛らしいと思っているようだが、クラブメイトからはビーバー呼ばわりされている小娘は、通訳の習得専門学校講師からはタヌキ呼ばわりされ、ガルディアスからは手乗りインコと思われている。みんな、アレナフィルを可愛がってはいるのだが、微妙に人類を無視していた。
ニシナは唯一、愛嬌のある顔だと人間扱いしたとも言えなくはない。
そんな発明家ニッシーことカズオミ・ニシナはひょうきんなお調子者にしか見えなかったが、トレーニングルームを貸してほしいと言って、アレナフィルと一緒に向かったことがあった。
ミディタル大公妃と私が様子を見に行ってみれば鍵がかかっていて、まさかアレナフィルを襲っているんじゃあるまいなと慌てて開錠して入ってみれば、何やらアレナフィルに装着させた上で護身訓練をしていたのだから驚くしかない。
『閉めろ! 手伝え!』
即座に扉を閉めて鍵をかけたが、ニシナは見事としか言いようのない動きだった。アレナフィルは五人にも十人にも思えるニシナの動きに反応するスピード練習をしていたらしいが、まさに集団で襲われることを想定した訓練だった。
こんなにも強かったのかと、相手の力量を測る自分の目がどれ程節穴だったかを突きつけられた。
恐らくあのニシナの強さは実地で磨かれたものだ。
だが、私達が来たことで人数がいるならと違う訓練へニシナは切り替えた。
アレナフィルは相手の油断を誘って表情を見抜く方法、そして強さを見抜いてチャンスを狙う方法を教えられながら、それについていっていた。
それまではファレンディア語で会話していたらしいが、私達の参加によってニシナはカタコトのサルートス語に切り替え、アレナフィルも意訳してくる。
『人、暴力、しない。人、見えない嫌がらせ、する。アレナフィル、逃げる、いい』
『えーっと、つまり分かりやすく暴力的な行為をしてくる人はいなくて、罪に問われないような嫌がらせを多くして、怒られなかったり罰せられなかったりしたらエスカレートするケースが地味に多いんです。この場合はウェストのベルトを切るとかです。気づかれずにスカートに切れ込みを入れられることを想定しているから体は傷つかないんですけど』
鍵をかけていたのをわざわざ入ってきたのだから手伝っていく義務があるだろうと、身勝手なニシナによる主張を聞き入れたミディタル大公妃と私は、それなりに強さに自信ある軍人ではやらない行動を弱者がするのだと教えられた。
スカートに少し切り裂いて何になるというのか。意味不明だ。肉体をも切り裂かないとダメージは与えられない。
しかしニシナによると、アレナフィルに必要なのは肉体的な暴力よりも弱者が嫌がらせとしてターゲットの心を傷つけるやり方に対抗する手段らしい。
『友達、三人や五人、笑顔、近寄る。友達、お喋りする。護衛、安心する。友達、変身、敵になる。敵になった友達、アレナフィルの服、壊す』
『ナイフで気づかれずに服だけ切るのってけっこう難しいよ。ハサミならともかく。持っていても怪しまれない物を使うよね。この場合はインクボトルかなぁ。茶色とか赤色とか背中から軽く上着にかけられただけなら気づかずに歩いていくよね』
『アレナフィル、一人、駄目。トイレ、危ない。敵、スカート、腕、掴む、アレナフィル、反射行動、マスターする』
いきなり腕を組んで親しさアピールしてくる女の、外からは見えない嫌がらせなど全方位に注意しろと教えこむニシナのやり方は、理不尽な暴力を想定している私にはとてもなじみのない分野だった。
『大丈夫。みんな、アレナフィル、狂暴、思う。みんな、アレナフィルの乱暴、不思議、しない』
『私の間違った情報がどこまでも拡散しちゃうよっ!?』
いきなり肩を叩いて近づいてきた人間の腕をひねり上げる方法や、するりとスカートを回転させて逃げる方法、更には反対に恥をかかせる方法など、ニシナは容赦がなかった。
双子の妹になりすまして全国放送でけんかっ早い性格を見せたアレンルードにより、どうせ狂暴なイメージがついてるから何をしても大丈夫だと割りきっているらしい。
【いずれセンターも到着するだろう。外国に放送されなかったあの特集とてどこまで隠し続けられるやらだ。それが報告されるんだぞ? 更に追加があったと知ったら、お前の暫定婚約者が何をするかも分からんのか】
【・・・さっさと全て片づけないと】
アレナフィルは、私はそんな乱暴者だと思われたくないと抗っていたが、ニシナに何かファレンディア語で言われて負けた。
『最初の一人、土、突っこめ。徹底する、次、なくなる。アレナフィル、思いやり、敵、沢山ゴー』
相手を問わず笑顔で声をかけてきた令嬢を地面に叩き伏せるのを基本とせよと、ニシナは容赦がない。
もう少し余裕を持ってもいいのではないか。
私の未来の義妹がそんな暴れ子イノシシだと思われるのはかなり不本意だ。暴れ子ウサギ程度ならまだごまかしがきくが、暴れ子イノシシはごまかせるのだろうか。
『ううっ、そりゃ分かってるけど。だけど悪気が無くて、本気で親しくなりたい人だっているかもしれないのに・・・』
『アレナフィル、馬鹿。アレナフィルの周り、みんな、お金持ち。お金持ち、マナー、身についてる。本当に友達なりたい人、礼儀正しい。礼儀知らず、全て敵』
『・・・そうだよね。はああ・・・。ルードのおかげで男の人はまず近寄ってこないと思うけど、・・・うーん、女の人や女の子が絶対に近寄りたくないこととかされたくないことって何かなぁ。女の人って変に執念深いしなぁ』
『他人の敵意、アレナフィルが傷つく。アレナフィルが傷つく、みんなが怒る。その他人、死ぬだけ。
『そーだね。やっぱりきっちりやらないと』
色々と不満はあるようだったが、それでもアレナフィルは丸太にボロボロになった布などを巻きつけたものをスカートに見立て、一瞬でバラバラに切り裂く練習に力を入れていた。
『パンツ、残す。それが大事』
『言える。パンツの色ってやっぱりチェックしちゃうよね』
襲ってくるであろう女のスカートをパンツだけ残して切り裂くつもりらしいが、二人によると、男とはどんなに紳士であろうとしても女性のパンツの色をチェックしてしまう生き物だとか。この二人、どうしようもない感性だ。
あえて周囲の人が見て見ぬ振りができない状況を作り上げるつもりらしい。
だからって・・・。
こんな思考の性悪ウサギを、私はいつか妹と呼ばなくてはならないのか。
私の持っている小さな家に鉄格子を取り付けて飼っておくのが全てにおいてパーフェクトなやり方じゃないのか。飼育員ならグラスフォリオンがいる。
散歩には連れていってやるから、後は大人しくおうちでご飯とお菓子を食べてのほほんとしていてくれないだろうか。
『アレルったら、あくまでスカート破いちゃう気なの?』
『はい、お母さん。男なんて所詮は男の子。パンツ見たら恋しちゃうかもしれません。その令嬢だって要はレイド狙いだったり、断れない筋からの強要だったりするから私に仕掛けてくるんですよね? そんなのさっさと離脱して頼りになりそうな男の人と幸せになった方がいいじゃないですか。着飾った令嬢には自分なんてお呼びじゃないよなって思って口説けなくても、パンツ見ちゃったと思ったらその気になって恋の花が咲くかもしれません。だって自分の上着を腰に巻いてあげて、人の目から守るようにぴったり付き添っておうちまで送ってあげるしかないんですよ? ほら、もうゴールイン条件ですよね?』
当事者達の気持ちを完全に無視したその腐った思考は、どこから生まれてくるのか。
そんな無茶な流れなんぞありえんだろと思ったら、ニシナの実体験だとか。何かとハニートラップをかけられてきたニシナはもっと過激だったらしい。それで仕掛けてきた女工作員は全て居合わせた男に持ち帰られ、恋人や妻となったのだと彼は語った。
ニシナの頭脳を欲しがる団体は床上手な女を差し向けてきたせいか、任務を失敗した女も自分が始末されないように守ってくれる男に尽くした方がよく、ニシナの部下や護衛だった男達もまた満足したそうだ。
(床上手って・・・。いや、令嬢でそれはねえだろ。一緒くたにすんなよ)
それからミディタル大公妃はニシナと二人きりの時間を持つようになった。色々と教えてもらっているようだが、彼にしてみれば宿泊費といった認識だとか。
ミディタル大公も相手をしろと言ったそうだが、ニシナは、男は全てライバルだからと断ったらしい。男とは男同士でしのぎを削り合って強さを追い求めるべし、ゆえにニシナはライバルに塩など送らないのだとか。
意味が分からない。脳筋かよ。
だが、大公はその答えに満足したようだ。
ミディタル大公妃という女主人の手配により、ニシナの待遇はどこまでも良くなっている。
(なんでニッシー専用の秘書まで手配してるんだろう。あいつ、大公殿下の秘書の下で働いてた奴じゃねえか。そんな有能なのを)
ニシナは元々アレナフィルが挑発して怒らせたがゆえに、「このクソ生意気な小娘、変態ジジイに売りつけてやるぜ」で誘拐されたことを十分理解しているようで、今のアレナフィルを攻撃してくるのはあの誘拐に関与した奴らの逆恨みだろうと言ってのけた。
破れかぶれになった人間が仕掛けてくるとして、このミディタル大公邸に入りこんでくるのは難しい。ならば周囲の人間を買収もしくは脅迫して何かを仕掛けてくる筈だと、ニシナはアレナフィルの侍女や護衛が取りこまれる可能性を考えている。
彼がその疑い対象者からミディタル大公妃と私を除いたのは、アレナフィルが私達の鎖を壊したからだそうだ。自分が世界で一番可愛い性悪ウサギは、自分を守ってくれない人なんかにそんな親切を分け与えるような人間ではないらしい。
(この暴れ子ウサギ、自分に優しい権力者だけは外さねえんだよな。なんで厨房の料理長がメロメロになってやがんだよ。城を差し置いてエインレイド様のおやつ差し入れがそんなに嬉しかったとでも言うのかよ。お子様メニューに見せかけて、実は俺らの飯よりいい物出してるって何なんだよ)
微妙にアレナフィルの特別待遇に対して色々と考えずにはいられない。
私の未来の義妹は、あまりにも八方美人が過ぎるのだ。
そこまで分かり合えているニシナとアレナフィルは婚約者を挟んだ関係に過ぎない筈だが、本当の祖父と孫娘のようだった。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
ニシナはわざと隙を作ってアレナフィルに仕掛けてくる相手をあぶり出したいようだが、私は未来の義妹が怖い思いをするのは反対だった。
しかし宮仕えとは悲しいものだ。ミディタル大公夫妻を味方につけられてしまえば拝命あるのみ。
「ちゃんとそのラッパは持ち歩くんですよ、アレルちゃん。どこにいても目立つオレンジ色のラッパ。抱えてると可愛いですよ」
「ローゼンお兄さん、上等学校生にはもっと大人っぽいものをプレゼントしたくなりませんか?」
「なりませんね」
工房に細工させて本来よりも大きな音を出せるようにしたが、本人は高級金属製ラッパを渡してこいと、どこまでも図々しい。
本来の金属製楽器など暴れた際にどこかにぶつけただけで音が出なくなる。軽量で落としても壊れないカラフルな玩具だからこそ、誰だって馬鹿にして取り上げようとは思わない。
軽くて取り回しも楽だから、さっと吹き鳴らせる筈だ。
(私が近くにいるとあぶり出せないとかで、仕事を量産してくれるし。全く何かあったらどうしてくれるんだか。同じ室内に繋いでおけるなら安心できるってのに)
単純馬鹿だが、弟のグラスフォリオンには幸せになってもらいたい。なんでアンジェラディータからこんな性悪ウサギなんだよと思いはするが、本気なら叶えてやりたいのだ。
ネトシル侯爵家は男が産まれやすい時にぶち当たったのか、私達兄弟も甥も男だ。兄嫁は性格があまりにもヒステリックすぎて考えたくない。
だからこそアレナフィルは安全な場所で置いておきたかった。双子の兄がなりすませるのなら、あぶり出しにはそっちを使えと言いたい。
それなのに双子の兄アレンルードは、よりによってヴェラストールから戻った妹とこのミディタル大公邸で再会した後、トイレに行ってふらふらと歩いていた際にアレナフィルだと思って声をかけたお預かり様にくっついていきやがった。
(どうして双子のどっちも好き勝手動くんだよ。そりゃ気持ちは分からんでもねえが)
アレナフィルに誰もが構っていたせいか、なかなか戻ってこないアレンルードのことに気づくのが遅れたのがまずかったのだろう。
トイレまで探しに行ってもいないアレンルードの目撃情報を集めて大公軍エリアにある寮の個室へと踏み込んだ私達が見たものは失禁して泣き崩れている青年と全開の窓、ふぅっと溜め息つきながら寛いだ様子で椅子に腰かけている少年の姿だった。
訓練で体を動かすのと、相手の隙を見て攻撃するのとは別物だ。訓練では正々堂々と真面目な動きだが、アレンルードは実地だとかなり過激にやるタイプだった。
妹のフリをして可愛らしい笑顔で相手を油断させ、ケツが腫れあがる程の強い蹴りでベッドへと成人男性をシュートしたらしい。そしてベッドの上に倒れこんだ男の腹に足を乗せ、アレンルードはタマ落とし宣言を実行しようとしたのだとか。
・・・・・・。
誘拐被害者を助けに入った私達がどちらを助けるべきか迷う程に、部屋から響き渡った悲鳴は凄まじかった。
アレンルードは悲鳴と失禁のそれでやる気が消えたらしく、窓を開けて換気しながら椅子に座って考えこんでいたらしい。そこへ私達が踏みこんだのだ。
その場を見た父親のウェスギニー子爵フェリルドは、
「馬鹿だな、ルード。先に脅かすからだ。まずは失神させて連れ去り、落ち着いた場所で料理しなさい」
などと言いやがった。
アレンルードはむっとした顔で唇を噛むと、
「何かの間違いがあったらまずいじゃないですか。何事も確認は大事です。それに僕、いくら何でも大人の男の人を運ぶのなんて無理です」
と、きっちり反論した。
油断しているところを攻撃はできても、それだけの重量を運べるだけの筋肉はないとぼやいた息子に向かって、ウェスギニー子爵は娘が使いこんでいるという重量物運搬用の工具を教え、弟のレミジェスから、
「変なことをルードに教えないでくださいっ」
と、止められていた。
ウェスギニー子爵によると、そのお預かり様は既に調査で名前が出ていたらしい。
けれども気の弱さから無理矢理引っ張りこまれただけで、それも仮病で参加せず逃げたクチだった。だから関与レベルは小さいとして見逃してやっていたそうだ。
だが、本人が恐怖を覚えてしまった。あの全国放送された内容に。
そして彼は、あの過激な放送で喧嘩を売った少女がスケジュール的にアレナフィルではないことにも気づいていた。何故ならアレナフィルはヴェラストールにそれまでいたのだから。
だからあれは役者を使ったウェスギニー子爵による自分達への攻撃宣言だと怯え、自分だけは見逃してほしくて娘に口利きしてもらおうと密会の時間を持つ為に声を掛けたら、それゆえにアレンルードから先制攻撃されたのである。
(何もしなければそれで済んだのに・・・。そうだよな。お預かり様だって来たくて来たわけじゃない奴もいるよな)
大人達が駆けつけ、その男が特に関与と言える程の関与もしていなかったと知ったアレンルードは、
「リオンさんのお兄さんが責任者ですよね。お手数をおかけしますが、この後のことはお任せします。勘違いしてやりすぎたことは申し訳ありませんでした。何か証言しなくちゃいけないこととかあったら叔父に伝えてくれればきちんと協力します。僕は男子寮で生活しているのでお返事に少し時間がかかるかもしれませんがよろしくお願いします」
と、私をまっすぐな瞳で見上げてから、妹の所へ戻った。
同じウェスギニー家の子供でも、グラスフォリオンの兄なのに優しくないと文句をつけたアレナフィルに比べ、グラスフォリオンの兄だから信頼できると考えて任せてくるアレンルード。
同じ顔でもやはり中身は違う。
ガルディアスやグラスフォリオンが可愛がるわけだと思った。
(目を離したら勝手なことしやがるのは一緒だが、根底にあるのは少年らしいまっすぐな気性だしな)
問題はその大騒ぎでアレンルードの存在がミディタル大公軍に知れ渡ったことである。せっかくだからと手を繋いで大公邸の庭園を散歩していた同じ顔の双子。これでは身代わりなど無理だ。
アレナフィルはもう救いようがないが、どうせグラスフォリオンの妻になるならそこまで社交に力を入れる必要もない。あれはもうお外に出してはいけない子だ。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
ミディタル大公邸内では女性の護衛メンバーをアレナフィルの遊び相手としてつけているが、侍女やメイドもまた子供好きな女性が見繕われている。
外国人学者ニシナにも何人かメイドをつけているが、彼の私服はどれも仕立てのいいものだとか。
(なんで大公と子ウサギの勝負の景品が私のコーディネイトなんだ。しかも大公、あの子ウサギには甘いときた。普通ならひと睨みでちびらしてるだろ、全く)
アレナフィルの好み全開な恰好をさせられている私を、ニシナはにやにや見てくることもある。どうやらデザインはニシナが行った外国の衣装文化の影響もあるらしい。
今日は淡いミントグリーンのタイトに見せかけた膝丈ロングシャツと紺色のゆったりしたズボンだったが、せっかくだからと髪を淡いブルーブラウンに染められて付け髪までシッポのように垂れていた。
「おお、ロゼン。いいね、ファルーファルー」
「ファルーファルーとは? ニッシー、それはどういう意味ですか?」
「ん? ファルー? ファルー、レジンルーで、意味、セクシーな男? レジンルー、結婚してない男、女にアピール。目に赤色、つける。意味、恋人ほしい。ローゼの目、緑つけている。意味、いい女、恋人にしてもいい。沢山の女が好きな男、緑色、使うこと多い」
どうやら女性に好まれたい、恋人を作りたいという男性は瞼に赤色を滲ませるらしい。そして男性的な魅力や財産を持ち、特に女に困っていない男性は緑色をつける。
「レジンルーとはどこですか? ファレンディアの文化ですか?」
「レジンルー? んー。地図、どこ?」
今日はアレナフィルが、せっかくだからおしゃれにしましょうと勝手に目じりにアイシャドウを入れてきたのだが、それが緑だった。クールな色気を目指すとか言っていた。
図書室で地図を広げたら、指差したのは海である。
「レジンルー、この海、ある。地図、載ってない。この地図、変」
「そんな海のど真ん中に誰も行ったことがないからでしょう。この辺りに島か陸地があるのですか?」
「レジンルー、この海、多分ある」
その地域にあるレジンルーというところではアイシャドウにも意味があると私は知った。
今日は脇ボタン式の膝丈なミントグリーンのシャツを着させられた私は、毎日のようにアレナフィルが見立てた服を着させられている。見慣れないデザインの服は、通いでウェスギニー子爵邸から派遣されてきている侍女が作成に関与しているようだ。
人をなんだと思ってやがるのかと思いはしたが、冷静に考えれば変装の際に役立つので受け入れている。
着たらそのままもらっていいと言われているが、おかげで変装のレパートリーが増加中だ。問題は一般的なデザインではないことか。
「あっ、いたっ。ローゼンお兄さん、時間ですよ。お出かけですよっ。
【カズおじさんもまだ着替えてないの? 早めに行ってファッションチェックしようよ】 」
【やれやれ。私は途中で降ろしてくれ。演目内容を見せてもらったが、下敷きとなった出来事を知ってるだけに見てられんよ。醜聞を美化したにも程がある】
【え? そうなの? うーん、じゃあどこで降ろせばいい?】
【人の多い所だな。駅とか商業地区だ。通常の会話を流して聞いておきたい】
【分かった。じゃあファリエ駅がいいかな。あそこなら一番大きい駅だし、駅から少し歩けばお店が並ぶ通りもあるし。帰りたくなったらジェス兄様に連絡すれば送迎してもらえるよ。そのまま列車に乗りたくなったらちゃんと連絡してね。あと、その醜聞ってどんなのか後で教えて】
【心配せずとも大丈夫だ。だが、そのことは聞かない方がいいんじゃないのか? この国では間違った認識が浸透してるわけだろう?】
【別に世の中そんなことばかりだよ】
【それもそうだな】
まるで母国語の如く難しい外国語を操るアレナフィル。学んで身につけたという割にはあまりにもおかしすぎる。そう、あまりにも堪能すぎるのだ。クラセンという習得専門学校の講師でさえ通訳する時には辞書持参でやってくるというのに。
その不自然さをガルディアスに相談したところ、どうやらウェスギニー大佐の部下にあたるオーバリ中尉も、大佐は幼い娘そっくりな子供を市立の幼年学校に行かせておき、本物の娘は外国に一人で放置していたのではないかと考えているそうだ。
それならば納得できる。母親が殺されたから市立に行かせたという理由よりも。
王侯貴族と接しない市立の幼年学校時代を影武者ですませ、上等学校入学を期に連れ戻しただけならば全てのつじつまが合う。幼年学校時代は程々の成績だったアレナフィルが上等学校入学を期に最優秀な成績をとったことも。
(さすがは悪夢と呼ばれるウェスギニー子爵。その為にどこまで幼い娘を仕込みやがった)
私の目とて節穴ではない。あれは亡くなった母を娘のように可愛がっていたという男との仲ではない。あのニシナは確実にアレナフィル自身を可愛がっていた過去がある筈だ。
ミディタル大公邸の料理人や酒蔵の管理をしている者からも裏付けをとったガルディアスによると、アレナフィルのファレンディア料理や酒の知識はまさに留学していたとしか思えない程だとか。
だからといって下働きしていたような手ではないので、恐らく料理好きな人と一緒にいて教わりながら覚えたのではないかということだった。
子供なので酒そのものは飲まないようだが、自宅で様々な酒を楽しむ人のブレンドも見ながら話を聞いて育ったのだろうという意見である。
(あの子爵、ファレンディア国の兵器導入が厳しいからってなんつー抜け道を。ファレンディア人とてあんな可愛い子供を孤児として引き取り育てていたなら、そりゃ身元が分かったからとサルートスに連れ戻されても忘れられんだろうよ。メロメロなわけだ)
なんでもアレナフィルの婚約者とやらはまだ幼児だったアレナフィルの、
「あのね、おにいちゃま。おおきくなったらね、フィルとね、けっこんして?」
なんぞという言葉を本気にしていて、自分が関与する技術や成果をアレナフィルに垂れ流した見返りに婚約を迫ったらしい。
だけど子供にしか興味がないので海を隔てて引き離し、そしてアレナフィルが大人になってしまえば解放するだろうとウェスギニー子爵家では考えているそうだ。
(幼い時からそんな人生を歩んでしまったから性根がひん曲がってしまったんだな。それでも子供とて成長すれば大人になる。いずれあの愚直なグラスフォリオンの妻になれば、まっすぐな思考の娘に生まれ変わることもできるだろう)
その外国人婚約者も子供に手を出すようなレベルまで行ってなくて良かった。
だけどやっぱり危険だからこれはうちの小さな家で匿っておいた方がいい気がする。子供には子供らしい時間が必要だ。
(貴族の娘なら誰をも様付けで呼べと躾けたいところだ。どうして私とグラスフォリオンだけがお兄さん呼びなのかと思えば、いざという時は「貴族なんて知りませんでした」で、令嬢トラブルを避ける為って何なんだか。とっくにデートしてる現場見つかっててそんな嘘が通じると本気で思ってるのか、あのアホウサギ)
そんなアレナフィルは、ミディタル大公夫妻が留守の時は使用人達用の食堂で皆と一緒に食べている。これが確実に王族へ嫁ぐというのであればきっちりそれにふさわしい扱いをするのだが、今のままだといずれミディタル大公邸で行儀見習いの侍女として働くこともあり得る流れだけに微妙なところだ。
大公夫妻の気に入りようを考えるとガルディアスの妻というゴールかもしれない。
(普通は結婚前の箔付けで侍女として働くんだが、・・・侍女なんて無理だろ。いいとこペットだろ)
そして何故かミディタル大公夫妻が留守の時にだけ、ウェスギニー子爵がやってくる。夜間の訪問なんぞ非常識すぎると言いたいが、愛娘を案じて顔を見に来る父親を拒絶はできなかった。
しかも肝心の娘はパッと明るい表情を浮かべて飛びついていく。
「あっ、お父様っ。・・・お仕事終わったのっ?」
「ああ。今ならまだ寝てないだろうと思って顔を見に来たんだ。お前の笑顔を見ないと、やっぱり落ち着かないからね。レミジェスのことだからこっそり持ち帰ってきてるだろうと思ってたんだが、どうやら大公妃様があまりにもお前を可愛がってくださるものだから、さすがのレミジェスもお前が寂しく過ごさないでいいのならと引き離せなかったらしい。カズはどうしたんだい?」
飛び込んできたアレナフィルを抱きしめてから抱き上げ、その頬にキスするフェリルドの姿に何故か邸内で女性の好感度が上昇中だ。そして男性の好感度は軒並み下降している。
(お仕事はおすみになりましたの? だろうが。注意しろよ、父親。顔を見に来るじゃなくて、娘が挨拶に行く側だろうが。正気に戻れよ、父親)
よくぞここまで家令や侍女達がいる前で人目を気にせずいられるものだ。
ミディタル大公邸にいる上級使用人の何割かはあくまで結婚前の腰かけで来ている貴族令息令嬢だというのに。
ウェスギニー子爵家は娘にまともな礼儀作法も躾けていないと噂になったらどうするつもりだ。縁談にも差し支え・・・・・・そうだな、別に問題はない。
「お客様とね、お昼からずっとお話し中みたい。もうお酒まで飲んでるかも。だから今日、一人なの。お父様、今日は私、おうちに帰りたい」
「それは駄目だ。今、伯父上がどちらの家にもちょくちょくといらして泊まっていかれるからね。フィルを持ち帰られて返してくれなかったら困る。父上も伯父上には強く出られない」
「そうなの?」
「父上は伯父上の後輩だったんだ。今も学生時代に戻ったかのように賑やかなもんさ。父上ばかりか、伯父上までお前を育てると言い出すんだから食事がまずくてやってられない。それでも子供はもう寝る時間だ。お前が眠るまで一緒にいるよ」
「ほんと? お父様、お泊まりもしてくれる?」
「さすがにそんな勝手はできないな。さ、ベッドで眠るまでお前の可愛いお喋りを聞かせてくれ。愛してるよ、フィル。可愛い私の妖精。お前がいない家はまるで廃墟だ」
泣き出すのかと思うぐらい嬉しそうに笑うアレナフィルは、父親が大好きだ。その気持ちを隠さない。
父親の腰に抱きつきながら一緒に歩き出す。そんな娘の肩を抱いて歩くフェリルドは、妻に生き写しと言われる娘を本気で可愛がっているようにしか見えなかった。
だが、この男が娘を外国に置き去りにしたのだ。全ての結果がそれを物語っている。
「私も寂しかったの」
「そんな可愛いことを言ってくれるのはフィルだけだよ。もう仕事なんて辞めてお前達とのんびり暮らしたい」
ウェスギニー大佐フェリルド。この男が仕事を辞めたら後釜に座りたがる奴は多いことだろう。
「それってとっても素敵。でもね、お父様。お仕事辞めたら叔父様のお仕事がお父様の仕事になるだけじゃないかなって思うの」
「いいよ。その時は領主としてレミジェスに私の仕事もするよう命じるから。お前達以上に大事なことなんてないからね」
歩きながら娘の頭にキスする男は、まるで本気で言っているかのようだ。その実態は、ただの育児環境完全放棄な無責任男のくせに。
弟と家政婦の有能さが全てをフォローしているにすぎない。
「そんな鬼畜なところも素敵。だけどお祖父様、お父様の奥さん見つけてきなさい言ってた」
「目下、私の恋人は世界最強だから頑張ってくれ。フィルよりも可愛くて、フィルよりも楽しくて、フィルよりも甘えるのが上手で、フィルよりも賢くて、フィルよりもルードと仲良くできて、フィルよりも仕事に理解があって、フィルよりも私の好みを把握していて、フィルよりも私の服や香水を見立てるセンスがあって、フィルよりも私の家族とうまくやれる女性がいたら会うだけは会ってもいいかもね」
「お祖父様より条件が増えてる・・・!?」
歩きながら娘の腰を両手でわしづかみにしてひょいっと持ち上げた子爵は、娘と視線を同じ位置にすると、完全に場所をわきまえていない様子で微笑んだ。
「これでも私は国内外を行き来して様々な女性を見慣れているんだ。私の娘は中身もとっても可愛くて、お前よりも心惹かれる女性になどお目にかかったことがない。私の奥さんを捜すのはいいが、そんな私の最愛の娘を私以上に大事にしてくれる女性というのが一番の条件だってことも忘れないでくれよ?」
「ひゃにゃあっ!? 無理だよっ」
「頑張ってくれ、フィル。それ以上に私は可愛いお前は私が死ぬまで嫁ぐ必要などないと思っているがね。全くどんなに隠して育てていても私の宝を狙う男ばかりで困ったもんだ。危険な場所じゃなければお前を一緒に連れていくのに」
ミディタル大公邸で働く者は貴族出身者も多い。それだけに後妻の条件に、先妻との間にできた子供を実父よりも大事にする人という条件など誰も聞いたことなどないだろう。
大抵は政略結婚で迎えた先妻の子供を中心に家の存続を考える。後妻など財産や見栄え重視だ。
愛人の影を全く見せずにアレナフィルを可愛がるウェスギニー子爵が、侍女やメイドを中心に人気となるのはそこがあった。平民の妻を迎えていたフェリルドは決して女性を不幸にしないのだと。
「それは無理。危険な場所は無理」
「そうだね。だから今だけはお前を独占しておこう。子供狼だけなら惑わされることもないかと思っていたが、ここは筋肉自慢な男も多い。まさかと思うが、もう誘惑されたりしていないね?」
「えっとね、自分は伯爵家の人だっていう男の人はいたよ。でもね、お父様より全然素敵じゃなかった。これでも私、慎み深いお嬢様なんだよ」
アレナフィルが慎み深いお嬢様なら、世間の女の子は全て深窓の姫君だ。なんという図々しさ。
普通なら子爵家の娘が伯爵家の息子に接触されたならいい縁談相手になるかもしれないが、ウェスギニー子爵はそう思わなかったらしい。
「身分を持ち出さなきゃいけない時点で、何があろうとお前を守り通す根性はなさそうだな。好きになるならお前が毎日幸せな笑顔でいられる男を選びなさい、フィル。父親にとって最愛の宝を託す相手など、それだけ娘が惚れこんだ相手でないと我慢できないからね。本当は娘の周りの男など絶滅させておきたいのが父親の本音というものだ」
「うんっ」
ここが不思議なところだ。娘の結婚相手に希望する要因は様々だろうが、ウェスギニー子爵はあくまで娘が幸せな一生を送れる男という条件を崩さない。
ウェスギニー子爵家の役に立つ縁談といった選択肢を全く見せないのだ。
だからミディタル大公邸で働く女性達は、「こういう人に愛されたなら一生大事にしてもらえるのでしょうね」と、好感度を上げていく。肝心の妻は亡くなっているので妬むこともない。
反対にミディタル大公邸で働く男性達は、「対面を保つ生活の為には利益ある結婚しなきゃお先真っ暗なんだ」と、好感度を下げていく。肝心の子爵家は裕福なので余計にムカつくのだ。
しかも娘の婿候補に対する条件が、娘が毎日幸せな笑顔でいられることって何なんだ。どこの家だって女主人は常に家を守ってきりっとした顔をしているものだというのに。
(そこまで父親に大事にされている令嬢などどれ程いるものか。高価なものを与えられ、贅沢をさせる父親は多くとも、娘が幸せだと感じる毎日を与えられる相手といった条件は違う意味でかなり難しい。だからこそ、そんな男が娘を・・・)
嬉しそうに父親に抱きつく娘にとって、父親を凌ぐ男などいないのだろう。
あんな性悪ウサギをここまで大事にするのは父親ぐらいだ。それでも貴族なら、そこまで娘に愛情など向けない。
子供を育てるのは乳母の仕事であり、貴族の両親はあまり子育てに関与しないものだからだ。
ウェスギニー家もその筈なのだが・・・。
よりによって息子は外国の戦場に連れて行き、娘は兵器製造国に置き去りにして程いいところで回収する人でなしな男。
だからこんな言葉は嘘だ。その筈なのに・・・。
夜会では胡散臭そうな笑顔しか浮かべていないウェスギニー子爵だが、アレナフィルには優しい笑顔を向けていた。




